お酌の文化・・・
先日、朝ドラを見ていたら(2016/08/30の「とと姉ちゃん」)、主人公の男友達(星野)のところに、義父が訪ねて来て、「再婚しろ」と言いながら、お酌をする場面があった。
ここで、フト思った。いったい「お酌」という文化(風習)はいったいどこから、いつから始まったのだろう? Netでググっても余り良い解答は得られなかった。
・年少者から年長者へ
・目下の者から目上の者へ
・おもてなしする方からおもてなしされる方へ
・女性から男性へ
という記述が見付かったくらい。
サラリーマン世界において、お酌は宴会での大切なエチケット。それは否定しない。しかし、サラリーマンを卒業した今、振り返ってみると、お酌では、あまり良い記憶は無い。上司に媚びへつらう、イヤや自分の姿が思い出されてしまう。
そもそも宴会での手酌は、タブーだと思っていた。手酌をするという事は、周囲から自分が無視されているように感じられるため、出来なかった。幾ら喉が渇いていて、ビールを飲みたくても、コップに少し残しておいて、誰かが注いでくれるのを待つしかなかった。
注ぐ方では、常に周囲の人を見回して、コップが空にならないように気を付けなければいけなかった。考えてみると、これほど不都合なエチケットはない。誰も気兼ねなく、飲みたいだけ飲めば良いのに・・・
現役時代、子会社に移った時に、いつも飲みに行っている先輩二人に、誘われて一緒に飲み屋に行った事がある。その時、お酌をしようとすると、「ここでは、手酌で飲む事にしている」と言われた。3人だけのこの席では、勝手に自分のペースに合わせ、手酌で飲むのだという。この話を聞いた時、なぜか合点した事を覚えている。
そして、自由で、良い酒を飲んだ。自分のペースに合わせて。
考えてみると、お酒は、人それぞれのペースがある。強い弱いがある。お酌は、それを無視して、酒を無理強いしているようにも見える。
しかし宴会では、決まってビール瓶を持って、一回りしたもの。「まあまあ・・・」と言いながら、ビールを注いでは、少し話をして、また次の人の席に回ってお酌。自分の席に座ったままでは、他の人と話す機会が無くなる。それがお酌という手段で、コミュニケーションが取れる。それは分かるが・・・
イヤな上司にもお酌をしなければいけないのも、サラリーマンの性(さが)。
そして、サラリーマンをリタイアした今、お酌をしなくて済んでホットしている自分が居る。
お酌に限らず、つくづくサラリーマンは“我慢の世界”だと思う。我慢が出来なければ、サラリーマンは生きていけない。
それだけに、お酌に代表される?「我慢(=サラリーマン)」から解放された今の年金生活は、素晴らしい世界であると再認識している。
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コメント
お酌の文化というと、会社勤めの人には上下の関係が嫌な思い出として残っているかもしれませんが、女性にとっては酒の席に呼ぶお酌専門の女性の存在があります。まあ、芸者さんみたいに芸はなく。お色気専門で、浜松には有名な名前の付いた女性の商売がありました。後はご想像にお任せしますが、今はコンパニオンと呼び名は変わっております。我が家の向かいにその置屋があったので、何でもつぶさに見ておりました。夫の年代では宴会というと呼ぶのが当たり前で、奥さんにとっては嫌な存在だったのですが、それを知らない奥さんも多く、家庭内騒動もなく、本当に知らぬが仏でしたね。赤線が廃止されてその後の代わりに生まれた職業だったのでしょう。いつの時代も男の遊びには名前が変わっていくだけで存在がなくなる事はないのでしょうね。エムズ様は真面目な方で奥様はお幸せです。ちょいと朝から横道にそれた話でごめんなさい。
【エムズの片割れより】
コンパニオンといえば、前にOBの旅行で、コンパニオンを呼ぶとか言っていました。自分は苦手なので、不参加。
若い頃、お客さんの接待に、むりやり付き合わされたことがあります。その時は「クラブ」に一緒に連れて行かれて、両隣に女性が座り、自分は何を話せばよいのか分からず、イヤな時間を過ごしました。それ以来は断固拒否!
結局、男の中でも好き嫌いでは?好きな人は楽しい時間を過ごせるし、自分のような、不器用人間は、決して楽しめない・・・。
実に残念です!?
投稿: 白萩 | 2016年9月 4日 (日) 09:24