澤地久枝さんの死生観~都知事選が面白い
先日、尊厳死協会の会報を見ていたら、澤地久枝さんのインタビュー記事があった。
「・・・・
「そして、いま80代を迎えられました。」
9月が来ると86歳です。70代はまだ若いと思います。80代は人生の中でやはり特別なものですね。体も弱ってくるし、疲れ方が違う。80代になったら、がんでも何でもでてきて不思議はないんです。
私は自分が変わったと思います。かつてはあまり感動しなかったものに出会っても、心から感動しますもの。散歩に出て書店で『幼い子は微笑む』という絵本を買ったんです。長田弘さんの詩で、いせひでこさんの絵もいいんです。見終えた時に、本当に満たされた気持ちがしました。慌ただしく生きている時には振り向かなかったかもしれないことです。
「澤地さんはどんな死生観をお持ちですか。」
80代後半にかかった人の死生観は似ているんじゃないでしょうか。じたばたしたって、いずれは来るんですから。それなら、じたばたしないほうがいいと思うわ。
きっと最期は予兆が その時は慌てずに
夜、寝る時に、私はずいぶん恵まれているなと思うのです。誰かに戦争について意見を求められたら、「私は戦争に反対です」と言います。そういう姿勢は20代から変わっていない。いくら大きな声で「安倍内閣反対」と言っても誰も止めにかかる人はいません。私は本当に自由だなあと思います。
生活が自分の力で営まれている。誰かの助けをもらってではなく、自分の意志を通してここまで生きてきているのは、本当に幸せなことだと思うんです。
生きてきた果ての答えとして今の自分の人生があるわけです。
「そう言い切れる人生は羨ましい限りです。」
85歳までこれだけの手術をやりながら生きているということは、やはり人の命は強いと思います。でも、命はいつ終わるか分からない。それもよくわかっています。
きっと最期は予兆みたいなものが出てきて辛くなるのでしょうね。でも、その時は慌てないで、お医者さんなんか呼ばないで、じっとしていればいいと思っています。私の理想は、病院には行かないで、我が家で死ぬという考えです。
自分が死んだ後で、ちょっとどこか空の辺に戻ってきて、「やっぱりうまくいった」とか、見られるといいんですけど(笑)。
私か死ぬ話をすると友達みんなが「やめてくれ」と言います。でも、死ぬことを考えないで生きていくわけにはいかないですよ。
「まったく、その通りですね。」
先日、探し物をして引き出しを開けたら、亡くなった方からの手紙がいっぱい出てきました。壺井栄さん、広津和郎さん、弁護士の森長英三郎さんなど、よくまあこんなにとってあったというほどなんです。『妻たちの二・二六事件』で書かせていただいた未亡人の方々からの手紙もあります。
だから、向田さんが亡くなった後、公証人役場で遺言書を作成して、手紙などを「一切焼却」としておいてよかったと思いました。私個人にとってはそれぞれ意味があり、自分の手では始末できませんから。
「いまはどんなお仕事をされているのですか。」
書き下ろしを抱えています。でもそれがうまくいかないんです。今日、3枚書くでしよ、次の日に読み返すと、こんな下手な文章はだめだと思って破いちゃう。こんなことは初めてです。いま日々、大事な出来事が起きていると思うので、そちらに半分以上、身を傾けていることもあります。
「「アベ政治を許さない」というポスターは澤地さんの発案ですね。」
鳥越俊太郎さんから「何かしなければ」という電話があり、「みんながひとつの意思をもっていることを発表したらどうかしら」と言ったところ、その趣意書を私か作ることになりまし た。結局、あの一行になりました。字は俳人の金子兜太さんにお願いしました。
昨年7月18日に始めて、11月からは毎月3日の午後1時に国会正門前でポスターを掲げています。全国各地でもやっていて、海外の日本人にも広がっています。
私は絶望はしない 希望をもって生きる
1942年6月のミッドウェー海戦で日米両方の戦死者を調べる仕事をやり、その中で父親がミッドウェーで戦死し、その父の死後に生まれた子供がベトナム戦争で死んだケースにいきあたりました。
そういう例があってつくづく思ったのは、日本は戦後、1人の戦死者も出ていないということです。これは大変なことだと思うんです。日本は戦死ゼロだと胸を張って言える歴史をもっと大事に考えなければいけない。あと5年たったら、そう言えるでしょうかね。でも、私は絶望することをやめたんです。希望をもって生きていきたい。いま、私の孫の世代の「SEALDS(シールズ)」がちゃんとしたことを言っています。高校生だけのデモもあるんです、可愛いですよ。
いままでなかった日本人のタイプが出てきているから、私はその応援団としてちゃんとしていなければいけないと思っています。こんな時代をこのまま引き継ぐわけにはいかないじゃないですか。
生きている限りは元気でいる、ということです。」
さわち・ひさえ
1930年(昭和5年)、東京都生まれ。旧満州で敗戦。46年に帰国。早稲田大学第二文学部卒。『婦人公論』編集者、作家・五味川純平氏の資料助手を経てノンフィクション作家に。『妻たちの二・二六事件』『密約』『火はわが胸中にあり』『滄海よ眠れ』『記録ミッドウェー海戦』(菊池寛賞)ほか著書多数。「九条の会」の呼びかけ人。」(「リビング・ウィル」2016年7月 162号p4より)
澤地さんの「じたばたしない生き方」・・・。これがなかなか難しい。
話は変わるが、昨日(2016/07/12)、上の記事にも出て来た鳥越俊太郎氏が都知事選出馬の記者会見をしていた。2時からの1時間、珍しく自分も生中継を全部見てしまった。力むこともなく、自然体で話をしており、好感が持てた。その中で、「ガン(大腸がんのステージ4)になったことに比べれば、(都知事は)大したことないと思っています。ガン患者になっても、都知事が務まると思ってほしい」と、発言をされていた。
死の底から這い上がった人は強いな、と思った。そしてガンの経験者にとっては、励みになっただろう。
まあ今日の、日本記者クラブでの記者会見で「がん検診100%」を最重視政策として挙げたのにはビックリしたが、まだまだ準備が整っていないようだ。
さっきNetのニュースを見たら、都知事選で、宇都宮氏が“大人の判断”をして、出馬辞退とか。これで野党側の候補は一人になったので、充分に戦える環境は整った。確かに宇都宮陣営からしてみると、今更・・・の苦渋の選択だろうが、もし野党側が2人立って、共倒れになったら、それこそ宇都宮氏が悪者になってしまう。当選の可能性が無いことを考えると、野党一本化に向けての名誉ある撤退は、好判断。かえって影響力が残ったのではないか・・・。
さて、話を戻そう。鳥越さんではないが、自分も余生で「最後のご奉公」をしなければいけないのだろうが、どうもそんな気分になれない。
天皇も退位を考えられているとか。昨日も、永六輔やザ・ピーナッツが亡くなって、寂しい限りだが、76歳の鳥越さんの「何かしなくては」は、自分のようなリタイア組にも、良い刺激を与えてくれる。
さて、今度は都知事選。面白くなってきたぞ。(おっと、話が題から大分外れてしまった。)
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コメント
澤地さんは 40年来 尊敬してきた方です。「妻たちの2.26事件」以来・・・・いや「人間の条件」(五味川 純平)をしたからささえたお仕事のころから ひたすら「満州帰りの おねえさん}として尊敬してきました。
それでも前回の都知事選で澤地さんが 護川さんを担いで 宇都宮さんに立候補を取り下げるように動かれたことは どうしても納得がいかなかったことを思い出します。
そのうえで 昨年来病苦の身体をを押され ご自身のご遺言とも見える 気力と迫力で街頭にも立たれる姿には本当に 頭が下がります。
私も今年の4月3日には 大阪城公園で 反戦 川柳作家 鶴 彬の 碑の前で「安倍 政治を許さない」というスタンデイング・アピールを一人でやりました。(澤地さんは鶴さんの評伝も書かれています。)
澤地さんは8月3日にも 国会前に立つと聞いています。私も国会前に行き澤地さんのお顔を 見られたらと思っています。
【エムズの片割れより】
それはお疲れさまです。
都知事選は、鳥越さんがどこまで伸びるか・・・
投稿: todo | 2016年7月13日 (水) 23:04
戦争の悲惨な状況を知っている世代が声をあげて戦争反対をして下さるのには頭が下がります。そういう意味では澤地さんは尊敬に値する作家だと常々思っております。戦後の悲惨は私にも身に沁みてわかっておりますが、戦争中のひどい言論統制などは幼なかった私には理解できておりません。先人の書物を読む以外知ることが出来ません。軍国少女だったと言っておられますが、なぜそうなっていったか一番知りたいことです。強い者に巻かれていく人間の弱さを上手く利用していく政治の汚さを、都民ではありませんが鳥越さんが払拭できるのかと楽しみにしています。
【エムズの片割れより】
都知事選。宇都宮さんが降りたので、鳥越さんの可能性が上がったのでは?
7/31の投票日が楽しみです。
投稿: 白萩 | 2016年7月14日 (木) 16:34
お久しぶりです。
いつも拝見したおりますが、
安倍政権に批判的な者のひとりとして、ぜひ知ってほしい記事がありますので、コメントいたしました、
「梟通信~ホンの戯言」と「弁護士鈴木篤のつれづれ語り」というブログをご覧になってみてください。
緊急事態条項について、とても詳しくわかりやすく書かれています。
多くの目に触れてほしいと願っています。
投稿: 風雅 | 2016年7月21日 (木) 10:40