物の整理中・・・
先日の朝日新聞にこんな記事があった。
「(be between 読者とつくる)「持たない暮らし」にあこがれる?
「断捨離」「ときめく片付け」「10着しか服を持たない」……あふれる物との闘い方が流行する様は、物の豊かな時代の必然のようです。さらに進んで持ち物を極限まで減らし、空き部屋のような空間で暮らす「ミニマリスト」に関心が集まるこのごろ、「持たない暮らし」にあこがれる人がやはり多数を占める結果となりました。
■「捨てられない」は悪か
モノを極力持たない「ミニマリスト」の流行は欧米発。米国の男性2人組「ザ・ミニマリスツ」はウェブで200万人の読者を獲得するなど注目を集める。エッセー集『minimalism 30歳からはじめるミニマル・ライフ』(フィルムアート社)は、物を減らすハウツーよりも、どんな生き方をするかについて多くの紙幅を割く。ミニマリズムとは「有意義な生活や人生を送るためのツール」。本当の目的は、自由、幸福に生きることだという。
一方、beモニターの皆さんの「すっきり」願望は、もっと切実な体験に基づく。
「母の遺品の多さに参った。母はきちんとした性格だったが体力、気力が衰え放置していたのだと思う。体力があるうちに断捨離をしなければ」(兵庫、70歳男性)、「夫の叔母をワンルームの老人マンションに転居させたが、元の3DKの賃貸が荷物の山。現在両方の家賃を払っている。自分は子どもに迷惑をかけないよう体力のある間に身軽になりたい」(大阪、58歳女性)。
なぜ、捨てられないのか。
「『使えるからと取っておいてはダメ』と片付け本にあるが、壊れてない物は捨てられない」(東京、51歳女性)、「必要な時のためにと捨てきれないのが貧乏人の性(さが)。物を持たないのは実は豊かな証し」(大阪、56歳女性)。
他人にはゴミでも、自分にとっては宝だということも。
「昔集めたアイドルグッズ。手に入れた時の苦労や使ったお金を思うとゴミにもできない」(兵庫、56歳女性)、「現役時代の書類は、生きてきた軌跡と思うとなかなか処分できない」(長野、64歳男性)、「結婚の時に親がそろえてくれた和服類など一度も手を通さないまま。裏地にシミが出てしまい、処分するしかないが……」(千葉、79歳女性)。
結果、家族の中の意思統一が難題に。「夫が何でもとっておくので本当にいや。中学の時の洋服とか。別れて暮らしたい」(東京、52歳女性)、「終活を意識して自分のものは順次廃棄しているが、空いたスペースに妻がものを詰め込んで、家の中が片付かない」(千葉、58歳男性)。
とはいえ、すべての物がありがたく、持つことが幸せだった時代は確かにあった。
「戦後、中国からリュックサック一つで引き揚げてきた。物が増えると暮らしが一段上昇したように感じられ、心が豊かになる。物に囲まれるのが夢だったからか捨てられない」(福岡、78歳男性)
そもそも、持たない暮らしってそんなにステキかしら?という根源的な疑問も。
「物のない、すっきりしたお宅にうかがうと寂しい。家は適度に散らかっていてちょうどいい」(東京、77歳女性)、「シンプルライフを目指し欲しい物も我慢していたが、仕事のモチベーションが下がった」(群馬、46歳女性)。持たない暮らしを実践し、がらんどうに近い部屋に暮らす神奈川の男性(32)も「たまに、好きな物が適度にある部屋に憧れる」。
「物を持たないこと自体が目的になって、快適に生活するという本来の目的が見えにくくなっていることに違和感がある」(福島、27歳男性)という指摘もあった。
数年前、ブームの片付け法に乗って後悔した山形の女性(51)は「持たない暮らしに注目しつつも冷静に受け止めたい」。少なくとも捨てられないことは、絶望的な悪癖だとも言えないはずだ。(大庭牧子)」(2016/06/18付「朝日新聞」b10より)
3月で“毎日が日曜日”になって、身辺整理を始めた。要は、自分の持ち物の、不要品の処分である。
今まで、ほとんど何も捨てなかった。定年後、時間が出来たら“見るから”“読むから”と、全てをため込んできた。そして今、時間が出来た。さてと・・・
まず、自分の趣味のオーディオ関係の機材は、使わないものは全て処分した。何のことはない、ヤフオクで全て売り払った。そして今あるのは、日常使っている機材だけ。
書籍は、処分が難しい。売れないのである。昔の新刊本など、Amazonで見ても、中古品は全て1円だ。よって、まとめて市の処分場に運ぶことにした。というのは、先日、雑誌・雑紙の日に家の前に出したら、多すぎたせいか、本の束をひとつ置いていかれた。一度にたくさん出すな、という意思表示だ。それから直接処分場に持って行くことにした。
貰った本を処分するのは抵抗がないが、自分で昔読んだ本は、少し抵抗がある。よって、毎日、1冊ずつ、ざっと読み返してから処分するかどうかを考える事にした。
しかし、今まで処分した物で、後で失敗した、という事が無い。これは我ながら意外・・・
つまりは、“棄てられる”ということだ。
でも、上の記事の「物のない、すっきりしたお宅にうかがうと寂しい。家は適度に散らかっていてちょうどいい」という意見に賛同だ。ほどほどが良い・・・。
他の部屋の整理も始めた。天袋にあった着物類も全て処分した。もちろん着物は着ないが、昔、お袋や伯母が、「もったいないから」と“貰わされた”もの。
前に、義母がそごうデパートで100万円で買ったという加賀友禅・浜ちりめんを3万円ほどで処分したが、先日テレビ(2016/06/17「ニッポンのミカタ」)でやっていた「タンス屋」という着物のリサイクル業者の番組で、あれでもラッキーだったということを知った。
テレビによると、家庭のタンスに眠っている着物は40兆円! しかし買い取りが出来るのは、正絹と帯だけだという。ウールなど、それ以外は、査定ゼロ。処分に困った家庭が査定をして貰っていたが、買い取ってもらえたのが40点のうち9点、金額が7500円。他の家で、これは良いと評価してくれた小紋も査定は2500円。57点のうち買ってくれたのが9点で1万円。あまりの安さに、ビックリだが、仕方なく売っていた。
どうも着物のリサイクルは、相場の1%位で買い取って、洗濯して売りに出す時は、20万円が1万5千円と、1割以下らしい。
こんな話を聞いていると、着物は宝石と似ている。デパートで新品を買う時は高くても、売る時は二束三文。まあ、棄てるしかないな・・・
話は変わるが、2年ほど前に「3軒分の実家の遺品を30万円で整理した話」(ここ)という記事を書いた。
そうなのだ。自分の物をたくさん持っていても、自分に処理能力があるうちは、自分で責任が取れるので良いが、自分たちが“さっさと居なくなった”後、それを遺族に片付けさせるのは如何なものか・・・。残されて、それを整理する人は大変だ。
つまりは、歳を取ったら、やはり「断捨離」が必要だ、ということだろう。
今日は涼しい。こんな日には、部屋を順番に整理して行くと良いのだが、この所ちょっと停滞気味。
ここに書くことによって、“自分に檄を飛ばす”年金生活者ではある。
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コメント
まぁ、持っている物が掘り出し物だったり、骨董でもない限りは二束三文になりますね。
私も整理は好きな方ですが、何もないのは寂しいですね・・・
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160619-00004786-bengocom-soci
最近「文春」がスクープを連発しているのには、こういう訳がありましたか。
っというか、入念な裏取りなどは、本来は大新聞が得意だったはずなのに・・・
そして、少しでも不安があればすぐに撤退するという勇気も必要なんですね。
【エムズの片割れより】
上の「「リスクを恐れず、訴訟で負けない記事を作る」週刊文春・新谷編集長に聞く」は、なかなか読み応えがある記事ですね。
投稿: マッノ | 2016年6月20日 (月) 01:18
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160619-00004787-bengocom-soci
あの記事の続きです。
「一度、調査報道の土俵から降りてしまうと、筋肉も落ちてきて、何か起きた時に瞬時に動けなくなります。
緩くて、安心安全な企画モノばかりやっていると、なかなか対応できなくなってしまいます」
というコメントは言い得て妙ですね。
最低限のルールを守りつつ、思いっきり動くのが本来の仕事かと。
「あいつは危険(訴えられるよう)な記事を書くから危険な奴だ」とするのはよくありませんね。
投稿: マッノ | 2016年6月21日 (火) 12:47