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2016年2月 3日 (水)

節分の思い出

今日、会社に行く前にコンビニに寄ったら、いつもの寿司弁当が無い。「恵方巻き」ばかりが並んでおり、置くスペースがないらしい。何と、今日(2016/02/03)は節分だという。

そう言えば、日経新聞にこんなコラムがあった。

おじいちゃんの鬼 しまおまほ
 節分の鬼といえば、我が家では同居していた母方の祖父の役割だった。
「じゃあ、やるか」
 夕食後、家族の誰かが豆を取り出し、オマケについていたお面を祖父に渡す。すると祖父はそれを持って玄関を出て、ほんの少し間を置き、鬼になって家の中へ入ってくる。
「がおー」
 いつものおじいちゃんのカーディガンと胸元のポーラータイ、コールテンのズボン。足に突っかけた茶色いゴムサンダル、お面の穴から見える優しい目。外に出て間を置いた数秒で役作りをしていたのだろうが、その鬼はどこから見ても“うちのおじいちゃん”。頭からポマード(資生堂の「MG5」がお気に入りだった)の香りがツンと漂う鬼に、豆を思いきりぶつけて成敗する気持ちにはとてもなれなかった。
 チャップリンとヒッチコックが大好きだったうちのおじいちゃん。ラグビーとマラソン観戦が趣味で、テレビはNHKしか観(み)なかった。
 お得意の怪談がある。子どもの頃、夕方になると決まって外でこんな声がして兄弟たちと震え上がっていたという。「今夜、喰(く)う~。今夜、喰う~」……その正体は「こんにゃく」を売る行商の声。
「『こんにゃくぅ~』が『今夜、喰う』に聞こえたのでした……おしまい」
 怖くなかった。子どもながらに、おじいちゃんの怪談には凄(すご)みが足りないなと思っていた。言葉遊びとしては面白いけどね、なんて生意気に。そんな“うちのおじいちゃん”の鬼だ。秋田のなまはげのようにはいくまい。
 祖父が動けなくなり鬼役を引退した後、父がそれを継ぐと思いきや。節分の芝居は廃止され、家の各部屋をまわって豆をまくスタイルに変わった。
「鬼はー外、福はー内」
 介護ベッドに寝たきりとなった祖父の部屋にも
「鬼はー外、福はー内」
「はい、ありがとう」
 お礼を言う元鬼役の祖父。
 この時分から、節分に近所から豆まきの声が聞こえなくなった。祖父が鬼役をやっていた頃は、2月3日の夜になると「鬼は外」のかけ声があちらこちらからしたものなのに。
 祖父が亡くなって、うちの節分は玄関のドアを開けて豆をまくだけのさらに簡易的なものとなった。初めのうちは家族で声を揃(そろ)えてやっていたが、しばらくするとそれもなくなって
「マホ、豆まきやっておいて」
 と、なった。しかし決して今年からやらなくて良い、ということにはならない。1度だけ旅行で豆まきをしなかった事があったが、その年はしばらく居心地が悪かった。父と喧嘩(けんか)した日もばつの悪い思いをしながら、ちゃんと豆をまいた。
 豆を用意して玄関に立つと、祖父がお面を持って外へ出る背中を思い出す。我が家で節分の豆まきが続いているのは、ずっと鬼役を担当したおじいちゃんへの敬意、ともいえる。
 豆をまいた次の日。玄関や道路に散らばった豆を飼い犬のマクが喜び勇んで食べてまわる。植木の陰から傘立ての裏から、2、3日ですっかり綺麗(きれい)になくなる。
 マクが最後の一粒を食べる。ここまでがうちの節分だ。(イラストレーター)」(
2016/01/30付「日経新聞」夕刊p4より)

思い出すと、小学校のころ、家で豆まきをした。子どもだけで、「福は~内。鬼は~外」。部屋を回って、少しずつ蒔いた。でもそれは遠い思い出・・・。もちろんそこには、おじいちゃんのような、大人の姿は無かった。
我が家でも、子どもが小さかったころは、幼稚園で鬼の面を作ってきたりして、豆まきをしたと思う。でもあまり覚えていない。
それよりも、我が家では、今でもカミさんが「恵方巻き」を買ってくる。今日は、駅ナカの寿司屋やコンビニも、恵方巻きの大売り出し。駅の中のコンビニでの、声かけは珍しい。

自分は、毎年ワケが分からないまま、“こっちを向いて~!”と、「ガブリ」とやらされる。実は未だにその意味が分からない。

せっかくなので、Netで検索してみた。
160203ehoumakiwikiによると「恵方巻、恵方巻き(えほうまき)とは、節分に食べると縁起が良いとされている「太巻き(巻き寿司)」、および、大阪を中心として行われているその太巻きを食べる習慣。
「恵方巻」という名称は、1998年(平成10年)にセブン-イレブンが全国発売にあたり、商品名に「丸かぶり寿司 恵方巻」と採用したことにより広まったとされている。それ以前は「丸かぶり寿司」「節分の巻きずし」「幸運巻寿司」などと呼ばれていたことが文献で分かるが、「恵方巻」と呼ばれていたという文献類は見つかっていない。」
とある。

な~んだ。コンビニが付けた名前!?
それに、
「節分の日は暦の上で春を迎える立春の前日にあたり、一年の災いを払うための厄落としとして「豆撒き」が行事として行われている。大阪では同日に巻き寿司を「巻き寿司」「丸かぶり寿司」と呼び、それをまるごと一本無言で食べるイベントが行われる場合があった。それが昭和初期に「幸運巻寿司」と称して豪華な太巻きを丸かじりするように変わった。
その後、太巻き(巻き寿司)を節分の夜にその年の恵方に向かって無言で、願い事を思い浮かべながら丸かじり(丸かぶり)するのが習わしとされた。「目を閉じて」食べるともされる一方、春が来るのに障害となる"金気"を「笑い」という"火気"で滅ぼす(火剋金)という趣旨で「笑いながら食べる」という人もおり、これは様々である。また、太巻きではなく「中細巻」や「手巻き寿司」を食べる人もいる。」(
wiki「恵方巻き」より)

なるほど・・・。だから今日のコンビニの弁当の棚は、恵方巻きばかりだったのか・・・

孫と同居しているような家族は、上のコラムのような風景が似合う。しかし、豆まきなど、今ではどんどん廃れているのでは・・・? 何よりも、後片付けが大変なこともある。
もし我が家でやったら・・・。愛犬メイ子がちゃんと片付けてくれれば良いが、そうそう期待出来ない・・・。
でも今日聞いたカミさんの友人の家では、老夫婦(失礼!)だけなのに、ご主人が「鬼は~外!」をやるんだそうだ。家の風習をかたくなに守っているのは、素晴らしい。

昨日、カミさんのところに、息子のヨメさんから「今日、(6月に生まれる)赤ちゃんの性別がわかって、(2歳になるお姉ちゃんの)予想通り女の子でした!」というメールが入り、カミさんは狂喜乱舞。(昨夜、飲み会から帰ったら、阿波踊りのように、「女の子だ~!」って、ホントウに踊っているのでビックリ!)
もちろん自分も・・・!
しかし、何でそんなに、女の子に固執するのだろう・・・

孫と一緒に、豆まきか・・・。ま、我が家では遠くて無理だけど・・・
カミさんと一緒に、寂しく?恵方巻きをほおばった節分の夕飯であった。

160203uchinoko <付録>「ボケて(bokete)」より

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コメント

確かに最近は豆まきはそう見かけなくなりましたね。
むしろ恵方巻に目が行っているようで。
ちなみに私はスーパーで買います。
コンビニだと売り切れの場合、次の仕入れ時間まで待たなくてはならず、
そうでなくとも値段が張るものも多いものですから。
スーパーだと店内の調理場ですぐに調理できるので、
少なくなってきてもすぐに補充できますし、値段も(コンビニと比べれば)リーズナブルです。
私は、よく見る太巻き1本でおなかがいっぱいになります(笑)

【エムズの片割れより】
その後のニュースによると、恵方巻きの売れ残りが大量に廃棄されたとか・・・
こんなコンビニ創作の奇習は、早く止めるべき、と誰かが言っていました。

投稿: マッノ | 2016年2月 4日 (木) 23:29

余談

急速に普及してきたという点ではハロウィンと似ていますね。
こちらは2000年代後半に本格的になってきました。
今やバレンタインデーを上回る経済効果になっていますし。
ただ、本来のハロウィンとは異なる行動をしている方が多いようですが・・・

投稿: マッノ | 2016年2月 5日 (金) 00:42

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