政治の正当性~多数決を疑う
今朝の朝日新聞にこんな記事があった。
「政治の正当性 経済学者・坂井豊貴さん
多数決、死票多く生む 選挙結果 民意とズレ
民主主義の基本は多数決だ。選挙で多数を得た者が当選し、議院内閣制では、選挙で多数を握った政党が内閣を組織。与党と一体で法案を成立させる――。それが「常識」と思っていた。だが昨秋、本屋で一冊の本が目に付いた。書名は「多数決を疑う」。その筆者を訪ねた。
――なぜ多数決を疑っているのですか。
「大きな問題があるからです。特に1位しか当選しない衆院の小選挙区制度。有権者は自分の考えの一部に過ぎない『どの候補者を一番支持するか』しか表明できません。その 結果、票の割れが頻発して死票が大量に生まれている。比例区で復活の余地がありますが一部に過ぎません。民主主義の根本理念は、治める者(政治家)と治められる者(国民)の同一性ですが、ものすごくズレている。少数派はもちろん、多数派すら大事にしていません」
――多数派もですか。
「多数決は51%を押さえれば勝てる制度です。ところが過去3回の衆院選で政権を担った自民、民主両党は、半分以下の得票率で小選挙区の70%超の議席を獲得した。いずれも多数派の支持を得たとは言えない。それなのに多数決は疑われないまま使われてきた『文化的奇習』なのです」
民意とは何だろう。安全保障法制が成立した昨年9月19日、私は参院本会議場の記者席にいた。登壇した野党議員が国会前の反対デモに触れた際、与党席から「少数!」とヤジが飛んだことを思い出す。各種世論調査の「民意」は反対が多くデモも頻発したが、与党は衆参多数の議席を背景に押し切った。政権は「民意を得ている」として政策を推し進めている。
「民意ではなく、選挙結果と言うべきです。政策課題が『財政』『外交』『環境』とあるとしま す。政策別ならB党支持が多くても、選挙になるとA党が勝つことがある=表。オストロゴルスキーのパラドックスと言います。選挙は、各政策への多数意思を反映するものではないのです」
――それでも小選挙区制度で政権交代が可能になりました。政権に一定の裁量を与え、選挙で審判を仰ぐのが基本ではないですか。
「国会では有力政党が三つか四つ。そこに公約が数年に一度、『抱き合わせ販売』されています。アベノミクスは支持するが、他の政策にはノーが言いたい、そんな人はどこに投票すればいいのでしょう」
「多数決の正当性を確保するのは極めて難しい。だから権力の暴走を食い止める権力分立と人権保障によって、多数決で決められることを制限する。これが『立憲主義』です。権力に一定の裁量は許されても、憲法の範囲内でなければなりません」
――その憲法は改正しにくいとされてきました。
「確かに改憲手続きを定めた憲法96条は、衆参両院で3分の2の議席がないと発議できません。しかし、小選挙区制では半数に満たない有権者によって地滑り的勝利が可能ですから。参院選も1人区が32もあります。3分の2は難しくない。96条は見かけよりはるかに弱いのです」
――いまの多数決に代わる案はありますか。
「フランス革命前、科学者ボルダは広い意思を示す方法として、選択肢が三つの時、1位に3点、2位に2点、3位に1点を配点する『ボルダルール』を考案しました。今は中欧スロベニアが採用し、太平洋の島国ナウルも似たような制度を採用しています。豪州は決選投票のような仕組みを用いている。これらの国で有権者は1位だけでなく2位や3位も選べるのです」
――そうした制度の改正はすぐにはできません。現状に不満を持つ有権者は、夏の参院選でどうすればいいと考えますか。
「一番支持する候補というよりも、自分がギリギリ許容できる政党のなかで勝つ可能性が一番ある候補に投票することです。でも選挙でしか意思表示ができないというのは、制度としては貧しい。選挙以外のデモや言論などのルートを尊重する文化を担うことです」
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1975年生まれ。慶大経済学部教授(社会的選択理論)。著書に「多数決を疑う」「社会的選択理論への招待」など。
■取材後記
小学校のクラス委員長選挙に始まり、多数決をあらゆる場面で体験してきた。選挙における多数決の正当性を疑っていなかった私は、坂井氏の話に目からうろこが落ちた。
政治がその時々の民意に流されているだけではかじ取りできないだろう。公約していない政策課題が出てくるし、時には増税など痛みを強いる決断も必要だ。
だが、最近の政治は政権を握ると、増幅された議席を「民意」と言い切り、「決められる」政治へと突き進んでいないか。多数決による意思の集約には限界があることを、為政者は謙虚に受け止めるべきだと思う。(相原亮)」(2016/01/09付「朝日新聞」p5より)
「経済」で票を集め、議席を確保するやいなや、自分の思い込みの「外交」に突き進む現政権。
何とかならないものかと思っていたが、なかなか難しいようだ。
ところで、どうような背景で、今の小選挙区制に変えたのか?
色々な見方があるだろうか、「Newsweek」というブランドを信じて、1年以上前だが、こんな記事を読んだ。
「小選挙区制は「政治改革」だったのか 池田信夫
・・・・1990年代の初め、リクルート事件などをきっかけにして、政治改革を求める声が強まった。自民党竹下派の内紛で主導権を失った小沢一郎氏は、小選挙区制を推進する「改革派」を名乗り、中選挙区制を守ろうとする政治家を「守旧派」と呼んで、グループで自民党を離党した。
この結果、宮沢内閣の不信任案が可決され、1993年の総選挙では「55年体制の打破」が争点になった。小沢氏は「中選挙区では派閥ができる」とか「社会党のような万年野党が続く」と批判し、「小選挙区制になれば二大政党による政権交代でイギリスのような健全な議 会政治ができる」と主張した。与野党のほとんどが小選挙区制に反対だったが、この総選挙で生まれた細川首相が、河野総裁との話し合いで選挙制度改革を実現した。
多くの反対を押し切って小選挙区制を実現したのは、小沢氏の政治力である。ただ彼が考えていたのは、自民党右派が新党をつくる「保守二党論」だった。このため細川首相が辞任したあと、小沢氏は渡辺美智雄氏を離党させる工作をしたが失敗に終わり、結果的には社会党が連立与党から抜け、村山内閣で自民党に政権が戻ってしまった。
このあとも小沢氏は新進党で二大政党をめざしたが内紛がやまず、1997年末に解党してしまう。彼はこの後も自由党を結成して自民党と連立したが失敗に終わり、このとき公明党を連立与党に引き込んだことで、自公政権が続く結果になった。自民党は国民の支持を失っても、いろいろな党を飲み込んでしぶとく生き残った。
選挙制度改革から15年たって、やっと2009年に政権交代が実現したが、民主党政権は自民党よりひどく、3年で政権を失った。民主党が壊滅したため、その後は55年体制より極端な自民党一党支配に戻ってしまった。
こう振り返ると、小選挙区制が政治改革だったのかどうかは疑問である。河野氏も後悔しているように、それはかえって政治の劣化を促進したのではないか。中選挙区では小党分立が起こりやすいが、小選挙区はでは絶対多数を取らなければならないので、大衆迎合の傾向が強まる。
そのいい例が、今回の総選挙である。安倍首相は「消費税増税の延期の是非を問う」と称して解散したが、延期に反対する党は一つもない。投票する人の年齢の中央値が60歳を超えているので、増税を延期して負担を将来世代に先送りすることが、政治的には正しいのだ。中選挙区なら「若者党」のようなすきま政党も出てくる可能性があるが、小選挙区制にはそういう多様性がない。
世界的にみても、小選挙区制が成功しているのは、英米のように階級対立のはっきりしている国だ。日本のように均質な社会では明確な争点ができず、八方美人のバラマキ政策になりやすい。かつては自民党が地方の土建業者をバラマキ公共事業で集票基盤に使ったが、民主党はバラマキ福祉に変えただけだった。
その結果が、1000兆円を超える政府債務である。ここまで来ても増税をいやがり、負担を先送りする政治家も悪いが、そういう彼らのインセンティブを作り出している選挙制度にも問題がある。昔の中選挙区制にそっくり戻るのは考えものだが、もう一度、選挙制度審議会で議論してもいいのではないか。」(2014年11月26日ここより)
民主党政権の評価は色々あるので、上の記事も、そう鵜呑みにも出来ないが、改めて、当時の状況をかいま見た。
正直、1993年当時は、仕事に忙しく、自分の目はほとんど政治に向いていなかった。しかし、非自民の細川内閣で決まった小選挙区制だったのだ・・・
とにかく、現政権の暴走を止めなければいけない。それには、国民として、何をすべきか・・・
誰も、自分に有利な制度を変えようとはしない。よって、今の一党支配の状況で、小選挙区制が変わるとも思えない。
まずは、今の制度の問題点を、国民が良く理解、勉強するところから始めないとダメかも知れない・・・。遠い、日本の民主主義ではある。
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