「もののけ姫」でハンセン病患者描いた 宮崎駿監督語る
前に「ハンセン病・多摩全生園の見学ツアーに行く」(ここ)という記事を書いた。
そこにも書いたが、案内してくれた人が、こういう話をしてくれた。
「「千と千尋の神隠し」という映画があるが、宮崎駿監督は近くに住んでいることもあって、こことは非常に縁が深い。人権の森のプロジェクトにも1千万円の寄付を貰った。「千と千尋」や「もののけ姫」の時は、この辺りでよく見かけた、という話も聞いている。ラストで、千尋は自分の名前を取り戻して、現代に戻っていく。そのときに手を振っているカエルの姿の人も、もしかすると名前を取られて外に出られないのかも知れない。千尋は外に出られたから良いが、我々はむしろカエルさんに目を向けなければいけないのではないか・・・。全生園のオマージュのような気がしている。出るときに橋を渡るが、ここでは堀・・・。宮崎さんが言っているわけではないが、自分は、残された人をどう思いますか?という隠しテーマがあるような気がしている。・・・」(ここより)
先日の朝日新聞の社会面と多摩版に、この話を裏付ける話題が載っていた。内容は同じだが、二つとも読んでみよう。
「宮崎駿監督、生への思い 「もののけ姫」ハンセン病患者
映画監督の宮崎駿さん(75)が28日、東京都港区で開かれた「ハンセン病の歴史を語る人類遺産世界会議」で講演し、代表作の一つ「もののけ姫」(1997年公開)の一場面でハンセン病患者を描いた経緯について語った。
題目は「全生園で出会ったこと」。宮崎さんは「もののけ姫」の制作中、自宅から歩いて15分ほどの国立ハンセン病療養所多磨全生園(東村山市)を訪れた。園内の資料館で、患者の脱走防止策として療養所内で使われていたブリキやプラスチック製の「通貨」などの展示を見て衝撃を受けた。「おろそかに生きてはいけない。作品を真っ正面からやらなければならない」と思ったという。
「もののけ姫」にハンセン病患者を思わせる包帯姿の人々を登場させたのは「業病(ごうびょう)と言われながら生きた人たちを描かなければ」との思いに駆られたからだったというが、一方で「(当事者が)どう受け取るのかが恐ろしかった。映画を見た入所者たちが喜んでくれてよかった」と振り返った。
療養所に入所する佐川修さんと平沢保治さんが友人として登壇。2人から「子孫を残さないよう断種された」と苦しんだ体験を聞いた宮崎さんは「何かの教訓に残ることが大事。病気に生きる苦しさの巨大な記念碑をずっと残していけたらいいんじゃないか」と述べ、施設の保存を訴えた。
全生園の入所者は最大1500人以上だったが、28日現在で195人に減り、平均年齢は84・5歳と高齢化が進む。宮崎さんは、隔離の歴史を伝える記念公園として全生園の施設などの保存を図る「人権の森構想」に協力。園内の寮の復元のために寄付をしている。(青木美希)」(2016/01/29付「朝日新聞」多摩版(ここ)より)
「「もののけ姫」でハンセン病患者描いた 宮崎駿監督語る
映画監督の宮崎駿さん(75)が28日、東京都内で講演し、ハンセン病療養所を訪れたことがきっかけで、代表作の一つ「もののけ姫」の一場面でハンセン病患者を描いたことを明らかにした。映画で登場する包帯姿の人々で、ハンセン病患者と明示してはいないが、「業病(ごうびょう)と言われながら生きた人を描きたかった」と述べた。
宮崎さんが講演したのは、ハンセン病施設の歴史保存を考える国際会議「人類遺産世界会議」の冒頭。自宅近くの国立ハンセン病療養所多磨全生園(東京都東村山市)を訪れ、「深い苦しみが集積した場所」と感じて衝撃を受けたという。全生園を「記念の場所として教訓を残してほしい」と述べ、隔離の歴史を伝える建物や森の保存を訴えた。
講演後の記者会見では、憲法改正についても語り、「戦争で苦労した人が目の黒いうちは、平和憲法をやめようなんて言えない。変えなきゃいけないとしても世界で一番最後でいい」と反対した。「21世紀に入って、今までの枠組みで考えられないことが世界中で起こり、イスラムとIS(過激派組織「イスラム国」)など、新しい葛藤と矛盾が噴出している。目を開けて、道を誤らないようにやっていくしかない」とも語った。
原発再稼働については「再開せずがんばるべきだ。原発を使わず、石油に依存しないですむような、これまでと違う発想でやらないと」。沖縄の米軍普天間飛行場移設は、移設阻止をめざす「辺野古基金」の共同代表を務めていることを踏まえ「やめなさいと言いたい。辺野古の海は残した方が沖縄の人のためにもなる」と訴えた。(編集委員・北野隆一)」(2016/01/29付「朝日新聞」p33ここより)
たまたま、NHK「探検バクモン」「ハンセン病を知っていますか」の再放送も見た。(放送:2015年6月10日/再放送:2016年1月27日ここ)
改めて、見学した時の衝撃を思い出した。
こんなことも過去にはあった・・・。
先日、天皇が訪れたフィリピン。現地人110万人の犠牲者を出したマニラ大虐殺と同じで、これも日本人として決して忘れてはいけない事実。
機会があったら、ぜひ一度「国立ハンセン病資料館」(ここ)を訪ねることをお薦めしたい。
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