「嫌いな人」とのかかわり方
先日の朝日新聞にこんな記事があった。
「(オトナになった女子たちへ) 「嫌いな人」とのかかわり方 益田ミリ
嫌いな人に、ずいぶん振り回されてきたのだった。
嫌いな人に振り回されてきたというより、嫌いな人がいる自分を許せない状況にジタバタしていたというべきか。
嫌いな人がいるのは、心が弱いということ。強い心を持っている人なら、決して、誰かを嫌いになどならないはず。だからわたしは、もっともっと強くなり、嫌いな人のいいところを見つけ、好きにならねばならんのだ!
そんな考え方に、ほとほと疲れてしまった。三十代の終わりだった。
わたしも、もうオトナ。
イヤだなと思う人がいるのは、自分なりのきちんとした理由があるからである。
理由を軽く見てはいけない。
その理由の中には、自分が信じる正義のかけらも含まれているのだから。
ちょうどその時期、わたしは「嫌いな人」というのをテーマに漫画を描いている。嫌い、について、あれほど考えた日々はなかったなと思う。漫画の主人公が、嫌いな人を好きになるよう努力するシーンを描きながら、何度も涙がこぼれたものだった。
嫌いな人からは逃げてよし。当時のわたしが、漫画に出した答えだった。
そういえば、いろんな習い事を経験してきたけれど、中には意地悪な人もいたっけ。
仕事でもない。先輩でも後輩でもない。なんの利害関係もないのに、上に立ちたい気持ちが強い人もいる。
派閥なんかつくらず、みんなで楽しくやればいいのに。ポカンとしたこともあった。
もちろん、楽しかったグループレッスンもある。普段、知り合えない人との出会いの中には思わぬ発見もあったのだ、辞めた後までは会ってないけど(おいおい)。
現在、わたしが習っているのは、どれもマンツーマンレッスンばかり。なかなか上達しないピアノも、比べる相手は「先週の自分」だけ。これは性分に合っている。
中学時代はバスケットボール部だったが、思えば、自己記録に挑戦するような競技のほうがむいていた気がする。
時間をかけてわかったことが、わたしの強さになっていくんだと思う。(イラストレーター)」(2015/11/14付「朝日新聞」p38より)
先日、「「私は嫌だ」いえる社会を」(ここ)という記事を書いたが、同じような話だ。
つくづく、サラリーマンの現役を終えて、ホットしている。理由は、まさに「嫌いな人」と付き合わなくて良くなったから・・・
正面から「嫌いな人」というのは、そうは居ない。むしろ、「苦手な人」なのだろう。その人の前に立つと、どうしても縮こまってしまう、そんな人。
前に、血液型の相性というのを聞いたことがある。ちょっとNetで探ってみると、自分はB型なので、「◎O女 ○B女 △A女 ×AB女」だという(ここより)。ウチのカミさんもB型なので、相性はマアマアか・・・
血液型と言えば、元の会社の同期会の名簿に、本人とカミさんの血液型が相変わらず載っている。これは大昔の幹事が、その欄を作ったのが、そのまま残っているもの。
このリストで、BとBの組合せが、自分の所だけだったっけ。でもまあ○なのでいいか・・・
現役サラリーマンにとって、「嫌いな人」との人間関係は日常のこと。
話は飛ぶが、先日の朝日新聞にこんな記事があった。
「ソフトバンク2.0(4)
・・・・資金調達で見せたように、アローラの存在感は隅々で増している。経理部長や社長室長らSBG幹部の報告も、英語でアローラにと変わった。アローラはヤフーの各事業部長にもヒアリングし、社長の宮坂学に「キミの人事権は私にある」と告げてもいる。・・・」(2015/11/14付「朝日新聞」p9より)
ソフトバンクのアローラ副社長が、どんな人かは別として、「キミの人事権は私にある」が企業のならい・・・
そんな世界でビジネスは動いている。それに耐えられない人は、当然脱落・・・
人の関係では、やはり同期の会が唯一気楽な会。それ以外は、どうしても「かつての上下関係」が付いて回る・・・。
上の記事のような、「嫌いな人のいいところを見つけ、好きにならねばならん」などとは、自分は一切考えない。
合わない人には近付かない。それだけ・・・。もうそれが許されるシニア世代。
「私は嫌だ」と言い、「嫌いな人」とは付き合わない。これからの人生は、そうするのさ・・・
(もっとも、カミさんは「あまりに我慢を“しなさ”過ぎる!」と非難するが・・・)
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