「いじめの芽を摘む」~小学校の思い出
先日の「天声人語」。
「(天声人語)いじめの芽を摘む
「親しみやすく哲学を語った文筆家の池田晶子さんは、子どものころ、男の子にお下げ髪を引っ張られたり、蛙(かえる)をかざして追いかけられたりしたことがあった。だが陰湿ではなく、池田さんにはそれがどういうことか分かっていた。
「その悪ガキは、私が転校する時ワンワン泣いていたもの」。そういえば小沢昭一さんに〈毛虫突きつけ腕白(わんぱく)の恋ごころ〉、渥美清さんには〈好きだからつよくぶつけた雪合戦〉という俳句があった。遠い記憶をたぐるご同輩もおられようか。
だが、懐かしんでばかりいられない。全国の小学校が昨年度に把握したいじめの件数が、過去最高の12万2721件を数えたという。小さな兆候も見逃さない姿勢で調べ上げた結果である。いじめ防止対策推進法では、された側が苦痛を感じるものはすべていじめと定義される。
子どもの世界の自然な営みを阻害することなく、危うい芽を摘んでいく。たしかな目配りとともに、的確に判断をする。教育の場の難しさは門外の徒にも想像できる。
詩人、島田陽子さんの大阪弁の詩を思い出す。〈あの子 かなわんねん/うちのくつ かくしやるし/ノートは のぞきやるし/わるさばっかし しやんねん/そやけど/ほかの子ォには せえへんねん〉 〈そやねん/うちのこと かまいたいねん/うち 知ってんねん〉。ふと頬がゆるむ一方で、エスカレートする行為に苦しむ子もいるのではと思う。中学高校もだが、いじめは許さぬ意志を堅くして子らを包みたい。」(2015/10/29付「朝日新聞」「天声人語」より)
この「天声人語」を読んでいて、小学校の頃のこんなことを思い出した。(これらは前にも書いているが・・・)
昔、小学校の頃、クラスにかわいい女の子がいた。男の子たちは、皆、口には出さなかったがその子が好きだった。だから「意識」する。だからおいそれとは話し掛けられない。自分ひとりが、その子と話をすると、皆に羨ましがられて、他の男の子にイジメられるかもしれない。だから、誰も遠巻きに・・・
ある日、そのことを心配した女の子の母親が、先生に相談に来た。
そしてクラスで、なぜその子と仲良くしないのかについて、話し合いが行われた。それからどうなったかはよく覚えていない。
同じクラスの、その子の従兄弟が、その女の子のすぐ近くに住んでいた。それで自分は、その女の子の話が出るかも・・・と思って、よくその男の子のところに遊びに行ったもの。でも、なかなかその女の子の話は出なかった。
前に、そんな話をカミさんにしたら「可愛そう。今からでもその子に、教えてあげれば?」と言われたが、もう無理だ・・・
同じような話で、こんな事もあった。
自分は小学校4年が終わった時に、埼玉から茨城に引っ越したが、その前に、ある女の子からいじめられた。冬に、たんぼで雪合戦をしたときも、その子から集中砲火を浴びた。
それで、引っ越して、その子から離れたとき、ホッとしたもの。
でも上の話では無いが、その子は、自分のことが好きだったのだと思う。でも当時はそんなことはつゆ知らず、悩んだ?もの・・・(自分だって、そんな子の一人や二人は居るのだ~!!)
しかし最近のイジメは徒党を組むという。視線が自分に向かないために、ただただ強い者に迎合するしかない・・・。
それを正せるのは、親しか居ないと思う。
イジメる側にせよ、イジメられる側にせよ、子どもの少しの徴候を見付けて、正すしかない。
思い出すと、自分も息子が中学の時に、学校に談判に行ったことがあった。親の財布から金が無くなっている事に気付き、息子から学校でお金を巻き上げられているという話を聞いた。カケをして負けたお金だという。そして学校に相談すると同時に、その親に電話し、中学の校長室で先生も交えて相談した。父子家庭だったが、相手の父親は郵便配達をしている人で、「きちんと言い聞かせる」と約束し、それまでのお金を弁償するというので、なにがしかを受け取って手打ちとした。
そんな時、子どもだけでは解決できない。それには“親の感度”が第一。つまりは子どもへの関心・・・。
子どもも、思春期となると付き合い方が難しいが、幾つになっても、せめて「普通に話せる」関係だけは保ちたいもの・・・。
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