「教育」~簡単ではない機会均等
だいぶん前だが、日経新聞にこんな記事があった。
「簡単ではない機会均等 早稲田大学教授 須賀晃一
日本の義務教育は、「機会均等」の原則と「無償」の原則に基づいて展開されてきました。
憲法は、教育を受ける権利と教育を受けさせる義務を規定し、義務教育は無償としました。また、教育基本法は「人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない」と一歩踏み込んだ教育の機会均等を明記し、さらに障害や経済的理由によって修学困難な者に対しても、支援や修学奨学の措置を講じなければならないとしています。日本の義務教育は平等主義的な理念に基づいているのです。
義務教育の無償については財政的裏付けとして、1952年に「義務教育費国庫負担法」が制定され、国が必要な経費を負担し、国民のすべてに妥当な規模と内容の教育を保障することになりました。教育の機会均等の実質化が図られたわけですが、その後も1学級あたりの人数や教員数で見た公立小中学校の教育条件の平準化が目指されてきました。こうした施策を通じて、地域によらず子供たちが同じスタートラインに立つという初期条件の均質化、教育の機会均等が保障され、学力試験による選抜の公平性が担保されています。
機会均等と無償の2つの原則に基づく日本の義務教育の下では、学力の差は本人の能力と努力の差であるとみなされ、業績主義が容認されることになります。ここで実現する結果の不平等は公平性に矛盾しないとみなされます。教育が機会均等であり、能力が等しい場合、結果の差をもたらすものは努力の差に基づくものしかなく、自己責任の問題に還元されるからです。
しかし、実際には親の所得や資産に格差があると、教育の機会均等は実現しません。また、そのような経済的格差や両親の受けた教育や職業が、子供の学習意欲に強く影響することが分かっています。教育の機会均等を保障することはそれほど簡単ではないことに注意しなければなりません。」(2015/10/19付「日経新聞」p17より)
日常、当たり前のことと思っていることが、このように解説されると、ここに至るまでに、先人たちがどれだけ苦労して来たかを再認識する。
良く言われる。子どもに残す最大の遺産は「教育」だと。
確かに、教育は、子どもの可能性を大きく拓かせる。無限の可能性を引き出す。
しかし、子どもが置かれている環境、大きくは親の所得水準で、それが大きく左右されてしまうことは確か。
我が家でも、親父が自分の学歴から、“息子を大学に”というスタンスだったことを、子どもの頃、お袋から聞いたことがある。つまり、親父が会社で、大学を出ていないことで苦労したため、息子は大学に・・・と。
幸いなことに、我々3人の息子は大学を出た。言い換えると、親父の信念により、我々は何の疑問もなく大学に行った。
ふと、親父の学歴について調べてみた。ただひとつ覚えているのは、「巣鴨高商」という名前。Netで検索してみると、
巣鴨高等商業学校(現千葉商科大学)
1928年 創立
1944年 巣鴨経済専門学校 改称
1950年 千葉商科大学 設置
ということが分かった。
千葉商科大学として今でも続いていることが嬉しい。地図で見ると市川市にあり、和洋女 子大と向かい合わせ。
親父は大正5年(1916年)生まれなので、17歳で入学したとすると、1933年の入学。つまり、創立5年目だったらしい。
戦前の学制は分かりづらい。wikiによると、高等商業学校は17歳で入学して3年制なので卒業は20歳。つまりは、今で言う短大。なるほど、親父は短大卒か・・・
最近、テレビドラマの「遺産争続」を見出した。
10億円の遺産をめぐる家族のドタバタ劇だが、そこにはタナボタを狙う子どもたち。ここには、介護問題も含めてのこれからの日本家族の縮図があるのかも・・・
とにかく、お金は人間の醜さを顕在化させる。
目に見えない形で子どもに残す「教育」は、スマートな遺産相続。
中国や韓国の教育熱も異常だが、せめて子どもたちに、教育における本人の可能性をつぶすことだけは避けたいものだ。
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