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2015年11月の19件の記事

2015年11月30日 (月)

ヴァイオリンによる「ウイリアム・テル序曲」

先日、ヴァイオリンによる「ウイリアム・テル序曲」を聞いた。何とも、不思議な演奏だった。自由奔放にヴァイオリンが歌う・・・

<ヴァイオリンによる「ウイリアム・テル序曲」>

この演奏は、川井郁子さんの「The Melody~100年の音楽~」というアルバムの1曲だという。
CDの解説に「テレビ東京で放送されている「100年の音楽」で川井郁子が演奏している誰もが知るスタンダード楽曲をこのアルバムのために新たに編曲し録音しました。」ともある。
この独奏ヴァイオリンと弦楽合奏による演奏は、なかなか新鮮だ。

そもそもクラシック音楽の「編曲」はあまり無い。
ピアノ編曲によるクラシック音楽はだいぶん集めたが、「ウイリアム・テル序曲」のヴァイオリン編曲は初めて聞いた。
ホンモノは聞き飽きたので?このような「変わり者」を好む、最近の自分である。

(関連記事)
リスト編曲・ピアノ版の「ウィリアム・テル序曲」 

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2015年11月26日 (木)

蛍光灯、白熱灯、製造禁止へ!??

今朝の朝日新聞の1面トップの記事。読み流せばよいのだが、どうも気になる。
蛍光灯、実質製造禁止へ 20年度めど、LEDに置換
 政府は、エネルギーを多く消費する白熱灯と蛍光灯について、国内での製造と国外からの輸入を、2020年度をめどに実質的に禁止する方針を固めた。省エネ性能が高い発光ダイオード(LED)への置き換えを促す狙いだ。
 安倍晋三首相が26日に財界幹部を集めて官邸で開く「官民対話」で、省エネ対策の一環として表明する。今月末にパリで始まる国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP21)に向けて、日本の温室効果ガス削減への取り組みを具体化する狙いもあるとみられる。
 政府はLEDと蛍光灯それぞれについて、品目ごとに省エネ性能が最も優れた製品の基準を満たさないと製造や輸入をできなくする「トップランナー制度」で規制してきた。来夏をめどにつくる省エネ行動計画に、照明についての品目を一つにまとめることを盛り込む。LED並みの省エネを達成するのが困難な白熱灯と蛍光灯は、事実上、製造や輸入ができなくなる見通しだ。来年度にも省エネ法の政令を改める方針。
 電球で比べると、LED電球の消費電力は、60ワット形相当で白熱電球の約8分の1で、電球型の蛍光ランプよりも約3割低い。政府は、30年度の温室効果ガス排出量を「13年度比26%減」とする削減目標の前提として、家庭などで使われている照明のほぼ100%を、30年度までにLEDにする目標を掲げるが、割高な価格がネックとなってLEDの比率は12年度で9%にとどまった。
 白熱灯と蛍光灯の製造と輸入ができなくなれば、国内市場で在庫がなくなった時点で、LEDへの置き換えが急速に進み、量産効果でコストが下がることも期待される。ただ、割安な電灯を買う選択肢がなくなることになり、LEDの価格が下がらなければ、家計や企業の重荷になる可能性もある。
 電球型のLEDが登場したのは09年前後。11年の東日本大震災後に省エネ意識が高まって一気に普及した。日本の大手電機メーカーでは、東芝ライテック、パナソニック、日立アプライアンスが一般的な白熱電球の生産をすでに終えている。電球型の蛍光ランプも、東芝ライテックが今年3月に生産をやめるなど、LED電球への切り替えが進んでいる。東芝ライテックによると、一般的なLED電球の希望小売価格は、09年の発売時に約1万円だったが、いまは2千~3千円台まで下がり、「店頭の販売価格はもっと安いだろう」(広報担当者)という。
 蛍光灯が中心だった天井用照明でも、10年ごろからLEDが売り出されている。ただ、照明器具そのものをLED対応に切り替える必要があることから、電球ほどはLED化が進んでいない。LEDへの移行を後押しする支援策を求める声が出る可能性もある。(高木真也、南日慶子)」(
2015/11/26付「朝日新聞」p1より)

かたやメーカーは・・・
パナソニック、全照明器具LED化 2019年までに
 パナソニックは26日、国内で販売するオフィスなどの照明器具について、2019年3月までに蛍光灯をやめ、すべてLEDに切り替える方針を明らかにした。人口が減る国内では新しい住宅やビルが増えにくいことから、今ある建物に価格が高めのLED器具を納入し売り上げ確保をねらう。
 同日、東京都内であったライティング事業の説明会で明らかにした。同社は国内の照明市場のシェアがトップで、国内向けに出荷する照明器具のうちLED用が約8割を占める。ただ、住宅や店舗、オフィスなどの照明器具のうち、実際には1割ほどでしかLEDは使われていないという。
 LEDは蛍光灯などより割高な半面、省エネに優れ、専用機器を使えば部屋ごとに色の明るさ調整などができるとして、同社はLED器具の販売を強化する方針だ。照明器具はやめても、蛍光灯そのものの販売は続ける。
 一方、海外では人口や経済が伸びている中国やインドネシアを中心に照明の販売を大きく増やす。ライティング事業部の売上高を15年3月期の3177億円から、19年3月期に4千億円に引き上げる計画だ。」(
2015/5/27付「朝日新聞」より)

この記事、「出来レース」か、はてまた朝日の「大誤報」か!?
しかし腹が立つ。政府が、国民を兵糧攻めにしようとしている。Panaの記事によると、19年までは蛍光灯器具を販売、そして蛍光灯そのものの販売は続けるという。
それを政府は、20年をめどに白熱灯と蛍光灯の製造と輸入を禁止するという。覚醒剤ならいざ知らず、単なる家電品の製造を禁止したり、輸入を禁止することなど出来るのだろうか? いや、そんなことが法治国家で許されるのだろうか?
蛍光灯器具など、30年近く持つこともある。実際に我が家では家を建ててから一度も器具を替えていない蛍光灯器具もある。それを、蛍光灯そのものを手に入らないようにして、買い換えを強制する??
蛍光灯には、広告灯やイルミネーションもあり、そして白熱灯には電飾などもあり、あまりに広大。それに道路照明も放電灯だ。全国の道路照明まで、強制的にLED照明器具に替えさせる??
にわかには信じられない。幾ら安倍自民党政権でも、そこまでするか???

それで潤うのは、まさに照明器具メーカー。「今ある建物に価格が高めのLED器具を納入し売り上げ確保をねらう」という方針も、政府が後押ししてくれれば、有り難いことこの上ない。しかし、それはバレバレ・・・。
そもそも商品には製造者責任がある。製品を売れば、それに使う消耗品を製品の寿命まで供給するのはメーカーの責任。それを放棄する??
そんなことが、一つでも前例になれば、我も我もと、業界の都合が“大義名分を背負って”後に続き、まさに国民に全てを強制する北朝鮮のような独裁国家になってしまう。
信じられない。だから朝日の誤報かも・・・
いやいや、産経などの他紙も報じているので、どうもこれはホントウの動きらしい。

実は我が家にはLED照明はひとつも無い。なぜか?あの刺すような光がキライなので・・・
夜道を歩いていても、LEDの街路灯の光は突き刺すような光で、自分は下を向いて歩く。
そんな選択権も無くなる??

何よりも、そんな話が政府から出ること自体、国民を愚弄している。何でも出来ると思っているのか・・・。
政治家がCOP21で格好良いことを言いたいため、国民不在の政策が次々と突き進む・・・。
日本は、それが出来る国になってしまっているのである。

151126kotatu <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年11月25日 (水)

布施明の「恋人よ」

先日、不思議な?歌を聞いた。最初はあまりフィットしなかった。しゃくり上げる?歌い方が、「何か布施明に似ているな・・・」と思ったら、やはり布施明だった。
しかし、普通の布施明と違う・・・!?

<布施明の「恋人よ」>


「恋人よ」
  作詞/作曲:五輪真弓 

枯葉散る夕暮れは
来る日の寒さをものがたり
雨に壊れたベンチには
愛をささやく歌もない
恋人よ そばにいて
こごえる私のそばにいてよ
そして一言この別れ話が
冗談だよと笑ってほしい

砂利道を駆け足で
マラソン人が行き過ぎる
まるで忘却のぞむように
止まる私を誘ってる
恋人よ さようなら
季節はめぐってくるけれど
あの日の二人宵の流れ星
光っては消える無情の夢よ

この抑えた歌い方は、布施明が得意とする絶叫調とはまったく逆の世界。だから「ホントウに布施明?」と思わせてしまう。
最初聞いたときはあまり印象が良くなく、「録っておかなくて良いか・・・」と思ったほど。しかし2~3度聞いてみると、なかなか味がある・・・
調べてみると、この音源は、2009年発売の「BalladeII」というアルバムに収録されているという。

思うに、このような歌い方は、普通に大きな声で歌うのに比べて、息づかいが全て録音に入ってしまうため、非常に難しい。でもやはり布施明は歌唱力があるのであろう。安心して聞ける。
68歳、布施明の実力を垣間見た歌である。

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2015年11月24日 (火)

2015年の「新語・流行語大賞」ノミネートに政界多数

先日の朝日新聞にこんな記事があった。
「政界から流行語、今年も? 候補多数 安保論戦を反映
 年末恒例の「ユーキャン新語・流行語大賞」のノミネート50語に、今年は政治関連の言葉が半数近くも選ばれた。読者アンケートを参考に、「現代用語の基礎知識」編集部が選んだものだが、安全保障法制をめぐる与野党の大論戦もあり、1年を通して政界が注目を集めたようだ。
151124ryuukou  ノミネートされた言葉には、9月19日に成立した安保法制にちなむ言葉が多い。与野党の激しい論戦を反映した格好だ。
 その中の一つ「自民党、感じ悪いよね」は、石破茂地方創生相が審議が衆院で大詰めを迎えた7月に発言した。憲法学者が安保法制を「違憲」と指摘し、世論の反発も強い中、「自民党は決して傲慢(ごうまん)になってはいけない」と自戒を込めて発した一言だった。
 これがネットやツイッターで拡散。政権批判の材料となって、国会前に集まった反対デモでプラカードに使われた。
 「レッテル貼り」と「戦争法案」は社民党の福島瑞穂氏と安倍晋三首相の国会論戦などから選ばれた。今春、参院予算委員会で安保法案を「戦争法案」とした福島氏に、首相は「レッテルを貼って、議論を矮小(わいしょう)化していくことは断じて甘受できない」と反論したことが発端だ。福島氏はノミネートについて、「『戦争法案』という言葉がメジャーになったことはよかった」と歓迎する。
 米軍普天間飛行場の移設問題をめぐり、菅義偉官房長官が連発した「粛々と」も入った。県内移設に反対する沖縄県の翁長雄志知事から「上から目線」と指摘されて以降、菅氏はこの言葉を封印している。
 菅氏は18日の記者会見でノミネートの件を問われると、「コメントすると、またいろんな話題を呼ぶのでコメントは控えたい」と慎重な言い回し。上から目線との指摘には「私自身は感じていなかった。人からそういう判断をされるのであれば控えたい」と述べた。
 世相を反映する「新語・流行語大賞」では、これまでも政治にまつわる言葉が選ばれてきた。
 2001年には、小泉純一郎首相の「聖域なき構造改革」や「骨太の方針」といった一連の語録が選ばれ、受賞は高支持率を印象づけるものだった。
 一方で昨年選ばれた「集団的自衛権」は「対象者」が受賞を辞退し、主催者が公表を避けたという。大賞が決まるのは12月1日。政治関連の言葉が選ばれた場合、受賞者が授賞式に出るかも注目を集めそうだ。(星野典久、菊地直己、高橋健次郎)」(
2015/11/19付「朝日新聞」p4より)

あれよあれよと言う間に、もうすぐ12月である。そして、年末にちなむ話題が出始める。
この記事に挙げられた今年の「流行語」を見ても、この1年は、今までに無い政治の年だった事が分かる。まさに主役は安倍首相・・・

最近、その時の国民の危惧が、静かに顕在化して来そうで、怖い・・・

11月13日に発生したパリでの同時テロ。それに対して、聞き慣れた「集団的自衛権」という言葉が飛び交っている。
EU、初の集団的自衛権の行使表明…仏を支援
 【ブリュッセル=三好益史】パリ同時テロを受け、欧州連合(EU)は17日、ブリュッセルで国防相理事会を開き、フランス政府が求めたEU基本条約に基づく集団的自衛権の行使について全会一致で支援を表明した。
 加盟国が武力攻撃を受けた場合、他の加盟国が軍事的手段を含めた支援を行う同条約の条項で初めて発動される。北大西洋条約機構(NATO)と違って軍事同盟ではないため、協力内容は仏政府が加盟国と個別に協議して決める。
 仏政府はイスラム過激派組織「イスラム国」に対するシリアでの空爆強化の方針を示しており、他の加盟国による空爆への参加や、仏軍が西アフリカ地域で行っている国連平和維持活動(PKO)の手助けなどを想定している。」(
2015/11/18付「読売新聞」ここより)

それに呼応するように、我が安倍首相はオバマ大統領と会談で・・・
シナ海に自衛隊派遣検討 日米首脳、対中連携で一致
 【マニラ=坂本一之】安倍晋三首相は19日、フィリピン・マニラ市内のホテルでオバマ米大統領と会談した。首相は中国が軍事拠点化を図る南シナ海情勢に関して「現状を変更する一方的行為は全てに反対だ」として、米軍による「航行の自由作戦」に支持を表明。南シナ海への自衛隊派遣について「日本の安全保障に与える影響を注視しつつ検討する」と伝えた。両首脳は、「法の支配」や「航行の自由」などの原則を重視し、連携して対応していくことで一致した。
 オバマ氏は「日米同盟は米国の安全保障の基軸となっている」と説明。その上で「『航行の自由作戦』は重要な行動だ。日常の行動として実行していきたい」と中国を牽制(けんせい)するため作戦を継続する考えを示した。
 首相はオバマ氏に対し、集団的自衛権の限定的な行使容認を含む安全保障関連法が成立したことを説明。オバマ氏も祝意を示した。・・・」(
2015/11/20付「産経新聞」ここより)

何と、「南シナ海に自衛隊を派遣する検討をする」と、またまた米大統領に“言っちゃった”とか・・・
それに対し、当然の反発が・・・
蓮舫氏「首相は好き勝手」 南シナ海への自衛隊派遣検討を批判
 民主党の蓮舫代表代行は20日の記者会見で、南シナ海問題に関して安倍晋三首相が自衛隊派遣の検討に言及したことをめぐり批判した。「臨時国会を開かず、海外で好き勝手に発言している。何を意図しているのか。早急に国会を召集し、堂々と説明すべきだ」と述べた。「自衛隊が南シナ海でどういう活動をするかは、政府の中だけで判断するものではない。勝手に進めるのは危険だ」とも訴えた。
 共産党の小池晃政策委員長も会見で、臨時国会を召集すべきだとして「安保法が、米国とともに世界で軍事的活動を進める法律であることを示す一つの動きだ。徹底的に追及したい」と強調した。」(
2015/11/20付「産経新聞」ここより)

政権への攻撃を避けるために臨時国会開催を逃げる首相。しかし、相変わらず海外で“言っちゃっう”首相。国民にとって困るのは、その“言っちゃった”ことの実現に首相が驀進してしまうこと。そしてそれを追認して後を追いかける自公。

いよいよ日本も、ISの空爆のために自衛隊派遣か・・と心配になる。
まさか、日本国内でISのテロをマジメに心配する事になろうとは・・・
仏大統領ではないが、“やられたらやり返す”。ISも同じ・・・

安倍首相は、仏や米英のように、ISに空爆することが「一人前の国家の資格要件」とでも思っているのだろうか・・・
国民の過半数がそう思っているのならまだしも、ハラハラする、海外での首相の発言である。

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*マイナンバーカードの申請は大変!
本件とは関係無いが、昨日我が家にもマイナンバーが送られて来た。
e-Tax(国税電子申告・納税システム)で確定申告のために必要なため、「個人番号カード」をPCから申請したのだが、結構これが大変だった。
アクセスに対し、サクサクと動いてくれれば簡単なのだが、何とも反応が遅い。キーを叩いても、数分間反応がない。Chrome(Ver46の最新)で始めたが、あまりに反応が遅いので、古いIE8で再チャレンジしたら、途中で表示不能に。もう一度Chromeで頑張ると、何と写真登録のところで、アイコンが正常に表示されない。最新のChromeには対応していないようだ。
それで少し古いFirefox(Ver41)でアクセスしたら、時間はかかったが、何とか登録まで行った。
この間、1時間。サーバーが非常に混んでいるようだ。そしてブラウザの対応状態も少々心配。
しかし、行き詰まった(エラー)時の「認証番号」だけはクイックに送られてくる。iPhoneでいい加減に撮った顔写真が一枚あれば申請できるのは良いのだが、舞台裏のてんやわんやが、こっちか透けて見えるような申請であった。

151124tabemono <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年11月21日 (土)

テレビと読書

先日の日経新聞にこんな記事があった。
テレビに垂れ幕 読書し国語力を伸ばす
 この4カ月、部屋のテレビのスイッチをつけていない。見たいとも思わないし、何の不自由もない。
 幼い頃はテレビっ子だったが、高校生の頃から興味を失った。自分が興味がないので、保護者会や個人面談でも容赦がない。
 「食事時やだんらんの時間にいつもテレビがついているような家庭で、読書習慣が身につくはずがありません。国語力を伸ばしたければ、テレビそのものを捨てるのが一番です」
 「ニュースや報道番組もダメですか?」
 「報道されるニュースって、本当に子供に見せたいようなものですか? 子供たちの世界を広げてくれるような内容ですか?」
 「………」
 最近はサウナ室の中にまでテレビがついているため、いや応なしに「見せられる」ことも多いのだが、バラエティー化した報道番組の愚劣さにはあきれかえる。そんな情報はいらない、偽善者じみたコメントなど聞きたくない。でも無理やりにそれを目と耳から詰め込まれる。
 最近は車の中にもテレビのモニターがあるらしいが、そんなものを見なくても、車窓風景を見ているだけで、いろいろな発見があり楽しいはずだと思う。
 もちろん、良質なテレビ番組もあるのだろう。ただ、テレビがいつもついていて当たり前という状況は改善すべきだ。自分の目で何かを発見したり、調べたりすることなく、受動的に玉石混交の情報が無理やりインプットされることは、子供の学力形成と人格形成に有害でしかない。
 「じゃあ、こうしましょう。テレビの前に垂れ幕みたいなものをかけて、必要なときだけそれを上げて見る。リモコンの使用は禁止。必ず録画し、CMなど不要な部分はカットする。いいですか?」
 テレビ関係の仕事をされている方には申し訳ないが、テレビを見ないことが当たり前になっている家庭で育った子は例外なく成績が伸びる。これが長年の塾講師の経験で得た実感だ。(後)」(
2015/11/02付「日経新聞」p18より)

こんな記事を読みながら、前に書いた「中島健蔵の「読書の孤独」~高校の時の教科書より」(ここ)という記事を思い出した。
もう5年も前だ。
確かにテレビは、自分の読書にとっては害・・・。

自分は根っからのテレビ人間。でも、録画した膨大なVTRテープとBLディスクに囲まれても、まるで再生したことがない。つまり、録画してオシマイ。そのうち見るだろう・・・がまるで見ない。それでは録画を止めたら?とも思うが、それが出来ない・・・。録画すると安心なのだろ・・・
ま、我が音楽での“音源を集めるのが趣味”と同じで、自分の趣味はテレビを見ることではなく、“録画すること”なのだろう。

午後10時を過ぎたら、テレビは消して読書、と何度誓ったことか・・・。でもたまに実行してみると、その時間の長いこと・・・。テレビを見ているとアッという間に過ぎて行く時間が、結構長い。
残された人生の時間を有効に過ごすには、まずテレビを消すこと。と分かってはいるのだが・・・

でも少し言い訳をすると、ドキュメンタリー番組は、結構「フムフム」という番組もある。
先日再放送された「映像の世紀」(ここ)の録画を順番に見ているが、第二次世界大戦の日本は、ヒトラーのドイツを同じだということを再々認識する。
どうも日本人は、「原爆での被害者」という顔をしたがるが、ドキュメンタリーで、ヒトラーの領土拡大の野望、そしてそれを熱狂的に支持した国民、そして、侵略と虐殺の姿を見ながら、「一方、太平洋では・・・」と目を極東に向けると、全くヒトラーと同じことを日本はしていたのだ。
本を読むよりも、テレビに映る戦場の侵略した国の屍体は、よほど胸に突き刺さる・・・

話がそれたが、情報のインプット源としてのテレビは否定しないが、その情報の裏打ちだけはキチンとしておきたいもの。幾多の本も出ている。まだ日本は発禁の国までには至っていない。そろそろ危ないが・・・!?

「読書の秋」ではある。

151121jinkei <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年11月19日 (木)

「嫌いな人」とのかかわり方

先日の朝日新聞にこんな記事があった。
「(オトナになった女子たちへ) 「嫌いな人」とのかかわり方 益田ミリ
 嫌いな人に、ずいぶん振り回されてきたのだった。
 嫌いな人に振り回されてきたというより、嫌いな人がいる自分を許せない状況にジタバタしていたというべきか。
 嫌いな人がいるのは、心が弱いということ。強い心を持っている人なら、決して、誰かを嫌いになどならないはず。だからわたしは、もっともっと強くなり、嫌いな人のいいところを見つけ、好きにならねばならんのだ!
 そんな考え方に、ほとほと疲れてしまった。三十代の終わりだった。
 わたしも、もうオトナ。
 イヤだなと思う人がいるのは、自分なりのきちんとした理由があるからである。
 理由を軽く見てはいけない。
 その理由の中には、自分が信じる正義のかけらも含まれているのだから。
 ちょうどその時期、わたしは「嫌いな人」というのをテーマに漫画を描いている。嫌い、について、あれほど考えた日々はなかったなと思う。漫画の主人公が、嫌いな人を好きになるよう努力するシーンを描きながら、何度も涙がこぼれたものだった。
 嫌いな人からは逃げてよし。当時のわたしが、漫画に出した答えだった。
 そういえば、いろんな習い事を経験してきたけれど、中には意地悪な人もいたっけ。
 仕事でもない。先輩でも後輩でもない。なんの利害関係もないのに、上に立ちたい気持ちが強い人もいる。
 派閥なんかつくらず、みんなで楽しくやればいいのに。ポカンとしたこともあった。
 もちろん、楽しかったグループレッスンもある。普段、知り合えない人との出会いの中には思わぬ発見もあったのだ、辞めた後までは会ってないけど(おいおい)。
 現在、わたしが習っているのは、どれもマンツーマンレッスンばかり。なかなか上達しないピアノも、比べる相手は「先週の自分」だけ。これは性分に合っている。
 中学時代はバスケットボール部だったが、思えば、自己記録に挑戦するような競技のほうがむいていた気がする。
 時間をかけてわかったことが、わたしの強さになっていくんだと思う。(イラストレーター)」(
2015/11/14付「朝日新聞」p38より)

先日、「「私は嫌だ」いえる社会を」(ここ)という記事を書いたが、同じような話だ。

つくづく、サラリーマンの現役を終えて、ホットしている。理由は、まさに「嫌いな人」と付き合わなくて良くなったから・・・
正面から「嫌いな人」というのは、そうは居ない。むしろ、「苦手な人」なのだろう。その人の前に立つと、どうしても縮こまってしまう、そんな人。
前に、血液型の相性というのを聞いたことがある。ちょっとNetで探ってみると、自分はB型なので、「◎O女 ○B女 △A女 ×AB女」だという(ここより)。ウチのカミさんもB型なので、相性はマアマアか・・・

血液型と言えば、元の会社の同期会の名簿に、本人とカミさんの血液型が相変わらず載っている。これは大昔の幹事が、その欄を作ったのが、そのまま残っているもの。
このリストで、BとBの組合せが、自分の所だけだったっけ。でもまあ○なのでいいか・・・

現役サラリーマンにとって、「嫌いな人」との人間関係は日常のこと。
話は飛ぶが、先日の朝日新聞にこんな記事があった。
ソフトバンク2.0(4)
・・・・資金調達で見せたように、アローラの存在感は隅々で増している。経理部長や社長室長らSBG幹部の報告も、英語でアローラにと変わった。アローラはヤフーの各事業部長にもヒアリングし、社長の宮坂学に「キミの人事権は私にある」と告げてもいる。・・・」(
2015/11/14付「朝日新聞」p9より)

ソフトバンクのアローラ副社長が、どんな人かは別として、「キミの人事権は私にある」が企業のならい・・・
そんな世界でビジネスは動いている。それに耐えられない人は、当然脱落・・・

人の関係では、やはり同期の会が唯一気楽な会。それ以外は、どうしても「かつての上下関係」が付いて回る・・・。

上の記事のような、「嫌いな人のいいところを見つけ、好きにならねばならん」などとは、自分は一切考えない。
合わない人には近付かない。それだけ・・・。もうそれが許されるシニア世代。

「私は嫌だ」と言い、「嫌いな人」とは付き合わない。これからの人生は、そうするのさ・・・
(もっとも、カミさんは「あまりに我慢を“しなさ”過ぎる!」と非難するが・・・)

151119kawanai <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年11月18日 (水)

NHK「障害者20万人の虐殺」~ドイツ70年目の真実

何気なく見出した録画番組で、ショックを受ける事がある。この番組も、さっき何気なく見出したのだが、終わってみて、心に何かがズシンと響いた。

NHK ETV特集「それはホロコーストの"リハーサル"だった~障害者虐殺70年目の真実~」(2015/11/07放送)を見た。
NHKの解説には、こうある。
それはホロコーストの"リハーサル"だった
  ~障害者虐殺70年目の真実~

600万人以上のユダヤ人犠牲者を出し、「人類史上、最大の悲劇」として語り継がれてきたナチス・ドイツによるホロコースト。しかし、ユダヤ人大虐殺の前段に、いわば“リハーサル”として、およそ20万人ものドイツ人の精神障害者や知的障害者、回復の見込みがないとされた病人たちがガス室などで殺害されたことについては、表だって語られてこなかった。
終戦から70年もの年月がたった今、ようやく事実に向き合う動きが始まっている。きっかけの一つは5年前、ドイツ精神医学精神療法神経学会が長年の沈黙を破り、過去に患者の殺害に大きく関わったとして謝罪したこと。学会は事実究明のために専門家を入れた国際委員会を設置、いかにして医師たちが“自発的に”殺人に関わるようになったのかなどを報告書にまとめ、この秋発表する。
番組では、こうした暗い歴史を背負う現場を、日本の障害者運動をリードしてきた藤井克徳さん(自身は視覚障害)が訪ねる。ホロコーストの“リハーサル”はどうして起きたのか、そして止めようとする人たちはいなかったのか・・・。
資料や遺族の証言などから、時空を超えていま、問いかけられていることを考える。」(
ここより)

何がショックだったのか・・・

「ホロコーストが始まる数年前から、精神病院にガス室が作られ、回復の見込みがないとされた病人や精神障がい者が殺されていた。」
彼らは生きる価値がないとされ、殺害には多くの医療者がかかわっていた。」
「第三者による調査委員会の報告書がこの秋、まとまりました。明らかになったのは、医師たちがナチスに強制されたわけではなかった、という事実でした。」
「ダーウィンの種の起源。強い者が生き残り、弱い者は淘汰されていくという自然界の摂理を説いたものでした。これを人間にもあてはめ、劣等な人間は淘汰されるとしたのが、社会ダーウィニズムでした。こうした思想は、優秀な遺伝的素質を持つ人間だけを残していこうとする優生学と結びつき、世界中に広がります。」
ヒトラーが台頭し、ユダヤ人迫害と同時に、遺伝病や障がい者を無くすことを目的とした法律も整備。遺伝病の子孫を予防する法律「断種法」。
ドイツ精神医学研究所のユーリンの言葉。「ヒトラーのおかげで、30年間私たちが夢みてきた優生思想が実現された。」
そして実行されて行く・・・
「大勢の医療者、近隣の住民たち、たくさんの人が気付いていながら止められなかった殺害・・・。」

そんな中、ある人が声を挙げる。ミュンスターの司教フォン・ガーレンだった。
1941年夏、教会の説教の中で、「行われていることは障害者を救済する恵みの死ではなく、たんなる殺害だ」と明言した。その原稿は、信者たちの手で拡散されて行った。
「貧しい人 病人 非生産的人な人 いて当たり前だ。
私たちは 他者から生産的であると認められた時だけ、生きる権利があるというのか
非生産的な市民を殺してもいいとの原則ができ 実行されるならば 我々が老いて弱った時 我々も殺されるだろう
非生産的な市民を殺してよいとするならば いま 弱者として標的にされている精神病者だけでなく 非生産的な人 病人 傷病兵 仕事で体が不自由になった人すべて 老いて弱った時の 私たち全てを殺すことが許されるだろう 」
司教の説教からわずか20日後、1941年8月24日、ヒトラーはT作戦の中止を命令。

「このことで分かるのは、市民として勇気を出して公然と声を上がれば、政府の行動を阻止する余地があったということです。ナチスのような政権も国民の感情をとても気にしていたのです。」

1942年、ユダヤ人の虐殺が始まる。この時に、障がい者殺害で培ったノウハウを活かして大規模殺害を実行・・・。

プッシュマンさん(62)は語る。
父の3つ下の叔母がてんかんのため、殺された。17歳だった。しかし最近まで、叔母が存在していたことさえ知らなかった。父は一度も妹のことを話題にしなかった。
家族も差別意識が全くなくはなかったのは悲しい・・・
「叔母が殺されたことは私にとってとても悲しいことです。でも、私が本当に悲しいのは叔母の死ではなく、家族がずっと沈黙を続けてきたことなんです。それが今でも私は悲しくて仕方がないのです。ヘルガおばさんの尊厳を取り戻し、人びとの記憶に残していきたいのです。」
そして新聞広告に、あるメッセージを載せた。亡き叔母にあてたメッセージ。
「ヘルガ・オルトレップ
あなたはナチスのいいなりになった協力者によって殺された
そして家族によっても黙殺された
わたしはあなたを忘れない
あなたの姪 ギーゼラより」

Netでこの番組をみるには下記。
http://www.dailymotion.com/video/x3cy1xd

日本で現在進んでいる戦争への道に対し、我々に何か啓示を与える番組のような気がした。
声を挙げる大切さ・・・

先日のパリでの同時多発テロ。
フランスの大統領は、もはや戦争状態だと宣言。
そしてISに対する世界中の報復。そして憎しみが憎しみを呼び、泥沼化して行く・・・

先の安保法制の成立でも、「日本は戦争なんか・・・」とタカを括っていた人が、目の前に、日本も戦争に巻き込まれる恐れが現実化してきたことに、おののいている・・・。
戦後70年と言っても、戦争は過去のことではない。そう思い知らされる、最近の世界の動きであり、また番組である。

151118toriai <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年11月17日 (火)

食事前手洗い5割どまり

先日の日経新聞に、手洗いについてのこんな記事があった。
食事前手洗い5割どまり 食中毒防止、注意呼びかけ 消費者庁調査
 ノロウイルスなどが流行する冬の季節を前に、手洗いについて消費者庁が初めて実態調査をしたところ、家庭で食事前に手洗いをする人は約5割にとどまる一方、トイレの後に手洗いをしない人が1割強いることが13日、分かった。同庁は「手洗いは家庭でも可能な食中毒や感染症への有効な予防策。食事前、トイレ後には必ず手洗いを」と呼び掛けている。
 いつ手洗いをするかについて尋ねたところ、「食事をする前」と答えたのは52.6%にとどまった。「調理をする前」と答えたのは84.7%だった。
 トイレ後の手洗いについては、「小便の後のみ手を洗わない」が7.3%、「大便の後のみ手を洗わない」が3.0%。「大便・小便後ともに手を洗わない」の5.1%を含めると、全体の15%超がトイレの後に手洗いをしていないことが分かった。
 同庁は手洗いの励行を呼びかけるとともに、手洗いの際は「あまり意識されない手の甲や手首、親指の付け根部分もせっけんで洗い、十分に水で流した後、清潔なタオルでふき取ってほしい」と話している。
 調査は10月23~27日、16~65歳の男女を対象にインターネットで実施。有効回答数は2千人。」(
2015/11/13付「日経新聞」夕刊p12より)

上の調査に、「外出先から帰ったとき」という項目が無い。
自分の手を洗う習慣は、外出先から帰ったとき、食事前、トイレに行ったとき、の3つだが・・・。世の中では、帰ったとき、という習慣は無いのかな・・・

たまに息子が帰ってきたとき、家に入るや食卓につく。自分はそれが気にくわない。
だから、「帰ったら、まず手を洗え!」と、つい大きな声を出してしまう。
それで息子は仕方なく・・・

これは100%親のしつけの問題だと思う。つまりは、自分は散々しつけられたのであろう、手を洗う習慣が身に付いているが、息子どもにその習慣を根付かせることは出来なかった、というワケ??

そうは言っても、町の食堂で、おしぼりが出ないときは、そのままになっているのでは?と、フト心配になる。確かに、店でわざわざ手を洗いに行くかというと、それはしない・・・

そう言えば、ウチのカミさんも、外出先から帰ったときに手を洗っているかというと、どうもそうではなさそう・・・

自分が思うに、これはキレイとかキタナイとかいう次元ではなく、何も考えずに、ただ行う習慣。単に、家に帰って、手を洗いに行かないと、何か気持ちが悪いというか、何か不完全・・・

あまり覚えてはいないが、たぶんウチの親は、手洗いについてうるさかったのだと思う。それに引き替え、我が家では子どもに甘かった・・・。
ま、今更言っても仕方がない。もう間に合わない・・。
でも孫にだけは、良い習慣は身に付いて欲しいもの・・・だが。

151117wazawai <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年11月15日 (日)

「いじめの芽を摘む」~小学校の思い出

先日の「天声人語」。
「(天声人語)いじめの芽を摘む
「親しみやすく哲学を語った文筆家の池田晶子さんは、子どものころ、男の子にお下げ髪を引っ張られたり、蛙(かえる)をかざして追いかけられたりしたことがあった。だが陰湿ではなく、池田さんにはそれがどういうことか分かっていた。
「その悪ガキは、私が転校する時ワンワン泣いていたもの」。そういえば小沢昭一さんに〈毛虫突きつけ腕白(わんぱく)の恋ごころ〉、渥美清さんには〈好きだからつよくぶつけた雪合戦〉という俳句があった。遠い記憶をたぐるご同輩もおられようか。
だが、懐かしんでばかりいられない。全国の小学校が昨年度に把握したいじめの件数が、過去最高の12万2721件を数えたという。小さな兆候も見逃さない姿勢で調べ上げた結果である。いじめ防止対策推進法では、された側が苦痛を感じるものはすべていじめと定義される。
子どもの世界の自然な営みを阻害することなく、危うい芽を摘んでいく。たしかな目配りとともに、的確に判断をする。教育の場の難しさは門外の徒にも想像できる。
詩人、島田陽子さんの大阪弁の詩を思い出す。〈あの子 かなわんねん/うちのくつ かくしやるし/ノートは のぞきやるし/わるさばっかし しやんねん/そやけど/ほかの子ォには せえへんねん〉 〈そやねん/うちのこと かまいたいねん/うち 知ってんねん〉。ふと頬がゆるむ一方で、エスカレートする行為に苦しむ子もいるのではと思う。中学高校もだが、いじめは許さぬ意志を堅くして子らを包みたい。」(
2015/10/29付「朝日新聞」「天声人語」より)

この「天声人語」を読んでいて、小学校の頃のこんなことを思い出した。(これらは前にも書いているが・・・)
昔、小学校の頃、クラスにかわいい女の子がいた。男の子たちは、皆、口には出さなかったがその子が好きだった。だから「意識」する。だからおいそれとは話し掛けられない。自分ひとりが、その子と話をすると、皆に羨ましがられて、他の男の子にイジメられるかもしれない。だから、誰も遠巻きに・・・
ある日、そのことを心配した女の子の母親が、先生に相談に来た。
そしてクラスで、なぜその子と仲良くしないのかについて、話し合いが行われた。それからどうなったかはよく覚えていない。
同じクラスの、その子の従兄弟が、その女の子のすぐ近くに住んでいた。それで自分は、その女の子の話が出るかも・・・と思って、よくその男の子のところに遊びに行ったもの。でも、なかなかその女の子の話は出なかった。
前に、そんな話をカミさんにしたら「可愛そう。今からでもその子に、教えてあげれば?」と言われたが、もう無理だ・・・

同じような話で、こんな事もあった。
自分は小学校4年が終わった時に、埼玉から茨城に引っ越したが、その前に、ある女の子からいじめられた。冬に、たんぼで雪合戦をしたときも、その子から集中砲火を浴びた。
それで、引っ越して、その子から離れたとき、ホッとしたもの。
でも上の話では無いが、その子は、自分のことが好きだったのだと思う。でも当時はそんなことはつゆ知らず、悩んだ?もの・・・(自分だって、そんな子の一人や二人は居るのだ~!!)

しかし最近のイジメは徒党を組むという。視線が自分に向かないために、ただただ強い者に迎合するしかない・・・。
それを正せるのは、親しか居ないと思う。
イジメる側にせよ、イジメられる側にせよ、子どもの少しの徴候を見付けて、正すしかない。
思い出すと、自分も息子が中学の時に、学校に談判に行ったことがあった。親の財布から金が無くなっている事に気付き、息子から学校でお金を巻き上げられているという話を聞いた。カケをして負けたお金だという。そして学校に相談すると同時に、その親に電話し、中学の校長室で先生も交えて相談した。父子家庭だったが、相手の父親は郵便配達をしている人で、「きちんと言い聞かせる」と約束し、それまでのお金を弁償するというので、なにがしかを受け取って手打ちとした。
そんな時、子どもだけでは解決できない。それには“親の感度”が第一。つまりは子どもへの関心・・・。
子どもも、思春期となると付き合い方が難しいが、幾つになっても、せめて「普通に話せる」関係だけは保ちたいもの・・・。

151115ampan <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年11月14日 (土)

「てんかん」における日本の人種差別

先日の朝日新聞に、こんな記事があった。
「(私の視点)てんかん医療 理解と支援の仕組みを 大槻泰介
 てんかんの治療を受けている人が自動車を運転し、死亡事故を起こしたとの報道を目にし、またかと思う読者は少なくないだろう。そして報道の多くは、薬を飲まずに運転する患者が悪いという論調に終始し、事故が繰り返される背景に思いを巡らせる余裕はないように見える。
 重大事故に結びつく原因はてんかん発作以外にも脱法薬物、居眠り運転、酒酔い運転など様々あるが、脱法薬物なら薬物の取り締まり、居眠り運転なら睡眠時無呼吸症候群の対策、酒酔い運転なら「飲んだら乗らないキャンペーン」など、マスコミでも背景を分析し、予防対策に結びつけようという動きが起きる。しかし、てんかんの場合は厳罰化、患者の自覚の二言ですべてが片付けられてしまうのはなぜなのか。対策には病気の診断と治療、すなわち医療の充実が本筋であることになぜ皆が気づかないのか不思議でならない。
 てんかんは、全国の患者数が約100万人と推定されるありふれた病気だが、日本では担当の診療科が不明確で内科、小児科、神経内科、脳神経外科、精神科など様々な診療科で治療されている。そのため、地域でどの医師がどのような診療をしているのか分かりにくく、治療が難しい患者をどこに紹介すればいいか分からない地域も少なくない。
 行政側も担当部署が不明確で、地域の医師に向けて発信される情報も極めて限られている。医学部時代や卒業後も診療の基本的技術を取得する機会を得られない医師が少なくなく、保健師、看護師、養護教員など患者にじかに接する職種にも正確な知識が伝えられているか疑問だ。
 過去の事故の中には、専門医が診療していれば手術などで発作を治せたのではないか、地域医療が充実していれば生活実態に即した指導ができたのではないかと思うケースがある。事故の背景には、日本のてんかん医療の貧困があるのではないか。
 厳罰化が事故を減らすとは限らない。患者は通報や罰を恐れて発作はありません、運転もしていませんと隠すようになり、医師が適切な治療や指導をできなくなるためかえって重大な事故を起こす危惧がある。
 問題解決の糸口は、てんかん発作があることを申告すれば罰や生活の破綻(はたん)ではなく、むしろ理解と支援が得られる仕組みをつくることだ。折しも今年5月、WHO(世界保健機関)総会は、社会啓発を含む組織的なてんかん医療の推進を各国政府に求める決議を採択し、日本も支持した。だが、WHOが決議で指摘した偏見や知識不足に基づく不十分な医療は途上国だけでなく、日本においても形を変えて存在する事実に目を向ける必要がある。(おおつきたいすけ 国立精神・神経医療研究センターてんかんセンター長)」(
2015/11/12付「朝日新聞」p17より)

先日、宮崎で歩道を車が暴走して、死傷者が出たが、このニュースが最初に流れたとき、自分も「また“てんかん”か・・・」と思った。その後、
「2015年10月28日、宮崎市の目抜き通りで歩道を軽自動車が暴走して2人が死亡、5人が重軽症を負った事件で、運転していた73歳の男性は数年前から認知症で治療を受けており、2日前まで入院していたことがわかった。」
というように、認知症、という報道が流れ、てんかんは無罪放免になった。

そうなのだ。このように、尋常ではない事故が起こると、人は直ぐに「またてんかん発作では?」と想像する社会になってしまっている。
これはある意味、人種差別的な発想では??

誰も、身近に関係者が居ないと、他人事として棚の上から物事を見る。
以前の認知症(痴呆)も同じだった。それが、段々と身近な存在になって、日本社会の理解が進んだ。つまり、自分の家でも、おじいちゃん、おばあちゃんが認知症になるケースが増え、または友人の家でのそんな話題を聞くに連れ、優しくそれを受け入れるようになった。
一方、てんかんはどうか・・・。まだまだ“メジャー”になっていないようだ。

上の記事によると、「全国の患者数が約100万人」とすると、国民の1%がてんかんだという事になる。
一方、認知症はどの位いるのだろう?
ここ)によると、
「厚生労働省は(2015年1月)7日、全国で認知症を患う人の数が2025年には700万人を超えるとの推計値を発表した。65歳以上の高齢者のうち、5人に1人が認知症に罹患する計算となる。
認知症高齢者の数は2012年の時点で全国に約462万人と推計されており、約10年で1.5倍にも増える見通しだ。」
とのこと。
4%か・・・。負けた!?

我が家でも、1年前の義母、及び2年前に亡くなったお袋も、晩年は認知症を患った。ごくありふれた病気で、誰もそれを「(歳だから)仕方がない」と受け入れている。
しかるに、てんかんへの偏見はどうしたことか・・・

現役のとき、ある部下が、会社の廊下で倒れたことがあった。てんかんの発症だった。本人もその時はビックリしただろうが、今でも何事もなかったように仕事をしている。
薬が良く効くてんかんと、治らない認知症とどちらが怖いか・・・
てんかんに限らず、自分も含めて、障がい者への「偏見」について、心の内を確認しておきたい・・・。

●メモ:カウント~810万

151114baniku <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年11月13日 (金)

安保法「違憲」訴訟の行方

先日の朝日新聞に、安保法の訴訟の行方についての記事が載っていた。
安保法「違憲」訴訟、行方は~抽象的訴え「対象外」~裁判所、4件を門前払い
 9月に成立した安全保障関連法を「憲法違反だ」と訴える裁判の提訴が相次いでいる。憲法学者らも大規模な集団提訴を準備中だ。いずれ司法を舞台に本格的な論争が始まるが、裁判所が憲法判断を示すには高いハードルがある。

 東京地裁は11日までに、安保法の廃止や違憲であることの確認を求める訴訟を少なくとも4件退けた。いずれも口頭弁論すら開かれなかった。このうち初とみられる訴訟の判決が2件、10月8日にあった。松山市の男性が「安保法は憲法9条に違反し無効だ」と訴えた訴訟では、地裁は「法律が憲法に適合するかの判断を抽象的に求めるものであり、審判対象にならない」とした。男性は控訴したが東京高裁は今月11日、控訴を棄却した。
 裁判所は、法律が違憲かどうかを判断する「違憲審査権」を持つ。だが、具体的に損害を受けたなどの理由がなければ、中身を審理せずに退ける「門前払い」となってしまう。判例では、「抽象的に法律の違憲性を問うことはできない」とされているからだ。
 では、どんな訴訟なら裁判所が安保法の憲法判断をすることになるのか。
 専門家が挙げるのは、自衛隊員が訴える訴訟だ。安保法に基づく派遣命令を受けたり、この命令を拒否して処分を受けたりしたことを理由に「9条に反する」として、取り消しを求めることが想定される。ただ、自衛隊員がこうした訴訟を現実に起こせるのか、という問題がある。
 直接の当事者以外ではどうか。「安保法によって憲法が保障する『平和的生存権』が侵害され、精神的苦痛を受けた」と国に慰謝料を求めるとともに、違憲であることの確認を求める方法がある。
151113kenpou  こうした主張を盛り込んだ訴訟は、2003年の自衛隊のイラク派遣をめぐり、東京や大阪など全国各地の11地裁で起こされた。だが、「原告の権利が具体的に侵害されたとは言えない」として、ほとんどが憲法との関係に触れずに退けられた。
 唯一、二審の名古屋高裁判決は08年、原告の敗訴としながらも、「憲法9条に反する活動を含んでいる」と指摘し、注目された。結論は国の勝訴だったため、国は上告できず、判決はそのまま確定した。当時の福田康夫首相は、法的に拘束力を持たない「傍論」だとして派遣を続けた。
 傍論とは、判決の中で結論を導くのに直接関連のない部分のことだ。あるベテラン裁判官は「傍論を抑制する裁判官は多いが、やむにやまれない思いで書く人もいる。安保法訴訟でも傍論で違憲と指摘することはあり得る」とみる。ただ、傍論ではない憲法判断を得るには、イラク派遣の判決でも示されたような「具体的な権利侵害がない」という判例を乗り越える主張を組み立てる必要がある。

 ■「平和的生存権、侵害」 提訴準備の学者ら、違い強調
 安保法制をめぐり、集団提訴の準備を進めている憲法学者の小林節・慶大名誉教授は「安保法の成立で、戦後初めて明確に平和的生存権が侵害された」と、これまでの同様の訴訟との違いを強調する。学者やジャーナリスト、俳優など著名人100人の原告団と、元裁判官を含む1千人にものぼる弁護団を結成する予定。安保法施行後の来年4月以降に提訴するという。
 中身の審理に入ったとしても、「高度に政治的な問題には司法判断を下さない」とする「統治行為論」と呼ばれる壁がある。小林氏は「最終的に厳しい判断になるとしても、訴訟を通じて『戦争法は違憲だ』と訴え続けることで、世論の喚起にもつながる」と話す。 (山本亮介、千葉雄高)
 ◆キーワード
 <違憲審査権> 憲法81条は最高裁について「法律が憲法に適合するか否かを最終的に決定する権限がある」と定めており、最高裁は「憲法の番人」とも呼ばれる。ただし判例では、権力分立の観点から、国会の裁量の範囲に属するものや、高度に政治的な行為は、審査していない。また、具体的な事件を離れて抽象的に法律の合憲性を判断する根拠はないとされ、法律に伴う具体的な損害や行政処分を受けた者が訴えなければ違憲性は判断されない。戦後、最高裁が法律を違憲とした判決はわずか9件しかない。」(
2015/11/12付「朝日新聞」p38より)

この記事には、いくつかのキーワードがある。
「法律が憲法に適合するかの判断を抽象的に求めるものであり、審判対象にならない」
「高度に政治的な問題には司法判断を下さない」とする「統治行為論」
(判例では、権力分立の観点から、国会の裁量の範囲に属するものや、高度に政治的な行為は、審査していない。)
戦後、最高裁が法律を違憲とした判決はわずか9件しかない。

1票の格差の裁判といい、どう考えても、日本に置いて「違憲審査権」が行使されているようには思えない。
我々が学校で教わった「三権分立」。それをいつ教えているのだろう・・・と調べてみると、どうやら小学校6年生で教えているらしい。
しかし、それは建前であって、実際は行政権が圧倒的な権力を持っているのが現実。自分の感じるところ、日本における権力構造は、行政:8割、立法:2割、司法:0割では??

WOWOWドラマ「予告犯 -THE PAIN-」(ここ)ではないが、裁判所も所詮、メンツの世界。
長い歴史を辿っても、構造的に政府の言いなり、検察の求刑のオウム返しの構造になってしまっているので、一人や二人の判決での造反があっても、とても歯が立たない。とても司法の風土は変わらない。

唯一、国民が“教科書的に”期待したいのは司法だが、まあ無理な願望かも・・・
まあ、白けながらも、裁判の行方を追い、ミャンマーのような、選挙での改革を目指すしかないのだが、でも、彼の民主党でさえ、分裂の話がチラチラ・・・
選挙で変化を期待するにしても、投票相手がいないのでは、それも無理・・・
嗚呼・・・

151113you <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年11月11日 (水)

中島みゆきの「うらみ・ます」のカバー~ここまで歌う人がいる!

先日のNHKラジオ深夜便で、ジャパニーズ・ポップスのカヴァー作品集を放送していたが、カバーが絶対に無理と思う作品が、中島みゆきの「うらみ・ます」。
それが何と、Youtubeで歌っていた人がいた。それが何ともうまい!感心した!

「うらみ・ます」
 作詞・作曲 中島みゆき

うらみますうらみます
あたしやさしくなんかないもの
うらみますいいやつだと
思われなくていいもの

泣いてるのはあたし一人 あんたになんか泣かせない
ふられたての女くらいだましやすいものはないんだってね
あんた誰と賭けていたの あたしの心はいくらだったの
うらみますうらみます
あんたのこと死ぬまで

雨が降る雨が降る
笑う声のかなたから
雨が降る雨が降る
あんたの顔が見えない

ドアに爪で書いてゆくわ やさしくされて唯うれしかったと
あんた誰と賭けていたの あたしの心はいくらだったの
うらみますうらみます
あんたのこと死ぬまで

ふられたての女くらいおとしやすいものはないんだってね
ドアに爪で書いてゆくわ やさしくされて唯うれしかったと
うらみますうらみます
あんたのこと死ぬまで
うらみますうらみます
あんたのこと死ぬまで

この歌を紹介したのが、2008年2月9日の「中島みゆきの「うらみ・ます」~非常に怖い歌・・・」(ここ)という記事。もう7年以上も前である。

それにしても、うまい! 上の「tim19555」さんの歌を聞きながらも、何だか涙が出てくる・・・。

最初のひと声を聞いた時、「何だ!中島みゆきか・・・」と思った。しかし、少し違う・・・。そして明らかなカバー。それがうまい! 感心した!
しかもバックのバンドがうまい。このバックの音源はコンピュータ製かな、とも思ったが、最後に拍手が聞こえるので、どこかのライブの録音らしい。

歌っている人が、Youtubeの投稿者の「tim19555」さんかどうかは分からない。しかし明らかにプロの歌手なのだろう・・・。
しかしこの歌、中島みゆきのオリジナルを意識しているせいか、いや、自分がオリジナルを前提に聞いているせいか、あまりに似ている。
しかし自分は、そのオリジナルが編曲(バンド)も含めて好きなので、このカバーは気に入った。早速、mp3に落として、愛用のNAC-Z1ESの音源ファイルに追加した。

でも参った。この歌こそ、中島みゆき以外には歌えない、と思っていただけに、「こんなにも歌える歌手がいた!!」とショック!?
でも、中島みゆき本人は、コンサートなどでこの歌を歌っているのだろうか?
どんな歌唱になるのか、一度聞いてみたい「孤高の歌」ではある。

(関連記事)
中島みゆきの「うらみ・ます」~非常に怖い歌・・・ 

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2015年11月10日 (火)

「私は嫌だ」いえる社会を

このタイトルが心をえぐる・・・。つまり、そう簡単な事ではないのである・・。
先日の朝日新聞にこんな一文があった。

「(政治断簡)「私は嫌だ」いえる社会を 編集委員・松下秀雄
 戦争について学ぶために読んだ資料の中に、次の一文がある。日中戦争に赴いた軍医が記した患者の声だ。
 「早く一線へ行って戦ひたい《中略》(内地に)帰される位(くらい)なら死にたいのです。私が若(も)し内地へ帰されたら新聞にすぐ出されます。国賊を出したといふので両親も兄弟も土地に居(い)られません。結局皆生きて居られなくなります。一家全滅です」
 国賊! 一家全滅!
 その言葉にギョッとした。
 軍医の見立てによれば、病のもとは体が弱く、行軍についていけないのを戦友にやゆされたことだった。その言葉が頭から離れず心を病み、マラリアにもかかる。このため内地に帰されるのだが、前線に行きたいと泣いて訴える。
 なんと、軍に「帰れ」といわれても、家族が地域で暮らせなくなる(村八分のようなもの?)から戦いたい、死にたいと言っているのか……。
 人々を戦争に駆り立てた仕組みの一端が、のぞいているような気がした。
     *
 嫌なことは嫌という。違うと思うことは違うという。
 自分の思いを自由に表現できることがどれほど大切か、改めて思う。だが私たちは、手にしているはずのこの大切な権利を、どこまで行使できているだろうか。
 さすがに村八分が怖いという声は聞かなくなった。けれど、余計なことを言ったら仕事に差し支える、世間から指弾されるなどと思って言葉をのみこみ、がまんしている人は結構多いのではないか。
 安保法制に反対するSEALDs(シールズ)の若者たちにも、そんな類いの圧力がかかった。
 脅しなのか助言のつもりなのか、就職できなくなるぞという書き込みがネット上に現れた。さらに、戦争に行きたくないというのは利己的だという国会議員。その果てに、メンバーとその家族に対する殺害予告だ。
 それでも彼ら彼女らは声をあげる。なぜか。メンバーの一人、元山仁士郎さん(23)に尋ねたら、こんな答えが返ってきた。
 「いい企業に就職したら安定した生活を送れて人生ハッピーというのは、もうあまりないんじゃないでしょうか。『就職できなくなるから言えない』といっていたら、次は『昇進できなくなるから言えない』となって、ずっと発言できない。どこかで腹をくくって自分を通さないと、なぜ勉強してきたのかわからなくなる」
 この時代、会社に忠誠を誓ったところで一生を保障してくれるとは限らない、ということか。とはいえ、勇気がいるだろうなあ。長い人生がかかっているのだから。
     *
 私は、SEALDsの若者たちに敬意を抱いている。
 「戦争法反対」と唱えているからではない。主張の中身はさまざまでいい。
 自分の頭で考え、言葉にする。「私は嫌だ」といえる、空気に流されにくい社会をつくる。それをめざし、圧力に負けずに取り組んでいるからだ。それこそ、この国の民主主義にとって大切だからだ。」(
2015/10/25付「朝日新聞」p4より)

先日の東芝事件でも「上司の指示に逆らえない企業風土」と報道されている。これはまさにその通り。しかしこれはどんな組織でも多かれ少なかれ存在する。軍隊ほどでは無いにせよ、上司の指示を守らない組織は成り立たないし、組織として生き残れない可能性も・・・

先日、WOWOWドラマ「連続ドラマW しんがり~山一證券 最後の聖戦~」(ここ)を見た。
151110yamaichi 1997年に起きた山一證券の自主廃業を題材に、「社内調査報告書」で、事件の全容を解明するまでの、物語である・
山一における様々な出来事は、全て実日時。なるほど・・・。山一証券は法人として既に死亡しているので、個人情報の保護の対象にはならいのだろう。
しかし登場人物の動きがリアル・・・

案の定、物語通り、「社内調査報告書~いわゆる簿外債務を中心にして~」は公開されていた(ここ)。
最後の方を読んでみると、まさにドラマ通り・・・
原作者の言葉も(ここ)にあるが、ドラマでは変えてあるが、ほとんど事実に基づいたドラマだったようだ。

ここでも、企業における「上司に逆らえない」風土が描かれている。一握りのトップのスタンス(方針)が、100年の伝統ある、何千人もの会社を、いとも簡単に消し去ってしまう恐ろしさ・・・。
「こんな数字、みっともなくて出せない」と言ったという東芝における、トップの保身も同じだ。

“「私は嫌だ」いえる社会を”と言うことは簡単。でも実際に実行することは、組織内の人間は非常に難しい。
何も言われない立場、何の命令もされない立場。それは何とストレスが無い世界か・・・
そかしそれは、自己責任の自由業だけに与えられる特権。

自分もこれからは、社命ではなく、カミさんの命令・・・。
イヤイヤやらされる仕事に比べれば、こんなことはどうって言うことはない??
いや、仕事の重圧が無くなってみれば、それなりに重たい命令???
人間、死ぬまで耐えねば・・・!?

151110shippo <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年11月 9日 (月)

内閣支持率上昇 戻った「弱い支持」

世論調査は、メディアで数字が結構ばらつく。よって、評価するには、同じメディアで連続して見る必要がある。
先日、朝日新聞の内閣支持率について、その分析が載っていた。

「(データを読む 世論調査から)内閣支持率上昇 戻った「弱い支持」
 世論の反対が強い安全保障関連法の成立に突き進んだ結果、安倍内閣の支持率は30%台半ばまで落ち込んだが、内閣改造を経た今月の調査で支持率は41%まで上昇した。一方、安保関連法への反対が半数程度を占める状況は、依然として変わっていない。データをみると、経済政策への期待感が背景にあることが浮かび上がる。
 朝日新聞社は2014年6月以降、内閣を「支持する」、「支持しない」と答えた人に、その気持ちの「強さ」を聞く質問を定期的にしている。
 「支持する」と答えた人には、「これからも安倍内閣への支持を続ける(強い支持)」のか「安倍内閣への支持を続けるとは限らない(弱い支持)」のかを聞き、「支持しない」人には、「これからも安倍内閣を支持しない(強い不支持)」のか「安倍内閣を支持するかもしれない(弱い不支持)」のかを聞いた。
151109naikaku  結果をみると=グラフ=、「強い不支持」は20%前後で推移していたが、安保関連法の審議が行われていた今年7月以降に20%台半ばまで上昇した。今月の調査でも26%と減ってはいない。
 一方、「強い支持」は多少の変動はあるもののおおむね20%弱で安定していて、今回は17%だった。今回の支持率上昇は「弱い支持」が17%から22%に増えたことによるものだ。
 では、この「弱い支持」はなぜ増えたのか。安倍晋三首相の経済政策「アベノミクス」に対する期待感があるためのようだ。安倍首相の経済政策で日本経済が成長することに「期待できる」という人は、全体では34%で、「期待できない」(47%)という人の方が多い。しかし「弱い支持層」でみると、「期待できる」55%、「期待できない」30%と期待感を持つ人の方が多くを占めている。
 「経済最優先」の姿勢を打ち出した安倍内閣の戦略が功を奏して、一定の「弱い支持」を引き戻すことができた格好だが、安保関連法によって「強い不支持」が増え、政権の「体力」を奪われたのも事実だ。今後も「弱い支持層」を引きつけ続けるのか、政権運営のあり方が問われる。(江口達也)」(
2015/10/31付「朝日新聞」p17より)

選挙が近付くと「経済、経済、&経済」と声高に唱え、選挙が終わるや持論の安保を強行する安倍内閣。そんな事は分かりきっている国民だが、どうも時間が経つと、「国民は直ぐに忘れるさ!」の官邸の思惑通り、何があったのかを忘れそうな日本・・・
今夜のNHKニュースでも、11月5~8日のNHK世論調査で、安倍内閣を「支持する」が先月より4%増えて47%、「支持しない」は1%下がって39%だったという。

一方、ミャンマーの選挙で、スーチー氏の野党が、2/3を越えて、過半数の議席を占める可能性大とか・・・
これが小選挙区制の特徴。流れで、結果は一挙に反転する。

さて、今後の日本はどうなるのだろう・・・。野党バラバラでは、自公に太刀打ちできないことは明白。何とか与党対野党の1対1にしなければ・・・。しかし、民主は相変わらず「共産党と一緒なんて・・」と言っているらしい。

とにかく風化が早い日本人の国民性・・・。
昨日(2015/11/08)の朝日新聞に「私たちは、あきらめない」という「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」の全面広告が載っていた。掲載は、朝日、毎日、東京の3紙だという。
何か、この意見広告も、新聞のスタンスに合致していて面白い。
産経や読売は、自紙のスタンスに合わない、と掲載を断る?? 広告の効果は、そちらの方が大きいかも知れないのだが・・・

翻(ひるがえ)って、テレビのニュースで、企業のトップが不祥事の記者会見で深く頭を垂れる場面が日常化している。その会社の社員の心中はいかばかりか・・・。
確かに、安保などより、目の前の生活が重要・・・。確かにそうだ・・・。
でも、うわべだけの「経済、経済、&経済」という甘い囃子(はやし)言葉に乗ることだけは、何としても避けたいもの・・・。

151109keitai <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年11月 6日 (金)

公正証書遺言をつくる費用

先日の朝日新聞に、遺言の公正証書を作る費用についての記事があった。
「(知っ得 なっ得)「遺言」を知る:3 公正証書遺言をつくる費用っていくらぐらい?

 3回目は、公正証書遺言をつくる費用などについてです。
    *
 得子(とくこ) ここまで説明した内容は覚えている?
 金太郎(かねたろう) うん。遺言書には主に「自筆証書遺言」と「公正証書遺言」の2種類がある。「公正証書遺言」は公証人に相談して、公証役場でつくる。先週までに、ここまで教えてくれたよね。公証人は裁判官や検察官経験者などで、法律のプロだから間違いがないってね。
  そう。実は毎年10月1日から7日までは「公証週間」で、今年もこの期間、日本公証人連合会が無料電話相談を受け付けたの。今年も、遺言・相続の相談がたくさん来たそうよ。
  あっ、じゃあ遺言をつくるかどうか、悩んでいるおばさんも無料電話相談にかければよかったんだね。
  そうね。ただ、全国の公証役場ではどこでも基本、相談だけなら無料なの。だから気軽に相談すればいいと思う。
  無料と言えば、費用の問題だけど、「公正証書遺言」ってどのくらい費用がかかる?
  契約や法律行為にかかる公正証書の手数料は、政令で定められている。だから全国共通。下の表を見てね。
  「目的の価額」っていうのは難しい言葉だね。
  相続させたり、遺贈したりする財産の額のこと、と考えたらいいわ。この額で、手数料も決まってくるの。そこでひとつ問題ね。おばさんの相続遺産が5千万円で、長男には3千万円、次男には2千万円あげようと考えているとすると、遺言書をつくるときの手数料はいくらになるでしょう?
     *
  表で見れば、5千万円までだから、手数料は2万9千円じゃないの?
  違います。そこは誤解しやすいとこだから覚えてね。「目的の価額」は、相続人または151106yuigon 受遺者(遺贈される人)1人ごとに計算されて、手数料はその合計になる。
  ん? つまり息子2人なら1人ずつ、っていうこと?
  そう。つまり、おばさんが長男に3千万円、次男に2千万円あげるという遺言をつくるとすると、「目的の価額」は3千万円1人、2千万円1人になる。つまり、長男への3千万円の手数料2万3千円、次男への2千万円の手数料2万3千円。この合計4万6千円かかるわけ。さらに「目的の価額」の総額が1億円までの場合は、それに1万1千円が加算されると決まっている。だから、合計で5万7千円ということになる。
  なるほど。じゃあ、相続人が多いほど、その分高くなるんだね。ところで、誰かが亡くなった場合、公正証書遺言を残していたかどうかって調べられるの?
  1989年以降に作成されたものなら調べられるわ。遺言を作成した公証役場、公証人、遺言者、作成年月日などがコンピューターで管理されているから、相続人など利害関係人に限って、公証人を通じて公証役場で遺言検索システムを使って照会できるのよ。
 取材協力・日本公証人連合会(構成・中島鉄郎)

■公正証書作成手数料
目的の価額    手数料
100万円まで   5000円
200万円まで   7000円
500万円まで   11000円
1000万円まで  17000円
3000万円まで  23000円
5000万円まで  29000円
1億円まで     43000円
(1億円を超すと、5000万円ごとに以下の金額が加算される)
3億円まで    13000円
10億円まで  11000円
10億円を超えるもの 8000円
★遺言の手数料の場合、「目的の価額」の総額が1億円までの場合、上記の金額に必ず11000円が加算される」(
2015/10/24付「朝日新聞」b9より)

この話は、我が家にはまったく関係無いが、良く話題に出る話なので、「ヘェー」と思った。
この費用、高いと思う?それとも安い??

例として、一般的なサラリーマン家庭を考えてみる。妻と子ども2人がいるとすると、ひと声、遺産が3千万とすると、妻1500万で23000円、子どもがそれぞれ750万で17000×2=57000円か・・・
全額妻とすると、23000円だけ・・・

普通のサラリーマン家庭では、代々受け継がれてきたような遺産などほとんど無い。つまりは夫婦だけで蓄えたお金。その片方が亡くなった場合は、当然残された方が全部を引継ぎ、もし夫婦ともに亡くなった時に残っていれば、それを子どもたちで分ければよい。
それが当たり前だと思う。もし自分が先に死んだら、残った財産はカミさんのもの。なぜならカミさんと2人で築いた財産なので、それが当然。子どもが蓄えたお金ではないので・・・

しかし民法では、半分は子どもに与えろと言う。何かヘン・・・
農地など、代々受け継がれてきた物なら分かるが・・・

我が家では、どうなるのだろう?我々夫婦の片方が死んだ時、チャンスとばかり息子が「1/4よこせ」と言ってくるだろうか・・・。どうも想像しがたい。そんな事は無いだろうと思う。
すると、自然にカミさんが受け継ぐ・・・? いや、そう簡単ではない。銀行口座などは凍結され、相続人全員の印が押された「遺産分割協議書」がないと、動かせないとも聞く。
となると、子どもに「遺産はゼロでOK」という文書に判を押させないとダメということになる。これは寝た子を起こすことになり、「ゼロではあまりにもひどい・・・」と言い出すかも・・・

Netで見ると、遺言があれば、銀行にその遺言書を出せば、動かせるらしい。しかし、遺言書には家裁の検認済証明書が必要らしい。では検認済って何だ?
これは相続人全員の戸籍謄本があれば申請できるらしい・・・・。
やはり、「相続人全員の・・・」だ・・・

では、不動産の所有権移転は? これも検認済の遺書があれば出来るらしい・・・

つまりは、「全遺産をカミさんに」という自筆遺書があれば、家裁の手続きを経て、手続きが出来ると言うこと・・・。
または、あらかじめ「全遺産をカミさんに」という「遺産分割協議書」を作っておいて、印を押すだけにしておく??

自分は気が弱い人間。ガンの宣告を受けた途端に、パニックになって、遺産分割どころではなくなるので、今のうちに、遺書でも何でも用意しておいた方が良いかも・・・
揉めるとすると、銀行だけだろうが・・・。
そうか、今のうちに言っておけば良いんだな・・・。「オレがやばくなったら、銀行口座の有り金を全部、カミさんの口座に移せ」「不動産は、引っ越して売り払うまでは、放っておけ。両方とも死んだら、子どもが処分するときに手続きしろ」って・・・??

今日、会社で、知り合いの会社の会長が亡くなったと聞いた。75歳。自分が入社した時に、同じ課にいた人で、その後、自分で会社を興し、今は会長になっていた。
あまりに若いと思ったが、人間70歳を越えると、何があってもおかしくない。
そんな影響で、今日はこんな話題になったのかも・・・

151106sinzoku <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年11月 4日 (水)

「教育」~簡単ではない機会均等

だいぶん前だが、日経新聞にこんな記事があった。
簡単ではない機会均等 早稲田大学教授 須賀晃一
 日本の義務教育は、「機会均等」の原則と「無償」の原則に基づいて展開されてきました。
 憲法は、教育を受ける権利と教育を受けさせる義務を規定し、義務教育は無償としました。また、教育基本法は「人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない」と一歩踏み込んだ教育の機会均等を明記し、さらに障害や経済的理由によって修学困難な者に対しても、支援や修学奨学の措置を講じなければならないとしています。日本の義務教育は平等主義的な理念に基づいているのです。
 義務教育の無償については財政的裏付けとして、1952年に「義務教育費国庫負担法」が制定され、国が必要な経費を負担し、国民のすべてに妥当な規模と内容の教育を保障することになりました。教育の機会均等の実質化が図られたわけですが、その後も1学級あたりの人数や教員数で見た公立小中学校の教育条件の平準化が目指されてきました。こうした施策を通じて、地域によらず子供たちが同じスタートラインに立つという初期条件の均質化、教育の機会均等が保障され、学力試験による選抜の公平性が担保されています。
 機会均等と無償の2つの原則に基づく日本の義務教育の下では、学力の差は本人の能力と努力の差であるとみなされ、業績主義が容認されることになります。ここで実現する結果の不平等は公平性に矛盾しないとみなされます。教育が機会均等であり、能力が等しい場合、結果の差をもたらすものは努力の差に基づくものしかなく、自己責任の問題に還元されるからです。
 しかし、実際には親の所得や資産に格差があると、教育の機会均等は実現しません。また、そのような経済的格差や両親の受けた教育や職業が、子供の学習意欲に強く影響することが分かっています。教育の機会均等を保障することはそれほど簡単ではないことに注意しなければなりません。」(
2015/10/19付「日経新聞」p17より)

日常、当たり前のことと思っていることが、このように解説されると、ここに至るまでに、先人たちがどれだけ苦労して来たかを再認識する。

良く言われる。子どもに残す最大の遺産は「教育」だと。
確かに、教育は、子どもの可能性を大きく拓かせる。無限の可能性を引き出す。
しかし、子どもが置かれている環境、大きくは親の所得水準で、それが大きく左右されてしまうことは確か。

我が家でも、親父が自分の学歴から、“息子を大学に”というスタンスだったことを、子どもの頃、お袋から聞いたことがある。つまり、親父が会社で、大学を出ていないことで苦労したため、息子は大学に・・・と。

幸いなことに、我々3人の息子は大学を出た。言い換えると、親父の信念により、我々は何の疑問もなく大学に行った。
ふと、親父の学歴について調べてみた。ただひとつ覚えているのは、「巣鴨高商」という名前。Netで検索してみると、
巣鴨高等商業学校(現千葉商科大学)
 1928年 創立
 1944年 巣鴨経済専門学校 改称
 1950年 千葉商科大学 設置

ということが分かった。

千葉商科大学として今でも続いていることが嬉しい。地図で見ると市川市にあり、和洋女151104gakku 子大と向かい合わせ。
親父は大正5年(1916年)生まれなので、17歳で入学したとすると、1933年の入学。つまり、創立5年目だったらしい。
戦前の学制は分かりづらい。wikiによると、高等商業学校は17歳で入学して3年制なので卒業は20歳。つまりは、今で言う短大。なるほど、親父は短大卒か・・・

最近、テレビドラマの「遺産争続」を見出した。
10億円の遺産をめぐる家族のドタバタ劇だが、そこにはタナボタを狙う子どもたち。ここには、介護問題も含めてのこれからの日本家族の縮図があるのかも・・・

とにかく、お金は人間の醜さを顕在化させる。
目に見えない形で子どもに残す「教育」は、スマートな遺産相続。

中国や韓国の教育熱も異常だが、せめて子どもたちに、教育における本人の可能性をつぶすことだけは避けたいものだ。

151104nenkou <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年11月 3日 (火)

古関裕而編曲「さくらさくら」(メキシコオリンピックのために作られた演奏曲)

先日、FM放送で古関裕而特集があり、古関裕而編曲「さくらさくら」(メキシコオリンピックのために作られた演奏曲)という曲を初めて聞いた。

<古関裕而編曲「さくらさくら」(メキシコオリンピックのために作られた演奏曲)

この曲は、東京オリンピックの4年後、昭和43年(1968年)のメキシコオリンピックの開会式で、東京都が保管していたオリンピック旗を、当時の美濃部都知事がメキシコシティの市長に渡す時に演奏された曲だそうで、コロムビアオーケストラが演奏している。

古関裕而の編曲の妙・・・。
木琴の音色が何とも日本的で良い。

この頃、iPhoneではないが、「ワオッ」という楽曲がなかなか見つからない。
この演奏も、なかなか聞く機会が無い音源。

音楽の世界は広く深い。まだまだ自分が「ワオッ」と感じる音楽があるだろう・・・。
細く長く探していこう。

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2015年11月 2日 (月)

賞味期限切れ、「すぐ捨てる」派は7%

我が家でも、時たま起こる「賞味期限が切れた」食品。先日もチューブ入りのショウガを使っていて、たまたま見たら、賞味期限が2015年5月だった。でも知らないで食べてしまった・・・

先日のこんな記事・・・
「(be between 読者とつくる)賞味期限切れ、すぐ捨てる?
 賞味期限が切れた食品をめぐり、家族と意見がたびたび対立していました。ここは一つ、すぐ捨てる人が多いのか、そうでないのかを確かめて、論争に決着をつけよう――。そんな気持ちで尋ねたテーマでしたが、「すぐ捨てる」派は1割未満という驚きの結果に。これからは、私も堂々と多数派を名乗ろうと思います。

 ■五感で判断すればいい
 賞味と消費、二つの期限の違いは、ここ数年で格段に理解が進んだようだ。賞味とは、菓子、缶詰、ハムなど保存がきく食品に表示される、いわばおいしさの期限。消費は、弁当や生菓子など傷みやすい食品に表示され、食べても安全な期限をさす。
 期限の決め方を特集した2009年5月23日付のbeリポートでは、期限の違いが分からず、「『賞味』を1日でも過ぎたらダメだと思う人が多い」と嘆く消費者団体関係者の声が紹介されている。それから6年。今回のアンケートでは、9割超の人が期限の違いが分かると回答151102syoumikigen した。その上で、「賞味で捨てたら、廃棄食品ばかりになる。食べられるなら食べないともったいない」(埼玉、47歳男性)と、賞味切れでも食べる人が9割を超える。予想をはるかに上回る意識の高さだ。
 賞味切れを気にしない派は、動物としての自らの力を頼みに、期限は自ら判断しているようだ。「本来食品の期限は五感で判断すればよいもの。示された期限は企業管理として必要なだけで、消費者はあくまでも目安と思う程度でよい」(長野、38歳女性)。冷蔵庫信奉も根強い。「未開封で冷蔵庫に保存してあるものならだいたい大丈夫。火を通せばなんとかなるはず」(兵庫、22歳女性)。
 ただ、気にしない派も、外聞は気になるようだ。「家族には期限切れを出しても、お客さんが来るときは、新しい物を出す」(青森、49歳女性)。抵抗力の弱い幼い孫には絶対出さない、という意見も散見された。
 少数にとどまった賞味厳守派の意見はどうか? 
 「生鮮品や飲み物はにおいで判断できない嗅覚(きゅうかく)障害のため、『賞味』はありがたい。『消費』だけだとちょっと怖い」(鹿児島、31歳女性)、「精神的に期限切れと分かっただけで、昔から下痢になる」(徳島、60歳男性)、「期限には敏感。なんでも最良のものを食すべきだと思うから。それが生産者への感謝の意を表すことと思う」(福岡、64歳男性)。
 男女比をみると、すぐ捨てない派は差がなかったのに対して、すぐ捨てる派は160人中107人が男性で、7割を占めた。自由回答でも「神経質な息子に食品が捨てられてしまわないよう、冷蔵庫をチェックしている」(福岡、69歳女性)など男性の細かさを指摘する声が目立った。
 考え方の差は、年齢でも分かれた。「母は、保存食は保存のためにあると動じず、息子は期限切れを見つけては捨てる。世代間格差を感じる」(神奈川、62歳女性)。年齢が高い人ほど、賞味切れにはおおらかな傾向があった。
 記者のように、家族間で意見が違う悩みを抱えている人は34%。ちなみにわが家では、食べ物を粗末にできないのが私で、自分以外は全員賞味期限に敏感。「捨てる」「捨てない」で論争になる。
 こうした場合、皆さんはどう対処しているのか。「賞味期限が切れたらすぐ捨てる娘。賞味期限と消費期限は違うと反論してみますが『おいしいものはおいしい間に食べるもん』とにべもない。切れてもこっそり夕食に出してます。娘もおいしそうに食べてます。分かると怒るかも」(大阪、73歳女性)。しれっと調理して出してしまう。勉強になります。
 最後におわび。「賞味期限が切れてから、どのくらいまでで捨てる?」との設問に対し、「ものによって違う」という指摘が相次いだ。「生ものは、臭いがおかしかったら捨てるし、調味料などは切れても長く使う。選択肢が他に欲しかった」(神奈川、51歳女性)。ごもっともです。(木村尚貴)」(
2015/10/10付「朝日新聞」b10より)

ウチはカミさんが直ぐ棄てる派、自分はもったいない派。
単に表示だけ見て捨てるのはもったいない。ちょっと位過ぎた食品は、自分で判断すれば良いと思うが・・・。
人間も動物。体に良くない食べ物は、口に入れたとたん、直ぐ分かる。自分も、幾ら賞味期限前でも、おかしな味がしたときは、躊躇無く吐き出す。これはキムチが多い。キムチは、なぜか期限前でも、おかしな味のものがある。

同じような記事を前に書いたな・・と思って検索をかけると「賞味期限切れだって食べられる」(ここ)「賞味期限切れ~いつまで食べられる?」(ここ)という記事が見付かった!?

その点で言うと、当サイトは、結構この話題に敏感なのだ。でも直ぐに忘れて、同じような記事に反応する・・・
今回は、理屈ではなく実際の消費者の行動スタイルの話。でも今回調査の“賞味期限切れ、「すぐ捨てる」派は7%”という結果は意外だった。

同様な議論に「薬品」がある。
これも前に書いた。「市販薬の使用期限の目安は3年・・・」(ここ)という記事。

我が家では、特に薬品の使用期限に、カミさんと見解の相違がある。
前に、カミさんが、薬箱の整理と称して、重要な薬をばっさばっさと捨ててしまった。バッファリンとか・・・。
自分は、その“再発防止”に、「勝手に捨てないこと」という張り紙を薬箱に表示した。

結局、困ったとき、どうするか・・・。例えば、カミさんの持病の膀胱炎。医者が休みの時など、前に貰って余っていた抗生剤が有り難いことは良くある。
使用期限が切れた薬品を、飲まないか、キケン覚悟で飲むかは、自分の判断。
ま、自分など、本当に困っているときには、使用期限切れでも飲むな・・・

まあ何事も、自分で判断したいもの。単に書いてあるから・・というのでは寂しい。
家族の中で、幾ら見解の相違があっても、結局飲むのは自分。だから自分の判断・・・
でも、判断の出来ない子どもとなると、飲ませるかどうかは親の判断。
食べ物は一過性の下痢で終わるが、薬品の場合は、少し怖い。
なかなか難しい、賞味期限の話である。

(関連記事)
賞味期限切れだって食べられ 
賞味期限切れ~いつまで食べられる? 
市販薬の使用期限の目安は3年・・・ 

151102yoisirase <付録>「ボケて(bokete)」より

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2015年11月 1日 (日)

日野市の封筒「憲法守ろう」が黒塗り

昨日(2015/10/31)の朝日新聞・東京版にこんな記事があった。
日野市の封筒「憲法守ろう」が黒塗り 古い封筒めぐり日野市問い合わせ続々
 東京都日野市が古い封筒を利用する際、表に印刷された「日本国憲法の理念を守ろう」という言葉を黒く塗りつぶしていたことがネット上で問題になり、市に問い合わせや抗議の151102hinoshi1 電話が相次いだ。市は「単純なミスだ」と説明。大坪冬彦市長は30日、「誤った事務処理により、誤解を与えて遺憾に思う」とのコメントを市ウェブサイトで発表した。
 市によると、封筒は1~2年ごとに文言やデザインを変えて数万枚作っている。「日本国憲法の理念を守ろう」の封筒は2010~11年に作られた。その後の変更を経151102hinoshi2 て、今の封筒にはその文言はない。市長公室は「盛り込む文言を減らしてメッセージ性を高めようと、11年か12年の変更時になくなった」とする。
 今年2月ごろ、環境共生部緑と清流課で約1万枚残っていた古い封筒を利用する際、課長が「今の封筒と同じようにして使うように」と指示。同課では約1200枚の封筒について、いくつかあるフレーズのうち「日本国憲法の……」の文言を黒く塗りつぶし、うち約700枚を郵送などに使った。
 それが今月下旬ごろ、写真つきでツイッターに投稿され、反響を呼んだ。29日になって市に「本当なのか」「憲法を大切にするスローガンを下ろすのか」といった問い合わせや抗議が相次ぎ、30日までに約90件、電話やメールで寄せられた。女性からの電話が目立つという。
 市は「憲法を軽んじる意図はない。何か圧力があったわけでもない」と説明。多くの人は「それなら良かった」と納得するという。
 同課は、墨塗りした封筒の残り約500枚を30日に処分した。(鬼頭恒成)」(2015/10/31付「朝日新聞」東京版P29より)

「忖度(そんたく)」という言葉を広辞苑で引くと、こうある。
そん‐たく【忖度】(「忖」も「度」も、はかる意) 他人の心中をおしはかること。推察。「相手の気持を―する」」

実は自分は長くこの言葉を知らなかったし、使ったことも無かった。それがこの頃、この言葉が当たり前のようにマスコミを賑わし、世の中で使われている。それは、安倍政権のNHK会長人事を筆頭に、内閣法制局長官人事など、トップのクビをすげ替えて、自分の思うような動きをその組織に期待する、という首相の思惑の賜であり、残念ながら首相の期待通りの動きになっている。
世の中が、どんどん「茶色の朝」(ここ)の国に近付いている・・・

この記事を読んで、とうとう市レベルまで国の右傾化に染まりつつあるな、と感じた。

“課長が「今の封筒と同じようにして使うように」と指示”という“ 市は「単純なミスだ」と説明”を誰が信じるか・・・
写真を見ると一目瞭然。「今の封筒と同じようにして使うように」という指示自体が不自然・不必要であり、仮にそれに従ったとしても、ではなぜ「水と緑の文化都市」という文言を消さなかった?ということになる。
この言い訳が無理なことは誰にでも分かる。そして消した封筒を見ると、「日本国憲法の理念を守ろう」の文言の消し方が、戦後の教科書を墨で消した時と違って、定規を使ってペンで一本引いただけ。どうも、課長の指示を受けて消す作業をした職員が、イヤイヤやっているようにも見える。たぶん、職員が「なぜ?」と思いながら作業したのだろう・・・

日野市と言えば、前は共産党の森田喜美男氏が1973年から1997年まで6選、24年に亘って日野市長を務めたところ。
当時は革新市政だった。元の会社の同僚や友人も、競って八王子でなく日野市に住居を求めたもの・・・。
それから20年。市のスタンスも変わったものだ・・・

そう言えば、先の安保法案に日野市議会は賛成の決議をした。(ここ
その経緯は(ここ)に詳しいが、自民・公明だけでなく、民主も賛成して可決されたという。ま、八王子も町田も同じだけど・・・

しかし、緑と清流課の課長が「日本国憲法の理念を守ろう」の文言の削除を指示したという今回の問題。もし、2002年に亡くなった森田元市長がこのことを聞いたら、どんなに嘆くことか・・・。日野市もそこまで「普通の市」に成り下がったかと・・・。

それにしても、1200枚もの封筒に線を引いた職員さん、大変だったでしょう!?お疲れさま・・・。上司の命令には背けないものね・・・

上にも書いたが、いいかげんな消し方が、せめてもの救いの事件ではある。

151101baretenai <付録>「ボケて(bokete)」より

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