沖縄と本土への米軍駐留を要請した昭和天皇
歴史とは、奥が深いもので、こんなことがあったなど、自分は知らなかった・・・。
先日読んだ、矢部宏治(著)「日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか」にこんなことが書いてあった。
「<昭和天皇の「沖縄メッセージ」>
PART3では、GHQが人間宣言と日本国憲法を書いて、昭和天皇を東京裁判から守ったところまでご説明しました。ところがその日本国憲法のなかでマッカーサーが日本に戦力放棄をさせたことから、マッカーサーと昭和天皇、それまで1体となって「アメリカの日本占領政策=戦後日本の再建計画」を進めてきたふたりのあいだに亀裂が入り始めます。
いっさいの武力をもたないことこそ、日本の安全を守る道だと説得するマッカーサーに対し、政治的リアリストである昭和天皇は、5大国が拒否権をもつ国連が、米ソの対立によって機能しない以上、独立後の日本の安全は、本土への米軍の駐留によって確保したいと考えるようになります。この間の事情については、『昭和天皇・マッカーサー会見』『安保条約の成立-吉田外交と天皇外交』(ともに豊下楢彦/岩波書店)という名著がありますので、ぜひお読みいただきたいと思います。
戦後日本の安全保障政策に関し、最初に日本政府の頭越しに出された昭和天皇の提案は、1947年9月19日の「沖縄メッセージ」でした。
これはマッカーサーの政治顧問だったシーボルトに対し、天皇の側近クループの主要メンバーだった寺崎英成が口頭で伝えた「政策提案」です。その内容を記録したアメリカ側の公文書が、当時、筑波大学助教授だった進藤榮1氏によって発見され、1979年4月号の雑誌『世界』で発表されることになったのです。
「天皇の顧問、寺崎英成氏が、沖縄の将来に関する天皇の考えを私(シーボルト)に伝える目的で、日時を約束したうえで訪ねてきた。
寺崎氏は、アメリカが沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を継続するよう天皇が希望していると、明言した。天皇の見解では、そのような占領は、アメリカのためになり、また日本にも保護をあたえることになる。(略)
さらに天皇は、沖縄(および必要とされる他の島々)に対するアメリカの軍事占領は、日本に主権を残したままでの長期リース―25年ないし50年、あるいはそれ以上―というフィクションにもとづくべきだと考えている。天皇によるとこのような占領方法は、アメリカが琉球諸島に対して永続的な野心をもたないことを日本国民に納得させるだろう(略)」(「分割された領土」『世界』1979年4月号)
この秘密メッセージを読んでだれもが驚くのは、天皇が米軍に対し沖縄を半永久的に占領しておいてくれと頼んだという事実ですが、もっと驚かされるのは、21世紀になったいまも沖縄の現状は、基本的にこのとき天皇が希望した状態のままになっているという事実です。
また注目すべきは、沖縄に対するアメリカの軍事占領は「日本に主権を残したままでの長期リースというフィクション」にもとづくべきだと天皇は考えている ということです。つまり形のうえでは沖縄は日本の領土だけれども、それを日本が米軍に貸すことにする。そうしたフィクションのもと、事実上は無期限に米軍が沖縄に居すわればよいというのです。・・・・
アメリカが沖縄を信託統治領にすることに、まず日本が同意する。そのうえで「実際に信託統治を開始するまでのあいだ」というフィクションにもとづき、米軍が沖縄のすべての権力を独占的に握るというあのトリックです。なぜそのような安っぽいトリックが実際に成立したかというと、それは「昭和天皇と日本の支配層がそうした構想に合意していたから」だったのです。
<沖縄をめぐる軍部と国務省の対立>
昭和天皇の「沖縄メッセージ」は、アメリカのとくに軍部にとって、非常に重要な意味をもっていました。というのも、アメリカ国内では沖縄の戦後処理をめぐって、軍部と国務省が真っ向から対立していたからです。
・・・・
ソ連の了承を得て1度統治を始めてしまえば、あとは拒否権を行使して思いのままに軍事基地化できると考えていたのです。
しかし国務省はそうした軍部の構想に反対で、1946年6月には、沖縄を「非軍事化したうえで」、つまり基本的に米軍基地をなくしたうえで、日本に返還すべきだと主張していました。大西洋憲章に始まる「領土不拡大」の大原則があったため、
「沖縄のような大きな人口の地域を支配下におけば、アメリカは帝国主義だという批判にさらされることになる」
「領土の拡大はアメリカの道徳的地位と政治的リーダーシップを大きく損なうことになる」
と考えていたのです。
同年11月の文書でも国務省は、沖縄を非軍事化したうえで囗本に返還することをふたたび主張し、同時にアメリカの世論も、軍部による南洋諸島の戦略的信託統治構想を、
「偽装された領土の併合である」
「国連におけるアメリカの道徳的地位を損なう」
と批判している と書いています。
・・・・
<沖縄への半永久的駐留につづき、本土への駐留もみずから希望した昭和天皇>
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「日本の国土に米軍基地をもうけることを日本側から働きかけるような試みは、憲法問題をもっとも深刻なかたちで引き起こすだろう」
その後の歴史を見れば、憲法9条2項をもちながら、米軍の駐留をウラ側から働きかけたことが、日本国憲法の権威を傷つけ、法治国家崩壊という現状をもたらした原因であることはあきらかです。
しかし昭和天皇はまさに、沖縄メッセージでの提案につづき、ダレスヘの「天皇メッセージ」によって、「日本側からの自発的な申し出」にもとづく日本全土への米軍の駐留を提案していたのです。
なぜそんなことを自分から提案しようとしたのか。その謎を解くカギは、この口頭メッセージがダレスに伝えられた日付にありました。1950年6月26日、その前日の6月25日には朝鮮戦争が勃発していたのです。
<「朝鮮でアメリカが負けたら、われわれ全員死刑でしょうなあ」>
「口頭メッセージ」を文書化する作業のとき、松平康昌とそのほかの天皇の側近数名が、パケナムとともに葉山の御用邸の近くで数日合宿して、文面を考えたことがわかっています。
その議論のなかで、ある天皇の側近のひとりが、「朝鮮でアメリカが負けたら、われわれ全員死刑でしょうなあ」と首筋をたたいて言ったということが、アメリカ側の文書(「ダレス文書」)に残されています(『裕仁天皇5つの決断』)。
つまり昭和天皇や、近衛のような大貴族だけでなく、天皇の側近など、日本の「支配層」の人びとの多くが、共産主義革命が起きたら自分たちは首をはねられると本気で思っていたのです。そうした共産主義への恐怖が、安保村の誕生当初から存在していた。
248ページで近衛上奏文における共産主義への恐怖についてお話ししましたが、252ページの「沖縄メッセージ」にも、実は省略した部分に次のような記述があったのです。
「天皇はそのような措置〔=米軍による沖縄の軍事占領の継続〕は、ソ連の脅威ばかりではなく、ソ連が日本に内政干渉する根拠に利用できるような『事件』を引き起こすことを恐れている日本国民のあいだで、広く賛同を得るだろうと思っている」
文中に書かれた、ソ連が事件を引き起こすことを恐れている「日本国民」とは、もちろん一般庶民のことではなく、「死刑」を恐れる日本の支配層のことでした。ソ連が日本国内の共産主義者を使って内乱を起こし、それに乗じて一気に体制を転覆して、自分たちの首をはねてしまうのではないか。
戦中から戦後へつづく、こうした共産主義革命への一貫した恐怖が、憲法9条2項による「戦力放棄」とあいまって、沖縄や本土への米軍駐留継続の依頼へとつながっていったのです。それは昭和天皇個人の判断というよりも、あきらかに日本の支配層全体の総意だったといってよいでしょう。
昭和天皇からメッセージをもらったダレスは、
「これが今回の日本訪問でもっとも重要な成果だ」
と大変よろこんだといいます。そして8月の同メッセージの文書化をへて、翌年2月にダレスがつくった日米安保条約(旧)の前文には、
「日本国は、その防衛のための暫定措置として(略)日本国内およびその附近にアメリカが軍隊を維持することを希望する」
と書かれていました。つまり、あくまで日本側からの希望に、アメリカ側が応じる形で駐留するということになっていたのです。
・・・より本質的な原因としては、
「米軍駐留を日本側から、しかも昭和天皇が日本の支配層の総意として要請した」
ところにあったといってよいでしょう。」(矢部宏治(著)「日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか」p251~p263より)(太文字は本文通り)
自分にとってはなかなか衝撃的な事実。昭和天皇は、自分的には「良い人」と捉えたい存在。それが沖縄の人から見ると・・・、どうなんだろう・・・
今日聞いたNHKラジオ深夜便「特集・昭和史を味わう~第20回 マッカーサーと昭和天皇 ノンフィクション作家 保阪正康」(2015/09/06放送)を聞いた。
その中で、昭和22年11月14日の第5回の昭和天皇とマッカーサーとの会見で、保坂さんが「沖縄基地を容認する。いわゆる沖縄に対してアメリカが一定の権限を持って駐留することに対して、天皇はかなり積極的にそれを認めた、ということが話し合われたと言われている。」と言っていた。
「天皇も、それがあったから、沖縄に対して晩年まで、沖縄に行きたい、沖縄の人たちにお会いしたいと言っていたのは、天皇としても何らかの意思表示をしたい、という思いがあったのだろうと思う。沖縄に対して複雑な感情があったのだろう。今、それを今上天皇がくみ取って沖縄に何度も行って、沖縄の人たちと新しい関係を作っているのは、それが伏線となっているのではないか。」とも言っていた。
未曾有の被害者を出した沖縄戦と言い、これらの事実と言い、結局(沖縄の人には申し訳ないが)昭和天皇を含めた本土の人たちは、沖縄は日本本土とは別、という捉え方をしているのではないか?
それが今日(2015/09/07)も政府との話し合いで物別れになった辺野古の問題にもつながっている。
何でも犠牲は沖縄に強いる、という沖縄戦以来の日本の70年の歴史。
知れば知るほど、沖縄人たちに申し訳ないと思う。
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コメント
ムッソリーニ、 ヒットラーが倒れてもスターリンによる仲裁に望みをかけて沖縄地上戦を迎え、本土決戦(自分たちの首=国体の護持)の時間稼ぎとしか見てこなかった「支配層」の腐敗には本当にヘドがでます。
安倍が「取り戻したい」のはこういう「日本」なのでしょう。
1945年の5月以降だけでも沖縄で、中国で、そして本土の空襲で何十万人の人々が殺されていきました。
【エムズの片割れより】
東芝問題もそうですが、権力者のほとんどは、一皮剥けば保身に走るタダの人、なのでしょう。
投稿: todo | 2015年9月 8日 (火) 13:48
書物に書かれている過去の歴史を丸ごと信じてはいけないと何かで読んだことがあります。必ず時の権力者に都合よく書かれているからだそうです。特に天皇に関することはそうだろうと思います。太平洋戦争では顕著のように思います。真実を知りたいですね。真実を知って二の舞にならないようにするのが政治家の勤めなのに、またお爺さんの二の舞を安倍は踏むのでしょうか。この本を読んでみようと思います。
【エムズの片割れより】
この本はカミさんが見付けてきた本ですが、詰まる所、色々な「(書き手の思惑も含む)真実」があるということですね。
無知な自分は、まず「事実」を知りたいと思います。この本は、すべてに引用元が載っており、まだ公正かなと思って読みました。
投稿: 白萩 | 2015年9月 8日 (火) 15:51
やっとこの頁まで読み進みました。
天皇のしたことを沖縄の人に対して申し訳ないと思うべきか? それよりは、今日まで知らずに、無関心できたことを申し訳ないと思います。(とはいえ、自分の心であっても、関心というものは、「持て!」とどんなに責められても、持てない時は持てないですね。私の場合は「翁長知事の誕生」が持つようになったきっかけです。)
昭和天皇を表の顔とする人々が、(ソ連の)共産主義が日本に上陸することを恐れたことは、理解できます。
そのために打った手が沖縄の人たちを苦しめてきたことが分った今、状況を変えようと、大和人も一緒になって考える、その機運が出たと思います。頑張りたいです。
私にできることは? と思い、少額ながら「辺野古基金」に送金しました。
あと、「中国脅威論」をかざす桜井よし子たちは、この《共産主義がコワイ》を引きずっているのだ、とわかりました。ソ連は崩壊したから、中国を名指してるけど。
そして思うに、今上天皇は、この恐怖感を共有していらっしゃないだろうとも、思いました。
【エムズの片割れより】
昨夜(2015/09/12)、ETV特集「沈黙を破る手紙~戦後70年目のシベリア抑留~」(2015/09/05放送)を見ました。
抑留で、ソ連から共産主義教育を施された帰還兵たちは、港で家族に会うなり「共産党の入党手続きをしたから、家に帰る」と言って、家族をビックリさせたそうです。それから後年、「だまされた」とも・・・
我が家でも、カミさんが「何か行動を・・・」と「辺野古基金」に送金していました。
洪水被災地の惨状もどこ吹く風、国会では淡々と進んでいますね。
投稿: Tamakist | 2015年9月11日 (金) 09:57