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2015年4月27日 (月)

「広辞苑」の思い出

先日の朝日新聞に、こんな記事があった。
「(バイブルをたどって 戦後70年:1)遠望する人、辞書を編む
 京都は小雨まで品がある。まして古い屋敷に降る雨は。
 烏丸通を折れ、幾つか小さな角を曲がったところに、その屋敷――重山(ちょうざん)文庫はある。広辞苑の編者として知られる新村出(しんむらいずる)が暮らした家で、木戸孝允の住まいの移築という。復元された書斎が一代の言語学者の往時をしのばせる。重山は「出」の字にちなむ。
 広辞苑によれば、という決まり文句を生んだ辞書はいま第6版を数える。岩波書店から初150427koujienn版が刊行されたのは1955年で、新村は80歳に近かった。広辞苑に限らず、「新村出編」の辞書は戦前からの長きにわたる。
 先生は明けても暮れても広辞苑でした、と晩年を知る入江貞子(81)は言う。賄いだった入江は、枕元に資料を持ち込んで調べ物をする姿を覚えている。「欲も得もなく、質素で。歌をよく詠まれ、私の誕生日の折など色紙に書いて、もろてくれるか、と」。重山文庫の一室で、入江は雨降る庭を眺めやった。
 明治一桁生まれの新村は東京帝大で上田万年(かずとし)に師事し、欧州留学を経て30そこそこで京都帝大教授になる。言語学に目を開かれたのは旧制一高時代に聴いた上田の講演で、日清戦争のさなか、練武には行かず友と出かけた。「青春期の文学熱、詩歌俳句、新体詩、時流の文芸に対しての趣味は、相当なもの」だったと書き残していて、この一節の頭には「ご多分にもれず」とある。そうでなくなったのはいつからか、とふと思う。
 学究肌には違いないが、冗談を好み、高峰秀子のファンだった。高峰は谷崎潤一郎と一緒に新村宅を訪れたことがあり、自分の写真が何枚も貼られているのを見て顔から火が出たと後に回顧している。
 明治から昭和までを生き、随筆を含め多くの著作を残したが、政治的主張はほとんど見当たらない。新村の伝記を準備している孫の恭(68)によれば、「三然主義」の人であった。自然を愛し、偶然を楽しみ、悠然と生きる。穏やかで、だからでもあろう、各界に幅広い人脈があった。
 辞書は一人では出来ない。戦前の辞苑改訂から広辞苑発刊に至る作業では、様々な人が尽力し、次男の猛は多くを担って父に伴走した。名古屋大教授を務めた猛は、戦前から平和運動に深く関わった人である。恭は猛の息子で、広辞苑の誕生には「人徳のある祖父と思い入れの強い父」の二人三脚があったと語る。
 言葉は一つひとつが宇宙を成している。その源をたどるにも、この先を考えるにも、これで全て良しということがない。岩波書店辞典編集部の平木靖成(46)は、新語の採用にしても「20年後に、20年前の小説を読む人が引く」ことを考えるという。
 およそ辞書とは完成しないバイブルであり、言葉を定義する営みの際どさを思えば、一冊が万人のバイブルたるべきでもない。ただ、知らない言葉がこれほどある、すなわち自分は何も知らないのだと知る――その効用では立派なバイブルだろう。家庭に職場に、時代は変われど一冊の辞書が置かれてきたのは、それゆえかもしれない。=敬称略(文と写真・福田宏樹)」(2015/04/22付「朝日新聞」夕刊p2より)

前に辞書作りの「舟を編む」という映画があった。辞書を作るには、執念とも言うべき、長大な努力が必要。この映画で、その苦労が良く分かった。
自分が「広辞苑」を買ったのは、昭和48年11月。「広辞苑第2版」。当時3600円だった。
厚い辞書のページを、エイッ!と開いて、お目当ての項目の、いかに近くのページを開くかが勝負だった!?
寮にいるときに、良く開いた。会社ではもっぱら「岩波国語辞典」を愛用していた。これは高校の時に、国語の先生から勧められて使っていたもの。その新版を買った。そして、間違った文字を書かないように、良く使っていた。

それが、今はPCの「広辞苑」を使っている。これは一発で項目が出るので便利。でもそこに“分厚さ”はない。何となく、空間に問い合わせると、返事が返ってくるという不思議な感覚・・・
それに、Netで検索すれば、幾らでも文字の意味は出てくる。何とも便利にはなった。しかし、何と字を自分で書かなくなったことよ・・・。そして、何と漢字を自分で書けなくなったものよ・・・(読むのは得意だが・・・)
最近は郵便でも、パソコンで打った紙を切り取ってセロテープで封筒や荷物に貼る始末・・・
まあこの方が、郵便屋さんには明確に読めて良いのだろうが・・・

ふと「新村出」って誰だ?と調べてみる気になった。「新村出編」は良く知っていても、新村出という人のことは全く知らない・・・
そして、wikiを読んで新発見!何と「にいむら いずる」さんではなく「しんむら いずる」さんだって!! 長い間、大変に失礼致しました! 

wikiによると、「広辞苑」の歴史は、下記のようだという。
『広辞苑』刊行年譜
1935年(昭和10年):『辞苑』(博文館)発行
1955年(昭和30年)5月25日:『広辞苑』初版発行
1969年(昭和44年):『広辞苑』第二版発行
1976年(昭和51年):『広辞苑』第二版補訂版発行
1983年(昭和58年)12月:『広辞苑』第三版発行
1991年(平成3年)11月15日:『広辞苑』第四版発行
1998年(平成10年)11月11日:『広辞苑』第五版発行
2008年(平成20年)1月11日:『広辞苑』第六版発行

150427koujienn150520nikkeiもっぱらPC版の「広辞苑」に頼っているため、まったく開かなくなって久しい分厚い「広辞苑」第二版。
それでも、自分にとって決して「棄てられない」代表の本なのである。

150427kichoumen<付録>「ボケて(bokete)」より

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コメント

広辞苑は実は品詞分類を時枝文法で行っている個性の強い辞書ですね。
大学の時の先生だった大野晋博士は広辞苑はあまり評価してなくて、大日本国語辞典を高く評価してました。(当時はまだ日本国語大辞典は刊行されていませんでしたが、大日本国語辞典を増補改訂したのが日本国語大辞典ですね)

個人的には、特殊な辞典ではあるけれども時代別国語大辞典上代編が気に入ってます。広辞苑第二版も持ってますが、あまり使いませんね。ネットではコトバンクをよく見ます。

【エムズの片割れより】
でもなぜか「広辞苑によると・・・」が多い・・・

投稿: 片島諒 | 2015年4月29日 (水) 14:29

私も、手元にあるのは、「広辞苑」第2版です。息子が中学か、高校にはいったとき新しい版の「広辞苑」を買って与えたことがあるので、新しい版もどこかにあるはずですが。。。古い版の広辞苑を持っていて面白いのは、現在よく使われている言葉・表現は載っていないことです(笑)。たとえば、「真逆」も、「立ち位置」も、上から「目線」も、「手のひらを返す」も、現在の意味で使われている「不倫」という言葉も第2版には載っていません。ただし、最後の2つの言葉には注が必要です。
・「手のひらを返す」はないのですが、「手のうらを返す」という言葉は出ていて、「急に、がらりと様子のかわるさまにいう」とあり、後者は1603年に刊行された日葡辞書にも載っている古い表現であると説明されています。 「広辞苑」第2版が出た前後の頃から、同じ意味を表わすのに「手のうらを返す」は「手のひらを返す」にとって代わられたのでしょう。たぶんいつの頃からか「手のひら」を「手の裏」とは言わなくなったためなんでしょう。
・「不倫」という言葉は第2版に載っていますが、「人倫にはずれること。人道にそむくこと。」とだけあって、用例も載っておらず、今では誰でも知っている「道ならぬ恋愛」、「不貞」あるいは「浮気」を示す言葉であるとは書いてありません。たぶん浮気あるいは不貞と同じあるいは類似の意味で使われるようになったのは、昭和40年代のいつ頃だったか、俳優の津川雅彦がスカルの大統領夫人だったデビ夫人に熱をあげ、デビ夫人から「不倫の恋」はいけないといって拒絶された事件があり、女性週刊誌をにぎわせていたことを覚えていますが、それ以来「不倫」という言葉は「人倫に反すること」といった一般的な意味の言葉から、道ならぬ恋愛・浮気・不貞だけを指すように変わったのだと思うのですが、どうでしょうか?

【エムズの片割れより】
つくづく言葉は生き物だと思います。時代と共に変化して行く・・・
前に、今の文化を後世に伝えるには、英語でも仏語でも何でも、ダメだそうですね。
今は廃れた古代文字によって伝えることが考えられているそうです。
何故かというと、誰も使っていない言葉だけが変化していかないので・・
前に、タイムスリップして江戸時代に行ったら言葉は通じるか・・・という疑問がありましたが、言葉の変化から、絶対に通じませんよね。

投稿: KeiichiKoda | 2015年5月 4日 (月) 11:37

私の読んでいる日経新聞にも、「広辞苑還暦を迎えなお改訂」という見出しで、広辞苑が発売されて60年を迎える広辞苑が第7版に向けての編集作業が進行中だと報じています(2015/5/20の夕刊)。発行部数と各版の新語の例の表が載っていますが、発行部数が一番多かったのは1983年発行の第3版で、260万部で、2008年発行の現在の第7版では40万部に激減しているようです。私が持っている第2版(1969年)で採用された新語の例として、「愛車」のほか、「レスラー」、「マナー」などという言葉があげられていますが、自家用車が普及しはじめたのはこの頃なんですね。1969年放送のドラマ「三人家族」をCATVで観たのですが、主人公たち(竹脇無我と栗原小巻)の家には車はなく、レンタカーで「ドライブ」する場面が出てきます。いまは「愛車」や「ドライブ」などという言葉を使うひとは誰もいませんね。「レスラー」と「マナー」はちょっと意外な気がします。子供のときはじめて見たTV番組は力道山が活躍するプロレスでしたから、初版が発売された1955年(昭和30年)には(プロ)レスラーという言葉はすでに一般化していたはずで、初版にないのはなぜなのでしょう?また、「マナー」が第2版で採用されたということは「エチケット」という言葉がそれまでは使われていたのかもしれません(そういえば、「エチケット」という言葉は最近はあまり使われていませんね。)2008年の第6版で、「いけ面」という言葉が採用されていますが、「美男」、「ハンサム」、「二枚目」、「いい男」(いずれもドラマ「三人家族」には出てきます)という従来の言葉では、(若い人たちが)なぜ不満なのか、私にはわかりません。

【エムズの片割れより】
自分もその記事、読みました。面白いので、表を上に載せておきました。
「ドライブ」・・・懐かしいですね。

投稿: KeiichiKoda | 2015年5月24日 (日) 19:41

昨日の読売の編集手帳には、明後日の翌日を「・・生まれてこのかた、「ひあさって」と信じ、そう発音してきた。」「あるとき、・・間違いを指摘され、国語辞典を何種類も引っ張りだして愕然とした。どれにも「しあさって」とある」とありました。私自身は、ずっと明後日の次の日のことは、「やなあさって」と言ってきたので、すこし心配になって、広辞苑(第2版)を引いてみました。「ヤノアサッテの転」とあり、「やのあさって」を引くと、「ヤノアサテ(弥の明後日)の促音化で、①明後日の次の日、しあさって、②(東京で)「しあさって」の次の日、明明後日」とあります。私は①の意味で、つまり、「しあさって」と同じ意味で使ってきたので、編集手帳氏のように間違いではないことがわかって少し安心したのですが、東京での用法とは違うようです。ところが、「編集手帳」の後半には、「・・『広辞苑』の記述には少なからず戸惑った。「しあさって」①(西日本や東京で)あせっての翌日、②(東日本で)あさっての翌々日。」とあり、この広辞苑は2008年発行のの第6版なのでしょうか、私の第2版とは少し違いがあるようです。第2版では、「しあさって」は、「明明後日」で、「しあさっての翌日」で、地域差があるとは書いてありません。東京以外の東日本では本当に「しあさって」はあさっての翌々日なんでしょうか?ほかの皆さんは、「しあさって」「やなあさって」はどう使っておられるんでしょうか?

【エムズの片割れより】
自分的には、「あした」「あさって」「しあさって」「やのあさって」ですが・・・

投稿: KeiichiKoda | 2015年5月28日 (木) 14:58

私は「やのあさって」「やなあさっても」全く知りませんでした。使った事も聞いた事もなかったです。「あした」「あさって」「しあさって」どまりです。明明後日、ししあさっても全く知りません。大辞林を使っていますが、「やのあさって」は東京の一部で使うと書いてあります。古い言葉なのでしょうか。約束などをする時に「ししあさって」と言われたら聞き直してみないといけませんね。1日ずれると大変です。私は遠州人です。三河と張り付いていますから徳川が江戸に入った時、かなり遠州弁や三河弁が江戸に入ったと思いますが、東京で遠州弁を聞いた事はないですね。400年も経てば言葉も変わるのでしょうか。

【エムズの片割れより】
関東の“大都会”出身のウチのカミさんも「やのあさって」は知りませんでした。

投稿: 白萩 | 2015年5月29日 (金) 10:47

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