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2015年3月20日 (金)

コンサートでの「ついていない」席

先日の日経新聞にこんなコラムがあった。
透明な鎖 内田麻理香
 クラシック音楽のコンサートの楽章の間に、聴衆が一斉に咳(せき)払いをする。実際、生理的に咳がしたいのかどうかはともかく、それまで張り詰めていた空気を解放するかのように「ごほん」の音が響き渡る。欧州でクラシック音楽のコンサートを多く聴いた人によれば、これは日本だけの現象ではないらしい。確かに、クラシック音楽のコンサートでは周りの人に迷惑をかけてはいけないという無言の圧力がある。
 クラシック音楽を生で聴くのは、CDやテレビでは味わえない多くの楽しみがある。ただ、考えてみれば、初心者を威圧する見えない鎖が多い。演奏中はもちろん、楽章の休みの間は拍手をしてはならず、曲全体が終わるまで待たねばならない。
 オペラのときはもっと大変だ。ウィーンのオペラ座に行ったときのこと。あの場は社交場を兼ねていると教えてもらったので、自分なりに目(め)一杯(いっぱい)着飾って、「浮かないか」と心配したが、それでも足りなかったようだ。周りは蝶(ちょう)ネクタイをした男性や、毛皮のコートにドレスをまとった女性が会場の大半を占めている。この人たちは、どこからわいて出てきたのかと驚くほどだ。
 そこまで気合を入れたにも関わらず、「ついていない」席に座ることになった。目の前にいる身なりの良い老紳士が高いびきをかいて睡眠に没頭してしまったからだ。しばらくすると舞台の名演に引きこまれて、いびきの音は気にならなくなり、いまだにそのオペラは良い記憶として残っているので問題はなかった。
 このような、ついていない席は、あらゆる場面で遭遇する。映画を観(み)るとき、せっかく事前に予約した席でも、目の前の人の背が高いと上映時間中、ずっと首を斜めにして観るはめになる。私の身長が低いせいもあるが、これもついていない席だろう。
 先日、地元仙台に名門オーケストラが来るということで、久しぶりにコンサートに赴いた。花粉症の私は、鼻をずるずるさせていてはいけないと薬を飲み、それなりに身なりを整えて行った。しかし、落とし穴があった。お隣さんだ。今回も例のついていない席に座ることになった。
 鼻息の音がピアニッシモの音をかき消すほどなのは、私と同じ花粉症か、もしくは生まれつきか。ただ、この方は落ち着きがない。飲食ができない会場なのに、持ち込んだ水を飲む、演奏中に何かの紙をがさがさ開くなどあれこれ音を立てる。こうなったら、例の席に巡りあってしまったと諦めるしかない。そう思ったのは私だけではないらしい。前に座っていたお客様たちも数人、何度か後ろを向いて様子を窺(うかが)っていた。
 これも結果的には、その思いを払拭できるくらい文句なしのコンサートであった。ちなみに、ついていない元となったお客様も、端から見てもわかるくらい、非常にその演奏を楽しんでいらした。同じく音楽を愛する同志なのだ。オペラ座で居眠りしていた紳士よりは、よほど音楽を自由に楽しんでいたと思う。
 ルールやマナーは、他人に迷惑をかけないために大事だ。でも、過剰で形骸化したものもある。今回のコンサートでのお隣さんは極端だっただけに、その手の縛りについてあれこれ考えるきっかけになった。不合理な不文律にも従わざるを得ない、小心者の私には羨ましい。(サイエンスライター)」(2015/03/14付「日経新聞」夕刊p4より)

なぜこの記事が気になったのか・・・。実は背景に、自分の深い懺悔が存在する。
若い頃(新入社員の頃)、度々クラシックのコンサートに行っていたことは前に書いた。その頃の、自分は、まさに「ついていない」席の製造者。さぞさぞ周りの人は迷惑だったろう。
何と自分は、音楽に合わせて、体を動かしていたのだ。「オレはこの曲を良く知っているぞ」という自慢をしたかったのだろう・・・。足先を動かしたり、指先を動かしたり・・・。
今思い出してもゾッとするバカな動作を、トラウマのように思い出しては赤面?いや、懺悔している。

そう言えば、数年前のコンサートでも、同様の経験をした。「ベートーヴェンは凄い!2012」(ここ)で、同様な頭を振る人と隣り合わせ、誠に迷惑だった。
まあ表現は悪いが、昔自分がしたことの報い。「自業自得」だったのだろう。

さすがに“オトナ”になってからは、コンサートでは一切動かない。音楽が終わっても拍手もしない。ま、後から少し申し訳なさそうに拍手することもあるが・・・

そう言えば、上の「ウィーンのオペラ座に行ったときのこと。あの場は社交場を兼ねていると教えてもらったので、自分なりに目一杯着飾って、「浮かないか」と心配したが、それでも足りなかったようだ。」というところを読んで、前にウィーンの楽友協会大ホールに行ったときのことを思い出した。(ここ
ツアーの準備書では、この音楽会には正装で、とあったので、ブレザーにネクタイで行ったのだが、会場に行ってみると、だれもがカジュアル姿。逆に自分が浮いてしまったことを覚えている。

さすがに日本のコンサートは、正装している人はいないが、かといってGパン姿も少ない。
さっき新聞を見ていたら、全面広告でポール・マッカートニーのコンサートがSS席10万円、とあった。多人数がかかわるオペラでもないのに、あまりに高価。
しかし、この歳になると、もうクラシックは行く気にならないが、自分も、もしPINK FL
OYDのメンバーが来たら、行くかも・・・。それが例えトリビュートバンドであっても、前に良かったので・・・(ここ)。
リタイアして、お金は無いけど時間はあるので、もっとコンサートに通えば良いのだが、腰が重いこの頃である。

150320oreno <付録>「ボケて(bokete)」より

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