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2015年3月11日 (水)

お墓に求めるもの

今日、ホームセンターに行くと、お花売り場が大盛況。お墓に供えるお花がいっぱい・・・。そろそろお彼岸なのだ。

普段は、あまり気にしないお墓。でも、近親者が亡くなると、急にその存在感を増す。
我が家も同じ。親の世代が亡くなり、今度は自分たちの番…!?
お墓とは自分たちにとって、何? という素朴な疑問も湧く。
先日の朝日新聞に、こんな記事があった。

「(お骨の駆け込み寺)お墓に求めるもの考えて
 第一生命経済研究所・小谷みどり主席研究員/東京都

時代にあった埋葬とはどのようなものか。死生学が専門で、「変わるお葬式、消えるお墓」(岩波書店)の著書もある第一生命経済研究所の小谷みどり主席研究員(46)に、「お墓のゆくえ」を聞いた。

 ■お墓に関するあれこれ
 ①2013年は死体総数132万5144体のうち132万4766体が火葬された。火葬率は99.97%。
 ②「先祖とは」を複数回答で尋ねると、最も多かったのは「自分の親や祖父母などの近親者」(73.2%)。「自分の家系の初代または初代以降すべて」(50.3%)を上回った。
 ③「お盆やお彼岸にお墓参りをする」割合は76.9%。年齢が高いほど多いが、35〜49歳でも67.5%だった。
 ④都立小平霊園にある合葬墓の今年度応募状況で、遺骨での申し込み倍率4.2倍に対し、生前申し込みは27.8倍。
 ⑤「死期が近い場合の心配や不安なこと」を複数回答で尋ねると、「死ぬとどうなるのか、どこへ行くのかということ」は19.2%だった。特に男性で、自分の死を恐れる意識に影響を及ぼす傾向が出た。
 ⑥「自分の墓が無縁化すると思うか」という設問に、「いつかは無縁墓になる」「近いうちになる」は合わせて54.4%に達した。
 一方、合葬墓については、「自分は利用したくないが、継承者の問題から普及するのはやむをえない」と答えた人は49.3%。「友人や家族などと一緒なら利用してもよい」「知らない人と一緒でも利用してもよい」は合計で29.2%に達した。
 ※①厚生労働省集計。②③⑥09年の小谷氏調査。35〜79歳の男女584人が回答。⑤13年の小谷氏調査。50〜79歳の545人が回答。④都集計。

■「先祖祭祀」から「故人祭祀」へ
 ――お墓の歴史は。
 「子々孫々が一つの墓に入る『○○家の墓』の歴史は実は短い。一つの墓石の下に骨つぼをたくさん入れるのは火葬でないと無理。日本の火葬率は99%を超える=関連データ①。50%を超えたのは1935(昭和10)年です。火葬の普及の産物が『○○家の墓』と言えます」
 ――埋葬できないままの遺骨が増えています。
 「遺骨を祀(まつ)る身寄りがいない。お墓の継承者がいなくなって無縁になった。色んなパターンがあります」
 「お墓に入れたくない、建てたくないという理由で家に遺骨を置く人も多い。それは、死後の選択肢が増えたからでもある。いま、多くの人の感覚は、先祖祭祀(さいし)というよりも、『故人祭祀』。遠くの墓でお参りに行けないのであれば、身近に置いておきたいという気持ちが強い」
 ――故人祭祀に移ってきたのは。
 「『先祖の概念』を調べると、せいぜい自分から3代前までの顔を見知っている故人が先祖。辞書的な意味での『始祖から代々』という概念ではない=②」
 「火葬になって先祖代々の墓が普及し始めてから100年近く。ちょうど3代目になってきて、ほころびが出てきている。その一つが、後継ぎがいない問題。ライフスタイルが多様化し、生まれ育った場所で死ぬ人が少なくなった。戸籍上は子孫がいても、先祖の墓にある場所には誰も住んでいない状況が起きる。高度成長期以降に広がり、無縁化につながってきた」

 ■予定決まれば死の不安減る
 ――お墓も多様化しています。
 「故人を偲(しの)ぶ気持ちは、日本人は昔から根強い。お墓は多様化しているが、老若男女問わず、年1回は墓参りする人はいまだに多い=③。調査でも、『死んだ人が見守ってくれている』という感覚を多くの人が持っています。だからお墓がすごく大事。継承できない、守ってくれる人がいないという問題と合致して選択肢が増えてきた」
 ――合葬(合祀〈ごうし〉)墓が人気です。
 「合葬墓の特徴は、多くが自分の意思で申し込んでいること。都立霊園の倍率を見ても、生前申し込みの倍率が高い=④。合葬墓は継承を前提としない。『子供に迷惑をかけたくない』というのが、いまの高齢者に共通するキーワードです」
 ――祀ってほしいとは思っている?
 「『死の恐れ』についての調査では、死後の自分がどうなるのか、不安だと思えば思うほど、死ぬのが怖くなる=⑤。こんな葬式をしてもらえる、ここに眠ることになるという確証があれば、死の不安の軽減につながります」
 ――安心を得るには?
 「二つの立場があります。遺族として先祖の墓をどうするか。自分が死んだときにどこに入りたいか」
 「高齢者は前者の不安が大きい。先祖からの墓を自分の代で終わりにしては申し訳ないと思っている。でも、『○○家の墓』の歴史は短い。時代に合わなくなってきているだけの話。自分に合ったところに改葬できるようになればいい」
 「一方、自分が死んだらと考えたとき、『無縁』になる恐怖がある。だから、合葬墓や永代供養墓のニーズが高くなっている=⑥」
 ――ではどうしたら?
 「新しいお墓の考え方を受け入れていくべきだと思います。「○○家の墓」を守ろうとしても無縁にならないという保証はない。無縁になりたくないのであれば、永代供養のお寺でもいい。遺骨を収蔵する機能を重視するのなら、公営墓地の納骨堂にいけばいい。いまはいろんな選択肢がある。自分がお墓に求めるものは何かを考えてほしいと思います」 (聞き手・井上恵一朗)」(2015/03/07付「朝日新聞」第2多摩版p28より)

つらつらとお墓について考えてみる・・・。
「死んだら無、ゼロなので、そんなことはどうでも良い」という考え方がある一方、霊魂のイメージからお墓にこだわる人も多い。自分はどちらかと言うと、こだわる方かも・・・
代々のお墓が、自宅に近い人は、それほど悩まないで済むが、お墓が地方にある場合、または長子でなく、自分が入るお墓がない場合は、さてどうするか・・・と考えてしまう。

先日、同期の友人が、自分のガンが分かったときに、お墓を買ったと言っていた。我々も、そろそろお墓が身近な問題となってくる年代なのである。
お墓が無い場合、どんな選択肢があるか? もし先祖代々のお墓がある場合は、長子が継承するという建前はあるものの、いっそのこと皆が代々の墓に入ることにすれば、新築経費の節減といずれは廃れるであろう継承問題を、徳川家の御三家のように分散化させる手はあるかもしれない。しかしそれは兄弟たちがよほど仲のよい場合に限られるかも・・・。それは、親の死去と共に発生する遺産分割問題で、兄弟間の行き来が途絶える、という話はよく聞くので・・・。
子どもへの負担軽減のために、新築をしないとすると、都立霊園などが候補にあがる。でも一般埋葬でない場合は、20~30年後には合葬になるらしい。
合葬をどう考える? 死んだ後は、遺骨の始末だけなので、どうでも良い、と考えるか、それとも、死後も夫婦など近しい人と一緒にいたい、と考えるか・・・
それに、上の記事に、「こんな葬式をしてもらえる、ここに眠ることになるという確証があれば、死の不安の軽減につながります」とあるように、葬式は別にして、自分はここに眠る、と分かると何か安心するような気もする。
逆に、○○家の先祖とは関係のないヨメさんの立場からすると、見も知らぬご先祖さまと一緒はいやだ、という声もあるという。まさに感情、好き嫌いの話なので、考えても仕方が無い話・・・

また、「合葬墓は継承を前提としない。『子供に迷惑をかけたくない』というのが、いまの高齢者に共通するキーワードです」ともあるが、結局、親が合葬墓に入ると、その子も入る墓がないので、やはりその都度の合葬墓か・・・
子世代への“迷惑”のひとつは「奉讃会費」や「餓鬼料」などと呼ばれる管理費。公立の場合は安いのだろうが、一般のお寺の場合は、年額7,000円とか24,000円とか・・・。でも、1世代30~40年としても100万には届かない。その額をどう見るか・・・

何の脈絡もなく、ダラダラと書いてきたが、結局、“骨となった自分”をどうイメージするかの問題。
もし今、自分が判断すると、優先順位は①「近親者と一緒に(夫婦は必須)」②「出来るだけ骨壺のまま」残ると良いのかな・・・ナンテ考えている。
そもそも自分は、知らない人とワイワイするのが苦手なので、最終的に合葬されて、自分の右手の骨の隣に知らない人の頭の骨がある・・・ナンテ、イヤで、これでは死ぬに死ねない。
もっとも、お骨をどうするかを考えるのは残された人。自分の意志とは無関係に色々されるのがイヤだったら、ま、死なないことだけど・・・。
近親者の逝去が続き、「お彼岸」という言葉が身近になってきたこの頃である。

★上の記事と関係無いけど、前に書いた「大人に贈りたい絵本~「100万回生きたねこ」 」(ここ)という記事に、佐野洋子著「100万回生きたねこ」の朗読をアップしたので、良かったら聞いてみて下さい。(下にもアップ)

<朗読~佐野洋子著「100万回生きたねこ」>

 

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コメント

おはようございます。

まず…「百万回生きたねこ」の朗読のアップ、ありがとうございます。この本は持っていて、もう何十回も読みましたが、また朝から泣いてしまいました。今は猫3匹との生活なので、犬とは違う猫の心情(?)と喜び、悲しみがよくわかります。もちろん犬を愛する気持ちに変わりはありませんが…。

死んだらお骨をどうするか…夫の故郷の和歌山にお墓はありますが、三男なのでだめ。私もゆかりの無い和歌山に眠るのは気が進まない。かといって新築(?)する経済的ゆとりがないし、第一死んだら無、の考えに近いので、あまり切迫感がない。いっそ庭のハナミズキの下に、とも考えますが、雨風にさらされるのちょっと…(死んだら無?)と思いだしたら、堂々巡りになり、まとまりません。

もう一つの問題は納骨せずに手元に置いているわんこ、にゃんこのお骨をどうするか…。そっと私のお棺に入れてもらいたいのですが…。

言い忘れました。佐野洋子さんの「シズコさん」には入院中に出会いました。この本も涙なしには読めませんでした。

【エムズの片割れより】
ウチの愛犬は、12歳ですが、この所一日一食の時が多く、毎日「食べたか」と聞くのが日課・・・。なかなかツライ時期に入りました。

お墓は、あまり要望がない場合は公立の霊園なのでしょうね。でも生前は倍率が高い・・・

「シズコさん」はAmazonで見ると、なかなか大変な内容・・・。でも目を背けないで、今度読んでみようかな・・・

投稿: アンディーのママ | 2015年3月12日 (木) 09:58

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