騒音の中でのスピーチ
先日の日経新聞に載っていた永田和宏氏のコラムに、いたく同感した。
「立食パーティでの挨拶は 歌人・京都産業大学教授 永田和宏
先週、かなり過激なことを書いたばかりだが、もう一度だけ余計なことを書く。
パーティにもいろいろあるが、会衆が百人を超えると立食パーティとなることが多い。立食パーティでの挨拶、こいつはなんとかならないものか。
乾杯に入るまではいいのである。みんなそれなりに前を向いて聞いている。しかし、乾杯も終わり、自由に懇談ということになると、食べ物を取りに行ったり旧知と話が弾んだりで、会場が底(そこ)籠(ごも)るようなざわめきに包まれる。その懇談にいよいよ油が乗ってきた頃、「それではまたご挨拶を」ということになり、次々に登壇してスピーチが始まる。しかし会場では、再び挨拶が始まるということにさえ気づかないで話し込んでいる人が大半。聞いているのは、舞台に近い十数人と主催側だけという始末である。
話すほうは会場の騒音に負けじと思わず声のトーンを高くせざるを得ないし、聞く側はスピーチをしている方(かた)が気の毒で、話の内容に意識を傾ける余裕がない。
主催者側としては、これこれの人には話してもらわないと失礼にあたるという配慮が当然あるのだろう。しかし、余程(よほど)の自己陶酔型のスピーカーでない限り、あの騒音のなかで、誰も聞いていない聴衆を相手にしゃべらせるのは、その方がよほど失礼。
立食パーティでは乾杯前に数人の挨拶があり、以降はただ食べ、かつ飲み、そして会衆者同士が会談、懇談をする、それでいいのではないか。どうしても途中で挨拶をさせたければ、司会者が余程の強権を発動するか、巧妙に会場を鎮める、そのあとで始めるに如(し)くはないだろう。しかしまあ、これも余計なおせっかいかなあ。」(2015/03/11付「日経新聞」夕刊p1より)
実に良く分かる話である。
自分も現役時代、色々な会で挨拶やらスピーチをやらされたが、とにかく騒音の中でスピーチをするほどツライものはない。自分自身で段々と白けてきて、とても話が続かない。つまり、上の記事のような相手がほとんど聞いていない会では、自身でめげてしまい、話のトーンも落ちてきて、途中で止めてしまいたくなるもの。
逆に、どんな重要な会議でのプレゼンや、結婚式でのスピーチも、相手が静かに聞いてくれていると、段々調子が出て来て“乗る”こともしばしば・・・。
唯一、騒音の中でも何とか話せるケースは、一人でも自分の方を見て話を聞いてくれている人を見付けたときだ。その人を相手に話すと、騒音の中でも何とか無難に終えることも出来る。
そんな体験を何度かしているうちに、どんな騒音の中でも、誰かの挨拶が始まると、エチケットとしてわざとそっちを見て、うなずいてあげることにしている。自分もそうして欲しいので・・・
そんな経験からか、昔、部下の結婚式などのスピーチを頼まれると、必ず「やっても良いが、皆が酔っ払う前にやらせろ」と要求したもの。よって主賓など、ほとんどが最初の挨拶になってしまったが、でもワイワイの中での話に比べると、皆が聞いてくれているだけ、楽だった。
自分にはもうそんなスピーチの機会は少ないが、どんな会でも、話し手の立場になって、挨拶が始まったらちゃんと聞いてあげるようにしたいものだ。
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