「弔辞に拍手を・・・!?」~山田太一氏の話
通勤電車の中で聞いているNHKラジオ深夜便。脚本家・山田太一氏の「未知の自分に出会う“老い”」(2015/01/24 AM0時台)というコーナーでの、こんな話が頭に残った。
先ずは聞いてみて下さい。
<山田太一氏の「未知の自分に出会う“老い”」より>
この話はエッセイとしても出版されているらしい。
『月日の残像(山田太一)新潮社』
「ルナールの日記」から、女優大原麗子の葬儀でのこと
【彼女の女優生活を数十分にまとめた映像が流されたのである。華やかに、いいところをよく選んで編集したビデオだった。私は見ているうちに、これは映写が終ったら拍手をしようと思った。孤独な死を迎えた女優を囲んだ最後のみんなしての集まりではないか。よく生きぬきましたね、と拍手してなにが悪いだろうと思った。
終った。拍手をした。私ひとりだった。なんという非常識というように見る人もいた。平気だった。ルナールの言葉が頭にあった。 なぜ弔・・・・】
この話を聞いて、自分も山田太一氏の「よく生きぬきましたね、と拍手してなにが悪いだろうと思った。」という意見に賛成である。
普通の人の葬儀では、女優生活の映写などは出来ない。良くて友人による弔辞が読まれるくらい。でも弔辞は普通、故人の業績を讃えるもの。それを皆で拍手して、何が悪いのか・・・。
その人の人生に拍手して何が悪いのか・・・。
弔辞という言葉を聞いて、またまた19年前に80歳で亡くなった親父の葬儀のことを思い出す。
親父は、昔の会社の仲間と、麻雀の例会の最中に脳出血を起こして脳死状態になり、次の日に亡くなった。
葬儀では、その麻雀友だちが、一晩かけて書いてくれたという弔辞を読んでくれた。それはジャバラ折りの用紙に、毛筆で書いてくれた立派なもの。
その文言は、もうほとんど覚えていないが、仕事のことを自宅で全く話さなかった親父が、どんな会社人生を送り、どんな老後を送っていたのかを、息子たちはその弔辞でその片鱗を知った。
親父の友人たちは、親父の家族が知らない別の顔を知っていて、それを書いてくれたわけだ。
自分も段々と親父の年齢に近付きつつある。そのせいか、その弔辞をもう一度読んでみたいと思ってきた。
たぶんその弔辞は、兄貴が持っている。何かの機会に、それを探し出して、読んでみよう・・・。
話は戻るが、弔辞での拍手。心では賛成していても、山田太一氏のように実行する勇気は自分には無い。
でも、悲しんで送り出すだけでなく、「よく生きぬきましたね、と拍手して」送り出す葬儀もあって良いような気がする。
しかし弔辞そのものが、そもそも老人の葬儀では無い。誰も書いてくれない。書く人が、そして読む人がいない・・・
4年ほど前に、「細川護熙氏の「私の死亡記事」」(ここ)という記事を書いた。
細川さんと同じく、自分の人生の成果(=弔辞)は、あらかじめ自分で用意しておく必要があるのかも知れない。
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コメント
差出がましくまた吉原幸子の、「拍手」を紹介させてください。
たしかに
さうしたくなる瞬間がある
寒々とした風景の中
あらい石まじりに土くれを
男たちのシャベルが柩の上にまきはじめると
彼女は とつぜん拍手した
ひとりだけで
烈しく
死んだ弟に だったか
恋びとに だったか
あの人たちは“旅芸人”だったから
あれはいちばん厳かな儀式
いちばん心こめた賞讃なのだ
死者への
死への
役者たちが
ばったりと倒れて死んで
それから 起きあがってお辞儀するとき
人々は手をたたく
“よく演った”と
なぜ
本物の死者に
手をたたいてはいけないのだろう
“よく生きた”と
詩集「花のもとにて春」所収
【エムズの片割れより】
他にも同じような話があるのですね・・・。
投稿: 樹美 | 2015年2月 2日 (月) 19:49
確かに亡くなった人を送る時「あなたは立派に生きられました」と拍手が送られたら嬉しいですね。目から鱗の思いがしました。今まで沢山の人を送りましたが、気が付きませんでした。私があの世に逝くとき、誰かに拍手を贈られたら嬉しいですね。時には逝ってくれてありがとうなんていう人もいるかも。意地悪するのをやめないといけませんね。無理かなあ。
【エムズの片割れより】
自分も目から鱗です。
自分のときも、「良く生きたね」よりも、「やっと逝ってくれた」という拍手の方が可能性大なので・・・
投稿: 白萩 | 2015年2月 2日 (月) 21:39
今晩は!
私がもし大原麗子さんのご葬儀に参列していてビデオを見ていたら、真っ先にとは言えませんが、山田太一さんの後について拍手をしたと思います(断言)。
一方、誰かの弔辞を聞いて、その内容がいかに故人の素敵な生き方を描写していたとしても、拍手はしないでしょうね。何故って、その拍手は自ずと弔辞の読み手に対するものになってしまうからです。
私の葬儀に、だったら…帰り道参列してくれた人たちがどんなに明るく笑いあったとしても、葬儀の間涙を一しずくこぼしてくれたら嬉しいです。その涙を見てあの世に旅立てたら…。
【エムズの片割れより】
確かに、弔辞の後の拍手は「なかなか名文で良かった」と、故人ではなく、弔辞の読み手への拍手になってしまいますね。
自分の場合、残された家族から葬儀で「ヤレヤレ・・・」と言われる前に、逝きたいのですが・・・
投稿: アンディーのママ | 2015年2月 3日 (火) 00:22