会社近くの食堂の休業~商店街の高齢化
今日は実にプライベートな話。
通勤途中、駅から会社まで古い小さな商店街を通る。その中の一軒の古いD食堂に、昼食に良く通っていた。その店が休業してからだいぶ経つ。
会社の周辺には、あまり他の会社が無いため、昼食を取れる食堂が少ない。よって、気に入った店にそれぞれ週に一度くらい通っていた。
そのひとつであったD食堂は、おじいさんが料理を、おばあさんが配膳をしていた。メニューは数十あり、多過ぎ。色々食べてみたが、どれもそれほど美味しいというわけではなく、結局、チャーハンと味噌ラーメンを交替で食べていた。それが食べられなくなって久しいのだ。
店の店頭には「本日は休業させて頂きます」という札が相変わらずぶら下がっている。
今朝、たまたま前の店のおじいさんが道に出ていたので聞いてみた。
「前のD食堂は止めてしまったの?」
「ご主人が亡くなってね。おかみさんがメニューを絞って再開するという話もあるけど」
「亡くなったの・・・」
「11月末に倒れて、年末に肺炎でね・・・」
「何歳でした?70を超えていたかな・・・」
「78だったかな・・・」
「そうですか・・・。この食堂には、前に良く来ていたので・・・。ありがとうございました」
この商店街は、高齢者ばかり。この道も5年以上通っているが、2軒あった肉屋が1軒になり、並んでいた寿司屋とラーメン専門店がアパートに建て替わってしまった。ラーメン屋は、いつも人が並んでいたのに、寿司屋同様、後継者が居なかったとか・・・
隣のSONYの看板の電気店もシャッターを閉じたまま。豆腐屋も閉めた。どんどん店が閉じられていく。地方ではなく、東京区内の商店街もこの通りだ。
昨夜のテレビでも、老舗の味噌屋が「余力のあるうちに廃業」と言っていた。味噌の需要が少なくなり、卸していたスーパーなどが次々に閉店。将来が見通せなくなり、余力のあるうちに廃業を決心したとか・・・。並んでいた古い大きな味噌樽が惜しい・・・。
どこでも、小規模店舗の衰退は急速だ。ショッピングモールなど大規模店舗に人の流れが移っていくのは仕方がないが、でも何か寂しい。
確かに、仏教で言うように、「諸行無常(この世に存在するものはすべて変化するものであり、一瞬といえども同一性を保持することはできない)」であり、『この世に生じたものは必ず滅する』ことは分かるものの、それでもなおかつ「黄昏(たそがれ)」は、何と寂しいものか・・・。
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