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2015年1月29日 (木)

「帰れる場所」と「埋めたどんぐり」

先日の日経新聞にこんな記事があった。
手帳の中のどんぐり 千早茜
 家に帰れなくなったらどうしよう、という不安がいつもある。
 両親からも夫からも「家猫」と呼ばれる私はたいそう家が好きで、家で好きな音楽を聴いて本を読んで茶を淹(い)れ自分の匂いのする寝床で眠れれば、何の不満もなく生きていける。大きな声では言えないが、なんとか家に居続ける方法はないものか、と考えた結果、小説家という職業にいきついたところが多分にある。
 思えば、小さい頃から心配性だった。家族と旅行にいくと、あらゆる悪い事態を想定した。それが本当に起こった場合の精神的衝撃をやわらげようとしていたのだろうと思うが、飛行機で海外にいったり、アフリカの地平線の果てまで延々と続くまっすぐな道を見てしまったりすると、何かあったらもう自力では家に帰れない、と絶望的な気持ちになった。旅行の度にうっすら死を意識していた子ども時代の私は、不幸想像力においては誰にも負けていなかった気がする。何の得にもならない能力なのだが。
 そんな私の性格を知ってか知らずか、はじめての一人暮らしをする際、母は私に封のされた小さなポチ袋を手渡してくれた。私が北海道から京都の大学に入った時のことだった。「なにかあったらこれで帰ってらっしゃい」と母は言い、そのポチ袋の中には北海道までの運賃が入っていると説明してくれた。「なにかあったら」という言葉を聞いた瞬間に、十通りくらいの不幸な「なにか」を想像してしまった私は、そのポチ袋に非常な安心をもらった。これがあれば家に帰れると感謝をし、手帳のポケットにしまった。大学生活は楽しかった。結局「なにか」は起きず、一度も一人暮らしが寂しいと感じたことすらなかった。
 けれど、心配性は治らず、いつの頃からか自分はそういう人間だと割りきるようになり、治そうと思うこともなくなった。東京に出張にいく時、取材旅行にいく時、家から離れるどんな時でも、私は帰りの運賃を別に取っておく。カードでは駄目、ちゃんと現金でなくては安心しない。そして、運賃といっても正規の料金ではなく、非常事態用の料金を想定して若干多めの額を用意する。例えば大阪で飲む時だったら、酔い潰れてもいいように京都までの深夜タクシー代くらい。それを、財布や鞄(かばん)や手帳や化粧ポーチなどのポケットに隠しておく。隠しておく理由は、素敵(すてき)なものに巡り合った時についつい使ってしまわないようにだ。心配性の私は自分すら信じていない。
 しかし、非常事態は起きず、私は予定通りちゃんと家に帰る。一度終電を逃したことがあったが、二時間かけて黙々と歩いて帰った。なので、埋蔵金はどうなるかというと、たいてい冬支度のリスのごとく忘れる。忘れた結果、ある日、鞄の整理や手帳の更新、もしくは新しい隠し金をつくる時に発掘される。我が家ではそれを「どんぐり」と呼び、「どんぐり発掘されたよー、ご飯でも食べにいこう!」と喜び合う。自分のお金であることをすっかり忘れて、空からお金が降ってきたかのような幸福感にひたる。雪の下からどんぐりを見つけたリスもあんな気持ちなのだろう。一人で心配したり喜んだり、不幸も幸福も自作自演なところが虚(むな)しい気もするが、もしかしたら、すべてのことは自分の気の持ちようなのかもしれない。そういえば、あのポチ袋どうしただろう。(作家)」(2015/01/27付「日経新聞」夕刊p7より)

何とも、読んでいて楽しい。
「なにかあったらこれで帰ってらっしゃい」と母親から渡されたポチ袋・・・。どんなにか心強いか・・・
人間にとって、帰ることの出来る場所、そして自分の居場所は、心の安定に非常に重要なので・・・。

先日、TVドラマを見ていたら、「戦前の結婚は、家と家が決めて、結婚式で初めて見ることも普通だった。それを今は恋愛だとか何だとか言うくせに、離婚率は戦前の方が低かった」と言っている場面があった。
自分が「その通りだな」と言うと、カミさんから反論。昔の家は、一度嫁に出したら最後、帰る家は無かった。婚家で何かあっても、実家には入れて貰えず、結局病気になって死んでしまう。それに引き替え、今は「いつでも帰ってらっしゃい」が普通・・・
さてさて、どちらが良いものやら・・・

さて、上の記事。自分もカバンにはいつも500円玉を放ってある。小銭が無くて困ることはある。その時に、カバンの中をごそごそやると出てくるのは有り難い。
ハンカチなども同じ。忘れることを前提に、いつもカバンにひとつ入れてある。たぶん誰でもやっていること・・・
しかし、上の筆者のように、それをマジメに捉えると何とも可笑しい。
家の中をごそごそやると、100万円位発掘されると楽しいが、そもそも埋めた記憶がないので、まあ我が家では出て来ない。
おっと、そう言えば、昔、兄貴から着なくなったブレザーを貰ったことがある。家に帰って着てみたら、内ポケットに*万円の現金。その“発掘したどんぐり”をどうしたかって??
そんなこと・・・、言えない・・・

150129pet <付録>「ボケて(bokete)」より

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