津村謙の「上海帰りのリル」
最近、見直している歌がある。懐かしのメロディーの代表曲である津村謙の「上海帰りのリル」。
この超有名な歌。聞けば聞くほど、「ヒットするはずだ」と思う。津村謙の「ビロードの歌声」とタンゴの軽快なリズム・・・。聞いていて何とも心地よい。
<津村謙の「上海帰りのリル」>
「上海帰りのリル」
作詞:東条寿三郎
作曲:渡久地政信船を見つめていた
ハマのキャバレーにいた
風の噂はリル
上海帰りのリル リル
あまい切ない思い出だけを
胸にたぐって探して歩く
リル リル どこにいるのかリル
誰かリルを知らないか黒いドレスを見た
泣いていたのを見た
戻れこの手にリル
上海帰りのリル リル
夢の四馬路(スマロ)の霧降る中で
何もいわずに 別れた瞳
リル リル 一人さまようリル
誰かリルを知らないか海を渡ってきた
ひとりぼっちできた
のぞみ捨てるリル
上海帰りのリル リル
くらい運命(さだめ)は二人で分けて
共に暮らそう 昔のままで
リル リル 今日も逢えないリル
誰かリルを知らないか
この歌は昭和26年(1951年)の歌だが、歌詞にある「四馬路」って何だろうと、Netで検索してみた。
するとこんな解説が見つかった。
「「四馬路」とは四頭だての馬車が通れる程の広い通りの繁華街と云う意味で、当時は上海の海岸通りを“夢の四馬路(すまろ)”と呼んだのです。」(ここより)
「夜霧のブルース “・・・夢の四馬路か 虹口の街か・・・”
・・・四馬路(スマル)は主として欧米列強の租界、虹口(ホンキュ)は日本租界だったところで、歌詞の<青い夜霧に>というのは、黄浦江の河口に租界(上海ボンド)があり、テ-ムズ河口の霧のロンドンのように霧が出やすく、そこに歓楽街の紅い灯、青い灯が映って冒頭の表現となるのです。「上海帰りのリル」にもこの地名が出てきますが、四馬路や虹口にいた女性はソノ筋の女性ということになります。・・・」(ここより)
なるほど・・・。つまりリルは、当時の上海の租界(外国人居留地)の“ソノ筋の女性”らしい・・・。
まあそれはそれとして、JASRACのデータベースを見ると、さすがに超有名曲だけあって、歌っている人が51人も登録されていた。
自分はこのうち、何曲持っているかを調べてみたら、津村謙の他には、鮫島有美子、倍賞千恵子、三橋美智也の歌があった。
このうち、三橋美智也の歌を聞いてみよう。
<三橋美智也の「上海帰りのリル」>
昭和36年(1961年)に37歳で事故死したという津村謙。さすがにこの歌の音源はSP盤のひとつしかない。この「ビロードの歌声」で、上の三橋美智也のようなステレオ再録をしてくれていたら良かったのだが、望むべくも無く・・・
内容的には重い歌ではないが、日本人の心に永遠に残る、珠玉の歌である。
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コメント
津村謙のこの歌が流行ったころ、繁華街に住んでいました。朝から晩まで街頭放送でこの歌を流していたので覚えてしまいましたが、今は懐かしい思い出です。
しばらく前に30歳くらい年下の同僚がこの歌のCDを探しているが手に入らないと言われ、たまたま通りかかったデパートの売り場で見つけて買ってあげたことがあります。
この時分に流行った歌では、水色のワルツや江の島エレジーなんかもありましたね。江の島エレジーは秋葉原のスピーカー屋で試聴用の音源に歌なしのレコードを使っていて、それでメロディーだけを覚えてしまい、菅原都々子の歌を聞いたのはずいぶん後でした。
【エムズの片割れより】
どんな名曲も、繰り返し聞かされると、もう拷問ですよね。
「江の島エレジー」は聞いたことがありません。
投稿: 雪爺 | 2015年1月31日 (土) 13:21
この曲は戦前の1933年の米国の曲『上海リル(Shanghai Lil)』(ガイ・ロンバード&ヒズ・ロイヤル・カナディアンズ)を承けて作られた曲のようですね。
『上海リル』は日本でも1936年頃にディック・ミネ・江戸川蘭子などの競作でヒットし、また1979年から劇団自由劇場がロングラン公演した『上海バンスキング』の中でも歌われて吉田日出子のレコードも出たようです。
リルは上海のキャバレーで働いていた女性で、リルとはlittleのことで愛称という設定らしいですね。
ところで「ハマのキャバレーに居た」なんて歌詞があるせいか私の中ではリルが港のヨーコと重なってしまいます(^_^;)
【エムズの片割れより】
それぞれ色々な歴史、背景があるのですね。でも歌詞に「キャバレー」という文字があるのは、自分はあまり好きではありませんが・・・
投稿: 片島諒 | 2015年1月31日 (土) 16:23