クラシックの「名盤」とは何だろう?
世に言う「名盤」がどうも自分にフィットしない。
前に「世界の名指揮者ベスト・ランキング2009」(ここ)という記事を書いたときに、自分のクラシック音楽の歴史のようなことを書いた。
そんなことを機に、自分が今までに聞いてきた音楽(持っているCDやLP)を聞き直しているのだが、それに加えて、世に言う「名盤」と言われているものも聞いている。
それがどうも自分にはフィットしないのである。
まずドボルザークの「新世界」。そもそも最初はトスカニーニだった。高校1年(昭和38年)のときに買った。そして大学1年の時にカラヤンのLPを買った。
そして、実は数年前に、名盤と言われているイシュトヴァン・ケルテス/ウィーン・フィル盤を買ってみた。自分の好きなデッカの録音で、1961年の古い録音だが音も良いという評判。
しかし、幾らひいき目で聞いても、自分にはフィットしなかった。冒頭のホルンの出だしから何か違和感・・・。そして音がうるさい。演奏は、何か技巧的でぎこちなく、出て欲しいタイミングで音が出ない・・・。途中で聞くのを止めたいほど・・・。
これはなぜだろう・・・。カラヤンの音楽が体に染み付いるのかな・・・。
ベルリオーズの「幻想交響曲」。これの定番はミュンシュ/パリ管。自分は大学4年の1969年にLPを買っていた。それから買ったのがメータ/ニューヨーク・フィルのCD。これは1982年に「とにかくCDで出ている幻想交響曲を買いたい・・・」と買ったもの。
これも数年前、改めてミュンシュ/パリ管のCDを手に入れて聞いてみた。これもまた自分にはフットしない。定番中の定番なのだが・・・。どうも自分は気難しいようだ・・・
それでピアノ盤などを買って喜んでいる。ちょと聞いてみようか・・・
<リスト編曲「幻想交響曲」第5楽章より>~Idil Biret(pf)
続いて自分にフィットしなかったのが、同じくミュンシュ/パリ管のブラームスの1番。前の記事でも書いたが(ここ)、この曲は、高校3年のときにカラヤン/ウィーン・フィルで始まったので、その後、テンシュテット/ロンドン・フィル、小澤征爾/サイトウキネン、ヴァント/北ドイツと、当時の評論家の評判を読みながら、色々と買ってみたが、結局聞くのはカラヤン/ウィーン・フィルに戻ってしまう。
それでこれまた名盤の誉れ高いミュンシュ/パリ管のCDを手に入れて聞いてみた。バイロイトの第九のように、圧倒的な評判のCDだ。しかしなぜ自分には違和感が残るのだろう・・・。心に沁みてこない・・・。子どもの時に擦り込まれたカラヤンにかなう物は無いようだ。
逆に自分が感動したのは、佐渡裕がベルリン・フィルを振ったショスタコービッチの5番。テレビで見て感激し、CDで聞き直した。自分にとっての名盤である。
ふと昔テレビで見たカラヤン/キーシンのチャイコフスキーのピアノ協奏曲も思い出した。この演奏も良く覚えている。CDでは聞いたことがないので、今度聞いてみることにした。
つまるところ、音楽の解釈は決して人の評価は自分にはあてはまらない、ということ。
名盤とは、ただただ自分にフィットするかどうか・・・。世の美人と、自分が惚れる女性が違うのと同じ、ということだ。まあ当たり前の話なのだが・・・
SONYのHAP-Z1ESに放り込むために、最近色々と聞いているクラシックの話である。
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