日本式カレーライスの歴史
先日の日経にこんな記事があった。
「カレーなぜ変身? 印→英→日、国民食の秘話
「すごくおいしいですね。一体、これはなんという料理ですか?」 インド人に日本のカレーを食べさせると、こんな感想がよく返ってくるという。実際に日本と本場インドのカレーと食べ比べてみると味も形状も大きく違っているためだ。
■日・印で大きく違うカレー
香辛料のよく効いた汁気の多いソースをパサパサした細長いインディカ米や小麦粉を焼いたナンで食べるのがインドの典型的なカレー。これに対して、とろみのあるソースをモチモチしたジャポニカ米にかけて食べるのが日本の典型的なカレー。
両者の大きな違いはカレーの「とろみ」。インドのカレーは汁気が多くてサラサラしているが、日本のカレーは小麦粉を加熱することでとろみを出しているのが特徴。インドではカレーに小麦粉を使うことはほとんどないという。
では、どうして日本のカレーはインドのカレーから大きく変貌を遂げたのだろうか?
取材を進めてみると、その背景に帝国主義や民族の独立運動など世界史のダイナミックなうねりが隠されていることが分かってきた。今回は「国民食」として日本の食生活にすっかり浸透しているカレーの歴史と謎を追いかけてみよう。
■小麦粉で「とろみ」を出したワケ
西洋料理としてカレーが日本に伝来したのは明治初期のこと。 「カレーライスの誕生」(講談社学術文庫)の著者、小菅桂子さんによると、1872年(明治5年)発刊の「西洋料理指南」に当時のカレーのレシピが記載されているという。
口語に要約すると「ネギ、ショウガとニンニクのみじん切りをバターで炒(いた)めて水を加え、エビやカキ、カエルなどを入れて煮て、カレー粉を加えたら1時間さらに煮て、塩で味を調え、水溶き小麦粉を入れる……」。
この時点ですでにカレーにとろみを出すため、水でといた小麦粉を入れていたのだ。小麦粉を加熱するとでんぷんがのり状に変化する。あの独特のとろみはこうして作られていたというわけ。
なぜ日本のカレーは小麦粉でとろみを出すようになったのだろうか?
「西洋料理の影響を受けているからですよ」。業界関係者はこう口をそろえる。
■英国で西洋風煮込み料理に変身
カレーが日本に伝来した歴史を振り返ってみよう。 インドの郷土料理として食べられていたカレーは植民地統治を通じて英国に伝わり、明治期に「文明開化」の1つとして英国経由で日本に伝来した。だから、インドから日本に直接伝わったわけではない。日本のカレーは、西洋風に様々にアレンジされた英国のカレーが基礎になっている。
英国にカレーが伝わったのは1772年ごろ。
英国人ヘイスティング(後に初代ベンガル総督)がカレーの原料と米を持ち帰り、それをもとにカレー粉が発明され、やがてビクトリア女王にも献上されたという。
このカレー粉が発明されたおかげでカレーの調理法は大きく変わる。インドでは毎回、すり鉢などで多数の香辛料を混ぜて調合し、すりつぶしてカレーを作るのが基本だが、カレー粉が発明されたことでこの手間が省け、どこでも手軽にカレーが作れるようになったのだ。
さらに大きな変化はとろみを出すための小麦粉の活用。
■カレー粉・小麦粉・ライスが基本
1861年に出版された「ビートン夫人の家政読本」には、カレー粉の作り方とともに、小麦粉 を使ってカレーにとろみを付ける調理法が多数紹介されている。つまり、英国で普及したカレーは、油脂で小麦粉をいためた「ルー」を使った西洋風煮込み料理にすでに姿を変えていたのだ。
こうして、カレー粉と小麦粉を使ったとろみのある西洋風カレーが英国経由で日本に伝わり、独自の進化を遂げた。だから、日本のカレーは本場インドとは異なる風味や形状になったというわけ。
ちなみに、インドでは大ざっぱに北部ではナン、南部では米とともにカレーが食べられているとされる。英国人ヘイスティングが駐在していたのはベンガル地方。ここはインド北東部ではあるが米でカレーを食べるのが習慣だった。そのため、英国に伝わった時点でカレーとライスがセットになったようだ。
これがそのまま日本のカレーライスの起源になる。
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■本場インドでの日本カレーの評判は?
インドには日本のカレーライスを出す和食レストランもある。いわば、本場インドへのカレーの“逆輸入”だ。筆者がインドに長期出張していた際に立ち寄ったので、その様子を紹介しておこう。 インド最大の経済都市ムンバイのバンドラ地区。繁華街の一角に店を構える和食レストラン「幸福」は日本人駐在員のほかインド人の若者や富裕層にも人気が高い繁盛店だ。
看板メニューは「ジャパニーズ・カレーライス」(550ルピー=980円)。
チキン、ポーク、エビの3種類あるが、店員によると「多い日は1日で20皿近く注文が入るほど。店のメニューでも1、2を争うほど人気が高い」という。ポークはパン粉をまぶして油で揚げてあり、日本の「カツカレー」に相当する。チキンやエビの人気も高い。日本人にはなじみの深いトロリとした食感。米は粘り気のある米を使用しており、ニンジン、ジャガイモ、タマネギが具材として入っている。
果たして、日本のカレーライスは地元のインド人にとってどんな味なのだろうか? 実際にカレーライスを注文した何人かのインド人に尋ねてみると……。
「トロリとしていて西洋のシチューのような風味だね。香辛料の香りはほとんどないし、ライスに粘り気があり、インド料理とはまったく違う。でもすごくおいしい」(40代男性)、「インドでは食事を手で食べるので、米に粘り気があると指にくっついてやや食べにくいかもしれない。でも、フォークやスプーンで食べれば問題ないわ」(30代女性)などの感想が返ってきた。
■スシと並ぶ「クール・ジャパン」?
インド料理とはまったく異なる料理として受け止められているが、反応は悪くないようだ。インドでも大都市では世界的な潮流の和食は大ブーム。「スシなどと並んでクールな食べ物」と受けているらしい。
ビーフカレーやポークカレーは宗教上の理由から食べられない人もいるが、メニューにはチキンカレーやエビカレーもある。どんな具材にも合うので新たな“和食”(クール・ジャパン)として、やがてインドに浸透するかもしれない。
インドで生まれ、英国を経由して独自の発展を遂げた日本のカレーライス――。
帝国主義、植民地統治、独立運動、文明開化……。様々な時代背景を乗り越え、互いに影響を及ぼしあいながら、新たな食文化が生まれてゆく。(編集委員 小林明)」(2014/10/03付「日経新聞」(ここ)より)
この話も自分にとっては「ヘエー」・・・
自分がインド風のカレーを初めて食べたのは、もう20年以上前だと思うが、現役時代の工場の近くに出来たカレー屋さん。カミさんにそこに連れて行かれ、初めてナンでカレーを食べた。それから立川でも、焼き立てのナンで食べた。吉祥寺でもネパールカレーを食べたな・・・
海外で思い出すのが、初めてのカミさんとの海外旅行でタイに行った時、着いた日のホテルの夕食がカレーだった。器にサラサラのカレーと、皿にタイ米。食べ方が良く分からずに困った。
今の会社の近くでも、インド人のカレー屋があるが、あまり行っていない。やはり自宅でカミさんが作るカレーが一番。子どもの頃も、お袋がよく作った。当時はカレールーが無く、小麦粉にカレーの元を入れて作っていたはず。お袋から「何を食べたい?」と聞かれると、決まって「カレーシチュー」「混ぜご飯」と言っていた。何のことはない。当時のカレーシチューとは、カレーの薄いやつだ・・・
そう言えば、「カレーライス」と「ライスカレー」は何が違う?とNetで検索してみると、シェア6割を誇るハウス食品のサイトに、こんな記事があった。
「最近、ライスカレーという言葉はほとんど耳にしなくなりましたが、20年ほど前まではご飯にかかって出てくるのがライスカレーで別々なのがカレーライスだとか、どっちが正しいとか、何かというと話題になったものでした。
時代的にはライスカレーの語が先ですが、それをいつだれが名付けたかということはわかりません。札幌農学校の創設者クラーク博士という説もありますが、彼が来日する以前、1874年(明治6年)には陸軍(幼年生徒隊)の食堂のメニューに「ライスカレー」が登場していますから、クラーク博士ということは違うようです。
たぶん、幕末に日本にやってきたイギリス人から「curry」を教わった日本人が、必ずご飯といっしょに食べるのだからと「ライス」をくっつけたのではないでしょうか。
そして明治の終わりころの陸軍のカレーの作り方には「カレーライス(カレー汁掛飯)」とありますし、料理の本に「ビーフカレーライス」の語も見えますが(確かにビーフライスカレーとかチキンライスカレーと呼ぶことがなかったようですね)、一般的には長くライスカレーが主流だったようです。」(ハウス食品の(ここ)より)
各家庭で様々に姿と味を変えるカレー。もうお袋のカレーの味は忘れた。外食でもうまいと思ったカレーはほとんど無い。うまいのは自宅のカレーだけだが、そのうちにヨメさんの作ったカレーを食べてみたいものである。
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