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2014年10月の26件の記事

2014年10月31日 (金)

運動会で食べる栗!?

先日の日経新聞にこんな記事があった。
人ひとりの重さ 大竹昭子
 東京に住んでいると、島国にいるのを忘れてパリやニューヨークにいるのと同じような感覚で過ごしているが、ヨーロッパ製の世界地図を見るとびっくりする。日本が、ない。いや、よく見ればあるのだが、ユーラシア大陸の端っこにシミのように並んでおり、これが日本かとその地理的現実に唖然(あぜん)となる。
 島国のなかの、さらに小さな人口百人未満の離島を沖縄に訪ね歩いたことがある。人口八十人前後から一家族だけの島まで十一あったが、どこの島でも共通していたのは、人の数が減れば減るほど行政とのつながりが細くなること、その要になっているのが学校だということだった。
 学校があるかないかは島の雰囲気を大きく左右する。それは島に上陸すればたちどころにわかる。学校があれば島の中心が定まっているように感じるが、ないとただ民家がぱらぱらとあるだけで、なんだかとりつく島がないのである。
 学校が開いていれば運動会や学芸会など、行事のたびに島民が集まり、顔を合わせる。校舎で島の寄り合いや慰労会が行われることもある。教育だけでなく、人が集う場としての意味が大きく、学校がそこにあるだけで共同体の姿がくっきりと鮮明になるのがよくわかった。大きな島から少し離れた、三世帯のみが暮らす小島を訪ねたときは、人が少なければさぞや互いに仲がいいだろうと思ったら、大違いだった。わざわざ不便な島に暮らそうというのだから、一家言ある頑固者ばかりで、我関せずと孤高を守っている。共同体の対極を垣間見たようだった。
 学校がなくなるとどうなるか。若い夫婦はいなくなり、住民は高齢化し、郵便局はなくなる。大口のお客さんが学校なので同時に消えるのだが、そうなるとお年寄りは年金をとりにいけなくなる、というように連鎖式に行政から孤立した小さな世界に追い込まれていく。
 ある島では、生徒数がひとりという危機的状況になったとき、島の外から子供を受け入れて窮地を凌(しの)いだ。ひとたび学校が閉じれば再開はむずかしい。ここはひと踏ん張りせねばと、ある家族が子供を島に送るよう親戚を説得し、それ以来、島暮らしを望む子供や養護施設の生徒を預かることがはじまったのだ。
 このように島では人ひとりの存在が重い。島の未来を左右するほどの期待がその人間にかけられる。かたや都会では、人は吹けば飛ぶように軽くはかない。ぎゅう詰めの満員電車や、物が氾濫する大型店や、一斉に歩行者が渡りだすスクランブル交差点などにいると、私なんていなくたってどうってことないや、という虚無感に囚(とら)われることがあるし、実際、ひとりが消えても平然とつづいていくのが都市生活なのである。
 都市にはそこだけで解決できない問題が山積し、一方、離島は島の力ではどうにもならない現実に直面している。物理的な距離を超えたものがふたつの間に横たわっているが、私は二者択一ではなく、二極分解した世界を往復してさまざまな価値観を縫い合わせていくことに、自分自身の生のリアリティーを見いだしている。どちらが欠けても困るのだ。島にいくと、そうか、人はこれだけのもので生きられるのかとわかり、目の前が明るくなる。その感覚を杖(つえ)に東京にもどれば、ブレのない生き方ができそうに思うのだ。
(作家)」(2014/10/29付「日経新聞」夕刊p7より)

この記事を、なるほど・・・と読みながら、小学校の運動会を思い出した。小学校低学年の頃・・・。自分の小学校は、埼玉県北足立郡与野町立上落合小学校だった。昭和30年代初めである。
秋の運動会になると、周辺の家族は皆、校庭にムシロを敷いて見学に繰り出す。そして、高学年の騎馬戦や棒倒しなどで盛り上がる。そして運動会最後の大イベントが「丁目対抗のリレー」だった。
自分は当時の8丁目。この応援の盛り上がりは、今でもよく覚えている。

運動会と言えば、自分の印象は「栗」。このゆで栗は、自分の頭の中では「運動会」と対になっている。昼になると、家族と一緒の会場のムシロで昼を食べる。そこには141031kuri必ずゆで栗があった。
その栗が食べられない。カミさんは栗にはまったく興味がないので、前に自分がスーパーで買って茹でたことがある。ナイフで半分に切り、スプーンで食べる。たまに中にムシがいたりして、その黒い部分を避けて食べる・・・。
これが、評判が悪い。スーパーで買うときも、かなり大量でしか売っていない。前に買った時、さすがに自分だけでは持て余し、会社に持って行ったが、誰も食べない。息子にも会社に持って行かせたが、誰も食べなかったという。つまり誰も、食べ方が分からない??

ゆで栗も、今では死語か・・・?
いや! 何だか元気が出て来たぞ。カミさんから「自分で責任を取って!」と言われようが、今度スーパーに行ったら栗を買うぞ! そして茹でる。そして昔の運動会を思い出しながら(?)食う!!
別に運動会が好きだったワケでもないけど、妙に「栗」が気になる秋である。

141031negoto_2 <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年10月30日 (木)

ヘイトスピーチに思う

先日の日経新聞にこんな記事があった。
ヘイトスピーチ 法規制議論 「表現の自由」あり方問う
 民族的少数者や外国籍市民らマイノリティーに対する差別や憎悪感情を扇る表現、ヘイトスピーチを取り締まるための法規制導入議論が注目を集めている。焦点となる「表現の自由との調整」については、扇動側や憲法学者、規制を求める国際人権派、さらには政府・自民党も主張しており、それぞれの意味と立場が問われる。
 在日韓国・朝鮮人らが特別扱いを受けていると主張する「在日特権を許さない市民の会」(在特会)の朝鮮人学校校門前や在日市民の居住地域での排外主義表現の街宣活動、ネット発信などが内外に波紋を広げたことが導入議論のきっかけだ。国連の人種差別撤廃委員会の8月の日本向け勧告でも政府が対策を求められた。
 これらの街宣活動には威力業務妨害罪や侮辱罪など既存の法規を適用した例があるが、いずれも具体的に被害者が特定できた。問題は不特定多数の集団への憎悪表現で、誰の何が侵害されたのかが不明である場合は刑罰は科されないからだ。
 そこで「集団侮辱罪」規定を新設し、集団への憎悪表現は構成員の利益や権利侵害の危険性があるとして取り締まる考え方が提案されている。
 ただ、抽象的な規定だけに乱用の恐れがぬぐえないとの批判もある。実際の破壊行為などにつながるかどうか分からないのに処罰される破壊活動防止法の扇動罪に違憲論が根強いのと同様で、集団侮辱罪も構成員の受け止め方は一様ではない。
 ヘイトスピーチ規制議論は、民主主義社会の基盤である言論の場に国が介入することから、表現の自由の保障との調整という難題を伴ってきた。導入国でもマイノリティーの側が摘発されるなど、本来の趣旨から逸脱した事例が起きている。
 韓国側の要請を受け自民党も8月下旬、対策検討のプロジェクトチームを設けた。平沢勝栄座長は「許されない行動だが、要は収まればいい。現行法規をもっと活用できないか、洗い出しが先だ」と話す。「新たな統制を導入すれば、在日米軍に対する基地反対住民の批判を憎悪表現として取り締まるようなケースも起こりかねない。警察官がデモの発言を聞いて現場で止めるなんてことはできない」と慎重な検討を強調する。政府が規制を見送ってきた理由も「表現の自由を不当に制限する恐れがあるから」だ。
 これに対し、ヘイトスピーチ問題に詳しい師岡康子弁護士は「この間のヘイトスピーチは、事実上、反論できない立場に置かれたマイノリティーに対し強い精神的苦痛を与えている」と指摘する。さらに「暴力など直接的な危害に及ぶヘイトクライムを誘発し、特定集団の殺害といったジェノサイドにつながりかねない危険な行為。歴史はそれを証明しており、深刻な認識から出発しなければ表現の自由の議論も空回りする」と強調する。
 そのうえで「政府は差別の実態調査とそれに基づき民事事案を対象とした包括的な人種差別撤廃法の導入から始める必要がある。そもそも政府自らが戦後も在日コリアンを差別し、社会全体で放置してきた結果が今のヘイトスピーチまん延の背景だ」と語る。
 西土彰一郎・成城大教授(憲法)は「まず規制対象を政治家ら公人の発言に限定すべきだ。『表現の自由』を差別と向き合わない口実にするような政府では規制の副作用の危険が大きい」とみる。一方、法規制導入の影響はマスメディアにも及ぶ可能性がある。「表現の自由を守るならマイノリティーに寄り添うメディアの報道こそが今、求められている」と指摘する。(編集委員 田原和政)」(2014/10/27付「日経新聞」p38より)

ヘイトスピーチは、日本人として心が痛む活動である。特定民族に対する憎悪表現も、表現の自由で守らなければいけない権利なのだろうか。
確かに、上の記事を読むと、どこかの誰かが、このヘイトスピーチ規制をチャンスとばかりに、幾らでも拡大解釈できる法を作り、国民・世論を縛っていくことも想像に難くない。特に最近の秘密法や集団的自衛権の政府の動きを見ると心配・・・。

それにしても、テレビでヘイトスピーチのデモを見ると、凄まじい。およそ、「話せば分かる」次元を超えているように思える。だから単純に、法で縛ればよいのに・・・と思ったりもしたが、でも難しい・・・。

話は飛ぶが、先日、テレビで映画「ローン・レンジャー」を見た。ロッシーニの「ウイリアム・テル」序曲の音楽に乗って、白馬にまたがるかっこよさ。
でも背景にあるのは、先住民への弾圧だ。

中世の南北アメリカ大陸、アジア諸国、アフリカなど、先進国による侵略・占領は、まさに殺人の連続であり、ヘイトスピーチどころではなかった。今でも、イスラム国が殺人を当然として動いている。
しかし、これらの国と日本とは違う。開国の時に、外人が呼んだという不思議な日本人の微笑み・・・。「ジャパニーズスマイル」・・・

明治9年に来日したフランスの画家のフェリックス・レガメは、日本人の印象をこう述べている。
「日本人の微笑みは無償で与えられるものなのだ。それは全ての礼儀の基本となっていて、どんなに耐え難く悲しい状況であってもほほ笑みを浮かべるのである。」

先日見た「NHKスペシャル カラーでよみがえる東京~不死鳥都市の100年~」でもこの光景を見た。関東大震災の時ですら、皆、水を求めてバケツを持って並ぶときも、不思議な微笑みを浮かべながら整然と待つのが日本人なのである。
そうなのだ。今の日本人にはヘイトスピーチはそぐわない。微笑みの日本人らしくないのだ。
そう感じるのは自分だけだろうか・・・。この活動を止めるため、我々に何が出来るのであろうか・・・。

141030goukaku <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年10月29日 (水)

フリース作曲「モーツァルトの子守歌」

またまたFM放送で、自分にフィットした音源を見付けた。レーゲンスブルク大聖堂少年聖歌隊が歌う「モーツァルトの子守歌」である。

<レーゲンスブルク大聖堂少年聖歌隊の「モーツァルトの子守歌」>

この歌声は、まさに天使の歌声・・・。教会に響き渡るような、実に美しい歌声である。

この「レーゲンスブルク大聖堂少年聖歌隊」について調べてみると、こんなことが分かった。

「通称ドームシュパッツェン(大聖堂の雀たち)。ドイツのレーゲンスブルクにある聖ペーター141029regensburg1 教会直属の合唱団。18歳までいるため低音パート有り。寄宿制。創立976年と世界で最も古い合唱団の一つ。
ウィーン少年合唱隊が15世紀末の誕生であるのに対して、レーゲンスブルクのスズメたちの歴史は、なんと7世紀にさかのぼります。長さにおいてウィーンをしのぐ歴史をもつことで知られるレーゲンスブルクの少年合唱団が歌ったのだと知った上で映画の中の合唱をお聞きになってみてください。レーゲンスブルクの大聖堂に入った気になって歌声を聞けば、映画を2倍楽141029regensburg しめます。『続・菩提樹』の中でトラップ一家が『ウィーンの森の物語』を歌って、ウィーン出身の大富豪夫人を涙ぐませますが、ヨハン・シュトラウスの名作を歌う声が実はレーゲンスブルクの少年たちの声であったとは、愉快です。・・・」(
ここより)

976年というと、日本では平安時代。その時代から続く合唱団だとは・・・

ところで、「モーツァルトの子守歌」の作曲者は、フリースという人だそうだ。
「モーツァルトの子守歌
フリードリッヒ・ヴィルヘルム・ゴッター作詞、ベルンハルト・フリース作曲による歌曲。
長年、モーツァルトが作曲したものとされ、ケッヘル作品番号K.350 がつけられていたが、後年の研究により、モーツァルトと同時代の医師フリース(作曲家としてはアマチュア)の作であることが判明した。ケッヘル番号の訂正が行われたのは、1964年の第6版以降のことである。
しかし、長年の慣習から、この曲は今でも「モーツァルトの子守歌」と呼ばれることが多い。」(
ここより)

FM放送で新たな音楽を探す・・・というポリシーのもと、「レーゲンスブルク大聖堂少年聖歌隊」のCDを、早速手配してしまった。
聞いていて、何とも心地よいフリース作曲の「モーツァルトの子守歌」である。

●メモ:カウント~650万

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2014年10月27日 (月)

「破られているルール」~優先席付近では携帯電話の電源を切る・・・

今朝の「日経新聞」の「春秋」にこんな記事があった。
「必要なら守られねばならない。不要なら廃止されなければならない。規範とはそういうものだ。そんな当たり前が通じない日々は、かなり慣らされてきたとはいえ、居心地が悪い。鉄道などの優先席付近では携帯電話の電源を切る――破られている規範の代表格だろう。
心臓ペースメーカーなどの医療機器に影響する恐れがある。これが規範の大義である。一方には「携帯が原因で機器に重大な事故が起きたとの報告は世界にない」(総務省)という事実がある。もちろん、携帯のせいと気づかぬまま体や機器の変調をやり過ごしているのかもしれない。少なくとも、不安を感じる人はいる。
先に、東京工業大の1年生が「技術者倫理」の授業でこの問題を取り上げたそうだ。学生からいろんな意見が出た。「嫌がる人がいるなら電源は切るべきだ」「車内放送を流し続ける意味はほとんどないと思う」。正解はない。世の中をよくする使命を持つ技術者は難題とどう向き合えばいいか、考えさせる狙いだという。
医療機器と携帯の間が3センチ以内だと影響が出ることがある、15センチ以内なら電源を切るのが望ましい。これが総務省の見解である。わずかな距離でもゼロでない限り規範はなくせない。安全なものをつくる使命は技術者に果たしてもらおう。それまでの間、携帯やスマホをいじくりたければ……優先席には近づかないことだ。」(2014/10/27付「日経新聞」「春秋」より)

これについては、前に「今朝の電車の優先席での事件~心臓ペースメーカーと携帯電話」(ここ)という記事を書いた。
この記事に先日コメントを頂いた(ここ)。東急東横線でも優先席に座って、「携帯を切ってくれ」と大きな声で言うおじいさんがいるそうで、再びこの問題を考えてしまった。

上の記事でも指摘しているように、破られていることが常識のルールは色々ある。優先席付近の携帯の電源を切ることもそうだが、車のスピード違反も同じ。全ての車が、制限速度以上のスピードで流れている。
ではそのルールに意味は無いのか? スピード違反の場合、全員、「制限速度を自分は超えて走っている」という認識はある。結局、それが「何かあったとき」に迅速にブレーキをかける、という“危険に対する心の準備”になっているのだろうと思う。
でもこの携帯の電源のケースは、ちょっと違う。初めから「問題ない」ルールだと皆が思っている。それに満員電車などでは、「優先席付近では電源を切る」という動作はあまりに非現実的。だから誰も守らない。
つまり、このルールは過剰な防衛なのかも知れない。(誰も責任を取りたくないので、ルールを弱めることには二の足を踏むので・・・)

でも、ペースメーカーを入れている人にとっては、「もしも」を心配する人もいるだろうし、その心配に対して、他人がとやかく言うことは出来ない。
怖いのは感情の問題だ・・・。
犬の散歩の時に、誰も通らない山道で、自分は犬のくさりを外してあげるが、前から人が来ると、あわててくさりにつなぐ。「こんな小さな犬なので、大丈夫だよ」と言っても、カミさんが「どんなに小さな犬でも、犬が怖い人はいる」と言うので・・・。心臓ペースメーカーも、まあそれと同じ話だ。

では、自分が心臓ペースメーカーを付けていたら、どうする?
自分だったら、避けるかも知れない。つまり、電車に乗るときも、多少無理をしてでも電車が空いている時間帯だけに乗る、とか・・・。
国民性の問題もあり、難しい“守られないルール”ではある。

141027ikaku <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年10月26日 (日)

「うごめく原発再編」

昨日の日経新聞にこんな記事があった。
「号砲 電力大競争(4)うごめく原発再編
 「むちゃくちゃや。ありえへん」。今夏、政府関係者と非公式に懇談した関西電力首脳はため息をついた。政府関係者が突然、電力各社の原発事業の再編構想を口にしたためだ。
 構想は生木を裂くような内容だった。関係者の話を総合すると(1)電力9社の原発事業を東西2社に集約(2)東日本は原発専業の日本原子力発電を受け皿に(3)西日本は関電が引き受ける――などの枠組みだった。
 東日本大震災から3年余り。電力市場の自由化をにらみ、官主導の原発再編論が浮上している。福島原発事故を受け電力各社は2兆円の安全投資を迫られた。自由化が進むと原発の建設・維持費用を電気料金に上乗せできる制度もなくなる。「事業集約を考える時だ」(経済産業省幹部)
 自由化で先行した米国では政府が原発新設費用を債務保証し、英国も政府公社が廃炉を担う。政府の総合資源エネルギー調査会基本政策分科会委員の寺島実郎(67)は「国策統合会社をつくるべきだ」と踏み込む。
 官民の綱引きには長い歴史がある。原発の黎明(れいめい)期だった1957年。原発国営化を画策した政府に電力業界は猛反発。各社の結束をテコに民主導の運営体制を実現した。
 60年近くたった今、官主導の再編論に電力各社は割れている。「1社じゃできない」。東京電力会長の数土文夫(73)は漏らす。福島原発事故で巨額の損害賠償責任を負った東電は事実上国有化された。トップに就いて半年。東電の経営をつぶさに点検した数土は原発事業が抱えるリスクの重さを実感する。
 だが、原発事業を分離すれば電力経営のかたちは根底から見直しを迫られる。「原発の発電コストはまだ安い」「分離すれば新電力との価格競争で優位を保てなくなる」。百家争鳴に陥った電力業界。関電社長の八木誠(65)は9月の記者会見で「我々が予見性を持って取り組めるよう検討を進めていただきたい」とくぎをさした。
 攻防は政官民が入り乱れる展開になりそうだ。「我が国の方向性を間違わないようにしなければならない」。16日、東京・永田町の自民党本部。今秋発足した原子力政策・需給問題等調査会の初会合で会長に就いた額賀福志郎(70)はこうあいさつした。足元では再稼働などの懸案に追われるが、額賀が再編論に判断を下す時期がいずれ来る。激しい綱引きの予感に電力業界は身構え始めている。」(2014/10/25付「日経新聞」p2より)

自分は大いなる勘違いをしていたようだ。日本の原発の建設は、国が国営を避けて電力会社主導で行われてきたとばかり思っていた。しかし、「原発の黎明期だった1957年。原発国営化を画策した政府に電力業界は猛反発。各社の結束をテコに民主導の運営体制を実現した。」とあるように、電力会社自らが、国の指導のもと、原発の建設を主導してきたらしい。だから、責任能力のあるなしに拘わらず、事故の際は電力会社の無限責任、となっているのか・・・

外国は原発をどのように扱っているのだろう。原発大国のフランスは、株式の上場はしているらしいが、実質は国の会社(EDF)らしい。英国でも1996年に原発の民営化が完了したが、英国原子燃料会社(BNFL)は100%国営企業だという。
暴れん坊の原発を、細かく各電力会社が建設し、保守する日本の体制は、そもそも無理があったのかも知れない。
原発技術者などのリソースの有効活用からも、原発の再編議論は、行うべきかも知れないな・・・、と思いつつ読んだ記事であった。

141026hinan_2 <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年10月25日 (土)

「中国の大問題」丹羽宇一郎著~Uさんの読書ノート

Uさんが送ってくれる「本の紹介」。今回は中国問題である。
中国の反日運動を見るにつけ、感情的に中国を毛嫌いしている自分・・・。毎年のように、カミさんとの海外旅行で、北京、上海、西安を巡っていた頃が懐かしい・・・。
しかしこの本は、冷静に中国との関係を説いている。感情的な自分にハッとする。

Uさんのメールにこうある。
「今回の本の紹介は「中国の大問題」丹羽宇一郎著 PHP新書である。今や、中国は世界一の貿易額をかさに着て、中国は驕りをみせはじめた。日本無しでもやって行けると言わんばかりである。しかし、その内実は様々な難問に直面している。中国を決して侮ってもいけないし、又、過剰にひるむ必要もない。日本の国益のためには、14億人の巨大市場を他国に独り占めさせてはいけない。商社マンとして30年、大使として2年半、政財界のトップとの付き合い、国境近くの人々や少数民族の生活をつぶさに見て来た、元中国大使の迫真のレポートと、本の帯に書かれている。

本書にも書かれているが、今日本の企業は中国から他の東南アジアへ生産拠点や投資を移行させている。その原因は「反日」にあるが、最も経営者がリスクと感じているのが、過剰投資によるバブルの「崩壊」である。本書では、中国は最早世界経済に組み込まれているため、バブルが崩壊したら、色々な方法で中国を支援するはずである。従って、決して中国はバブルが崩壊することは無い。と書かれているが。それは本当だろうか? 小生の直観だが、中國では一党独占である為、比較的世論におもねる必要が無い。従って国営企業や金融機関が破綻しそうになっても、政府が徹底的に支援するであろう。しかも、その財源である政府債務もまだGDPの約半分でしかない。つまりまだ十分余裕があるのである。多分、他の資本主義国家と違い、バブルが起きてもそれが大きく崩壊する事は無いのかも知れない。」

★「中国の大問題」丹羽宇一郎著~Uさんの読書ノートのPDFはここ

送ってくれた要約を読むと、「ヘエー」と思うところ幾つもある。
「2013年度の中国国家予算を見てみると、教育費2兆3000億元、社会保障費1兆4300億元、農林水産関係{食料}1兆3300億元、一般公共事業費1兆4300億元、国防費が7300億元。つまり教育費に国防費の3倍のお金を使っている事になる。中国は意識的に国民の教育レベルを上げようとしている事が判る。」
中国が国防費にかなりお金を遣っていると思っていたが、教育費が断トツとは・・・

「2013年ワシントンにあるシンクタンクが、アメリカと中国に対する好感度調査を39各国で実施した。世界の中国に対する好感度は私達が考える以上に良いのである。日本では中国を「味方」と考える人は5%しかいない。しかしアメリカやヨーロッパは40%~50%、ラテンアメリカやアフリカは60%~70%、それだけ中国が各国に進出し経済支援を行っているからである。しかも18歳~29歳の層が、50歳以上の人に比べて中国に対する好感度が高いのである。若者が中国を好意的に感じているのである。」
確かに中国は、アフリカなどへの支援にかなり力を入れているらしいので・・・

「中国が2013年度予算で、教育費に国防費の3倍のお金を配分している事は既に指摘した。翻って日本はどうであろうか?OECDが、加盟国の大学進学率を調べた統計(2010年)がある。それによると、日本の大學進学率は51%とOECD平均値62%を下回り、加盟国34か国中24位と相当な下位に位置する。トップはオーストラリアの96%、米国は74%、韓国は71%である。中国はOECD加盟国では無ないが、大学進学率は35%と言われている。しかし中国は1990年と2009年との伸長率は29万人から262万人と9倍に増えている。日本はその間、73万人から68万人へと減少している唯一の国である。学校教育費用(公費負担)のGDP比率を比較すると、日本は3.6%と平均値5.4%を大幅に下回って下位グループにある。上位は北欧が占め、米国は5.3%、韓国は4.9%である。又小学校での1クラス当りの児童数もOECD平均費を大幅に下回っており、他の先進国と比べ「教師不足」は明らかである。つまり日本は「教育後進国」と言わざるを得ない。」
日本の大学進学率は高いとばかり思っていたが、意外・・・

「2008年の中国の科学技術研究者は159万人でアメリカの141万人、日本の65万人を抜いて世界トップになった。又科学・工学博士号取得者は、アメリカ3万3千人、中國2万7千人、日本8千人である。中国にはノーベル受賞者が日本より少ないと言われているが、ノーベル賞の対象となる成果は、今から20年から30年も前のものが多く、過去の科学技術力を反映したものと見るべきである。」
人数だけでなく、独創的な発想、という点で、中韓はノーベル賞は無理、という人もいるが・・・

「リーマンショック前(2008年)の企業研修費は2兆8千億円であったが、今や3千5百億円、12%まで激減している。その主な原因は社員の3人に1人が非正規社員だからである。中国と競っていくために、経済界は非正規社員を正規雇用に転換する事を考えるべきである。又雇用が安定しなければ子供を産んで育てることさえできない。日本の現場の強みを失わない為にも非正規社員を減らすべきである。逆に、ホワイトカラーの労働者こそ非正規社員でもいいと私は思っている。」
企業研修は、昔はホントウに盛んだった。会社の運動会や社員旅行が流行らなくなったように、時代のせいだと思っていたが、非正規社員の増が原因とは・・・
雇用が安定しなければ、結婚や子育てが出来ないのは当然・・・

「日本の問題は、そもそも教育を受けて向上しようとする意欲そのものが欠如している。「日本青少年研究所」が2013年に発表したアンケート調査によると、中国は89%の若者が「偉くなりたい」と思っているが、日本はその半分の46%、どうしても偉くなりたい人は9%しかいない。「一生にでかいことに挑戦してみたい」「やりたいことに困難があっても挑戦してみたい」という生き方に日本の若者は総じて関心が無く「平穏な生涯を送りたい」「暮らして行ける収入があればいい。のんびり暮らしたい」という生き方に共感を寄せている。先のアンケートでも「自分の会社や店を作りたい」と思う若者は、日本では26%だったのに対し、中国は74%だった。」
日本で「チャレンジ精神」という言葉は死語になってしまったのか・・・。

「今の日本に欠けているのは「機会の平等」である。階層の固定化が進み収入の高いほど進学率が高く、優秀な学校へ行くというデータがある。本来若者はそうした社会に大いに反発しなければならない。反対なら反対と声をあげるべきでる。「選挙に行っても何も変わらない」と言えば言うほど、何も変わらない。「変わりはしない」という考え方そのものが「変わらない原動力になる」選挙を軽視していると今にしっぺ返しを喰う。自分の意思に反してとんでもない政権が生まれる可能性がある。」
確かに、諦めて選挙を軽視していると、飛んでもない政権が出来てしまうかも・・・。

話は変わるが、先日(10/19)、日本の基準の10倍ものスモッグの中で、北京マラソンが行われ、マスク姿のランナーも目立ったという。
政治や経済は人間の手でどうにかコントロール出来る。しかし、相手が自然となると、それは正直なもので、人間はコントロールが出来ない。
つまり、中国の姿は、見る人の視点で大きく評価が変わるが、自然=歴史から見ると、その評価は正直。今後、中国がどのように変わって行くのか・・・。昔の英国のように、日本も老人化しているので、まだ若い中国の今後を低く見るわけにはいかない。
別の視点での中国の姿、と言う点で、なかなか面白い「中国の大問題」の要約ではあった。

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2014年10月23日 (木)

「愛するあなたにお願いごと」ベスト10

先日の日経新聞に、面白いアンケート記事があった。
「(何でもランキング)「愛するあなたにお願いごと」
 妻は夫に、夫は妻に願うことがある。親しき仲だからこそ、なかなか言えない注文もあるが、互いの胸の内を理解すればいい関係は築ける。ネット調査の「NTTコムリサーチ」を通じ、互いへの気持ちを聞いてみた。
 夫は妻に「いつまでも若々しくいて」ほしい人が圧倒的に多く、台所は妻のテリトリーとみなされやすいのか「冷蔵庫をもっと整理して」という声が続いた。妻は「加齢臭に気をつけて」がトップ。においの問題「スメハラ」は職場に限らない。
 妻の方が願いごとは多い。世代別に見ると20代では「プレゼントして」「記念日を忘れないで」「何でも2人で話し合って決めたい」など恋人のような気分が漂うが、子どもに手がかかる30代では「もっと稼いで」「自分ばかり忙しいと思わないで」の声が高まる。40代になるといびき問題が急浮上するようだ。
 要望は互いの関係と生活に関することに大別される。後者が目立つが、「心の問題を置き去りにして不満は解消されない」と夫婦間の問題相談に当たる「@はあと・くりにっく」代表で臨床心理士の西沢寿樹さんは言う。
 愛情があれば、相手の力になりたいもの。相手が言うことを聞かないときは、聞かない理由がある。反発に応酬せず「相手に寄り添い、理解することが大切」(西沢さん)だ。円満の第一歩は我が身を振り返ることかもしれない。」(2014/10/11付「日経新聞」s1より)

<妻へ>
①いつまでも若々しくいて(2200)
②冷蔵庫をもっと整理して(1210)
③外出時はおしゃれに(1190)
④いつも笑顔でいてほしい(1160)
⑤スキンシップを大事にしてくれたら(1130)
⑥もっと節約に協力して(1020)
⑦ヒステリーを起こさないで(930)
⑧共通の趣味を持てたら(900)
⑨家でぐうたらしているのはやめて(890)
⑩部屋を散らかさないで(850)

<夫へ>
①加齢臭に気をつけて(1950)
②外出時はおしゃれに(1730)
③いつまでも若々しくいて(1590)
④自分の健康をもっと気遣って(1580)
⑤もっと節約に協力して(1340)
⑥軽食ぐらいは作れるようになって(1160)
⑥頼まなくても自分から家事をやって(1160)
⑧何度も同じことを言わせないで(1150)
⑨所構わずおならやげっぷはしないで(1130)
⑩部屋を散らかさないで(1120)

1410231 1410232 1410230

ここまでメモして、バカバカしくなってきた。何?「おならやげっぷはしないで」だって!?
自分の家なんだから、屁ぐらい自由にするだろう。文句があるなら、自分でもやってみろ!!ってんだ。

だいたい自分のことは棚に挙げて、相手に要求するだけの姿勢は良くない。
これでは、家庭内戦争も疑いなし・・・!
何?我が家?
もちろん自由さ!こんな理不尽な要求も無いし、やりたい放題で、毎日が実に快適なのさ・・・(ホント?? うっそ~! トホホ・・・)

141023tottekoi <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年10月22日 (水)

学芸会の「議会」は必要??

今日のテレビニュースでも、またまた議員の不祥事の話が流れていた。
参院外交防衛委:政府想定問答読む片山さつき委員長問題に
 参院外交防衛委員会の片山さつき委員長(自民党)が21日の委員会審議中に、政府側が閣僚らの答弁用に用意した答弁資料(想定問答)を読んでいたことが問題となり、審議が中断し散会となった。野党は「委員長の公平中立性が疑われる」と反発しており、与党内からも片山氏の辞任論が出ている。
 片山氏は16日と21日の委員会で、事前に政府側に外務・防衛両省と内閣官房の想定問答を要求し、与野党議員の質疑にあわせて読んでいた。片山氏が自民党参院幹部に認めた。
 自民党の吉田博美参院国対委員長が民主党の榛葉賀津也参院国対委員長に謝罪したが、榛葉氏は「三権分立のはずなのに、立法府の委員長が行政府の答弁書を事前に入手したのは前代未聞で、たるんでいる」と受け入れなかった。」(「
毎日新聞」2014年10月21日(ここ)より)

天下の国会と言えども、発言者は予定原稿を読み、委員長も、発言者が読む原稿を手に、“議論”の調子を取る。まさに出来レースであり、下の記事で片山氏が言うところの「学芸会」だ。県議会はもっとひどいらしい。

先日の朝日新聞にこんな記事があった。
不祥事うむ「内向き」議会
 「号泣」会見の兵庫県議会、セクハラやじの東京都議会―。都道府県議会で不祥事が止まらない。議員個人の資質が問われる一方、問題の根底には、住民から遠く、役所や業界に近いという、議会の「内向き」な体質が見え隠れする。

働かなかった自浄作用
兵庫県

 「現職は全員あかんな」
 9月、兵庫県議会で民主党系会派に属する越田謙治郎議員(37)は、事務所に電話をかけてきた住民にそう言われた。7月、野々村竜太郎・元県議らの政務活動費の不透明な支出が相次いで明るみに出た。議会事務局には苦情の電話が殺到し、矛先は県議会全体に向いた。
 政活費のルール改正を余儀なくされた県議会は、使った分を精算する「後払い」に変えた。交付額は1割削減した。「何十万円もの立て替えは難しい」「足りない」という恨み節も聞こえる。ある県議は「個人の資質の問題なのに、議会全体が批判されるのはおかしい」。だが、10月10日、過去の政活費を点検した県議会の検討会は、現職24人が計約500万円の不適切な支出をしていたと明らかにした。
 これまでも政活費の報告書は議長に提出され、不審な点があれば調査もできた。しかし、長い間「自浄作用」は働かなかった。越田氏は「議長だけでなく、自分にもできることがあったかもしれない」と悔しがる。
  「『県議は必要なのか』という厳しい意見もある」と梶谷忠惨・県議会議長はいう。「県政への住民の関心の低さ」が、「議員の緊張感を薄れさせ、問題を起こす要因の一つになっている面はあるかもしれない」。
 越田氏は8年間務めた同県川西市議時代、議会で市に意見すれば、住民から「がんばれ」と励まされた。県議会の議場は地元から電車で約1時間かかり、傍聴に来る住民は少ない。県政を知ってもらおうと、毎月、地元住民と昼食会を開くが、「県議に何をゆうていいか、わからへん」と言われた。
 政活費のルールを変えるための条例改正案が可決された9月22日、越田氏の会派の県議5人が集まった。県議会改革について前向きに話し合った。ところが、議員が地域に出向き住民と対話する「議会報告会」に話が及ぶと、「そもそも、住民はそんなものを求めているのか」と開催に慎重な意見が多かった。
 越田氏は言う。「野々村さんの問題で、議会が注目されている今だからこそ、県議一人ひとりが、一歩踏み込んだ活動をしなければならない。住民が政治に参加しなくなれば、県庁や業界相手の『内向き』な議会になってしまう」

質問は県職員が「作文」
  山梨県

 定数38(欠員2)の山梨県議会。「本会議の質問を常に自分で書く議員は10人ぐらい」。ある県職員が明かす。県職員が「作文」するというのだ。そうした議員は質問したい内容を県職員に伝え、用意された「作文」に手を加えるだけという。
 ある県議は「県政について県議よりも詳しい担当課が質問を作ることで、県の答弁も深まり、議論が意味のあるものになる」と意に介さない。
 県にとっては、「こちらが書くことで、議会をコントロールできる」(県職員)。開会前になると、県の担当者が県議のもとに「質問取り」に行く。県がアピールしたい事業を質問してくれるよう県議に頼む「タマ出し」も欠かせない。
 力のある県議には、実績になるような質問を持ちかけて「花を持たせ」たり、質問を「それなりのところ」で収めてもらったり。「本会議の質問は『壮大な茶番劇』」と話す県職員までいる。

鳥取県はガチンコ
 旧自治官僚で鳥取県知事を1999~2007年に務めた片山善博・慶応大教授は、「全国、こんな議会だらけ」と指摘する。知事に就任すると、あらかじめ議員が了承した議案ばかりが提出され、準備した原稿を読み上げるだけだった県議会を「学芸会」と痛罵し、事前の根回しや、質問と答弁のすりあわせを廃止した。
 県議たちは反発した。就任した99年の9月議会。ある県議から「失礼でありますが、すべてをぶっつけ本番での質疑応答では、いくら博識多才な片山知事でも的確な答弁もできず、非効率な状態となるはず」と問われた。片山氏は「答弁する側」の問題としたうえで、「書いてもらったものを読むだけでは、真の議会での議論にならない」と応酬した。
 「ガチンコ議会」で議論は活性化した。議場での公の議論を徹底し、議案を通してもらうための根回しをしない片山氏に議会側が対抗する方法は、公の議論しかなかった。その結果、一部の支援者や業界の要望を通そうとしがちだった議員の姿勢が変わったという。
 「それまでは、たとえば『だれそれを県営住宅に入れろ』と言っていたのが、『県営住宅の不足問題』という県全体の普遍的な問題として解決を目指すようになった」
 議員が現場に出向き、住民の意見に耳を傾けるようになった。議案の問題点を次々と指摘され、県側が修正に応じたこともある。片山氏は言う。「県民全体の視点で議論する『県民向き』の議会になった」
 鳥取県議会事務局によると、現在も議員は自ら質問を作り、県は概要しか聞き取らない。提示された質問を突き返したり、答弁の内容を教えたりは「絶対にしない」。担当者は「真剣勝負で議会と県が高め合う関係が続いている」という。(田中聡子、編集委員・東野良和)」(2014/10/12付「朝日新聞」p28(首都圏)より)

今回の国会もあきれるが、世界に日本の恥をさらした兵庫県議会や都議会は歴史に残る大失態。
国会は政権の手足に成り下がっており、どうしようもない状態だが、まだ市議会は陳情や広報などで存在感はある。しれにしても、県議会の何と存在感の無いこと・・・
何をやっているのか、皆目分からない。分かるのは新聞沙汰になる不祥事だけ・・・
その背景の一部が、この上の記事で分かったような気がした。住民も、県議会を相手にせず、県会議員も、県民から相手にされていないことを意に介さない。
これでは「県議会不要論」が出てもおかしくない。

国会議員や、地域の市会議員の名前は、選挙になると、名前を思い出す。しかし都議会議員は全く知らない。選挙に行ったかどうかも覚えていない。
でも都県議会のために、多くの税金が遣われていることも事実。しかしその活動が、こんなものだと、「県議会は要らない」と言いたくもなる。

しかし肝心なのは、我々住民の都県議会に対する問題意識。その為には、「何をやっているの?」と少し勉強せねば・・・。でもネ・・・。

141022ijime <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年10月21日 (火)

「CT普及率、日本の高さ突出」

先日、こんな記事を見付けた。
「(ニュースな科学)CT普及率、日本の高さ突出
 人間の体の内部を診るコンピューター断層撮影装置(CT)や磁気共鳴画像装置(MRI)は1台数千万円から数億円と高価だ。経済協力開発機構(OECD)が毎年発表している「OECDヘルススタティスティクス2014」によると、日本はCTやMRIの普及率が突出して高い。
141021ct  11年時点の人口100万人当たりの設置台数は日本はCTが101台、MRIが47台ある。いずれも、OECD加盟国のうち調査できた30カ国の平均の4倍近い。2番目に多い米国の13年時点を大きく上回る。人間ドックでCTやMRIを使う検査が定着し、病気の精密検査で保険が適用されることが導入を後押ししている。メーカー間の販売競争が激しいことも大きい。
 CTやMRIを使えば、脳疾患や微小ながんなどを見つけやすい。OECDは日本のがん生存率の高さのひとつの要因と分析している一方で、国内のがん死亡者数が年々増えており、効果ははっきりしない。
 一方で、高額な導入費用を賄うため過剰診療を招き、医療費高騰につながっているとの声は多い。CTはエックス線を使うため被曝(ひばく)のおそれがある。必要性やメリット、デメリットを考える必要がありそうだ。」(2014/10/17付「日経新聞」p35より)

上のグラフを見ると、MRIはともかく、日本のCTの普及率は異常。よく言われるように、病院は、その設備費を償却するために、何でもCTを撮りたがる。結果、患者がその被爆でダメージ・・・
CTによる被曝量は、「単純エックス線による被曝線量は、胸部撮影で0.05~0.1mGyだ。一方、胸部CTは10mGyと一気に100倍以上に増える。腹部CTで約200倍、頭部CTになると、800~1500倍にもなる。被曝線量が200mGyを超えると、将来的にがんや遺伝子に影響を及ぼすリスクが生じるとされている。(ここより)」という。

先日、カミさんがCT検査を受けたが、確かに、一目瞭然で体の状態が分かる。その効果は絶大。しかし、安易に使われてはいないかが少し心配・・・。つまり、被爆を考えての「患者の視点」でCT検査を行っているか・・・

何の病気でもそうだが、明確に病名が分かるような症状は別にすると、Netで自由に検索が出来る昨今、「ガンの確率が6~7割」などとNetに書いてあるとドキッとする。それでCT検査をして、医師から「問題ありませんね」と言われるとホッとする。
人間はわがままなもので、その言葉を聞いてから被爆の心配が始まる。「な~んだ。ガンでないのならCT検査など不要だったのではないか・・・」と。
検査をする段階では、被爆のことより、自分の病名の方が心配で、何も考えずにCTを受けてしまう。医者も、被爆のデメリットよりも、ガンなどの重要な病気を見付けることを優先してしまう。これは仕方のないこと・・・。

でもこれからの時代、「CTを受けますか?」と、患者に判断させる病院の姿勢も必要かも知れない。「CT検査を受けると、これこれが分かるが、もし被爆が心配なら、まず超音波検査をして、その結果が悪ければ、CT検査に進みましょう」ナ~ンテ、甘いかな・・・

でも自分の場合、何かの症状が出た場合は、「被爆が心配なのでCTは止めてくれ」と果たして言えるか・・・。「何とかMRIでやってくれ」と言えるか?
たぶん「はっきり分かるな、何でもやってくれ」と言いそうな・・・。
医療先進国の、贅沢な悩みではある。

14121koureika <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年10月20日 (月)

大学の実力~科研費採択・文科省が過去5年の分野別ベスト10を公表

今朝の新聞にこんな記事があった。
地方大、トンがる力で科研費獲得 長崎大の寄生虫学など
 文部科学省は10日、独創性や先駆性のある研究に出す科学研究費補助金(科研費)について、全351の研究分野ごとに5年分の採択件数トップ10の研究機関を初めて公表した。文科省は、大学の実力を知ってもらう新たな指標にしたいという。特定分野で強みを見せる地方大学があり、そこに生き残りをかけようとしている実態がうかがえる。
 ランキングは2010~14年度(9月現在)の科研費の新規採択件数の合計で出した。14年度は約10万件の新規応募のうち約2万6千件を採択、配分額は継続を含め約1644億円。
141020asahi  科研費全体では東京大、京都大、大阪大などが上位に並ぶ。だが、研究分野ごとの採択件数をみると地方大学の健闘ぶりもわかる。
 例えば、「寄生虫学」は長崎大が他を大きく引き離して1位だ。熱帯医学研究所があり、寄生虫を原因とする感染症などの研究をしている。
 「デバイス関連化学」の1位は山形大。電圧をかけると自ら発光する有機ELなどに特化した研究機関があり、実用化にも力を入れている。「建築史・意匠」では、海外から有力研究者を招いている京都工芸繊維大が3位。「科学教育」では、手厚い学生支援で知られる私立の金沢工業大が3位に入った。
 有名大の意外な一面も見える。一橋大は、伝統の「商学」でトップ10に届かなかった。東京大は法学系7分野のうち1位が「国際法学」だけ。北海道大が法学系4分野で1位だった。
 国立大学は独立法人化した04年以降、外部から研究資金を得ることが不可欠になっており、私立大学も状況は似ている。文科省の研究費はほとんどの分野が対象のため、各大学が競って応募している。
 文科省学術研究助成課の合田哲雄課長は「ランキングは大学の研究力を端的に示すデータになった。大学を選ぶ若い人たちも参考にして欲しい」と話す。ランキングなどは文科省のホームページで見られる。(野瀬輝彦)」(
2014/10/20付「朝日新聞」(ここ)より)

そして、日経にはもう少し詳しく・・・
科研費採択 過去5年の分野別ベスト10公表 私大・地方大が健闘 上位の旧帝大を追う
 文部科学省が、過去5年間の科学研究費補助金(科研費)の新規採択状況について、分野別ベスト10をまとめた。東京大学や京都大学など旧帝大が強さを見せる一方で、地方大学や私立大学が頑張りをみせ、伝統校といえども盤石ではない現実も見えてきた。

獲得状況 研究力の指標に
 科研費は人文社会科学から自然科学まで全分野の学術研究を支援する補助金。2014141020nikkei 年度は10万462件の応募があり、2万6714件が新規採択された。大学や研究所などの研究者が誰でも応募できる唯一の競争的資金で、採択状況が大学や研究者の研究力を測る指標になっている。
 これまで文科省は、年度ごとに機関(大学・研究所)別の採択件数と補助金額を公表してきたが、14年度からは、さらに補助対象351研究分野ごとに過去5年間の機関別採択件数もまとめ、個々の大学の強みが一目でわかるようにした。
 それによると、いずれかの分野で採択件数がベスト10に入った機関は、国立大84、公立大37、私立大139、研究所102の計362。分野別採択件数が1位になったことがあるのは、国立大35、公立大7、私立大8、研究所28の計78だった。採択件数1位は、国立大が45%で最も多いが、ベスト10でみれば私立大が38%を占め、学術研究全体の層を厚くしている。
 分野ごとに採択件数1位機関をみると、東京大が85分野を制して他を圧倒。これに、京都大(49分野)、東北大(40分野)、大阪大(33分野)、北海道大(14分野)、九州大(11分野)の旧帝大勢が続く。
 私立では早稲田大が10分野でトップに立ち、7位に入った。ライバルの慶応義塾大は4分野トップで13位、立命館大が3分野で17位だった。立命館大は兄弟校の立命館アジア太平洋大と共に、文科省のスーパーグローバル大学に選ばれるなど、研究大学としての力を着実に蓄えている。
 14年度採択結果で、女性研究者の採択率1位はお茶の水女子大(58.3%)で、以下、奈良女子大(41.9%)、県立広島大(41.0%)、東京女子医科大(39.9%)と女子大や女子大が前身の大学が続く。東京外国語大、順天堂大、東洋大、杏林大も30%を超えた。

分野別にみると…伝統校、意外な弱点も
 過去5年間の分野別採択状況からは、大学の強みや弱点が見えてくる。
141020nikkei1  東京大は85の研究分野で採択件数1位となり、2位の京都大(49分野)に大差を付けた。351研究分野のうち、263分野で上位1~5位に入ったが、6~10位と11位以下がともに44分野あった。東大といえども、苦手分野は少なくない。
 法学部の関連分野では“異変”が起きた。関連9分野のうち、東大が1位だったのは基礎法学、国際法学、国際関係論の3分野だけ。北海道大が4分野で1位になり(基礎法学は東大と同数1位)、早稲田大も2分野、九州大が1分野を制した。科研費実績で見る限り、東大法学部は圧倒的な存在とは言い難い。
141020nikkei2  スーパーグローバル大学から漏れた一橋大は、いまひとつ元気がない。経済学・商学・社会学関連の11分野のうち、1位は財政・公共経済のみ。ベスト3入りは4分野にとどまり、商学はベスト10の圏外。法学関連9分野でベスト10入りしたのは3分野だけだ。
 私立では、早稲田大が、教育工学、日本文学、中国文学、日本語教育、外国語教育、民事法学、政治学、金融・ファイナンス、商学、教育心理学の10分野でトップだった。慶応義塾大が1位だったのは、呼吸器外科学、産婦人科学、眼科学、形成外科学の4分野。早稲田大は人文社会学系で強さをみせ、慶応大は医学系で気を吐いた。
 日本文学ベスト5は、早稲田大、国文学研究資料館、立命館大、明治大、東大で、私立が健闘した。科学教育では、東京学芸大、広島大に続いて、金沢工業大と京都教育大が同数3位。教育系大学と肩を並べる健闘は、学部教育に力を入れる金沢工大らしい。
 長崎大は寄生虫学、感染症内科学、病態科学系歯学・歯科放射線学の3分野で1位を獲得。山形大はデバイス関連化学、静岡県立大は食生活学、高知県立大は高齢看護学、北陸先端科学技術大学院大はエンタテインメント・ゲーム情報学で、それぞれ1位になり、得意分野で個性を磨く地方大学の意地を見せた。
 科研費の採択状況は、大学評価の一指標でしかない。件数の多寡は組織規模にも左右される。それでも、過去5年間のデータからは、大学の生の姿が浮かび上がる。大学が改革を進める貴重な資料になり、大学間の競争も刺激されるだろう。自分が学びたい分野で強い大学はどこかがわかるので、受験生の大学選びにも役立つ。
 さらなる情報公開に期待したい。(編集委員 横山晋一郎)」(2014/10/20付「日経新聞」p22より)

この順位は、真の大学の研究の実力を示すデータとして面白い。何しろ、見ようによっては、国の研究予算1600億円のぶんどり合戦だ。
しかし、これらの記事や順位を見ると、今までの既成概念が打ち砕かれる。一橋を筆頭に、老舗大学が必ずしもトップにランクされているワケではないことが分かる。それは東大141020nikkei1_2 も同じで、何となく、東大が全ての分野でトップランクにいるのは当然・・・と思っていたが、どっこい・・・
それに引き替え、地方の国立大学や、特色のある私大の健闘が目に付く。これらは、“生き残り”に対する熱意・執念が都会の老舗大学とは大きく違うのだろう。
総花的でなく、“ここだけは負けない”というポイントを絞った戦略。なるほど・・・

このようなデータが公表されると、高校生が、もし自分の進みたい分野が絞られている場合は、どの大学が自分の目指す分野に強いかが分かり、有効な指標となり得る。
とりあえず、有名な大学に入って、それからのことは入ってから考える、という安易な大学選びが減ってくる!?
高校生も、そこまで考えて大学選びをしたいものだが、まあ選ぶのが大学側なので、そううまくは運ばないか??
自分の出身大学名を探し出し、「***(←内緒)」と思う大学のランキングではある。

141020kusyami <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年10月19日 (日)

壊れかけたBSアンテナを交換した話

今日も、自分用のメモ。BSアンテナを交換した。(何か、変化があった時にはここにメモしておくので、それがいつだったか、後で直ぐに分かる・・・)

我が家のBSアンテナ。前回交換したのが、2010年3月14日のことだった(ここ)。
ここにも書いてあるが、我が家の初代の東芝製BSアンテナは、何と22年も動いていた。しかもそれを、まだ壊れていないのに4年前に交換した。
しかし、今回は4年半で壊れた・・・

異常に気付いたのは、ひと月ほど前だったか・・・。居間のTVで、いつも7:30からのBSで放送される朝ドラを録画しており、朝食を食べながらそれを見るのだが、時たま動きの激しいP10002181 部分にモザイクが出る。それがたまに・・・なのだ。自室のTVではそんな経験はない。何度か繰り返しているうちに、居間のテレビは、買って間もないので、メーカーに見て貰おうと電話して、三菱のサービスに来てもらった。現象を見て、これはひどい・・・と。「録画のチューナーかも知れない。地上波では現象はでない?」「他では、気が付かない」・・・
現象を切り分けるため、居間のテレビと一緒に置いてあるブルーレイのレコーダにも同時刻の番組を録画して様子を見ることにした。
数日後、カミさんが「また出た」という。いつもの現象で、時々、動く部分にブロックノイズ。しかし、一緒に録画したブルーレイレコーダを見てビックリ。同じシーンで、同じような現象が録画されていた。ガーン・・・。原因はテレビではなかった。BSアンテナだったのだ!
そして2階の自室にあるテレビでも、同じ番組を録画しておいたので、これで確認しても同じように出ている。・・・ということは、原因は、BSのアンテナケーブルの、分配器の分岐前だ。
直ぐに三菱のサービスに電話して、事情を話して、部品交換のキャンセルを頼む。

このような現象は、ケーブルの接触不良でよく起こる。よって、分配器につながっているケーブルの接続をやり直した。これでも出れば、原因はそれ以前のアンテナ部、ということになる。
ところが、数日後、これでも現象が出た。すると、アンテナのブースターにつながっているコネクタか? これも接続をやり直す。しかしこれでも現象は出た。・・・ということは、アンテナ自体の問題。順に追っていった結果が、アンテナ本体にまでさかのぼってしまった。
ふと思った。ブロックノイズが発生する時間帯が、朝7時半のBSの朝ドラだけなのだ。ということは、直射日光による温度の問題? Netで、発生した日の天気を調べてみると、やはり晴れの日が多い。分かった!!朝、ブースターに直射日光が当たって、温度が上昇する時に現象が出るのだろう。
そして再現実験。BSアンテナのブースター部分に、ドライヤーで熱風を吹き付けた。案の定、画面が時々黒く飛ぶ。録画した画面も、時々スキップしてしまう。これだ・・・。

さて、アンテナを買い換えなければ・・・。前に買った東芝の「BS・110度CSデジタルハイビジョンアンテナ 取付け金具キット付き BCA-453K」は今でも売っており、Amazonで見ると、たったの4740円。アンテナ本体だけのBCA-453は4680円。ベランダ取り付け金具や、15mのケーブルが付いているBCA-453Kとの金額の差が、たった60円・・・。あまりに安価過ぎる・・・。この製品は、非常に売れているらしいので、こんな低価格になっているのだろう。でもたった4年半で壊れた同じ製品を買うのもしゃくにさわる。
それでアンテナメーカーの製品を探すと、マスプロ電工の「BS・110℃CSアンテナ 110℃CS右旋円偏波用 BC45R」というのが4350円で安い。結局これを買うことにした。

P10002201 今日の交換は、今まで26年間使っていたベランダの隅のポールが錆びているので、これを外し、前に買ったBCA-453Kに付いていた取り付け金具を使い、ケーブルも同じくこれに付いていたものと交換した。錆びたポールを外すのに一苦労したが、ケーブルも設置26年を経て、ゴワゴワに堅くなっていた。
交換した結果は、レベルが1ポイント上昇した。やれやれである。

機械の故障については、自分は結構詳しいと思っていた。しかし今回は抜かった。切り分けが出来なかった。現象が、朝の7時半からの録画番組だけ、という現象に、てっきりテレビだと思い込んだ。しかし、キチンと切り分ければ、ブロックノイズが出るのは、地上波はOKで、BSだけ。どのテレビの録画でも同様に出る。ということをつかめば、原因はアンテナだとすぐに分かったはず。抜かった・・・

今回の故障は、壊れかかり・・・。現役時代、機器の不具合現象を顕在化させるために、ヒートショックをよくやった。ドライヤーで基板を暖めたり、瞬間冷却剤で急激に冷やしたり・・・。すると弱い部分が悲鳴を上げて現象が出る。今回の例も同じだった。

今回のアンテナは、専門メーカーのそれなりの製品なので、10年は持って欲しいが、あまりに安い製品価格から見ると、そんなに持たないのかも知れない。
とにかく、持っている機能(BSアンテナ)とその価格に、時代の進化を思い知らされた。

(関連記事)
BSアンテナの交換

141019danboru <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年10月18日 (土)

「すき家のワンオペを批判するなら、牛丼にも深夜料金を払うべきだ」(榊 裕葵・社会保険労務士)

表題のような記事を見付けた。読んでみて、なるほど・・・と思った。順を追って読んでみよう。
すき家「2店でまだワンオペ」市民団体が調査 会社側は否定
(withnews 2014年10月15日(水)21時20分配信)
141018sukiya1  牛丼チェーン「すき家」が、過重労働と指摘されていた従業員1人による深夜営業「ワンオペ」を今月から中止したのを受けて、全国の店舗を調べた市民団体が15日、「2店でワンオペをしていた」と発表した。ただ、すき家を運営するゼンショーホールディングスは否定している。
7都道府県83店訪ねて調査
 調査したのは、弁護士らでつくる「ブラック企業対策プロジェクト」。11日午前1~5時、メンバーや賛同者が東京や大阪など7都道府県の83店を訪ね、ワンオペかどうかを従業員に聞きとった。結果はホームページでも公開している。
2店が「ワンオペ」と回答
 調査に対し、都内の2店が「いまでもワンオペを実施している」と答えた。すき家は今月から深夜(午前0時~5時)のワンオペをやめ、人手が確保できない店舗の深夜営業を中止すると発表している。
 団体事務局の今岡直之さんは、「ワンオペをなくすと約束したのに、いまだに改善されていない。自主的な調査を求めていきたい」。今後は同業他社やコンビニにも調査を広げたいという。
 これに対し、ゼンショーの広報は「どう調査したのかはわからないが、指摘の2店は複数で勤務していたと確認している」と反論している。
目立つ外国人 「日本語ほとんど話せない人も
 調査で新たな問題点も見えてきた。ある従業員は「深夜のワンオペは解消されたが、2人勤務の確保は午前6時まで。メニューが煩雑で、客も多い朝食時間帯はワンオペになる」。他店の従業員も「(深夜帯前の)午後10~11時はワンオペだ」と話す。
 外国人従業員の姿も目立った。14店を回った都内東部では、ほぼすべての店舗に外国人がおり、2人とも外国人の店舗も2店あった。ある従業員は「ほとんど日本語を話せない人もいる。接客ができず、2人勤務になっても楽にはなっていない」。従業員が女性だけの店もあった。
一種の洗脳?過酷なブラックバイト
 こうした過酷な労働を、中京大学の大内裕和教授(教育社会学)は「ブラックバイト」と呼ぶ。「いまの若者たちは、厳しい経済状況の中で育ってきた。ワンオペのような働き方も当然のことのように受け入れてしまう。一種の洗脳だ」と指摘する。」(
ここより)

この動きに対し、社会保険労務士の榊 裕葵氏はこう論じている。
すき家のワンオペを批判するなら、牛丼にも深夜料金を払うべきだ。(榊 裕葵 社会保険労務士)

141018sukiya2 先日、ヤフー!ニュースで「すき家『2店でまだワンオペ』市民団体が調査 会社側は否定」という記事が報じられていた。ヤフートップに掲載されていたので目にした人も多いと思う(withnews 2014年10月15日付配信)。
すき家のワンオペ率は0.2%
私がその記事を読んで感じたのは、特定の負の側面を強調したブラック企業批判は、そろそろやめにすべきではないかということだ。
まず、私が違和感を持ったのは、今回の市民団体の調査でワンオペが2店舗あったのを発見した話を、まるで鬼の首を取ったかのようにアピールしていたことだ。
すき家がホームページで公開しているIR情報によると、全国にすき家は約2000店舗ある。そのうちの2店なのだから、数学的に冷静に考えると、ワンオペ率は僅か0.1%である。もちろん、「0」が望ましい姿であるが、この0.1%という数字に対しても「まだワンオペをやっているのか?」と上から目線で責めるのは、少々言葉がきついのではないだろうかということだ。
7月末にすき家が公表した第三者委員会のレポートでは、当時のワンオペ率までは記載されていなかったが、文章による説明では……
「すき家においては、予測売上額に応じて投入可能な労働時間が決定されるため、売上が小さいと見込まれる時間帯は必然的に一人勤務体制(ワンオペ)となる (平成26年7月31日 第三者委員会報告書)」
ということであったので、そこから考えると、多くの店舗でワンオペが行われていたことが推測される。そうであるならば、今回全店を調査したわけではないにせよ、全国2000店もあるうち、ワンオペが2店舗しか見つからなかったというのは、むしろ、会社の改善への取り組み姿勢を評価すべき場面なのではないだろうか。
たった1日の調査では評価できないはず
それに、会社側は、ワンオペを指摘された2店舗についても、ワンオペはしていないはずと反論している。急な欠勤や有給休暇の取得などで、結果的にワンオペになってしまったという可能性もある。確率的には起こりうることであろう。
半月とか1ヶ月観察して、多くの日にワンオペが行われていたならば、確かに指摘をすべきである。だが、市民団体が行った調査は、1日だけとのことだ。それで、その日にたまたま1人しかいなかったからワンオペと決め付けてしまうのは、断定的すぎるのではないだろうかと私は思ったのだ。
店員に外国人がいるのはいけないことなのか?
また、市民団体の指摘には、店舗には外国人が目立つという内容もあった。
ほとんど日本語が話せない人が2人ペアというのは問題であるが、それ以外の状況において、何が問題なのだろうか。
日本人だって、欧米に留学したら現地のレストランなどでアルバイトをすることは珍しくない。日本人の英語やフランス語もネイティブほど流暢ではないであろう。つまり、お互い様ということである。
確かに、外国人の店員の方が注文を聞き返したり、ゆっくり注文内容を伝えたりしたりしなければならない場面もあろう。1泊5万円もする高級ホテルでそれは困るが、街中の飲食店では、許容してあげるくらいの気持ちは必要なのではないだろうか。自分が逆の立場だったときのことを想像してみれば分かるはずだ。
それに、外国人の店員の方には、母国を離れて日本に来て、大変な仕事をしてくれているということに感謝しなければならないと私は思う。「外国人だからダメだ」と批判するのは、むしろ彼ら彼女らに対して失礼に当たるのではないだろうか。
牛丼屋は深夜のコストを消費者に転換していない
私は、すき家にワンオペやその他の待遇を含め、これ以上の改善を求めるのならば、私たち消費者が「1円でも安く」という態度を変えなければならないと思っている。
皆様にお尋ねしたいが、深夜に、すき家に牛丼を食べに行って、昼間より値段が高かったことはあるだろうか。私はそのような経験はない。
深夜にタクシーに乗れば割増運賃になるし、ロイヤルホストやリンガーハットなどファミレス系のチェーン店でも深夜割増料金を設定している場合が多い。
その根拠は、人件費である。労働基準法では深夜割増賃金として、午後10時から午前5時の労働に対し、25%以上の割増賃金の支払を要求している。深夜に店を開けるということは、それだけで人件費が大幅にアップするということなのだ。
にもかかわらず、すき家は(他の牛丼チェーン店も同様)、深夜でも通常の時間帯と同じ料金でメニューを提供してきた。これは、立派な経営努力と言えるのではないだろうか。
まとめ
市民団体が、0.1%でも許さないという姿勢でワンオペを責めるならば、消費者サイドに対しても、「牛丼に深夜料金を払いましょうキャンペーン」を並行して行うべきである。消費者が安いものを求めすぎるから、2人配置するだけの人件費を確保できないという側面もあるのだ。
すき家は上場企業であるから財務諸表も見ることができるが、売上高純利益率は数%台で推移しており(2014年3月期はわずか0.2%)、人件費をケチって経営者や株主が暴利を得ているわけでは決してないことも確認できる。そのような収益状況の中、難しい経営の舵取りをして、深夜料金も設定せず、ワンオペを解消しようとしているのだから、すき家の努力は評価すべきものなのではないだろうか。
私たちにとっても、ワンコイン程度の料金で24時間いつでも食事ができるというのは大変素晴らしいことである。ブラック企業批判の風潮に流されて、何となくすき家を責めるのではなく、会社の経営努力の姿勢や、私たちがいかに恩恵をうけているかという側面も、再考すべきではないだろうか。
あおいヒューマンリソースコンサルティング代表 特定社会保険労務士・CFP 榊 裕葵」(
ここより)

上記の0.2%という計算は少々疑問。83店舗を訪ねて2店舗なら、2.4%なのでは??
でも、これでも少ない。この記事を読む限り、会社として、二人体制の仕組みは作ったのだろう。

何よりも、この記事で一番頭に残った言葉が「上から目線で責める」。まさに「結論ありき」の調査のようだ。
朝日新聞叩きもそうだが、自分たちは正義の騎手と言わんばかりの「上から目線で責める」例が最近多く目に付く。
「上から目線で責める」ことで、世の中が良くなるのだろうか・・・

氏の「すき家は(他の牛丼チェーン店も同様)、深夜でも通常の時間帯と同じ料金でメニューを提供してきた。これは、立派な経営努力と言えるのではないだろうか。」という指摘や「ブラック企業批判の風潮に流されて、何となくすき家を責めるのではなく、会社の経営努力の姿勢や、私たちがいかに恩恵をうけているかという側面も、再考すべきではないだろうか。」という指摘は、実に的を射ている指摘だと思う。

このところ、女性大臣の不祥事のニュースが流れている。
誰かを標的にして、徹底的に調べれば、誰でも少しはキズを持っているから、何かが見つかる・・・。(それを見付けて政党に売り込む人も居るらしいが・・・)
今回の、資金問題の小渕経済産業大臣も、うちわ問題の松島法務大臣も、法的には多分アウトなので、辞めるのだろうが、同じ叩くにしても、公人の政治家とすき家とは違う。
すき家の場合は、企業努力をしているのだから、それをしばらくは見守ってあげる暖かさを持ちたいもの。
こんな記事を読んで、かえってすき家で昼食を採ろう・・・と思うエムズ君ではある。

141018100enn <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年10月16日 (木)

ドラマ「七人の刑事」のテーマ

ドラマは見たことがないが、そのテーマが気になる、というものがある。自分にとって、ドラマ「七人の刑事」のテーマがそれに当たる。

<ドラマ「七人の刑事」のテーマ(ゼーク・デチネ)>

そしてこれはビクター・オーケストラの演奏。あれっ?ハミングが出て来ない・・・と思ったら、後半に出てくる・・・

<ドラマ「七人の刑事」のテーマ(ビクター・オーケストラ)>

Netで検索してみると、TBSのTVドラマ「七人の刑事」は1961年~1969年に放送されたという。でも自分は見たことはない。時期的にちょうど受験から大学の頃だったので、テレビとは縁が無かった。

そしてこのテーマの独特のハミングは、ゼーク・デチネという人だという。検索すると、こんな記事が見つかった。
「「七人の刑事」1961-1969 TBS 作曲:山下毅雄、歌:ゼーグ・デチネ
刑事ドラマの古典。赤坂のクラブで遊びで唱っていた客のユダヤ人の宝石商ゼーグ・デチネをたまたま居合わせた山下氏が気に入り、レコーディングさせたところ100万枚の大ヒットとなる。しかし、ゼーグ氏はその後、詐欺容疑で国際指名手配され、国外へトンヅラ。多額の歌手印税は今もレコード会社に眠っているとか(笑)。」(
ここより)

この声は、日本人ではないな・・・と思っていたが、やはり外人だった。でもこんな経歴を読むと、ま、色々あるな・・・とも思う。

ところで「七人」は「ひちにん」?それとも「しちにん」?? それが、何と「ひちにん」では文字の変換ができない。でも自分はつい「ひちにん」と言ってしまう・・・。
何とも自分の日本語に対する自信を失わせる「ひちにんの刑事」ではある。

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2014年10月15日 (水)

「忘れられる権利」

先日の日経の「春秋」にこんな記事があった。
「実直そうな中年女性が、母校の中学校を訪れる。訳あって就職することになり、最終学歴である中学の成績証明書を求められたという。昔の記録を見ると、決していい内容ではない。教師は言う。「すでに破棄したという書類を作りましょう」。女性は頭を下げた――。
昔みたドラマの一場面だ。当時の成績保管期間は20年。遠い昔に劣等生だった事実が、今の幸せを邪魔していいのか。そう問いかける作品だった。後に保管期間は5年に短縮された。文部科学省によれば、プライバシーへの配慮や、生徒の不利益になりかねない記録をそこまで保管すべきか、との考えから変更したという。
公的文書なら閲覧制限や破棄で現在を守る手もある。やっかいなのはネットだ。過去の言動や経歴、過ち、若気の至りで公開した写真。自分を巡るさまざまな記録が、時を超えて拡散する。中には事実無根の文章もある。気を許した相手に撮らせた写真が広くばらまかれる卑劣な例もある。法や制度は追いつけないままだ。
グーグルで自分の名を調べると、犯罪に関わったかのような投稿が現れる。これを止めさせたいと男性が訴え、東京地裁は削除を命じる判断を出した。自民党は元恋人などの性的画像をネットに流すことを防ぐ法案を準備している。自由な情報流通と「忘れられる権利」を、どう共存させるか。われわれの知恵が試される。」(2014/10/12付「日経新聞」「春秋」より)

若い頃の成績が生涯に亘って、永く影響する世界は、今もあるのだろうか? 例えば、公務員試験。昔は、試験の順位がその後の出世に強く影響する、と聞いたことがある。よって、試験の順位が悪ければ、次の年に順位を上げるために受け直す・・・も、あったと聞く。
そういえば、先日見たテレビ番組「山本五十六の真実」でも、戦前の江田島(海軍兵学校)で、卒業時の席次がその後の出世に強く影響していたと、言っていた。

誰も、二度と思い出したくない苦い思い出は持っているもの。それを永遠にぬぐい去れないとしたら、再起する気持ちもしぼんでしまう・・・。
それだけに、最初の「すでに破棄したという書類を作りましょう」という話にはホッとする。

しかし上の記事のように、Net上の情報はやっかいだ。前にこんな事があった。何気なく、自分の名前で検索をかけたら、何と現住所や生年月日まで出てくる。追っていくと、原因は、ある同窓会のExcelの同窓会名簿だった。同窓会の幹事が、Excelを開くまではパスワードをかけていたが、肝心のExcelそのものにパスワードをかけていなかったため、そこに載っていた情報がそのままGoogleの検索に引っ掛かったもの。Googleは、単なるテキストだけではなく、wordやExcelの中の文字まで、検索対象にしているらしい。もちろんExcelの削除を依頼したが、検索での自分の情報は、消えるまでにしばらく時間がかかった。怖い怖い・・・。

話は変わるが、どの会社にもある査定制度。現役時代、仕事の査定(評価)は5ランク位に分けて評価していたが、査定表には、過去は3年分だけ載っていた。つまり3年以上前の評価は消し去っていた。たぶんそれが正しいのだろう。幾ら昔に実績があっても、3年も経つと“昔の栄光”になる。特に企業では、“現在”が重要なので・・・。
人生ではどうだろう。重要なのは同様に“現在”であり、そして“将来”。過去は忘れても、その後の人生にほとんど影響しないが、“これから”は重要である。
将来だけを見つめて生きるこれからの人生・・・。言うのは簡単だが、自分にとっては、「過去を忘れたら、自分の人生の全てが消えてしまう」ような恐怖感を覚える。
つまり、“過去によって支えられている自分”にハッとする。
少なくとも自分にとっては、消したい過去よりも、消したくない過去の方が大きいようである。

141015nemurenai <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年10月14日 (火)

日本の子どもは「ぽっちゃり」~日経のグローバルデータマップ

自分が好きな日経の「グローバルデータマップ」。先日、日本の子供と大人の肥満度のグラフがあった。

日本の子どもぽっちゃり 大人は「やせ」ギャップ大きく
 大人はやせているのに子どもは太っている――。経済協力開発機構(OECD)の調べで141014nikkei1 は、15歳以上の日本人のうち、肥満者の割合は男性が3.8%、女性が3.4%で、OECD平均の約18%を大きく下回った。ところが、5~17歳のうち太っている子どもの割合をみると男の子が23%、女の子が17%で平均値に近か141014nikkei2 った。各国の人口に占める肥満者の割合は増えつつあり、子どもの肥満も各国で問題になっている。日本の子どもたちも将来、今の大人たちのようにやせているとは限らない。」(2014/09/29付「日経新聞」p9より)

日本人がやせ形ということは分かっていたが、日本の子どもが肥満傾向にあるとは知らなかった。
このグラフを見ると、日・中・韓とインドが同じような傾向にある。そしてインドネシアだけが、子どもも大人もやせ形。
目を引くのがギリシャとイタリア。子供から大人になると、肥満度はそれぞれ4割から2割へ、3.5割から1割へと激減している。
そして、絶対的な肥満傾向は米国、メキシコ、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、英国などが多いらしい。海外旅行などで、スゴイ・・・と目を引く国々の人だ。

さて、では痩せている方が全てについて良いことか??
確かに、成人病や、体重の足や膝への負担、毎日の食費などを考えると、小食で痩せの方にメリットがありそう・・・。でも、食べ物の無い無人島に漂着したり、病気で食べられなくなった時などは、少々太っていた方が、持久力はありそう・・・。
ま、何でもホドホドだけど、先日吐いて食欲が無くなり、体重が3.3キロから3.1キロに減った愛犬・メイ子が気になるこの頃である。ま、次の日には復活したけど、まだ食欲は元にはもどっていないと言う。
食べることは生きる基本。結果(=肥満)はどうあれ、太っている人の生きる意欲は評価しよう。

141014sakana <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年10月13日 (月)

AM放送のFM同時放送開始に向け、FPGA FMチューナーで用意万端

在京のAMラジオ局(TBS、文化放送、ニッポン放送)が、“災害発生時に被害を受け放送の継続が困難となる事態への対策及び都心部における難聴の解消等を目的”のFM補完中継局として、15年秋からスカイツリーからのFM同時放送が開始されるが(ここ)、それに合わせて、我が家で高音質FMチューナーの用意が出来た。

自分は特にAM局を良く聞くリスナーではない。でも非常に多彩なAM局のFM同時放送開始への興味は尽きない。前にAMステレオも存在したが、とにかくノイズが多く、聞くに堪えなかった。そして早々に廃れた。でも今回は、スカイツリーからの本格的なFM放送。電波の質はバッチリ。当然ステレオ放送になるだろう。つまりは、まさに内容的にハイレベルのFM局の誕生になる。
しかし問題なのは、今回設定されるFMの周波数が90~95MHzなので、現在存在する高級FMチューナーの76~90MHz帯では受信出来ない。汎用ラジオのレベルでは、FM補完局の開局に向けて、各種新製品の発売があるらしいが、高音質を謳うFMチューナーの発売の話はまだない。もっとも、高級FMチューナーそのものの製品がほとんど発売されていないのだが・・・

その中で、自分が最も期待したのが、林輝彦氏設計による「FPGA FMチューナー」(ここ)。
2年前に林さんに作って頂いた4局プリセットのセットだが、その受信周波数を、新たに開始されるFM補完局の周波数に変更できないか、と言うこと。
それで先日、図々しくも林さんにメールで頼んでみた。結果、FPGAチューナーのRF増幅部の設計を、これまでの3MHzほどの狭帯域BPFから76~95MHzの広帯域BPFに変更して、選局も4局から8局に増やした「フル・カバレージ版」の設計が出来、まだトライアル、ベータ版段階だが、試験的に改造できる、との回答を頂いた。

P10002081 もちろんこの話に飛び付き、2年前に作って頂いたセットの改造と、一緒にアクリル板のカバーも付けて頂いた。
その完成品が左の写真。
選局は以下の8局にして頂いた。
1) Inter FM 76.1M
2) FM 東京 80.0M
3) J-WAVE 81.3M
4) NHK FM 82.5M
5) エフエムたちかわ 84.4MHz
6) TBS 90.5MHz
7) 文化放送 91.6MHz
8) ニッポン放送 93.0MHz

到着してビックリ。今までは基板むき出しで、置く場所によっては、うっかり踏ん付けて壊してしまうキケンがあったが、送られて来たセットは、もう基板と言うより製品。この2年での進化が良く分かった。
一緒に送って頂いたデータを見て、その特性にビックリ。76.1~93MHzの各局で、ひずみ率が0.0006~9%、信号対雑音比(S/N)80.1~82.8dB、左右分離度が83.6~86.2dB。改造前が、80~83.2MHzの各局で、ひずみ率が0.003~0.0044%、信号対雑音比(S/N)71.3~81.9dB、左右分離度が64.2~71.9dBだったので、性能の向上は素晴らしい。つまり、FM放送の受信機なのに、特性はCD並み・・・。(自分のセットの、改造前と改造後(フル・カバレージ版)の特性を示す)

141013mae 141013kaizougo1

そして、一番心配していた選局は、今回はプッシュボタンで行い、今までのミニスライドスイImg_32001 ッチに比べ、例えようもないほど楽。

しかしアンテナ入力のレベルは慎重に・・・。我が家の10素子のFMアンテナは、スカイツリーからのNHK、J-WAVともに89dBμVほどあるが、これではオーバーレンジランプが点きっぱなし。これに10dBのアッテネータを入れると消える。5素子のアンテナは77~79dBμVなのだが、これでもオーバーレンジランプは点かない。10dBのアッテネータの持ち合わせしかないので、上限ギリギリかどうかは分からないが、現在はこれで聞いている。

付録で選局に入れて貰った「エフエムたちかわ」も、ノイスは多いものの、ちゃんと聞こえる。その他の局は、もちろんバッチリ。

この「フル・カバレージ版」FPGA FMチューナーの詳細については、ひろくんのHPに詳しい(ここ)。

肝心の音質だが、これは人の好みの問題なので、あまり言いたくないが、自分が基準としているKENWOODのL-02Tに比べて、今までは少々堅く聞こえたのだが、今回の改造版は、非常に素直に聞ける。つまり、より自分好みの音になった。これは林さんの設計によるものかどうかは分からない。
自分の見方は、特性や姿形などはどうでも良い。出て来た音が自分の好みに合っているかどうか・・・だけ。そんな視点では、自分的にバッチリ・・・。

これで、AM中波のFM同時放送への備えが出来た。あとは試験放送を待つだけ。
試験放送がいつから始まるのかは分からない。でもいつもこの周波数にダイアルを回しているので、たまたま試験放送と合った時には、受信ランプが点灯するかも知れない。その時は、またここに記事を書こう・・・。

でも、実は自分の本命はNHKラジオ。このFM補完局のスタートはいつなんだろう・・・。NHKの場合、FM局のアンテナ設備が既にあるので、放送しようと思えば、いつでも出来る。後は、政治の問題か・・・?
NHKは、今日一日、総合テレビもラジオ第1も、台風19号のニュースで埋め尽くされている。つまりはNHKラジオをいえども、“災害発生時に被害を受け放送の継続が困難となる事態への対策”は必要だと思うのだが・・・。
受信機は手に入った。FM補完局の試験電波とNHKラジオのFM化を、首を長くして待とう・・・。

(2015/01/14追)
AMラジオ、FMでも 今秋(2015年)から冬、在京3社が補完放送
 TBSラジオ、文化放送、ニッポン放送の在京AMラジオ3社は13日、FMでAMと同じ放送を流す「FM補完放送」を、今年の秋から冬にかけて始めることを明らかにした。東京スカイツリーの共同アンテナからFM波を流す。
 この日会見したニッポン放送の村山創太郎社長によると、(2015年)8月に工事を終え、9月に試験放送を実施。その後、本免許の交付を受け、本放送を開始する予定という。気候の影響で工事の時期がずれる可能性がある。3局はこれまで、放送開始時期を今春以降としていた。
 FM放送が始まると、鉄筋マンションなどAM波が届きにくい「難聴取地域」でも聞こえやすくなる。地震など大災害で放送設備が被害を受けた場合に備える「災害対策」の面もある。周波数はTBSが90.5、文化放送91.6、ニッポン放送93.0メガヘルツ。東京23区と埼玉県、千葉県、神奈川県の主要都市および周辺で聴くことができる。」(
2015/01/14付「朝日新聞」p29より

(2015/09/09追)
ニッポン放送がFM 12月から本放送へ…野球がキラーコンテンツに
 ニッポン放送ではこれまで「秋から冬スタート」としていたFMラジオ補完放送(ワイドFM)を12月から本放送する予定であることを8日、定例社長会見で発表した。東京スカイツリーの放送機器の工事の進捗状況もおおむね順調といい、10月から試験放送、FM放送免許取得後の12月から本放送となる見込み。
 ワイドFMは難聴対策、防災対策が主な目的で、AMとFMの両方でAM放送の番組が楽しめるようになる。FMになることにより音もさらにクリアになる。
 すでに、愛媛県の南海放送ラジオなど全国で6局がFMも放送中。村山創太郎社長は「第2の開局と位置づけている。ラジオの新しい時代にふさわしい聞き応えあるプログラムを発信したい。また災害と難聴の解消、安全報道を充実させていく」と力を込めた。
 野球中継などAMラジオ特有の番組もFMで聞けるようになるとあって、同局では「AMでしか聞けないと思われていた野球がFMになる。どんな力になるのか、強みになるのか。キラーコンテンツになるかもしれない」と期待を寄せている。
 本放送にあたり、同時にFM化されるTBSラジオや文化放送と共同で周知と普及のキャンペーンを行うことも明かした。」(2015/09/08付「デイリースポーツ」より)

(2015/09/03追)
ヤマハ FM補完放送対応のFM/AMチューナー2機種を新発売 

(参考資料)
「ラジオマニア2014」~『FM放送受信の心得』

(関連記事)
東京のAMラジオ局のFM同時放送、2015/10/5に試験放送、11/6に本放送開始 
KENWOODのL-02Tを凌駕(?)~3万円弱のFPGAフルデジタルFMチューナーを入手 
関東広域・民放AMラジオ3社が、15年春よりスカイツリーからFM同時放送開始 

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2014年10月12日 (日)

コミック・柏木ハルコ著「健康で文化的な最低限の生活」

ウチのカミさんはマンガが大好き。自分で絵やマンガを描いたりもする。一方、自分はマンガ大キライ人間で、およそマンガを読む機会は無い。しかしカミさんがときたまこんな本を見付けては買ってきては、自分に読む“責務”を与える。それで、自分は仕方なく・・・読む。
今回は、生活保護の実態を描く、柏木ハルコ著「健康で文化的な最低限の生活」という一風変わった題のコミック。

Amazonの内容紹介にはこうある。
健康で文化的な最低限度の生活 1 (ビッグコミックス) 2014/8/29 柏木 ハルコ (著)
[生活保護]のリアルに迫る青春群像劇 新卒公務員の義経えみるが配属されたのは福祉事務所。えみるはここでケースワーカーという生活保護に関わる仕事に就くことになったのだが、そこで生活に困窮した人々の暮らしを目の当たりにして―― 新聞メディアはもちろん、現職のケースワーカー、医療、福祉関係者の方も注目する本格派ドラマ! [生活保護]に向き合う新米ケースワーカーたちの奮闘劇、開幕!」

そしてカミさんが見付けた朝日新聞の書評にはこうある。
「(コミック)健康で文化的な最低限度の生活① 柏木ハルコ(作)
ケースワーカーがみる社会
 主人公はコミュニケーション力不足を気に病む義経えみる。区役所に就職し、生活保護を担当するケースワーカー業務に就いたばかりの新人公務員だ。初めての受給者宅訪問141012seikatuhogo で、先輩の半田はえみるに語る。彼らの暮らしを「心して見るように」と。生活保護という命を守る最後の砦(とりで)の周辺では、生活困窮者は微弱なSOSを発している。認知症、借金、ネグレクト……。
 不正受給問題や受給者の増加から来る不安もあってか、何かと風当たりの強い生活保護制度。そんなデリケートな題材を扱うにあたり、2年の取材期間を費やしたという著者は、「自業自得では?」と思える受給者を描く一方、「なぜ、受け取らない!?」ともどかしく思えるケースも描く。かといって、個々の事情に肩入れし過ぎるような演出はない。さらに著者は、福祉事務所の面々の本音や硬軟差のある対応の違いなど、支給する側も様々な価値観を持っていることを描く。個にフォーカスすることで幾らでもドラマチックになるテーマにおいて、俯瞰(ふかん)の視点を持ち込んだ本作に、著者の「難しいことは承知の上で、事の本質に届きたい」という意思が感じられた気がした。それが、本作に悩ましくも温かな読み心地を与えている。“無縁社会”と言われる現代に必読の一冊。(小学館・596円)山脇麻生(ライター)」」(2014年09月07日付「朝日新聞」書評より)

何とも、憲法第25条の条文をそのまま持ってきた珍妙な本の題だが、この題に著者が言いたいことが明確に出ている。そして、最後のページにある「謝辞」に載っている20以上の協力団体名を見ても、この作品が詳細な取材に基づいて描かれていることが分かる。

この本でも描かれるが、各家庭では、当然、色々な事情を抱えている。こんな平和な日本でも餓死者や孤独死は発生する。それを各自治体の担当者は必死に支えている。
厳しい現実の各家庭と、ケースワーカーの奮闘・・・。

このような、生活保護者への視線は、我々一般者からは厳しいことが多い。「生活保護を受けられたら“上がり”」とも揶揄されている。しかし、実際に困窮している人からみると、それは生きるか死ぬか、の問題。

先日、NHKスペシャルで「老人漂流社会“老後破産”の現実」(2014年9月28日放送ここ)を見た。毎日の食べることにも事欠く老人たち。本当に心が痛んだ。
日本のこれらも現実。そして、このマンガに描かれているような色々なケースも現実。特にこのマンガに描かれている子どもたちが哀れ・・・。選べない親と子の関係・・・。

それらに我々も他人事ではなく、キチッと目を向けて考える必要があろう。
この本は、手段はコミックだが、著者は日本のお寒い「健康で文化的な最低限の生活」をえぐっている。
たぶんこのシリーズは、主人公が今後色々なケースに触れて育って行く過程で、日本のお寒い「健康で文化的な最低限の生活」を描いていくのだろう。
一番取っ付きやすいこのようなコミックで、生活保護への暖かなまなざしが一つでも増えることを祈念したい。

141012jiichan <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年10月10日 (金)

童謡「やさしいお母さま」

何とも恥ずかしくなるような題の歌だが、でも何か優しい旋律である。

<大道眞弓の「やさしいお母さま」>


「やさしいお母さま」
  作詞:稲穂雅巳
  作曲:海沼實

わたしが おねむになったとき
やさしくねんねん こもりうた
歌って ねかせてくださった
ほんとにやさしい おかあさま

夏は ねびえをせぬように
冬はおかぜを ひかぬよう
おふとん なおしてくださった
ほんとにやさしい おかあさま

わたしが 大きくなったなら
ご恩をお返し いたします
それまでたっしゃで まっててね
ほんとにやさしい おかあさま

この歌は海沼實の作曲。海沼實は、音羽ゆりかご会を指導していたが 昭和18年の関東児童唱歌研究会主催のコンクールで音羽ゆりかご会が圧勝。この「やさしいお母さま」を歌った大道眞弓が優勝し、2位は「兵隊さんの汽車(後の汽車ポッポ)」を歌った川田正子で、いずれも音羽ゆりかご会のメンバーだったという。

この歌は、オリジナルの上の歌とは別に、自分の好きな歌唱が色々とある。

<安西愛子・桑名貞子の「やさしいお母さま」>

話は飛ぶが、先日「文藝春秋(2014年10月号)」で「佐世保少女同級生殺害と神戸連続児童殺傷 人を殺すわが子に親ができること 柳田邦男」という記事を読んだ。

その中で、幼少期の子どもにとって、母親がどれだけ大切な存在かが書かれていた。

「・・・十七年前の九七年春に神戸で起きた少年A(十四歳)による連続児童殺傷事件。少年Aは特に友達だった土師淳君(十一歳)を殺害した後、切断した頭部を中学校の正門前に置き、自らを酒鬼薔薇聖斗と名乗る挑戦状を添えたり、新聞社にも挑戦状を送りつけたりして全国の人々を震撼させた。
・・・・
少年Aを育て直す「国家プロジェクト」・・・
・Aを虐待した父親と愛情不足の母親から切り離し、医療少年院に隔離して、専門スタッフにより、少年Aをもう一度母親の子宮の中に戻した状態から、人格形成のやり直しを始め、特に人から全身で愛されているという、自己肯定感の獲得につながる体験をさせる必要がある。(これは乳幼児期において豊かな人格形成がなされるには、母親に日常的に抱きしめられ、羊水の中にいた時のような温もりと安心感に包まれることが不可欠だというアタッチメント理論に添う取り組みだ。)
・・・・
 やがて少年Aは、某県の弁護士会の協力により付添人を得て、社会復帰したのだった。
・・・・
 Aが正常な人格を取り戻してから、自ら幼少期を振り返って語った次の言葉は、問題の核心を突いている。
 〈母親は、いつも役割としての母親として自分に接していた。生身の人間として、子である自分に愛情を持って接してくれたことがない。自分も、役割としての子どもを演じてきて、母親に対して裸の人間としてぶつかっていかなかった。〉」(文藝春秋(2014年10月号)p168より)」

平穏な母と子の関係。それがいつまでも「当たり前のこと」であり続けることを祈りたい。

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2014年10月 9日 (木)

歌人・永田和宏氏の講演「この道に生きる」

今朝、通勤途上で、NHKラジオ第2の「カルチャーラジオ日曜版~人間を考える~この道に生きる(4)講師:永田和宏」(2014/09/28放送(ここ))を聞く。
言うまでもなく、氏は細胞生物学者と歌人という二足の草鞋(わらじ)を極めた人。その氏が、その二つの道について語っていた。

NHKカルチャーラジオ「この道に生きる」永田和宏(2014/09/28放送)>

同じく歌人の妻・河野裕子さんを2010年8月に亡くしてから、もう4年になる。この様子は、NHKのドラマ(ここ)にもなった。
よって、氏の家庭についてはかなり公になってしまっている。もっとも、発表する短歌そのものが日常を映しているので、プライバシーなど無くなってしまうが・・・。
しかし、世間から覗かれても耐え得る家庭は、なかなか出来ない。

思い返すと、自分が歌人の河野・永田夫妻を知ったのは、6年前だった。2008年9月に「永田和宏氏の短歌の世界・・・」(ここ)という記事を書いている。
河野さんに乳がんが見つかったのが2000年8月、そして再発が見つかったのが2008年7月だというので、自分がその記事を書いた頃は、もう再発が見つかっていたらしい。
それにしても、氏は強い。相思相愛の夫婦であるほど、連れ合いに先立たれた心の痛みは、簡単には拭えないという。しかし、氏はその後も次々にエッセイや歌集を発表して活動されている。
それは、今回の講演でも言っていたが、2つの「生きている場所」(35分頃)を持っているから強いのかも知れない。(氏は「余裕」と言っていたが・・・)
シルバー族の自分にとって、「生きる場所」について、考えさせられた講演内容であった。

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2014年10月 8日 (水)

「16歳の教科書」講談社~Uさんの読書ノート

大きな声では言えないが、実はUさんが送ってくれる「本の紹介」は、とにかく難しい。経済も政治も哲学も・・・。自分で分からないものをここで紹介わけにはいかないが、8月末に送って貰った「16歳の教科書」は、何とか自分でも分かった。

Uさん曰く・・・
「朝夕、大分過ごしやすくなって来ましたが、季節の変わり目です、ご自愛ください。さて、今回の本の紹介は「16歳の教科書」 講談社です。16才前後の子供向けの本だが、大人が読んでも面白い!
夏休みの8月、各位もお孫さんのお世話を何等かしたと思うが、「何故、勉強するのか。何を学ぶのか?」について子供たちと一緒に考えて見るのも一興ではないか!
読後の最初の感想は、こんな先生に習ってみたかった。と言うものであった。専門を究め、社会に出て色々な矛盾を体験した講師達の講義が素晴らしい。紹介はしなかったが、杉並区の公立中学校長を民間人ではじめて経験した藤原和博氏の「社会」の授業、正解が一つではない現代社会の諸問題に対する取り組み方、情報編集力の付け方など、実社会に即リンクしている。全文を読んでみたい方は、多分区立の図書館に置いてあると思うので借りて見ては如何!」

★「16歳の教科書」講談社~Uさんの読書ノートのPDFはここ

上のpdfで紹介されている中で、印象に残ったのは、3時限目の数学(図形問題)での「つまり数学は、「考える事そのもの」を扱う教科なのです。だから数学が嫌いな人がよく口にする「数学なんて出来なくても社会に出て困らない」というのはとんでもない間違いなのです。数学によって鍛えられる「考える力」は、若い皆さんの年齢でしか伸ばす事が出来ないものなのです。」という指摘。
高校の時の幾何(図形)は自分も好きだった。「・・・を証明せよ」。つまりは三段論法などのプロセスである。このときの訓練は、社会人になって、「考える」ことにどれだけ役だったか知れない。この指摘はその通りである。

そして自分の大キライな英語。「英語を使うネイティブの気持ちに「同期」しなくてはダメで、規則の集積を感覚に置き換えることが必要である。」「まず英語でどうしても不可欠な感覚は「並べて行く」感覚である。表現を配置して文を作る感覚です。これが日本語と一番大きく違う部分です。」と指摘している。
なるほど・・・と思う。

Uさんが「本書を手に取ったのは、今年高校に進学した孫にプレゼントするためだったが、内容を一応知って置くために、読みだした所、大変面白く、大人にも為になる内容だったので各位にも紹介する事にした。」と言っているように、自分も読んで孫にプレゼントしたいが、まだウチの孫はやっと「立っち」が出来るか出来ないか・・・なので、15~6年塩漬けにしておいて、孫が育った頃にまたこの本を開くとしよう。

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2014年10月 7日 (火)

憲法9条がノーベル平和賞の有力候補に浮上

今夜は、青色LEDの発明で、ノーベル物理学賞を受賞した赤崎勇・天野浩・中村修二の3氏の話題で持ちきり。青色LEDは、カラー化を可能にした大発明で、影響の大きさから、まあ順当なところ。
話は違うが、半年ほど前に「9条にノーベル賞を 受賞者「日本国民」、委員会に推薦 神奈川の主婦呼びかけ」(ここ)という記事を書いた。
何とかすべり込みで、ノーベル委員会に平和賞の受付を受理してもらったが、10日の平和賞発表を前に、オスロ国際平和研究所が、「第9条」を平和賞受賞の第一候補に挙げたという報道にビックリ・・・
今朝の朝日新聞デジタルはこう伝えている。

9条、なぜノーベル賞トップ予測 「戦後の歩みに共感」
 10日公表のノーベル平和賞。ノルウェーの民間研究機関が3日付で公表した受賞予測で、戦争放棄をうたった憲法9条をもつ日本国民が278候補のトップに挙げられた。集団的自衛権の行使容認などをめぐって国内が揺れるなか、国際的に注目を集めることはどんな意味を持つのだろうか。
 受賞予測をしたのは、オスロ国際平和研究所(PRIO)。ウェブサイトで9条について「日本141007heiwa 国民の多くはこの非侵略の誓いが、1946年(の憲法公布)以来、戦争を避けることができた大きな理由だとみている」と指摘し、他国との武力衝突が一度もなかった戦後約70年間の歩みに果たした役割を評価している。
 ハープウィケン所長は6日、朝日新聞の取材に応じた。1位の理由として、平和賞は「軍の廃止や縮小」などへの貢献者に贈られるとしたアルフレッド・ノーベルの遺志に合致している▽尖閣問題など東アジアで戦争リスクが高まっている――の二つに加え、安倍政権が9条の解釈を変え、集団的自衛権の行使を認める閣議決定をしたことで「9条が危機にある」ことを挙げた。
 所長は「ノーベル委員会は、授賞が安倍政権批判と見られることを気にするかもしれないが、9条が危機にある今年こそインパクトがあるとも認識するだろう」と指摘。2010年に中国政府と対立する人権活動家の劉暁波氏が受賞したことも挙げ、「政治的な問題から委員会が逃げることはない」と述べた。
 その上で、「東アジアの紛争の可能性は世界であまり注目されておらず、この地域に光を当てようとノーベル委員会が考えるかもしれない。原爆などで甚大な被害を受けながら、平和のうちに復興を遂げた日本の戦後約70年間の歩みに共感する人は世界に多い。平和賞の授与は世界から歓迎されるだろう」と話した。
共感した署名、41万人超える
 「9条の価値を世界に知ってもらえる絶好の機会。取り上げてもらえたことを感謝したい」
 「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会(事務局・相模原市)共同代表の石垣義昭さん(73)は話す。平和賞に推薦する活動を始めた神奈川県座間市の主婦、鷹巣直美さん(37)に共感し、授賞を求める署名を昨秋から集めている。
 協力する団体が全国に次々と増え、署名は2日時点で41万人を超えた。「こういう活動には参加してこなかった」と言う人やノルウェーや米国などの外国人もいるという。「今年受賞できなくても、今後もすばらしさを発信したい」
 「(1位の予想に)正直びっくりしている」と言うのは、ネットなどで署名集めに協力する大阪弁護士会の弁護士、辻公雄さん(73)。代表を務める市民団体「市民の為(ため)の行政を求める会」で憲法の勉強会を開いてきた。実行委の活動を報道で知り、4月から署名を呼びかけて約5千人分を実行委に送った。
 辻さんは「中東などで紛争が続き、国内では集団的自衛権の行使容認など武力で紛争を解決しようとしていると受け取られる動きがある。もし受賞できれば、武力に頼らない平和の大切さを国内外に発信できる」と力を込めた。
 広島県尾道市の「ママ友」らが9条の解釈変更などに危機感を感じて作った市民団体「Peace from Mothers」も7月末までに246人の署名を集めた。メンバーの主婦向井真珠(まみ)さん(34)は「受賞すれば、国際社会の注目も集まり、戦争に向かう動きの歯止めになるかもしれない」と期待する。
 広島県原爆被害者団体協議会(金子一士理事長)の事務局長、大越和郎(かずお)さん(74)は「核兵器の非人道性が国際的に注目される今、軍事力でなく、外交努力で紛争解決をめざす9条が世界から評価されるのは必然だ」と言う。
     ◇
 〈憲法9条〉 ①日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又(また)は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。②前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
     ◇
 〈オスロ国際平和研究所(PRIO)〉 ノルウェーのオスロにある民間の研究機関。創設は1959年。国際紛争の平和的解決などに関する研究や情報発信をしている。創設者のヨハン・ガルトゥング氏は「平和学」の第一人者として知られる。同じオスロに拠点を置くノーベル財団との関係はないが、ノーベル平和賞の受賞予測は毎年、世界で注目されている。2007年にはゴア元米副大統領の受賞を的中させた。
PRIOが予測する今年のノーベル平和賞受賞者・団体(2位以下)
 ②エドワード・スノーデン氏
 元米中央情報局職員で米政府による情報収集活動を暴露
 ③ノーバヤ・ガゼータ
 記者が殺害されながらも、政権批判を続けるロシアの新聞
 ④ドニ・ムクウェゲ氏
 紛争による性暴力被害者の治療にあたってきたコンゴ民主共和国の医師
 ⑤マララ・ユスフザイ氏
 イスラム過激派に襲撃されながらも女性の権利を訴えてきたパキスタン女性
市民発の運動、評価できる
 〈稲正樹・国際基督教大教授(憲法学)の話〉 9条については国内で意見が割れるなか、「日本国民」として受賞することが適当かどうかはわからないが、市民の立場で運動が始まったことは評価できる。国内だけではなく、東アジアの緊張の中において、9条がかかげる平和主義の意義を捉えれば、選ばれることもあるのではないか。受賞できれば、集団的自衛権の行使容認に舵(かじ)を切った安倍晋三政権に対し、党派を超えて「戦争しない国家づくり」を進める大きな力になる可能性がある。
日本の現実と乖離した条文
 〈高乗(たかのり)正臣・平成国際大教授(憲法学)の話〉 9条は画期的な条文だが、日本に軍事力が存在しなかった事実はなく、自衛隊も明らかに戦力だ。今の東アジアのパワーバランスの中では、戦力不保持を掲げる条文と日本の現実は乖離(かいり)しており、改憲すべきだ。国民の多数が支持する安倍政権が閣議決定で解釈を拡大し、集団的自衛権の行使を容認している現実があり、9条の理念とは逆行している。戦力としての自衛隊を持つ違憲状態が放置されたまま9条がノーベル賞を受賞すれば、欺瞞(ぎまん)と言われるだろう。」(
2014/10/07付「朝日新聞」(ここ)より)

しかし、上の高乗正臣・平成国際大教授の指摘が耳に痛い。2014/7/14付「日経」グロー141007gunjihi1 バルデータマップが分かり易いが、日本は、米・中・露・サウジ・仏・英・独に次ぐ世界第8位の軍事大国だ。
でも2009年のオバマ大統領の例にもあるように、ノーベル委員会の平和への篤い思い、つまり「9条が危機にある」ことへの懸念が影響することも有り得る。
しかし、極東の一国の国内事情が、伝統あるノーベル賞にどう影響するのか・・・。日本の9条を守ることで、世界平和にどの程度の貢献になるのか・・・。何とも評価は分からない。

一方、候補者の中で、スノーデン氏は分かり易い。米機密情報の暴露という裏切り行為が、世界平和にどう結び付くのか・・・。しかし、自分の人生と命を賭しての行動は、到底並みの人には出来ない。この勇気に敬意を表し、スノーデン氏の命を守るためにも、平和賞の受賞は良いのかも知れない。でもこの受賞は、米国を敵に回す!?

141007nobel0 話は変わるが、同じく日経のグローバルデータマップ(2014/10/06付)に、各国のノーベル賞の受賞者数のマップがあった。それによると、1950年頃までは英独が他国を圧倒。1960年前に米国がトップに立って以来、米国が断トツの状況が続いている。日本は2000年頃から急速に受賞者が増えており、今年も“まず”3人増えた。

ともあれ、オスロ国際平和研究所には感謝。「憲法第九条」を世界的な話題にしてくれたことだけでも、有り難いことである。
物理学賞受賞の勢いで、「平和賞まで!!」と行きたいものだが・・・。

(関連記事)
「9条にノーベル賞を 受賞者「日本国民」、委員会に推薦 神奈川の主婦呼びかけ」 

141007broccoli <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年10月 6日 (月)

日本式カレーライスの歴史

先日の日経にこんな記事があった。
カレーなぜ変身? 印→英→日、国民食の秘話
 「すごくおいしいですね。一体、これはなんという料理ですか?」
141006curry1 インド人に日本のカレーを食べさせると、こんな感想がよく返ってくるという。実際に日本と本場インドのカレーと食べ比べてみると味も形状も大きく違っているためだ。

日・印で大きく違うカレー
 香辛料のよく効いた汁気の多いソースをパサパサした細長いインディカ米や小麦粉を焼いたナンで食べるのがインドの典型的なカレー。これに対して、とろみのあるソースをモチモチしたジャポニカ米にかけて食べるのが日本の典型的なカレー。
 両者の大きな違いはカレーの「とろみ」。インドのカレーは汁気が多くてサラサラしているが、日本のカレーは小麦粉を加熱することでとろみを出しているのが特徴。インドではカレーに小麦粉を使うことはほとんどないという。
 では、どうして日本のカレーはインドのカレーから大きく変貌を遂げたのだろうか?
 取材を進めてみると、その背景に帝国主義や民族の独立運動など世界史のダイナミックなうねりが隠されていることが分かってきた。今回は「国民食」として日本の食生活にすっかり浸透しているカレーの歴史と謎を追いかけてみよう。
小麦粉で「とろみ」を出したワケ
 西洋料理としてカレーが日本に伝来したのは明治初期のこと。
141006curry2  「カレーライスの誕生」(講談社学術文庫)の著者、小菅桂子さんによると、1872年(明治5年)発刊の「西洋料理指南」に当時のカレーのレシピが記載されているという。
 口語に要約すると「ネギ、ショウガとニンニクのみじん切りをバターで炒(いた)めて水を加え、エビやカキ、カエルなどを入れて煮て、カレー粉を加えたら1時間さらに煮て、塩で味を調え、水溶き小麦粉を入れる……」。
 この時点ですでにカレーにとろみを出すため、水でといた小麦粉を入れていたのだ。小麦粉を加熱するとでんぷんがのり状に変化する。あの独特のとろみはこうして作られていたというわけ。
 なぜ日本のカレーは小麦粉でとろみを出すようになったのだろうか?
 「西洋料理の影響を受けているからですよ」。業界関係者はこう口をそろえる。
英国で西洋風煮込み料理に変身
 カレーが日本に伝来した歴史を振り返ってみよう。
141006curry3  インドの郷土料理として食べられていたカレーは植民地統治を通じて英国に伝わり、明治期に「文明開化」の1つとして英国経由で日本に伝来した。だから、インドから日本に直接伝わったわけではない。日本のカレーは、西洋風に様々にアレンジされた英国のカレーが基礎になっている。
 英国にカレーが伝わったのは1772年ごろ。
 英国人ヘイスティング(後に初代ベンガル総督)がカレーの原料と米を持ち帰り、それをもとにカレー粉が発明され、やがてビクトリア女王にも献上されたという。
 このカレー粉が発明されたおかげでカレーの調理法は大きく変わる。インドでは毎回、すり鉢などで多数の香辛料を混ぜて調合し、すりつぶしてカレーを作るのが基本だが、カレー粉が発明されたことでこの手間が省け、どこでも手軽にカレーが作れるようになったのだ。
 さらに大きな変化はとろみを出すための小麦粉の活用。
カレー粉・小麦粉・ライスが基本
 1861年に出版された「ビートン夫人の家政読本」には、カレー粉の作り方とともに、小麦粉141006curry4 を使ってカレーにとろみを付ける調理法が多数紹介されている。つまり、英国で普及したカレーは、油脂で小麦粉をいためた「ルー」を使った西洋風煮込み料理にすでに姿を変えていたのだ。
 こうして、カレー粉と小麦粉を使ったとろみのある西洋風カレーが英国経由で日本に伝わり、独自の進化を遂げた。だから、日本のカレーは本場インドとは異なる風味や形状になったというわけ。
 ちなみに、インドでは大ざっぱに北部ではナン、南部では米とともにカレーが食べられているとされる。英国人ヘイスティングが駐在していたのはベンガル地方。ここはインド北東部ではあるが米でカレーを食べるのが習慣だった。そのため、英国に伝わった時点でカレーとライスがセットになったようだ。
 これがそのまま日本のカレーライスの起源になる。
・・・・・・

本場インドでの日本カレーの評判は?
 インドには日本のカレーライスを出す和食レストランもある。いわば、本場インドへのカレーの“逆輸入”だ。筆者がインドに長期出張していた際に立ち寄ったので、その様子を紹介しておこう。
141006curry5  インド最大の経済都市ムンバイのバンドラ地区。繁華街の一角に店を構える和食レストラン「幸福」は日本人駐在員のほかインド人の若者や富裕層にも人気が高い繁盛店だ。
 看板メニューは「ジャパニーズ・カレーライス」(550ルピー=980円)。
 チキン、ポーク、エビの3種類あるが、店員によると「多い日は1日で20皿近く注文が入るほど。店のメニューでも1、2を争うほど人気が高い」という。ポークはパン粉をまぶして油で揚げてあり、日本の「カツカレー」に相当する。チキンやエビの人気も高い。日本人にはなじみの深いトロリとした食感。米は粘り気のある米を使用しており、ニンジン、ジャガイモ、タマネギが具材として入っている。
 果たして、日本のカレーライスは地元のインド人にとってどんな味なのだろうか?
141006curry6  実際にカレーライスを注文した何人かのインド人に尋ねてみると……。
 「トロリとしていて西洋のシチューのような風味だね。香辛料の香りはほとんどないし、ライスに粘り気があり、インド料理とはまったく違う。でもすごくおいしい」(40代男性)、「インドでは食事を手で食べるので、米に粘り気があると指にくっついてやや食べにくいかもしれない。でも、フォークやスプーンで食べれば問題ないわ」(30代女性)などの感想が返ってきた。
スシと並ぶ「クール・ジャパン」?
 インド料理とはまったく異なる料理として受け止められているが、反応は悪くないようだ。インドでも大都市では世界的な潮流の和食は大ブーム。「スシなどと並んでクールな食べ物」と受けているらしい。
 ビーフカレーやポークカレーは宗教上の理由から食べられない人もいるが、メニューにはチキンカレーやエビカレーもある。どんな具材にも合うので新たな“和食”(クール・ジャパン)として、やがてインドに浸透するかもしれない。
 インドで生まれ、英国を経由して独自の発展を遂げた日本のカレーライス――。
 帝国主義、植民地統治、独立運動、文明開化……。様々な時代背景を乗り越え、互いに影響を及ぼしあいながら、新たな食文化が生まれてゆく。(編集委員 小林明)」(
2014/10/03付「日経新聞」(ここ)より)

この話も自分にとっては「ヘエー」・・・

自分がインド風のカレーを初めて食べたのは、もう20年以上前だと思うが、現役時代の工場の近くに出来たカレー屋さん。カミさんにそこに連れて行かれ、初めてナンでカレーを食べた。それから立川でも、焼き立てのナンで食べた。吉祥寺でもネパールカレーを食べたな・・・
海外で思い出すのが、初めてのカミさんとの海外旅行でタイに行った時、着いた日のホテルの夕食がカレーだった。器にサラサラのカレーと、皿にタイ米。食べ方が良く分からずに困った。
今の会社の近くでも、インド人のカレー屋があるが、あまり行っていない。やはり自宅でカミさんが作るカレーが一番。子どもの頃も、お袋がよく作った。当時はカレールーが無く、小麦粉にカレーの元を入れて作っていたはず。お袋から「何を食べたい?」と聞かれると、決まって「カレーシチュー」「混ぜご飯」と言っていた。何のことはない。当時のカレーシチューとは、カレーの薄いやつだ・・・

そう言えば、「カレーライス」と「ライスカレー」は何が違う?とNetで検索してみると、シェア6割を誇るハウス食品のサイトに、こんな記事があった。
「最近、ライスカレーという言葉はほとんど耳にしなくなりましたが、20年ほど前まではご飯にかかって出てくるのがライスカレーで別々なのがカレーライスだとか、どっちが正しいとか、何かというと話題になったものでした。
時代的にはライスカレーの語が先ですが、それをいつだれが名付けたかということはわかりません。札幌農学校の創設者クラーク博士という説もありますが、彼が来日する以前、1874年(明治6年)には陸軍(幼年生徒隊)の食堂のメニューに「ライスカレー」が登場していますから、クラーク博士ということは違うようです。
たぶん、幕末に日本にやってきたイギリス人から「curry」を教わった日本人が、必ずご飯といっしょに食べるのだからと「ライス」をくっつけたのではないでしょうか。
そして明治の終わりころの陸軍のカレーの作り方には「カレーライス(カレー汁掛飯)」とありますし、料理の本に「ビーフカレーライス」の語も見えますが(確かにビーフライスカレーとかチキンライスカレーと呼ぶことがなかったようですね)、一般的には長くライスカレーが主流だったようです。」(
ハウス食品の(ここ)より)

各家庭で様々に姿と味を変えるカレー。もうお袋のカレーの味は忘れた。外食でもうまいと思ったカレーはほとんど無い。うまいのは自宅のカレーだけだが、そのうちにヨメさんの作ったカレーを食べてみたいものである。

141006golgo <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年10月 5日 (日)

IT社会の舞台裏?~NHKカルチャーラジオ・月尾嘉男氏の話

毎週PCに録音して通勤途上で聞いていた「NHKラジオ第2 カルチャーラジオ 科学と人間 IT社会とコミュニケーション~過去・現在・未来 講師:月尾嘉男(東京大学名誉教授)」(2014年7月~9月放送(ここ))が、とうとう終わってしまった。
今日はそのうち、特に「ヘエー」と思った第12回の話である。

<「IT社会とコミュニケーション~過去・現在・未来」月尾嘉男>

IT社会とコミュニケーション~過去・現在・未来 講師:月尾嘉男 第12回 グリーンIT」(2014/09/19放送)より
・日本は温水洗浄便座が異常に普及した社会で、7割以上の家庭に普及している。平日の朝8時頃に、全洗浄便座の3割位が同時に使われていると推定されている。電気は便座よりも水を噴射するときに多く使い、これを計算すると、朝8時頃にこの噴射のために全家庭で460万kwの電気が必要。これはその時の全電力供給量の1.7%に相当する。これは先に福島第一原発が定検を除いてフル稼働したと同じ位の電力量。
・新聞1部を家庭に届けるために1228kカロリー必要。しかし電子新聞だと63kカロリーに過ぎない。これは1/20。同様に電子書籍だと紙の本に比べて1/40で済む。
・紙をたくさん使っている国ほど文化水準が高いと言われているが、2012年で調べてみると、一人1年に平均57kgの紙を使っていた。一番使っているベルギーでは318kg。日本では2000年までは紙の消費が増えていたが、それ以降減って2010年には2割程度減った。一番減ったフィンランドでは6割減った。情報化社会で紙の消費量が減った。
・テレビ会議では、2時間の会議の一例で、人が出張する会議に比べ0.4%の二酸化炭素排出量で済む。情報通信手段はエネルギーの節約には有効。
・インターネットは日本では成人の90%が使っているが、郵便物の660倍電子メールを使っている。その電子メールは世界で一日500億通。一人あたり200通。そのうち9割の450億通は迷惑メール。これらを削除するために1通3秒かかるとすると、時間単価を2千円とすると、1年間に270兆円に相当し、世界のGDPの4.2%、フランス一国のGDPに相当する。
・この情報社会を維持するためには、エネルギーが必要。日本では2010年を基準にすると、2015年は1.8倍、2020年には2.8倍、2025年には4倍になる。同様に世界では、2015年には2倍、2020年には3.6倍、2025年には6倍の電力が必要。
・今家庭で、光ファーバーで1という情報を送ると、昔のADSLでは29倍、ISDNでは2000倍の電力が必要だった。
・一方、データを蓄えるのに電力が必要。データセンターでサーバーを動かすのに45%使うが、30%はサーバーを冷やすのに使っている。世界で最もサーバーを使っているのはgoogleだと言われており、推定で100万台のサーバーを維持しているという。2011年にgoogleが発表したところによると、電力使用量は260MW、1年間の消費電力量に換算すると23億KWHで、世界の総発電量の0.01%、広島市の家庭が1年間に使う電力量に相当。各社は、北欧の寒い所にサーバセンターを移して冷却電力の削減を図っている。

これらの試算が面白い。特に洗浄便座がそれほどの電力量に相当するとは・・・

「科学と人間」は毎回30分の番組だが、普通は何気なく聞いており、そのうちに、これは面白い、となると、再度聞き直したりしている。このシリーズも今までの13回を、そのうちに全部聞き直してみようかと、mp3を保存しておくことにした。

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2014年10月 4日 (土)

「鼻歌」について

先日、こんなコラムを見付けた。
絶唱カラオケ 大竹昭子
 友人が出産し、久しぶりに生まれたての赤ん坊に接した。泣くときの様子に圧倒される。顔面が収縮して梅干し状になり、ああ、来るなと思う間もなく、縮こまっていた力が泣き声になって一気にあふれでる。すばらしいエネルギーの爆発。
 笑う表情も愛らしいが、どこか予定調和的なにおいがある。それに比べて、泣き叫ぶ行為には、説明のつかないものが体の奥から突き上げてくるような生命の勢いが感じられる。
 ふるえるのは声帯だけではない。体外に出ようとする力に、全身が突っ張り、振動する。じっと見ていると、もしかしたら人間が成長とともに忘れてしまうもっとも劇的なものが、この泣き叫ぶという行為なのではないかとすら思えてくる。
 大人になると、声はもっぱら言葉をしゃべるために使われる。それ以外の目的で声帯をふるわせる機会はめったにない、と考えてふと思い浮かんだことがある。
 目覚めのいい朝にコーヒーを淹(い)れながら、または洗い立ての洗濯物を陽に干しながら、ふと口をついて出る鼻歌。あのとき、自分の体から出た音が空気をふるわせることにシンプルな歓(よろこ)びを感じとってはいないだろうか。
 鼻歌は気がついたら歌っていたというような無意識の行為だが、それが高じてもっと大きく声帯をふるわせたいと思ったらどうするか。昔なら海や山にむかって叫んだかもしれないが、いまの人はたぶんカラオケにいくだろう。そこではだれかに聴かせるためよりも、自分のために歌うことが多い。
 先日、友人の紹介で日系三世の知り合いがハワイからやってきた。食事のあと、カラオケに行きたいと言うので店に入ると、リクエストするのがどれも日本の演歌だったのに驚いた。日本語を話さない彼がそれらを選ぶのは意外であり、わけを訊(き)くと、こう答えた。
 演歌は感情を込めやすいし、歌っているときの快感が大きい。ハワイでも歌うのは演歌ばかりだと。
 なるほど快感原則に基づけば何であれ容易(たやす)く国境を越えるのは、演歌も同様なのである。しかも彼の場合、耳で歌詞を覚えるので記憶ちがいが多々あり、「オクロの数を~」とうなっているので、なんのことかと思いきや、「ほくろの数を」だったりするが、本人は意に介しない。言葉の意味を噛みしめることより、声に感情をのせて体の外に出すところに、歌う楽しみを見いだしているのだ。
 カラオケが登場する以前、歌は、歌のうまい、歌好きがうたうものだった。ヘタくそが歌うと「ぬかみそが腐る」と言われ、声に自信のない人は人前で歌うのを遠慮した。ところがいまはヘタもうまいもなく、マイクを手にすればだれもが歌う。聴いている人がいようがいまいが、おかまいなしに絶唱する。
 つきあいでカラオケに行くことがあると、この事実にはたと驚かされるが、もしかしたらこれは、赤ん坊の時代をとうに過ぎてしまった大人の、声帯をふるわせたいという欲求の発露かもしれない。
 意味を超えて泣き叫んでいた赤ん坊のころの尾っぽが、アンプで増幅された音空間のなかでひょっこりと顔を出す。赤ん坊は自己陶酔の表情は見せないが、自意識のある大人がそうなるのはいたし方がない。大目にみることにしよう。(作家)」(2014/09/10付「日経新聞」夕刊p7より)

今日は、声と鼻歌についての話である。
この記事の最初にある生まれたての赤ん坊の泣き声は、昨年の孫の誕生で、まったく同じ体験をした。ホントウにちっちゃな体なのに、その泣き声の大きいこと・・・。恐る恐る抱くと、「泣くぞ!泣くぞ!」という予告の表情とともに、まさに泣き声が爆発する。
ヨメさんに「赤ん坊の泣き声って、こんなに大きいんだ~」とツイ言ってしまった。

声は、自分で自信のある時には、ハリのある大きく朗々とした声になる。逆に自信が無い時は、小さくか弱い声になる。それは日常のこと。そして一日会話をしたいと、声が枯れたりもする。
しかし「鼻歌」については、考えたことがなかった。フト思い出してみると、自分もけっこう鼻歌を口ずさんでいるらしい。
それはいつも会社の帰り道。そして決まって布施明の歌なのである。そう、現役時代の、帰り道のあの建屋の脇を通る時に、何かを歌っていた・・・。
そして先日も気をつけていると、やはり会社の帰り道で、何かの旋律が口から出ていた。
つまり、自分にとって、会社帰りが一番リラックスしているのだろう、という事が分かった。

無意識の自分に気付く「鼻歌」ではある。

●メモ:カウント~640万

141004tsukiji <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年10月 2日 (木)

「トルコの憂い 報道の自由が消えていく」

先日の日経新聞の「池上彰の教養講座」に、こんな記事があった。
池上彰の教養講座(14)権力介入 トルコの憂い 報道の自由が消えていく
 トルコといえば、ヨーロッパとアジアの架け橋の位置にあり、国民の多くがイスラム教徒でありながら、政教分離を徹底している世俗国家。政治家は選挙で選ばれる民主主義の国。ところが、こんなイメージが、最近になって急激に崩れつつあります。
 本紙9月15日付朝刊で、本社コラムニストの脇祐三氏は、「昨年のイスタンブールの騒乱事件が示すように、政治手法が強権的になってきたエルドアン氏に対する都市のインテリ層を中心とする反発は強い」と書いています。今回トルコでメディア関係者と会い、それを実感しました。

 9月11日、イスタンブールで「日本とトルコのメディア・フォーラム」が開かれました。日本とトルコのメディア関係者が集まり、互いの国をどう報道してきたかを検証したり、民主主義とメディアの役割について意見を交わしたりしました。
 トルコは議院内閣制です。首相が政治の実権を握り、大統領は象徴的な国家元首でした。ところが今年8月、大統領を国民の直接選挙で選ぶようになり、それまで首相だったエルドアン氏が大統領に当選。エルドアン大統領は、今後、憲法を改正して大統領が強大な権力を持つ大統領制に変えようとしています。
 こうした政権の方針に対し、批判的な記事を書いた新聞記者たちが、次々に逮捕されたり、新聞社を追われたりしているというのです。
 今年に入って9月11日までに、すでに210人の新聞記者が職を失ったという衝撃的な報告もありました。
 それでも踏みとどまって政権批判をする新聞は、広告の減少に悩まされています。政権の圧力で、広告出稿を取りやめる企業が相次いでいるからだというのです。
 トルコよお前もか、と言わざるを得ません。

 このフォーラムのワークショップに参加している最中に、朝日新聞の社長が自社の誤報を認め、自身の進退に言及するというニュースが入ってきました。日本から出席していた新聞社、通信社、テレビ局の人たちからの要請で、急きょ、私に対する即席の記者会見が開かれることになりました。
 トルコ側の参加者にお断りをして、会見を開いたところ、終了後、トルコ側からの質問攻めにあいました。新聞社の社長が、自社の記者たちや読者の批判を受けて謝罪したり、進退問題になったりするなど、トルコでは考えられない、というのです。
 誤報を出したら訂正して謝罪する――。それが当たり前だと考える日本社会は、トルコから見ると、言論の自由・表現の自由が確保された民主主義国だというわけです。
 トルコのテレビ局や通信社の記者たちの私へのインタビューは、日本の言論空間の自由さを私に語らせることで、暗に自国の現状を批判しようとしていることが、手に取るようにわかりました。
 新聞業界に権力の介入を招くことなく、自らの自浄作用によって言論の自由・表現の自由を維持する。これこそが求められていることだという、至極当たり前のことを再認識したトルコへの旅でした。」(2014/09/22付「日経新聞」p23より)

トルコは政教分離の民主国家だと思っていたが、どうも最近は変わってきているようだ。
もちろん、こんな記事を読んで、“トルコよりは日本はマシ”などとは思わない。現在の日本も同様にならない事を祈るだけ・・・。

それにしても、「エルドアン大統領は、今後、憲法を改正して大統領が強大な権力を持つ大統領制に変えようとしています。」のような動きに共通するのは、憲法が権力者を縛っているのを、その権力者が、邪魔な憲法を自分の都合の良いように変えようとしていること。
ロシアなど、例は幾らでもあるが、絶対的な権力者の存在は、民主主義が崩れていく原因らしい。

先日、元社会党の土井たか子さんが亡くなったが、土井さんが活躍していた時代が懐かしい。日本も早く巨大1党の状態から抜け出さないと、トルコ同様に「政権の方針に対し、批判的な記事を書いた新聞記者たちが、次々に逮捕され」る状況になりかねない。
日本もじわじわと「茶色の朝」(ここ)に近付きつつあるので・・・

話は変わるが、「週刊文春」で半藤一利氏が朝日新聞問題にこんな寄稿をしていた。
朝日バッシングに感じる「戦争前夜」 半藤一利
・・・
ただ、いまの過度な朝日バッシングについては違和感を覚えます。週刊文春を筆頭に、読売、産経などあらゆるメディアが一つになって、ワッショイ、ワッショイと朝日批判を繰り広げている。
 私は昭和史を一番歪めたのは言論の自由がなくなったことにあると思っています。これがいちばん大事です。昭和六年の満州事変から、日本の言論は一つになってしまい、政府の肩車に乗って、ワッショイ、ワッショイと戦争へと向かってしまった。
 あの時の反省から、言論は多様であればあるほど良いと思うのです。私のような爺いが、集団的自衛権や秘密保護法に反対と堂々と声を出せることは、大変ありがたいこと。こういう声が封じられるようになったら終わりです。
 今の朝日バッシングには、破局前夜のような空気を感じますね。好ましくないと思っています。」(「週刊文春」2014年10月9日号p24より)

報道の自由と、現在の妙なマスコミの興奮・・・。半藤さんの感じた「戦争前夜」が杞憂であればよいが・・・

141002hitchhike <付録>「ボケて(bokete)」より

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2014年10月 1日 (水)

「知性と教養、どっちが大事?」

先日の朝日新聞にこんな記事があった。
「(be between)知性と教養、どっちが大事?
 今回、「これまでで最も答えにくい質問」(岐阜、55歳男性)といったご感想を多く頂きました。「今回のテーマ、何なんだ? 変だ」(岡山、47歳男性)とのご批判も。ただ、beモニターの皆さんから「知性と教養」についての深い考察がたくさん寄せられました。
教養のあるサルは
 今回のアンケートでは、おおざっぱな定義として、「知性」=「物事を考え抜き、判断する141001chisei 力、論理的な能力」、「教養」=「学問や芸術など世界全般についての幅広い知識」とした。
 ただ、2語の意味は違っても、「知性と教養」はセットで用いられることが多いだけに、分けて比較するのは難しいとの意見も目立った。
 「知性のある人とは頭が良くて教養のある人。知性と教養を対立させるのは無理がある」(千葉、71歳男性)
 「知性は分析や選択の能力で、知性で教養も高められていく。本来ひとつながり」(徳島、73歳男性)
 そんな中で、知性と教養の違いとして多く挙げられたのが、「知性は先天的なもので、教養は後天的なものと考える」(大阪、63歳男性)という意見だ。
 「努力して身につきやすいのは?」の問いには、「教養」が82%、「知性」が18%と、ずいぶん差が出た。「教養」のほうが後天的に身につけることができるから、逆に「大事なほうは?」の問いには「知性」が7割弱を占めるのだろうか。
 「知性と教養が一体となり、人格者が生まれるが、知性は天性のもの、教養は努力によって何とかなるのでは」(大阪、67歳女性)
 今回、とりわけうならされたのは、それぞれのモニターが定義したり、表現したりした「知性と教養」の対比だ。まるで洞察深き哲学者の箴言(しんげん)集を読むような、味わい深い回答が続いた。
 「知性は人の能力の一つ。教養は人間として生きるための術」(愛知、61歳男性)
 「知性は実社会で身につき磨いてゆくもの、教養は精神活動で学び身につけてゆくもの」(京都、59歳男性)
 「知性は教育でつくられるが、教養は生き方で決まる」(兵庫、73歳男性)
 「知性と教養を言い換えると、文明と文化になるか。文化なき文明は無味乾燥だし、文明なき文化は悪因習に陥る。人間にはどちらも必要」(京都、55歳女性)
 比喩やイメージで語った回答にもひきこまれた。
 「知性は自分の中から外に出ていくモノ、教養は外から自分の中に入ってくるモノ」(東京、62歳男性)
 「知性は、にじみ出てくるというプラスイメージ。教養は、ひけらかすというマイナスイメージ」(京都、74歳男性)
 「知性はとがっていて、教養は丸くなっているイメージ」(神奈川、70歳男性)
 「知性の高いサルはいるが、教養のあるサルは見ない」(神奈川、64歳男性)
 具体的にはどんな人が「知性と教養」を兼ね備えた人物として浮かぶのだろうか。
 「今話題の村岡花子さんや柳原白蓮(びゃくれん)さん。本を読み、世の中の動きに関心を持ち、日々の生活をきちんと送りつつ、理想を忘れず、信念を持って行動する人でしょうか」(東京、47歳女性)
 「内田百閒(ひゃっけん)、宮武外骨(がいこつ)、加藤周一。共通項は、偏見を持たずに独自の知性と教養を全方向へ生かして世界を眺めていたことだと思う」(兵庫、45歳女性)
 「白洲正子さん。白洲さんみたいな文化人が少なくなった」(山形、70歳男性)
 「梅棹忠夫先生です。自分にはない品性を持ち、知識も豊富で憧れの人です。私には生まれ持った卑しさがあり、先生に一歩でも近づきたいと思う毎日です」(神奈川、65歳男性)
 「福沢諭吉。今でもその思想や足跡が、われわれの行動指針になる人。知性と教養を兼ね備えた人物だと尊敬する」(大阪、64歳男性)
 現代人の名前は、ほとんど挙がってこなかった。
     ◇
 beモニターへのアンケートをもとにした企画です。(中島鉄郎)」(2014年9月27日付「朝日新聞」b10より)

「知性って何?」「教養って何?」と聞かれても、なかなかその違いを即答するのは難しい。例によって、広辞苑を覗いてみる。
「ち‐せい【知性】①頭脳の知的な働き。知覚をもととしてそれを認識にまで作りあげる精神的機能。「―に欠ける」 ②〔心〕広義には知的な働きの総称。狭義には感覚により得られた素材を整理・統一して認識に至る精神機能。」

「きょう‐よう【教養】ケウヤウ ①教え育てること。②(cultureイギリス・フランス・Bildungドイツ) 単なる学殖・多識とは異なり、一定の文化理想を体得し、それによって個人が身につけた創造的な理解力や知識。その内容は時代や民族の文化理念の変遷に応じて異なる。「―のある人」「―を高める」「人文主義的―」」

自分はどちらの言葉もあまり好きではない。「知性」は冷酷な人を見下したイメージがするし、「教養」は傲慢なイメージがする。
それよりも、これからのシニア族は「品」という字を大切にしたい。
「品性」「品位」「品格」・・・

もう誰とも競争する必要は無い世代になった。よってこれからは、じっくりと「品性」を保った人間になりたいものである。
それには知性が必要で、教養も可欠!? いや、それよりも「品」が・・・。 それには「知性」が必要なんだってば・・・!?

「ひん‐せい【品性】①ひとがら。人品。人格。「―下劣」 ②〔哲〕性格を道徳的価値として見る場合の称呼。」

「品性のある人」・・・か。つくづく自分には遠い存在であるな~と、思う。

141001kyubu <付録>「ボケて(bokete)」より

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