英国の医療制度
先日の日経新聞に、英国の医療制度についてのこんな記事があった。
「英国営医療 じわり市場化 家庭医、コスト減に一役
欧州総局編集委員 大林尚
英国の誇りといえば女王陛下とジェームズ・ボンド。
2年前。ロンドン五輪の開会式に、6代目ボンドを演じるダニエル・クレイグがバッキンガム宮殿のエリザベス女王を五輪スタジアムへとエスコートする場面があった。女王をむかえた8万観衆が目にしたのは、スタジアムに浮かびあがったNHSという人文字。ナショナル・ヘルス・サービスの頭文字だ。国営医療制度と訳せばいいだろうか。
日本の健康保険が加入者と事業主が払う保険料を主な財源にして運営しているのに対し、NHSの財源は税金だ。患者は原則として無料で診療を受ける。第2次大戦後、1945年の総選挙で大勝した労働党の首相、アトリーが創設した。
NHSの素地は大戦中にできていた。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの学部長の名を冠したベヴァリッジ報告だ。すべての国民を包含する雇用、年金、医療制度が必要だと訴えた報告は、アトリーにとって福祉政策の指南書になった。
私たちが子供の頃、教科書に出てきた「ゆりかごから墓場まで」はこの政策を指す。アトリーは福祉国家をめざし、基幹産業を矢継ぎ早に国有化。結果として経済社会の活力と効率を損ね、英国病を発症させた。
NHSを五輪の晴れ舞台で世界に宣伝したのは、保守党の論客キャメロン現首相も、医療制度の維持に腐心しているからだ。といっても保守党はやはり国営医療が気に入らない。
キャメロン政権が2012年に議会に出したNHS改革法案が、ことし成立した。狙いは3兆5千億円の医療関連費の削りこみだ。手立ては(1)管理部門のリストラ(2)民間病院とNHS病院との競争促進(3)家庭医の権限強化――の3つ。
政権が意を用いているのが、国営のかたちは残しながらも市場原理を生かして医療の質と効率を高める改革だ。広い権限を手にした家庭医がその先兵である。
家庭医は英国でGP(ジェネラル・プラクティショナー)と呼ばれる。NHSは患者に自らが登録したGPにかかることを義務付けている。もちろん救急は例外だが、いきなり大学病院へ行くことが許される日本と違い、病院の専門医に診てもらうにはGPの紹介が必須。GPはゲートキーパー(門衛)の異名をとる。
1年前に安倍晋三首相が受けとった社会保障制度改革国民会議の報告書にこうある。「緩やかなゲートキーパー機能を備えたかかりつけ医の普及が必須」
日本の医療改革が英国を手本にしているようにも読めるが、GPとかかりつけ医とはまったくの別物である。Aという人が病気やけがをしたときに日ごろ診てもらっている医師Bがいれば、BはAのかかりつけ医だ。患者側の選択で決まるのだから、かかりつけ医になるのに研修はいらない。
GPになるには医学部卒後の基礎研修ののち、最短3年の専門研修を受ける。「研修中は毎年、指導医のチェックを受け、一定評価を得れば一人前として登録される」(武内和久、竹之下泰志著『公平・無料・国営を貫く英国の医療改革』)
著者のひとり、竹之下氏は製薬会社の欧州法人の最高経営責任者だ。かつて風邪を引いたとき、登録GPに症状を説明したら「レモネードを飲んでゆっくり寝るように」という指示。
日本人の感覚からすれば薬も出してくれないのかとの不満が出るところだが、ウイルス性疾患に抗生剤はほとんど効かない。「『レモネード処方』は間違っていない」と、竹之下氏。
ロンドンから高速列車で北へ2時間半。中核都市リーズ郊外の診療所に所属する日本人GPの澤憲明氏を訪ね、丸1日、密着した。
朝8時。予約済み患者が順にやってくる。鬱病の57歳女性、高血圧症の63歳女性、高コレステロール症の63歳男性……。澤氏は丁寧に問診し、聴診や血圧測定する。足の痛みを訴える82歳女性はX線検査を求めたが必要なしの診断。不要な理由をとことん説明する。
白衣は着ず、ワイシャツ姿。問診しながらの電子カルテ記入は、きちんと診ていないのではという不信を抱かせるもとになるので患者の退室後に済ませる。患者用のいすは背もたれと肘掛け付き。対面角度やパソコンの位置にも気を配る。「患者の不安と期待をくみ取るための工夫です」
来院の手間を省くために、患者の勤め先近くの薬局に処方箋を電子送信することもある。軽症者とは電話でやりとりし、薬局チェーン「ブーツ」で買うべき銘柄を指示する。肺炎を風邪と誤診せぬよう痰(たん)の色まで尋ねる。これで1件1400円ほどの処方箋料が節約できる。患者が直接、薬局で買えば税財源の国営医療費が私的医療費に置き換わる。民の力を生かした一種の市場化である。
GP診療所の収入の一定割合は生活習慣病などの患者の健康を回復させた度合いに応じ決まる業績連動。澤氏は「私たちはどうすれば医療費を安く抑えられるかを考えている」と語る。
英国人にも不満はある。耳にしたのは「すぐに病院に行けない」というものだ。GPに病院を紹介された患者が、緊急度に応じて遅滞なく高度な専門医療を受ける態勢を強化するのも、NHS改革のひとつだろう。
社会主義を志向した政治指導者が生んだ国営医療。その進化は日本の医療改革よりずっと早くて大胆だ。」(2014/08/04付「日経新聞」p4より)
英国の医療制度については、前に「「命の値段」英国の仕組み」(ここ)で取り上げたことがある。
財源が有限であることから、医療と言えども費用対効果を考える英国の姿である。
福祉の国の北欧はどうか・・・
前に「人を大切にする国 デンマーク」(ここ)という記事で、こんな事を書いた。
「・病気になっても金はかからない。薬代の一部は個人負担があるが、治療・診察・検査・入院費は全て税金。だから“心配だから貯蓄を”というお年寄りはいない。ほとんどの医療機関は公的施設。
・医療との関わりはドライ。医療は治療。それ以上はしない。つまり療養型の病棟などは無い。そこは福祉がカバー。病院は予約を取って行くところ。日常の健康面で頼りにするのは、家庭医。
・介護については、デンマークでは三つの原則がある。「自己決定」=自分らしい人生を最後まで生きるには自分の人生は自分で決める。「継続性」=自分の家でなるべく長く生活出来るように。ライフスタイルの継続性。「残存機能の活用」=残っている体の機能は全部使う。
・デンマークでは、長生きしたいという人はまずいない。大切なのは、自分らしい人生を最後まで送ること。」
英国もデンマークもメインは家庭医。そのフィルターを突破しないと、大病院の専門医にはかかれない。この制度をどう見るか・・・。
確かに、患者の必要以上の贅沢は省かれ、より必要としている重病者に対して必要な医療が効率的に施される気はする。しかし医師も人間。患者との“相性(=相互信頼)”をどう考えるか・・・
先日、ある病院で、家族の病状の説明を受けたが、主治医が非常に寡黙な方で、説明が良く分からない。食い下がって一応は聞いたのだが、もしこれが自分の主治医だったら、またはいわゆる家庭医やGPだったら、さぞかし困っただろう・・・と思った。
日本の場合は、もし最初にかかった医師の対応に不満があれば、セカンドオピニオンなど、自分が納得の出来るまで、再診断を仰ぐことも出来るし、病院をかわって主治医を替えることも出来る。もちろん費用は別だが・・・
反面、今の日本の医療では、上の記事のレモネードの話ではないが、「本当に必要か?」と思われる医療が行われていることも事実。
自分としては、全体で大きなムダが生じていることは認めつつ、今の日本の制度の方が、患者にとっては有り難いような気もする。
それはそれとして、我々もいずれは現実となる“死を待つ”までの医療。今後の“時間と共に衰えていく自分の現実”を考えると、つい憂鬱になってしまうね・・・。
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