原発事故による避難者の自殺判決に思う
昨日(2014/08/26)あった原発事故による避難者女性の自殺の福島地裁の判決。在京6紙のうち、朝日と毎日が今朝の社説で取り上げていた。
「(朝日新聞・社説)原発と自殺―過酷さに司法の警告
福島第一原発の事故のために避難生活を強いられた女性が、命を絶った。つかの間だけ戻れた自宅で焼身自殺した。
夫と子どもたちが東京電力に賠償を求めて提訴した。約2年の審理をへて、裁判所はきのう、東電の責任を認めた。
判決は、避難生活によるストレスの過酷さを強調している。慣れ親しんだ暮らしや仕事を奪われ、将来も見えない。その心の負担はあまりに重い。
ひとたび事故を起こせば、避難生活の中で自ら死を選ぶ人が出ることを東電は予想できたはずだ。判決はそうも指摘した。
原発の事故は、人間の環境も人生も激変させる。そこで起きた自殺との因果関係をそもそも否定する方がむずかしい。まっとうな司法判断である。
避難中の自殺はこのほかにも起きている。事故が時を超えて、どれほど重い苦難を人びとに強いているか、この判決は改めて考えさせる。
事故と自殺との関連性はこれまで、あいまいにされてきた。遺族が直接、賠償を求めても、東電側が因果関係を認めなかったり、認めても遺族には納得できない低い額を示したりといった対応が多かった。
今回の裁判でも東電は、女性の精神的な弱さに責任があったかのような主張をしてきた。この判決を機に、そうした姿勢を反省すべきだ。
個々の人間の心が強かろうが弱かろうが、死を選ばせるほどのストレスを与えたことに免罪符はないだろう。
家族関係や健康など、自殺をとりまく状況はさまざまだ。原因の厳密な特定はむずかしい。だとしても避難生活の中で起きたケースである限り、直接、間接に事故が影を落としていることは明らかといえる。
東日本大震災に関連した自殺者の人数は、遺体を調べる警察が判断し、内閣府がまとめている。それによると、福島県内では、2011年10人、12年に13人、13年に23人と、時間がたつほど増えている。岩手、宮城両県より多く、今年も7月末までに10人にのぼっている。
計56人の半数近くの年齢は、50~60代に集中しており、動機は、健康問題(27人)、経済・生活問題(15人)などが挙げられている。
いま何より肝要なのは、震災と原発事故がもたらす悲劇をこれ以上、起こさないことだ。
被災者を死に追い込まないために、ストレスをいかに小さくできるか。その手だてを、国、自治体、東電を中心に社会全体で急がねばならない。」(2014/08/27付「朝日新聞」社説より)
「(毎日新聞・社説)避難者自殺判決 東電の責任厳しく指摘
福島第1原発事故に伴う避難生活中に自殺した58歳の女性をめぐる裁判で、慰謝料など約4900万円を遺族に賠償するよう福島地裁が東京電力に命じた。東電にとって厳しい判断が示された。
自殺をめぐる責任の所在が司法の場で争われることは少なくない。近年、過労自殺などで企業側に厳しい判断も出ている。そういった中で、原発事故による避難生活のストレスと自殺の関係が正面から争われ、判決は因果関係を明確に認めた。
個別事例での判断とはいえ、原発事故をめぐる他の訴訟や和解交渉に与える影響は少なくないだろう。
女性は、原発事故後の2011年7月、当時、計画的避難区域に指定されていた福島県川俣町の自宅に一時帰宅した際、自殺した。訴えたのは、女性の夫と子供3人だ。
原発事故により、女性は生まれて以来ずっと住んできた故郷を離れ、避難生活を余儀なくされた。子供と別居し、働いていた養鶏場の閉鎖で仕事も失った。野菜を融通し合うなど密接な近隣住民とのつながりも失った。短期間に次々と襲ったこうしたストレスが女性を「うつ状態」に至らしめたと判決は認定した。
女性には、震災前から不眠などの症状があり、心身症と診断され、通院治療を受けていた。東電側は、「個体側の脆弱(ぜいじゃく)性」として、こうした事情を指摘し、責任を争っていた。
判決は、この点も考慮しつつ、自殺の要因の8割は原発事故によるストレスと認め、賠償額を算定した。
いったん放射性物質が広範囲に飛散すれば、地域の居住者が避難を余儀なくされ、ストレスを受けてうつ病などを発病したり、自殺者も出たりすることを東電は当初から予見可能だったとまで判決は踏み込んだ。
避難生活を送る人の中には、ストレスに強い人も弱い人もいる。脆弱性といった言葉で切り捨てることは許されない。判決が示した災害弱者への目配りは理解できる。
原発事故をめぐっては、訴訟以外の紛争解決法として、国による原子力損害賠償紛争解決センターの和解仲介手続き(原発ADR)がある。こうした場で、自殺に限らずさまざまな観点から東電の責任が問われている。被害の訴えに対し、どう賠償をするか。あるべき賠償の範囲についての考え方もさまざまだ。
いずれにしろ、被害者の声に真摯(しんし)に耳を傾け、被害に見合った賠償に応じることが、原発事故を起こした東電にとっては原点になるはずだ。
福島県では、自殺を含む震災関連死の死者数が1670人を超え、地震や津波で亡くなった直接死を上回る。こうした人たちへの賠償のあり方についてもさらに議論が必要だ。」(2014/08/27付「毎日新聞」社説より)
被告である東電は、この裁判でどう主張していたのか・・・。新聞記事の断片を拾ってみると・・・
●「・・・裁判の中で「はま子さんの脆弱(ぜいじゃく)性を考えれば、原発事故が自殺の原因だとは言えない」と主張した東電に・・・」 (朝日ここ)
●「東電は「原発事故で強い心理的負担が生じたことは認めるが、事故前から睡眠障害で薬を飲んでおり、原発事故以外の原因を考慮するべきだ」として争っていた。」 (日刊スポーツここ)
●「東京電力側は「遺書が見つかっていないなど、自殺の原因がはっきりしない」と主張しました。」 (NHKここ)
●「東電は「個人的要因を踏まえて因果関係の有無を判断すべきだ」と争う姿勢を崩さなかった。」 (河北新報ここ)
●「東電側は「はま子さんはストレスへの耐性が弱かった」などと主張していたが・・・」 (毎日ここ)
●「共同通信によると、今回の訴訟で、東電は「原発事故で強い心理的負担が生じたことは認めるが、事故前から睡眠障害で薬を飲んでおり、原発事故以外の原因を考慮するべきだ」と主張した。」 (ロイターここ)
どれも苦しい言い訳である。たぶん本音とは違って・・・!?
前にも書いたが、自分は、現役時代に原発に設備を納入していたメーカー、という立場もあったため、原発の拒否派ではない。心情的には容認派・・・。
しかし、避難民のことを思うと、「原発は正義」とはとても言えない・・・。
今回の原発事故では、東電に無限責任があるとされている。しかしそれは正しいのか?各電力会社は、国策として原発を推進してきたのは間違いないし、国の方針、規制のもとで、作られてきた。よって、各電力会社から言わせれば、国の指導(許可)のもとに原発を作ってきて、一旦事故になれば「東電は無限責任」というのでは、あまりに国が無責任・・・と言いたいのでは??
今回事故の責任は、国も電力会社も、そしてそれを受け入れた自治体(そして受入に賛成した議員を選んだ住民も?)にもあるが、今更何を言っても始まらない。
結果として、今認識しなければいけないことは、自殺者まで出している避難民の現状をどうするか・・・だけ。しかしその策はなかなか見つからない・・・。それほど大変な事態なのだ。
前にも書いたが、(今更どうしようもないが)そもそも“人の住んでいない場所に原発を作る”という発想はなかったのか・・・。つまり、“事故になっても最低限の被害で済む立地”という発想は無かったのか・・・(孤島に作ると良いが、送電線が大変なのかな・・・?)
もし自分が避難者だったら・・・。「金など要らん。とにかく自宅に帰らせてくれ」とだけ言うように思う。
そんな意味で、幾ら精神的に弱かったとは言え、事故さえ無かったらこの女性も自殺はしなかったと思えるだけに、あまりに「事故」を見ないことにしてきたツケの重たさを感じる。そして、今更ながら“原発の恐ろしさ”におののく今の自分である。
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コメント
お久し振りです何時も楽しく読ませていただいてます、特に<付録>が楽しい。今日のような似た話は実際にあるのですよ、この国の相場はいくらくらいでしょうか?と聞かれたことがあります。入り口の花瓶の下等に置いておくそうで、なければじゅうたんが大変な目にあうとか。
【エムズの片割れより】
ホントウですか? でもありそうですね。
強盗に遭ったら、とにかく何でもあげて、体だけには危害を加えられないように・・・、というのと同じスタンスかも・・・。
投稿: 名前?わすれた | 2014年8月27日 (水) 23:02