羽崎共子の童謡「青い鳥」
先日、こんな童謡を見付けた。初めて聞く歌であった。
<羽崎共子の童謡「青い鳥」>
「青い鳥」
作詞:法月歌客
作曲:佐々木すぐる泣きの涙の 青い鳥
おまえの生れは どこの国
オランダ スペイン イタリーか
南の南の あつい国泣きの涙の 青い鳥
いつまでそうして 泣いてるの
ミチル チルチル 来ましたら
母さんとこへ 行けましょう
(1961年(昭和36年)5月20日発売)
この歌についての情報はなかなか見つからない。
作曲者の佐々木すぐるは、「月の沙漠」で有名だが、wikiにこのような記述があった。
「東京音楽学校卒業後は、浜松師範学校で教員として働く傍ら「青い鳥」や「じゃんけんぽん」などの童謡を発表する。1922年(大正11年)に師範学校を退職し、上京。作曲家に専念する。1923年には「月の沙漠」を作曲。1924年(大正13年)には、自分の作品を掲載した「青い鳥楽譜」を発刊し、昭和初期まで自費で出版する。また、青い鳥児童合唱団を主宰し、精力的に全国を回った。」(wikiより)
そして、(ここ)によると、どうやらこの歌の発表は、1924年(大正13年)らしい。
一方、歌っている羽崎共子については、wikiにこんな記述があった。
「羽崎共子(1943年2月7日 - ) - 東京都新宿区出身。作曲家山口保治の主催するかなりや子供会所属。国立音楽大学声楽科卒業。」
最近の子どもたちにとっては。童謡という言葉さえ、死語になっているのかも知れない。でもこんな哀愁の歌が、このまま消えて行ってしまうのは惜しい・・・。
(自分にフィットする)昔の歌を発掘している(?)この頃である。
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コメント
私が卒業した小学校の校歌は、戦後新しくなりましたが、作曲は佐々木すぐるです。校長先生が浜松師範学校で佐々木すぐるに教えて頂いた縁だそうです。
「青い鳥」は昭和36年発売となって居りますが私が歌っていたのは昭和20年代です。子供心にこの歌の歌詞の意味がわからず変な歌だと思っていました。メロディが気にいっていたのだと思います。今もって意味がわかりません。
教えて頂けると嬉しいのですが・・大人になっても口ずさんでいました。2番は知りませんでした。多分ラジオでは昭和20年代に歌われていたのではないでしょうか。
【エムズの片割れより】
そうですか・・・。実際に歌われていたのですね・・・
投稿: 白萩 | 2014年7月 7日 (月) 22:58
この歌はよく知っていますが、
題名は知りませんでした。
かって、検索しましたが出てきませんでした。
メロディーが何とも哀れで、
こども心にこの青い鳥はどうなるのかと心配したものです。
ありがとうございます。嬉しいです。
【エムズの片割れより】
この歌はYoutubeにもアップされていないようです。でも結構知られた歌のようですね。
投稿: 兼太郎 | 2014年7月 8日 (火) 18:32
すごく懐かしい歌、というよりほとんど忘れかけていました。多分中学生くらいのときに聞いたのだと思いますが、家にラジオもなかったので学校で聞いたのかなあ、いずれにしても昭和20年代のことです。最初の部分のリズムを間違って覚えていたのを思い出しますから、歌手ではなく誰かが覚えたのを耳にしたのでしょうね。後におそらく楽譜を見る機会があってリズムが違うのに気づいたという記憶もあります。
大正時代から昭和初期の童謡は今の子供向けの歌と違って、この歌にしても「赤とんぼ」や「十五夜お月さん」など完全に大人の感性で作られていたと思います。本当に良い歌の多かった時代ですね。
【エムズの片割れより】
そうですか・・・。自分の記憶には、この旋律はありませんでした。昔の童謡は、シルバー族のものになってしまいました。
投稿: 雪爺 | 2014年7月 9日 (水) 22:18
突然、初めまして。
軽い気持ちで歌詞で検索しましたらこちらの書き込みに出会い、驚いたり喜んだりしています。
この歌を、第三者?が歌っているのを聴いたのは初めてです。
私は、亡くなった母に教わりました。
幼いころ、母といっしょにお風呂にはいっては、次々いっぱい歌を歌ったものでしたが、これはその中のひとつです。
二番の歌詞は知りませんでした。
母は戦前、ポリドールで童謡歌手をしていました(そんなに有名じゃなく....汗)ので、こうした歌をいっぱい知っていました。
こんなところで出会えてほんとうに嬉しかったです。
ありがとうございました。
【エムズの片割れより】
コメントありがとうございました。嬉しいですね。こんな話を聞くと・・・
歌には色々なドラマがあるのですね。
投稿: Mockingbird | 2016年5月14日 (土) 11:54
羽崎共子さんが歌った「青い鳥」は、コロンビア頒布会で販売されている「懐かしの童謡歌手たち」全10枚の中の第3集にに収録されていますね。
羽崎共子さんといえば「浜千鳥」と「青葉の笛」が出色の出来で、幼くして哀切感溢れる彼女の歌唱は見事というほかありません。これを超える同歌の録音はいまだに出てないように思っています。
【エムズの片割れより】
羽崎共子さんの「浜千鳥」と「青葉の笛」は当方でも持っていましたので、それを含めて彼女の歌を色々聞いてみました。「信田の藪」が印象に残りました。
投稿: 桜 公一 | 2017年10月 4日 (水) 21:00
私が子供のころ(昭和20年代頃かな)母が家事をしながらいろんな曲を歌っていた中の一曲です、今まで曲名は知らず。歌詞もうろ覚えで、ただ、ちょっと寂しいフレーズと。飛び飛びに覚えていた歌詞が、心の奥深く染みついていました、今日、このサイトで偶然に出会い、喜びでいっぱいです。ありがとうございました。‥‥‥母が歌ってくれた歌で曲名がわからない歌がたくさんあり、生前に教えてもらっておけば良かったのに、と 悔んでおります。
【エムズの片割れより】
そうですか・・・。
昭和30年代の初め、自分がお袋を思い出すのは、もっぱらハーモニカの「荒城の月」でした。
両親とも、音楽は好きでしたね。自分もその影響かも・・・
投稿: 手塚 稔彦 | 2019年3月23日 (土) 22:39
この歌は青い大正13年10月発行の「青い鳥楽譜」の第1篇に掲載されていますが、大正8年に発表されたと書かれている紹介もあります。大正8年といえば、佐々木すぐるがまだ浜松師範学校在任中なので、どこかの楽譜頒布会で発表したのかもしれません。当時はレコード化の前に楽譜の形で発表するのが普通だったのかもしれません。
投稿: yosihei | 2022年3月26日 (土) 13:37