「犬派」と「猫派」
先日の日経新聞にこんなコラムがあった。
「猫の流儀 大竹昭子
長いこと、自分は犬派だと思っていた。ふらふらさまようのが好きな性格を野良犬の姿に重ね、シンパシーを抱いていた。犬にならば難なく気持ちを委ねることができたのだ。
反対に猫についてはまったくだめだった。飼ったことがなく、どういう生き物なのかわからない。親しみの持ちようがなかった。
ところが最近、さまようのが好きだったり、身勝手だったりする自分の性格は、実は猫に近いのではないか、と思いはじめた。
どこかの家から猫が出てきて柵の隙間から向かいの家に入って行く。または、わざわざ狭い路地に身を滑りこませて通り抜けようとする。空っぽの駐車場に数匹が測ったように等間隔を空けて香箱を作っていることもある。思わず立ち止まって眺め入ってしまう。そのそっけない図々(ずうずう)しさといい、気ままな様子といい、互いの距離の置き方といい、我が身を見ているようによくわかり、深い共感がわき起こる。
犬は猫ほど気ままな態度はとらないものである。習慣を守り、ルーティーンワークをこなし、すべてを予想の範囲内で処理する彼らは、意外性にはほとんど縁がない。
両者の立場のちがいを考慮する必要はあるかもしれない。犬にはうるさく命令するご主人がいて、自由に動きまわることはままならないが、猫は家を勝手に出入りし、野良という生き方も選択できるのだ。
それならば、猫みたいに自由に生きられたら、犬も性格が変わって、猫に近づいてくるのだろうか。
ここで思い出すのは、バリ島の犬のことである。あの島では猫はめったに見ない代わりに、犬はとても多くていたるところで見かける。数匹飼っている家も珍しくなく、しかも放し飼い状態で、犬が猫に近い自由を得て暮らしているのだ。
にもかかわらず、彼らの行動に猫のような気ままさを感じることは少ない。家の前を人が通ろうものなら、こぞって出てきて吠(ほ)え立てる。その激しい吠え声はその家の敷地が終わり、隣家の犬がバトンを受けて啼きはじめるまでつづく。勤勉なガードマンさながらの働きぶりである。
道を歩いている姿もよく見かけるが、その様子はさまようような猫の歩き方とちがい、行くべき場所を持っている人間の姿に近い。役所に書類でも取りに行くような顔なのだ。
ひるがえって、歩いている猫の姿を見て用事がありそうだと感じることはない。たとえあっても、角をまがったとたんに別のことに気が移って忘れてしまいそうな、当てにならない顔をしている。
猫にとって優先されるのはまず自分の気分なのだろう。とらえにくいそれをしかと捕まえ、平常心を保つのがうまい。大事なのは外界と自分の位置関係であり、それを破るものは無視するし、ふりまわされもしない。自分を操ることにおいて、彼らは天性の直感力をもっているのだ。
もしかしたら、ルーティーンワークが苦手な私にとって、猫は導師たりうるかもしれない。そう考えて、散歩の道々、猫を見かけると立ち止まり、彼らの流儀を観察するようになった。
動きやすい気持ちの流れを読み、ベストの状態をつかまえて自らを仕事机に座らせようと努めるとき、だいぶ猫に近づいたかな、と思うこの頃である。(作家)」(2014/07/16付「日経新聞」夕刊p7より)
「犬派」と「猫派」・・・。あまり意識したことはなかったが、猫を飼うという選択肢は、たぶん自分には無いのだろう。いや、犬を飼う選択肢も、本来は無かった。しかしカミさんが12年前に犬を飼いたいと言い出してから世界が変わった!? それ以来、我々夫婦の生活は、犬を中心にして回っているようだ。やれエサを残した、足音が軽快でない、歩き方に元気がない・・・等々。とにかく相手は生きもの。だから、夏は12畳のLDに、たった3Kgの犬のためにエアコンは1日中点けっぱなしだし、冬は暖房用具も入れっ放し・・・。
まあ仕方がないけど・・・。
思い出してみると、自分には犬について、咬まれた思い出しかない。家の近くの会社の寮で、番犬用の大きな犬が逃げ、それに2度も咬まれた。未だに尻にその跡が残っている。だから自分は昔から犬がキライ。犬は吠えて咬むものだと思い込んでいた。
でも今飼っているヨーキーのメイ子は何をしても咬まない。これはしつけ以前の犬の性格なのかも知れない。
猫についてもあまり良い思い出がない。前に住んでいた家で、隣家で野良猫にエサをあげるので、我が家の庭が猫の通り道。そして挙げ句の果てに、子ども用に作った庭の砂場が、猫のフンだらけになって使えなくなり、悪い思い出だけが残った。
メイ子を連れて散歩に行っても、駐車場の車の上などに寝ている猫をよく見かける。そしてメイ子と出くわした猫は、戦闘意欲満々で、通り過ぎるまでじっとこちらの様子をうかがっている・・・。
まあ道で出会っても、猫は怖く無いが、繋がれていない犬は怖い・・・。トラウマだな・・・。
8年ほど前に、ツアーでオーストリアに行った。その時、ある湖の桟橋に皆でたたずんでい ると、向こうの桟橋に大きな犬を連れた男の人がいた。その人が犬をそのままにして、こっちの桟橋に歩いてくる。そして、声を掛けると、その大きな犬はゆっさゆっさとこちらに歩いてきて、飼い主の足下に座った。
その従順さに、感動さえ覚えたもの。犬は飼い主には従順だと・・・。
それに引き替え、いつも散歩で通る近所の角の家の犬は何だ!? 庭に2頭放し飼いしているが、前の道をメイ子を連れて通る度に、大きな声で吠える。周囲の家に迷惑この上ない。
最近、メイ子の食事の状況を夫婦で心配している。今日は食べ残していないか?? 今日のウンチは?
でもこのところ完食が続き、良いウンチで大丈夫・・・。一安心。
まさか日常で、こんな会話をするとは思ってもいなかった。犬を飼うなど、まさにワンチャンスのメイ子。
いつまでも元気で居てくれると嬉しいのだが・・・。居ないことが有り得なくなってしまった我々「犬派夫婦」ではある。
| 0
コメント
おはようございます。
幼いころは当時大流行のスピッツを何代かパールという名前で飼っていました。
20数年前からいろんな出会いから完全犬派に。現在は紆余曲折の後の猫3匹との生活です。それぞれに可愛く甲乙つけがたい…。
病気をしてからは犬派、猫派と言うよりも生き物派?かな。
命あるものがすべて愛おしく哀しくて。犬の敵である蚊しか殺せなくなりました。
できればヴェジタリアンにでもなりたいくらいですが、そこまでストイックでもなく。
(姉に言わせると野菜かって生きてるやん?!
そ、それを言います?)
命あるものをいただかなくては生きていけないのは自明の理…命をいただくことに感謝して、せめて出されたものは残さず食べる、をモットーにしています。
その結果…年がら年中ダイエットを口にすることになりました。
【エムズの片割れより】
何とも楽しいコメントをありがとうございます。
「残さず食べる」は自分にとって耳の痛い言葉・・・。なかなかそうはいきません。
先日、本を読んでいたら、子どもがカエルを風船のようにして殺す話がありました。それが普通の子どもの姿だそうで、せめて孫にはそうあって欲しくないと思いました。
投稿: アンディーのママ | 2014年7月22日 (火) 09:20