ロシアの歌「ブッフェンワルドの警鐘」
連日、イスラエル・ガザ地区の戦闘の惨劇がニュースで流れている。そうなのだ。今でも戦争は起こっている・・・。
この所、オープンデッキを手に入れたことから、50年前のテープを再生して喜んでいる。高校生の頃、録音した音が再生出来るので、楽しい。音質は別にして、当時の色々な事が思い出される。その中で、「ブッフェンワルドの警鐘(Alarm bell of Buchenwald)」という歌を見付けた。これは大学時代(昭和40年代前半)に録音したもの。テープは完全にワカメ状なので、音は最悪だが・・・。
<ロシアの歌「ブッヘンワルドの警鐘」>
「ブッヘンワルドの警鐘」
作詞:ソボレーワ
作曲:ムラヂェリ
訳詩:関 鑑子世界の友よ いざ起て
聞けよ 響くあの鐘の音
響き渡る ブッヘンワルド
鐘の音の その響き
地上を泳ぎまわり
たいきは呻きに波立つ
世界の友よ 今こそ
我が手に平和を 今こそ起て
今こそ 今こそ 起ち上がれ
今こそ 今こそ 起ち上がれ百万人が 焼かれた
生きて焼かれた 犠牲者の
インタナショナルな 隊列
口ぐちに 口ぐちに
吹雪のような響き
烈風のようなうなり
疾風(はやて)のような 原子に
取り巻かれ 太平洋
うめくは うめくは 太平洋
うめくは うめくは 太平洋
世界の友よ いざ起て
聞けよ 響くあの鐘の音
響き渡る ブッヘンワルド
鐘の音の その響き
地上を泳ぎまわり
たいきは呻きに波立つ
世界の友よ 今こそ
平和を つかみ取れ
今こそ 今こそ 起ち上がれ
今こそ 我が手に永遠の平和
Netで検索すると、一つだっけヒットした。仙台ロシア合唱団というサイトだ(ここ)。
このサイトの解説によると、
「ブッヘンワルドは「ブナの森」という意味だそうです。
アウシュビッツに続く収容所が、ドイツのワイマールの近くにあります。ここでも沢山の人々が虐殺されました。
この曲は、太平洋上に再び戦争の暗雲が立ちこめた時、ブッヘンワルドで殺された人々の亡霊が警鐘を鳴らすという内容の歌だそうです。」とある。
このサイトにあるYoutubeの合唱が圧巻(ここ)。平和の祈り、誓い、が伝わって来る。
wikiによると、ナチスの強制収容所についてこうある。
「1937年にはヴァイマルの郊外にブーヘンヴァルト強制収容所が置かれた。ダッハウとザクセンハウゼンとブーヘンヴァルトの3つはそれぞれ南ドイツ・北ドイツ・中央ドイツに位置したことから、三大収容所としてドイツ国内の強制収容所の中心的な存在となった。」
「ブーヘンヴァルト強制収容所(Konzentrationslager Buchenwald)は、ナチス・ドイツがテュ ーリンゲン地方エッテルベルク(de:Ettersberg)の森の丘の麓に設置したブナの木の名を持つ強制収容所。ヴァイマル市のやや北西7キロメートルほどの位置にあった。1937年7月に設置されてから1945年4月のアメリカ軍による解放を迎えるまでの間にブーヘンヴァルトには総計で23万3800人の人間が囚人として送られ、そのうち5万5000人以上の人間がここで死亡したと見られている。「ブッヘンヴァルト」「ブッヒェンヴァルト」とも表記される。」
たぶんこの歌を録音したのは、自分が大学2年の1967年(昭和42年)だと思う。まだまだ学生運動が盛んで、学内が騒然としていた。目標はただ一つ、「平和」。戦争の傷跡がまだまだ残り、世界も米ソの冷戦から、安定していなかった。
平和を求める学生の活動は盛んで、色々な活動、討議が行われていた。このような歌も、そんな活動の中から歌われていたのだろう。
しかし、それから半世紀を経た今、こんな歌は忘れ去られ、戦争を知らない世代の政治家たちが、日本を再び戦争へと駆り立てている。しかし、今の学生はスマホに熱中・・・
こんな歌を、「日本に再び戦争の暗雲が立ちこめた時、ブッヘンワルドで殺された人々の亡霊が警鐘を鳴らしている」と捉えて聞いたらどうだろう・・・。
まさか、こんな懐かしい歌が、現実にこれから起こるかも知れない“日本の戦争”とダブルとは、想像だにしていなかった・・・
最後に、本家ロシア語による歌を聞きながら、安倍政権が目指す悪夢のような日本の戦争への道が霧散することを祈ろう。
<ロシア語の「ブッヘンワルドの警鐘」>
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