この本は、ある普通の主婦が、海外旅行先での突然の事故により半年に亘る闘病生活を余儀なくされ、それを機に、それまで自分を支えてくれた多くの友人、家族、そして自分の人生に思いを馳せ、その感謝の念を綴った「感謝の書」であるような気がする。
ひょんなことから、歌代房江著「こんな夜はハグしてほしい」という本を読んだ。実は最初、抵抗があった。本の題に・・・。
そもそも「ハグ(Hug)」って何だ? カミさんに聞いたら「抱き合う」ことだという・・・。
でも、それにも拘わらず、読後直ぐに2回目を読み始めた。これは自分としては非常に珍し
い・・・。つまりこの本は、本文のあちこちに著者の短歌・俳句がちりばめられていて、それが全体の流れを締めている。しかし自分はどうもそれらが苦手。よってほとんど短歌を“味わう”こともなく、最後まで一気に読んでしまった。しかし読み終わってみて、短歌を読み飛ばしたことを「惜しい」と思った。それで、最初から今度はマジメに短歌も味わいながら(?)、読み直した、というわけ・・・。
この本は、著者が2009年6月に、ベルリン、ブリュッセルの旅行中にホテルの入り口の泥落としマットにつまずいて転倒し、股関節を骨折。現地での手術と、帰国後の4か月半に亘る入院生活の色々なエピソードを通して、軽妙なタッチで自分の人生を語っている。そこには何のてらいもなく、飾らない文体が良い。
朝日新聞にも紹介されたというこの本について、Amazonにはこんな紹介がある。
「作者の人柄がにじみ出ていて、軽快なテンポで読める闘病エッセイ。そこにはユーモア、涙、感動の人間味あふれる内容が綴られている。股関節骨折という重傷を負い、再手術に次ぎ、リハビリの苦行に耐えながらも、エッセイの種は豊富でとどまるところを知らない。誰の人生も簡単ではないことをしみじみ感じさせ、爽やかな感興を呼び起こし、希望を灯してくれる力がこの作品にはある。」(ここより)
読み終わって、まず感じたのが著者の暖かなまなざし。それに、売るために書いていないせいか(?)、何と自然体・・・。
しかし、語られる人生は、決して安穏なものではない。高校生の頃からの持病の変形性関節炎。そして外国で、障害を持って生まれて直ぐに死んだ長女。そして、50歳での乳がん手術・・・。それについて本文にこんな記述があり、読んでいて心が痛む。
「乳がんの手術を待っている時のことを今でも思い出す。これからはどんなに小さな体の不調もがんの再発? 転移? と恐れなければならないのかという不安。常に頭の上に暗雲が垂れ込めているような鬱陶しさ。それでなくても私は悲観論者なのだ。(P101より)」
自分は幸いにも体験していないが、ガンを宣告された人は、誰もがまさにこのような心境なのだろう。
そして、「病院はあの世とこの世の間にある異空間(P100より)」で、こんなことを想う・・・。
「人はみな人なくしては生きられず人を恋して人を待つのみ(P42より)」
この歌は、自分がこの本を読んで、一番心に残った歌である。
そして帰国後の「診断名は左大腿骨頸部内側骨折後の偽関節。・・・十月一日に左全人工股関節置換手術を受けた。(P21より)」
何よりも、著者はプロの作家ではない。還暦をとうに過ぎた普通の主婦。もっとも短歌は朝日新聞の「朝日歌壇」によく載っているらしいが・・・
そんな著者が投稿を始めたのは・・・
「五十代も半ばを越えた頃から、感じたことは何らかの形で発信しようと思うようになった。黙っていては伝わらない。・・・でも夫の定年退職後は、私個人の生き方をしたい、感じたことは溜めないで発信しようと、考えるようになった。俳句や短歌の投稿を始めたのもその頃だ。(P127より)」という。それがこの本に結実する・・・。
小説と違ってエッセイ集なので、ストーリー性は無いが、事故からリハビリを終えての退院までを、時間を追いながら、そして時々のエピソードから自身の思い出をちりばめながら、一気に読ませる。
家族のこと、親兄弟のこと、夫婦げんかなど、色々な話が出てくるが、これらはどの家庭にもあること。しかしこのように1冊の本にまとめられると、そこにデンと存在感のある家族(関係)が屹立する。
ふと前に、同じような短歌の闘病記を読んだな・・・と思ったら、歌人の河野裕子・永田和宏夫妻の本であった。それは河野裕子さんがガンで亡くなった時のことをまとめた本・・・。(ここ&ここ)(~著者が入院中、朝日歌壇で永田和宏氏選の1席だったのも不思議な縁・・・。P103より)
この本も、それと同じように、闘病記であると共に家族の記録・・・。同じく、闘病を機に人生を見つめ直している・・・
キッカケが、旅行中の事故であるだけに、こんなことも書いている。
「しかしこれだけは言える。旅行保険は必須だ。人っていてつくづくよかった。まさしく不幸中の幸い。教訓中の教訓と言っていいだろう。ちなみに私が入っていたカード付帯の海外旅行保険は被保険者への補償が三百万円、介護者の費用が二百万円。結果的に保険でかなりの医療費をカバーできた。(p19より)」
おっと、自分はこんなことにあまり気を遣っていなかったっけ・・・。今頃、ゾッ!!
でも何よりも、素人が本を出してしまうことに衝撃を受けた。半年の闘病記など、書く気になれば、数ページで終わってしまうが、筆者は、闘病という非日常生活から、それまでの人生を振り返り、それを文字でピンに止めた。
カミさんも前に入院した時は、得意のイラストで記録したと言っていたが、誰も、自分の得意な手段で記憶を留めるものらしい。
誰でも小説を1冊は書けるとよく言われる。それは自分の人生を書くこと。
前に「関東大震災から90年~祖母の震災体験記」(ここ)という記事を書いた。
祖母は趣味で長い間、短歌をやっており、喜寿の記念にそれを1冊にまとめて家族に配った。その「筧(かけい)」という歌集がいまでも我が家の本棚に残っている。
この本も売るために作った本ではない。でも祖母自身の長い歌人生活を一冊の本にまとめたことで、結果として自分のような後世(孫世代)に対して、自分(祖母)が、そして家族がこの世に存在した、という証になっている。
そんな意味で、自分や家族の歴史をこのように1冊にまとめて残すことは意味があるように思った。例え、それが不幸な事件がキッカケとなったにせよ、またその本を家族以外の一般の人が読まないにせよ・・・
それ以外で気になった部分をメモしておく。
「長男は小学校時分よく風邪を引いて、月に一度くらい熱を出していた。ある時心細く一人で看病していた私(当時私も若かった)、夫が帰宅して玄関のドアを開けた瞬間に、「お父さん、また熱を出して……」と切り出してしまった。夫から返ってきた応え。「家の中が暗い!」(P108より)」
「家の中が暗い!」という言葉はインパクトがある。自分も同じような体験がある。小学校低学年の頃、家は埼玉の与野にあった。茨城に単身赴任していた親父が週末に帰ってきた時、自分が病気で寝ていると、決まって怒った。お袋に、「お前の管理が悪い!」と・・・。だから病気をして寝ていることが怖かった。まあ病気の時にお袋が作ってくれたリンゴのすりおろしの味は今でも忘れないが・・・
そして自分に続いて読んだカミさんも、自分も膝関節症の患者だけに、歩くのが怖い、という言葉には共感したという。そして「病人が出ると戦争」もその通りだという。
「その(歌人の河野裕子さんの)書簡集の中に、「一家の中に病人が出ると、戦争が起こりますね」と言う一節があった。真理だ。規模は違うが、我が家にもあった。(P106より)」
我が家でも、長男が1歳半の時にかかった病気で、長く大変だったが、家族に病人が出ると雰囲気が一変するのはよくあること。それは、家族に対する「覚悟」が足りない証なのかも・・・!?
そして、カミさんが「これは確か!」だと言っていた・・・。
「入院中は神経が鋭敏になっていたせいか、(略)……とにかくよく泣いた。今思うと、泣けてよかったとも思う。泣くということはカタルシスに通じる。カタルシスはギリシア語で【浄化、排泄】の意味らしい。なるほど、涙を流すのは一種の排泄なのだろう。涙で悲しみを洗い流すのだ。これからも素直に泣ける自分でいたい。涙もろいのは、年のせいだと言わないでほしい。(P30より)」
この本には、飼っている犬や猫のこと、そして趣味の映画の話もたくさん出てくるが、それらについては省略。それと、全体的にご主人の話がもう少しあっても良かったかな・・・とも思う。同じ立場として応援したいものの、まあベテラン夫婦の亭主の存在なんて、我が家も含めてそんなものか・・・
そしてこの本のキーワードは下記かも・・・
「今回の入院中、手術後の脱臼が怖くてたまらず、その他感染の危険性や脚の使い方などの制約で頭がいっぱいになってしまう夜が何度もあった。がんの再発、転移の恐怖、リンパ腺切除による腕のむくみを恐れる気持ち、左膝の不調とあいまって、なんて不自由な体になってしまったんだろうと、落ちるところまで落ち込んだ。泣くしかない。泣くしかなかったそんな夜……。誰でもいい、今すぐ私のところに来て、ハグしてほしいと願った。言葉は要らない。温かいハグがただほしかった。
こんな夜はハグしてほしい日本にはない温かなハグの習慣 (P102より)」
引用が多く、長文になってしまった。
でも読み終わってみると、「人生にはどんなことも起こり得る」ゆえに、本の題の「こんな夜はハグしてほしい」の意味が良く分かった。そこには弱さをさらけ出した素直な姿がある・・・
自分も将来病気などで心が弱った時、「ハグして欲しい」と言ったら、カミさんはハグしてくれるだろうか・・・。
●メモ:カウント~610万
<付録>「ボケて(bokete)」より
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