藤野可織の「体力」~軽いエッセイ
先日、会社から帰った自分に、カミさんが「この記事、気に入ったから直ぐに読め!」と言う・・・。一読して「直ぐに読まなければいけないほどの記事か?」と返事した・・・
「(プロムナード) 「体力」 藤野可織
とにかく体力がない。今にはじまったことではない。昔からだ。
体が弱いわけではない。病院へ行って、風邪以外の診断を下されたおぼえがない。血圧は低めだが、問題になるほどではない。ひたすらに、体力がない。それだけだ。
小学生のころ、私はとても痩せた子どもだった。ピアノを習っていたからだ。遊びではなかった。将来、ピアノを職業にするために習っていたので、毎日練習をするのは当たり前だった。ピアノを弾くのはとても体力がいる。座っているけれど全身運動だ。それで、痩せていた。6年生のときにいやになってやめると、みるみる太った。
太っても、体力はそのままだった。中学生になり、ピアノをやめたせいでやることがなくなった私は、日曜日には遊びに出ることにした。遊びといってもたいしたことはしない。映画館か美術館へ行くだけだ。しかし、そうすると後日、しばしば寝込んだ。寝て過ごすと、翌週もそこそこ元気だった。
高校で、ペースをつかんだ。私は自分が、6限ある授業のすべてを集中して聞き通す体力はないと踏んだ。時間割の並び、得意科目と苦手科目、授業が教科書に沿ったものかそうでないかなどの要素を考慮に入れ、休息に充てる科目を毎週決めることとした。ルールは、2回続けて同じ科目で寝ないこと。当時、私の通っていた高校は授業中のおしゃべりや立ち歩きなどで学級崩壊に近い様相を呈していたので、おとなしく寝ている私が問題視されることはなかった。
その後も、私は寝た。授業中に、就業中に寝た。会議中にも寝た。確信犯的に寝て、寝てはいけないと手の甲を引っ掻(か)いて傷だらけにしながら寝た。
今も、よく寝ている。バスで寝て、電車で寝て、喫茶店で寝る。服を買いに出掛けてデパートの休憩用の椅子に座った瞬間、寝落ちする。映画館ではほとんど寝ないが、美術館では数度寝た。どうしても立っていられなくなって展示室を途中で退出し、必死で館内の隅に置かれた椅子を探し当て、そこで寝てしまった。
もちろん家でも寝る。出張から帰った翌日や一仕事が終わったとき、いや終わっていなくても、ときどきほぼ二十四時間寝てしまう。そのあいだ、トイレか水を飲みにふらりと起き上がることはあるが、用が済むとまたベッドに戻り、一瞬にして眠りに落ちている。私はこの長時間睡眠が、あまり好きではない。丸一日を無駄にするし、このせいでたくさんの面白そうなイベントごとを逃した経験があるし、なにより起きたとき、ぜんぜん体がすっきりしていないからだ。いや、はっきり言って、体調は悪くなっている。喉や顔面の皮膚はひりひりするほど乾き、腰と首は痛み、肩はいつもにも増して凝る。頭痛もあるし、目眩(めまい)もひどい。体力さえあれば、こんな目に遭わなくてすむのに、と思う。
しかし、この話をすると、それは体力があるんですよ、と言われる。どうやら眠るのにも体力は必要であり、二十四時間も眠り続けるとは相当な体力だ、ということらしい。道理で寝て起きたあとぐったり疲れているわけだ。貴重な体力を一心に睡眠に捧(ささ)げているだなんて、不毛すぎて泣きたい。が、泣かない。せっかく起きているのに、泣いて体力を消耗するわけにはいかない。(作家)」(2014/06/16付「日経新聞」夕刊p7より)
これが、何とも他愛のない記事なのだ。
そう言えば、前にも同じような記事があったな・・・と探したら、あった。何と同じ藤野可織氏の「「肩凝り」について・・・(ここ)」だった。
前回に引き続き、こんな他愛のないテーマで、ここまで書ける才能・・・!!
wikiで見ると、藤野可織氏(34歳)は芥川作家だという。読書家ではない自分は、残念ながら知らない。
それにしても、何度読み返しても「休息に充てる科目を毎週決めることとした。ルールは、2回続けて同じ科目で寝ないこと。」が愉快だ。実に良く考えている・・・
また、「私の通っていた高校は授業中のおしゃべりや立ち歩きなどで学級崩壊に近い様相を呈していたので」という記載は、こんなことを書いて良いのかな?と心配になり、wikiで読むと、この高校は同志社高校らしい。
でもこんな記事は好きだな・・・。読んでいてホッとする。新聞やニュースの不愉快な報道より、よほど和む。
特に政治のワケの分からない昨今・・・。こんなエッセイでも読んで、休息を取りましょうか・・・。
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