昭和50年の出来事(28歳)~子門真人の「およげ!たいやきくん」
自分が生まれてから順に、その年の出来事を辿るシリーズの29回目。自分が27歳から28歳、つまりサラリーマン6年目になった昭和50年(1975年)の出来事を調べてみる。
順不同でメモするが、この年は、田部井淳子さんが女性として初めてエベレストに登頂。沖縄海洋博が開催。そしてベトナム戦争が終結した年。
セブンスター150円。自分もこの当時はタバコを吸っていた。「マルちゃんのきつねうどん」もこの年の発売。
本では、横溝正史の「犬神家の一族」や「八墓村」などが話題になった雑誌では、若者向けの「PLAYBOY」が創刊。テレビの大河ドラマは「元禄太平記」。「前略おふくろ様」もこの年。CMでは「ワタシ作る人、ボク食べる人」。
映画では「金環蝕」や「青春の門」「JAWS・ジョーズ」など。
さて歌の世界では、ザ・ピーナッツが引退。
そして、これらの曲が発売になっている。「さらばハイセイコー(増沢末男)」「年下の男の子(キャンディーズ)」「我が良き友よ(かまやつひろし)」「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ(ダウンタウン・ブギウギ・バンド)」「シクラメンのかほり(布施明)」「心のこり(細川たかし)」「 いちご白書をもう一度(バンバン)」「時の過ぎゆくままに(沢田研二)」「愚図(研ナオコ)」「俺たちの旅(中村雅俊)」「なごり雪(イルカ)」「およげ!たいやきくん(子門真人)」「北の宿から(都はるみ)」「木綿のハンカチーフ(大田裕美)」などなど・・・
歌の題名を聞くと、あああの頃か・・・と思い出す。これらの歌のうち、「シクラメンのかほり」は、それぞれ自分がよく聞いていた布施明と小椋佳のコンビで、この年のレコード大賞。「北の宿から」は年末に発売されて次の1976年にヒットし、同じくレコード大賞になった。
そして同じく年末(1975年12月25日)に発売になった「およげ!たいやきくん」は、500万枚とも言われるシングル盤の売上記録を作り、未だに破られていないという。今日はこの歌を聞いてみよう。
<子門真人の「およげ!たいやきくん」>
「およげ!たいやきくん」
作詞:高田ひろお
作曲:佐藤寿一
毎日毎日 僕らは鉄板の 上で焼かれて 嫌になっちゃうよ
ある朝 僕は 店のおじさんと けんかして 海に逃げこんだのさ
初めて泳いだ海の底 とっても気持ちがいいもんだ
お腹のあんこが重いけど 海は広いぜ心がはずむ
桃いろさんごが手を振って 僕の泳ぎを眺めていたよ
毎日毎日 楽しいことばかり 難破船が 僕のすみかさ
ときどき鮫に いじめられるけど そんなときゃ そうさ 逃げるのさ
一日泳げばはらぺこさ 目玉もくるくる回っちゃう
たまにはえびでも食わなけりゃ 塩水ばかりじゃふやけてしまう
岩場のかげから食いつけば それは小さなつりばりだった
どんなにどんなに もがいても 針が喉からとれないよ
浜べで見知らぬおじさんが 僕を釣り上げびっくりしてた
やっぱり僕はたいやきさ 少し焦げあるたいやきさ
おじさん つばをのみ込んで 僕をうまそに食べたのさ
改めて聞いてみると、やはりヒットしそうな歌である。
wikiによると、“シングルの印税は、買い取り契約だったため、売上げに応じた歌唱印税は支払われず、子門は5万円の吹込料の支払いにとどまった”という。一方、キャニオン・レコードは、この歌で新ビルが建ったとか・・・。
なおこの歌は、公式には童謡だそうで、後年生まれた我が家の息子の“愛唱歌”として、日々聞かされることになる。(ああ、今でもこの歌を聞くと、あのいい加減な歌い方の当時5歳の息子の歌声が聞こえてくる・・・。ああヤダ・・・)
*さっき、カミさんが八王子の駅ビル地下で買ってきた鯛焼きを食べた。まだまだ日本の文化として、鯛焼きは健全なようである。
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