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2014年5月 2日 (金)

「率」と「数」で見る高齢化

先日の日経新聞のコラム「大機小機」にこんな記事があった。
「率」と「数」で見る高齢化
 日本の人口が高齢化していくことは誰もが知っている。国立社会保障・人口問題研究所の人口推計(2012年1月、出生率と死亡率は中位)によると、65歳以上の老年人口が全体に占める割合は、10年の23.0%から40年に36.1%、60年に39.9%に上昇する。4人に1人が高齢者という状態から、将来は5人に2人が高齢者という社会になっていくわけだ。
 これが多くの人が思い描く高齢化のイメージだろうが、これは「率」で見た高齢化である。「高齢者の数が増えることが高齢化である」という「数」で見たらどうか。
 同じ人口推計によれば、将来の高齢者人口は、10年の2948万人からしばらく増え続けるのだが、42年の3878万人をピークに減り始め、60年には3464万人となる。16年(ほぼ現在)の高齢者数と同じである。つまり、数で見ると、今後しばらくの間は高齢化が進むが、やがて「負の高齢化」が進み、元に戻ってくるのである。
 これは、団塊の世代と団塊ジュニアの世代が通り過ぎると、高齢者になっていく人口そのものが減ってしまうからだ。
 地域別では、率と数で見た違いはさらに鮮明になる。
 同研究所の推計(地域別の予測は40年までで、5年ごと)によると、高齢者の比率は、40年まですべての都道府県で上昇する。この点は全国と同じである。つまり率で見た高齢化は続くということだ。
 しかし、これを数で見ると、高齢者の数は20年まではすべての都道府県で増加するのだが、その後は減少に転じる県が出てくる。例えば、秋田県や島根県、高知県の高齢者人口は減少を続けて、40年の高齢者数は10年当時を下回るまでになる。
 一方、数で見た高齢化が圧倒的規模で進行するのが大都市圏だ。10年から40年までの間に日本全体で高齢者は約920万人増えるのだが、このうちの約620万人は東京、大阪、名古屋の三大都市圏である。
 このように数で高齢化の姿を見ていくと、「高齢者の消費が日本経済をリードする力はやがて衰える」「近い将来、地方部では医療・介護需要が減り始める」「大都市圏では医療・介護施設が大幅に不足する」などといった、率では見ることのできない高齢社会の姿が浮かび上がってくるのである。(隅田川)」(
2014/04/24付「日経新聞」「大機小機」より)

この視点は面白い。日本の高齢化社会は、どうしても「率」で考えてしまう。しかし、社会に一番影響を与えるのは「数」であろう。
人口の少ない県では、20年が高齢者のピークだという。20年と言えば、あと6年。目の前だ。しかし大都市圏は高齢者の数が“圧倒的規模”で拡大するという。

たまたま昨夜(2014/05/01)のNHK「クローズアップ現代」のテーマは、「極点社会~新たな人口減少クライシス~」。NHKのサイトの解説にはこうある。
極点社会~新たな人口減少クライシス
少子高齢化が叫ばれてきた日本。しかし、いま多くの地方では高齢者すら減少し始め、日本全体が縮小しようとしている…。NHKでは最新人口統計を元に、これまでにない詳細なデータ分析を研究機関の協力を得て実施。その結果、2040年には地方の衰退だけでなく、日本自体が縮小していく危機が迫っていることが分かってきた。最も深刻なのは既に高齢者すら減少を始めている市町村が急増。高齢者の年金で成り立ってきた地方経済がシュリンクし、雇用の場を失った若年女性が首都圏にこれまで以上に流入していくことだ。東京オリンピックを機に更に過密と集中が予想される首都圏。一方で、地方では若年女性が消え“限界自治体”化、首都圏では子供を産み育てられない女性が増加し、結果的に日本全体が縮小し始めていく。番組では最新のデータを元に、危機的な人口減少問題を可視化し、今後を考えていく。」(
NHKのここより)

時を同じくして、朝日新聞とNHKが同じ危機感を訴えていた。
このNHKの番組でも取り上げていたが、地方の空き家率の上昇は深刻。家と家財だけが残され、人間だけがどんどん消えて行く・・・。若い人も仕事のある都会へ・・・。その結果、町自体が消えて行く・・・。
このような事態に、我々プチ高齢者はどう対処すれば良いのだろう・・。とにかく欲しいのは赤ん坊・・・。でも若い人にとっては、育児という金銭的にも困難な壁が、時間とともに益々高くなっている。だから子育て支援だと、自治体も待機児童の削減などに力を入れている。おっとその前に、結婚の前提となる“出会い”の支援も必要だが・・・。
一方、その深刻な事態を前に、国はどう動いているのか・・・。

かつて、「産めよ増やせよ」というスローガンがあった(らしい)。
Netにはこんな解説がある。
産めよ増やせよ
1941年(昭和16年)に閣議決定された人口政策確立綱項に基づくスローガン。
背景:日本も昭和に入り出生率減少傾向が見られた。明治来の富国強兵策には永続的な人口増加が不可欠と考えられた他、戦争激化による生産人口の不足、植民地の殖産など人口増が不可欠と考えられていた。」 (
ここより)

「1941年1月23日、「産めよ増やせよ」をスローガンとした人口政策を政府閣議で決定。5月、結婚費用の貸し付けと出産によるご褒美としての天引き、子宝手当の支給試案を発表。」 (こより)

このスローガンには、どんどん産んで、どんどん戦争で死んでいく、という怖ろしい響きが感じられる。
でも当時は、富国強兵・・・。戦争には人間が必要、という発想だったのだろう。
そして現代に目を向けると、どうしても戦争をしたいらしい現政権。でも、何か優先度が違う気がする。幾ら戦争をしたくても、人がいなければ戦争は出来ない。もちろん国力の低下も避けられない。それとも、テレビゲームのようなリモコンでの戦争をするのかな・・・

政府は、秘密保護法や集団的自衛権に突き進む前に、国力の低下を止めるため、若い人が喜んで「産めよ増やせよ」となるような政治をする方が先ではないかと思うのだが、どうだろう。安倍さん!! 戦争はそれからにしたら!???

140502damemoto <付録>「ボケて(bokete)」より

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