新聞各紙の「集団的自衛権」の社説の比較
今朝の朝日新聞にこんな記事があった。
「在京6紙、賛否割れる 集団的自衛権、新聞社説は――
「断じて許されない」「高く評価」――。安倍政権が集団的自衛権の行使容認への一歩を踏み出したことについて、新聞各紙の社説は賛否が分かれた。どこにその一線があるのか。各紙の論点を整理し、社説の担当者に聞いた。
安倍晋三首相が「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」から報告書を受け、会見した翌日16日の社説を読み、取材した。
朝日新聞は、首相が進める憲法解釈の変更による行使容認を「立憲主義からの逸脱」と批判。「日本が攻撃されたわけではないのに、自衛隊の武力行使に道を開く」「首相や懇談会が強調する『必要最小限なら認められる』という量的概念は意味をなさない」と主張した。大野博人論説主幹は「集団的自衛権行使の現場で何が起きてきたか。首相の主張には戦争に加担することへのリアリティーが欠けている」と話す。 毎日新聞は首相が会見であげた二つの例に着目。朝鮮半島有事の米艦船防護は「個別的自衛権などで十分に対応出来る」、国連平和維持活動(PKO)の駆けつけ警護は「集団的自衛権とは関係がないPKOの武器使用の問題だ」とし、「本質からそれた国民に理解されやすい事例をあえて選び、(略)行使容認に向けた空気を醸成する狙いがにじむ」と指摘した。
小松浩論説委員長は「このテーマはわかりやすさだけを追究すると本質が見えなくなる。論理立ててしっかり書きたい」と話す。
東京新聞は、集団的自衛権は国連加盟国に認められた権利だが、ほとんどは大国による軍事介入の正当化だとして「『戦争する』権利の行使を今、認める必要性がどこにあるのか」と問うた。豊田洋一論説委員は「複雑で難しい問題だが、暮らしに大きな影響を与える可能性が高い。引き続きわかりやすい表現で多角的に問題提起する」という。
一方、産経新聞は賛成の立場を明確にした。「『異質の国』脱却の一歩だ 行使容認なくして国民守れぬ」という見出しで、「当然の政治判断がようやく行われようとしていることを高く評価したい」とした。
読売新聞は安倍首相の方針について「改めて支持したい」と評価。周辺有事での米軍艦船の防護などの例を挙げ、「こうした重大な事態にきちんと対処できないようでは、日米同盟や国際協調は成り立たない」。
日本経済新聞は「憲法解釈の変更へ丁寧な説明を」との見出しで、「政府はまず、急いで取り組むべき課題とじっくり考えるべき課題、現行法制でできることと憲法解釈の見直しが必要なことを、きちんと仕分けることが大事だ」と述べた。
■反対目立つ地方紙
ブロック紙・地方紙では、各地域の事情や歴史を踏まえて、平和主義の危機を訴えた社が目立った。
北海道新聞は「憲法をないがしろにしてまで集団的自衛権の行使容認を目指す安倍晋三首相の姿勢は、断じて認めるわけにはいかない」と書いた。辻岡英信論説副主幹は「70年かけて積み重ねてきた日本の歩みを簡単に否定していいのか」と話す。16日から1週間、毎日社説でこの問題や平和を論じた。
信濃毎日新聞は3月から「安保をただす」という題で、集団的自衛権に関する社説を約20本掲載。16日は「限定的であれ、行使を認めれば9条の縛りはなくなる。(略)後は政権の判断で対象を広げられる。小さく産んで大きく育てるつもりではないのか」と疑問を呈した。丸山貢一論説主幹は「中央の政治から距離がある地方だからこそ、論議の流れや矛盾が見える。今後も絶対認められないという姿勢を貫く」。
京都新聞は「この機会にいま一度、憲法の前文と9条を読み返してみたい」と読者に呼びかけた。論説委員室は「平和を守るという論理のもとに軍拡が広がる。首相の会見を聞きながら、生活者として覚えた違和感を書いた」という。
沖縄では尖閣諸島への武装集団の上陸などが想定される「グレーゾーン事態」も身近で深刻な問題だ。
沖縄タイムスは「本土防衛のための捨て石」にされた沖縄戦の体験を引き、「日中間で軍事衝突が起これば、沖縄が戦場になるのは目に見えている」と警鐘を鳴らした。
久高将己論説委員長は「戦争ができる国になるのは県民にとって絶対許せないこと。沖縄から声を上げていきたい」と話す。(吉浜織恵、斉藤佑介)
■根気よく説明を
水野雅夫・中部大学人文学部教授(メディア論)の話 「新聞の顔」の社説で、各紙とも思いきり表情が出た。賛成派はしてやったりの顔、反対派は怒りの顔だった。地方紙も地元の現状を踏まえて自分たちの言葉で訴えた。1回の社説ではすべてを書き切れないテーマだ。読者や国民に対して根気よく、丁寧に説明し続けることが大事だ。」(2014/05/23付「朝日新聞」p3より)
当サイトは、このような比較記事が好きなのである。しかしうがった見方をするっと、この記事もそれぞれの社説の抜粋である以上、この記事の筆者の思惑が入らないという保証はない。それは我々読者が読み解くしかない。
でも、まず、“クールに書かれている”という前提で比較しながら読んでみると、なかなか面白い。
言うまでもなく、社説は最も分かり易い“法人”としての各紙の意志なので、これに関する全ての記事は、多分この社説と同じスタンスで書かれているのだろう。
でもそれはある意味、怖ろしい・・・。自分のようなノンポリ派は、たまたま取っている新聞を読んでいるだけで、いつの間にか洗脳されてしまうかも・・・。
要は、新聞を含むマスコミに対して、ある程度の距離を置いて、なるべく批判的・客観的に読む心掛けが必要なのであろう。
そんな自戒を込めて読んだ記事であった。
| 0
コメント
いわゆる「民意」を考える時にタイの今回のクーデターはいろんなことを考えさせてくれます。国軍、エリート層は選挙に現された「民意」を軍事力—暴力で封じ込めようとしています.少数のエリート層=富裕層の既得権を守るために。
ところが日本政府がこの暴挙を非難したという話を聞きません。新聞その他の論調もそうです。
・・・・オバマ政権はようやく非難声明をだしたようですが。
タイとの経済的結びつきの大きさ、の前には民主主義ー民意などは大した問題ではないということのようです。
翻って日本では・・・・クーデター的手法は取りませんが一部エリート層、プチ富裕層を含むごく少数のひとびとの利害が全体の利害であるかのように語られるさまざまな装置があるようです。産経新聞だったり読売新聞だったり。
各紙の論調から距離をおく慎重さは必要ですが論調を測る民主主義というモノサシの大切さを思い起こしたいものです。
【エムズの片割れより】
全ての事象に透けて見えるのは、「利権」「私利私欲」のようですね。
人間の本性で、どうしようもないのでしょうか・・・?
投稿: todo | 2014年5月24日 (土) 05:46