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2014年5月 1日 (木)

漱石の「こころ」の続編!?

先日の朝日新聞の投稿欄に、こんな記事があった。
「(ひととき) 「こころ」続編は迷作
 20日から再び朝日新聞で連載が始まった夏目漱石の「こころ」には、少し変わった思い出があります。
 次男が高校2年生だった4年前のことです。国語の先生は、この小説にかなりの時間をかけて熱心に教えて下さいました。仕上げに生徒たちに出した宿題が、「この小説の続編を書く」というものでした。
 読書家の高校生であっても難問でしょうに、ましてや文系科目が苦手な次男にはお手上げ。私に協力要請をしてきました。
 手伝うといっても一緒に考えるぐらいなら構わないだろうし、なにより面白そうでした。そこで、私も「こころ」をじっくり読み直し、その後の物語のあらすじを一緒に考えました。
 次男が睡眠不足と戦いながら書き上げた続編は、国語の先生も漱石先生も苦笑いの「迷作」でした。
 病気の父に会いに郷里に戻っていた「私」は、「先生」の遺書を読んで先生のもとに駆けつけますが、先生はすでに亡く、故郷の父も亡くなってしまう。私は残された先生の妻を支えようと決心するが、先生の妻は実は悪女だった……。
 生徒泣かせの面白い宿題のことを、この春、思い出しました。(千葉県成田市 主婦 51歳)」
(2014/04/30付「朝日新聞」p23より)

漱石の「こころ」については、1年ほど前に書いた(ここ)。この小説における“先生”は、残された奥さんに対して、あまりに冷たいのでは?という意見である。
今日(2014/05/01)は、新聞の連載の第10回だが、こんな場面がある。先生が奥さんと口げんかをして、外に飛び出し、“私”と一緒に散歩している場面。(詳細は ここ
「悪い事をした。怒って出たから妻(さい)はさぞ心配をしているだろう。考えると女は可哀そうなものですね。私の妻などは私より外(ほか)にまるで頼りにするものがないんだから」・・・
「もう遅いから早く帰り玉え。私も早く帰って遣(や)るんだから、妻君(さいくん)のために」・・・

やはり“先生”は、女性を見下している!?(女性は決してそんなに弱くないのに・・・)

ところで、続編を書くとしたら、どんなストーリーを考える??
自分だったら・・・!??

手紙を受け取った“私”は先生宅に駆け付ける。しかし玄関には弔中の文字・・・
奥さんが、ひとりぼっちになったことを知っている“私”は、それから仏さまに線香をあげる名目で、毎日のように先生宅を訪ねる。
奥さんも、話し相手が欲しかったので、歓迎してくれて一緒に話しているうちに、先生宅の事情が分かってきた。実は先生の遺産は、(今の価値で)まだ数億円もあり、銀行の口座に塩漬けになっていた。
私は大学で経済を学び、卒業して証券会社に入ってから、奥さんに投資のやり方を教えた。奥さんも寂しさを紛らわすために株投資の勉強を始め、株の投資の世界にのめり込んでいった。
しかし奥さんの株に対するセンスは抜群で、あれよあれよという間に、先生の遺産を元手に、莫大な財産を築いてしまった。そしてそのお金を元手に、何と(今で言う)老人ホーム「K」を建設し、世の貧乏な人をタダで入れてくれるようになった。
しかしそこに入るためには、奥さんの厳しい面接に通らなければならず、たまたま「エムズの片割れ」の読者だった奥さんは、エムズさんとその片割れさんの二人を入れてくれる決断をされ、貧乏なエムズの片割れさん夫婦は、無料の老人ホームで過ごし、妻は100歳までボケずに暮らしたんだとさ・・・。もっとも夫の方は90歳であっけなく心臓病でポックリ逝ったけど・・・!??

ダメ~?? ダメだよな~こりゃ! ほとんど何も考えずにキーを叩くとこうなる・・・

“妄想”が膨らむ、飛び石連休のひとときではある。

*なおこの妄想に付き合ってくれる方は、コメント欄に各位の妄想の「続編」をどうぞ・・・

140501ikiteru <付録>「ボケて(bokete)」より

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