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2014年5月 3日 (土)

公民教科書、どう違う?~沖縄・竹富町の採択問題

今日は憲法記念日。ちょうど憲法の“解釈”議論が盛んな時でもあり、新聞もTVも憲法の話が多かった。
先日の朝日新聞にこんな記事があった。
公民教科書、どう違う 沖縄・竹富町の採択問題
 中学公民の教科書を巡り、国と沖縄県竹富町が対立している。国は、八重山地区(石垣市、竹富町、与那国町)で教科書を統一するべきだとして育鵬社版の使用を求めるが、町教委は東京書籍版の使用を譲らない。2社の教科書はどこが違うのか。
 2社とも冒頭で「公民」の意味を記している。育鵬社版は「公民とは、公の一員として考え、行動する人たちのこと」と説明。「あなたが国のために何ができるか」という米国大統領の言葉を引用し、「公民意識を身につけることこそが学習のねらい」と書く。
 一方、東京書籍版は「現代社会に存在する問題を、自分の問題として受け止め、解決のためにどうしたらよいかを考えることのできる人間」と記述。「正しい知識と適切な判断力を身につけていきましょう」と呼びかける。
140503kyoukasyo  国家や国旗・国歌の扱いも、読んだ印象が異なる。
 育鵬社版は「国民は国に守られ、政治の恩恵をうけています」とし、「自国の国旗・国歌に愛着をもつのは当然のこと」と記す。東京書籍版は「国家は国民の生活を守り、維持する役割をになっています」。「国どうしが尊重し合うために、たがいに国旗・国歌を大切にしていかなければなりません」としている。
 憲法に関して、大日本帝国憲法を育鵬社版は「アジアで初めての本格的な近代憲法として内外ともに高く評価されました」。東京書籍版は「人権を最初に保障した」とする一方、政治活動や言論が抑圧されたことに触れている。憲法改正では、東京書籍版が手続きをチャート図で説明したのに対し、育鵬社版は2ページを使って説明。「改正するほうがよい」という回答が多数だった読売新聞社の世論調査結果や、各国の憲法改正の回数の表も付けた。
 領土に関しては、2社とも竹島、尖閣諸島ともに「日本の領土」と明記。育鵬社版は外務省のサイトを引用するなど分量を割く。一方、沖縄にとって大きな課題である米軍基地の扱いは、大小が逆転する。
 いずれも米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の写真を使い、沖縄に基地が集中してることを紹介。東京書籍版は、沖縄の基地を巡る経緯や基地の範囲を塗った沖縄の地図を載せる。育鵬社版は「おもな基地」として全国の基地を列挙する中に嘉手納基地(同県嘉手納町など)だけを紹介。ページの半分ほどを割く東京書籍版に対し、育鵬社版はその半分くらいの分量だ。
 沖縄の学力問題などを考える県民間教育研究所の長堂登志子所長は「育鵬社版は国同士の対立を強調し、防衛や憲法改正など、こういう国にしたいという政治的な意図がみえる」と批判する。一方、石垣市在住で「八重山の教育自治を守る会」の鳩間昇さんは「尖閣問題について、東京書籍の内容では子どもたちの理解に足りない」と育鵬社版を支持する。(泗水康信)」(
2014/05/01付「朝日新聞」p26より)

このニュースは知っていたが、教科書の内容までは知らなかった。でもこの記事を読むに、出版社によって、だいぶスタンスが違う。まるで新聞における朝日と読売の違いみたい・・・。でも教科書問題は、まさに子どもの心の中に入り込む“教育”なので、影響力が怖い。

最近、市民団体などが開くイベントへの、市の共催・後援の自主規制が拡大しているという。自治体が、安倍政権の“方向”に対して、無言の圧力を感じて“勝手に”自主規制しているのだという。
「第九条」が変わらなくても、現政権の“意志”は、確実に国民を蝕み始めている。

教科書までもが自主規制して、政権におもねるとすると、その対象が純粋な子どもの心だけに、怖い・・・。このように、戦前のような軍国主義の教育が“なし崩し”的に始まったと思うと、強い戦慄を覚える。
よって、この沖縄県竹富町の教委の勇気に対し、心から敬意を表したい。

140503monogokoro <付録>「ボケて(bokete)」より

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コメント

世の中には選挙大好き人間がいて、立候補者の主義、思想など全く考えずに応援している人達が沢山います。当選すれば勝ったと喜び、総理と一緒に写真を撮らせてもらったと喜んでいます。これが今の日本の政治の原点です。全部とは言いませんが選挙のたびに知性のない民主主義が日本を覆っていると感じます。日本がどっちの方向に進むかなどは関係がないのです。一人ひとりが自分の考えを持ち、選挙に臨むような教育をすることが重要な事ではないかと私は思います。国民の平和を第一に考える政治家が生まれることが大切ですね。政治屋は去ってほしいです。

【エムズの片割れより】
ある男が、言っていました。「安倍首相が集団的自衛権に突き進む理由は、自分の名を後世に残すため。憲法解釈を変えた首相と・・・。それ以外の理由は考えられない。
日本の周辺で米国と戦争をする可能性のあるのは、中国と北朝鮮。しかし、どちらも100%あり得ない。中国は日本など関係無く大戦争になるし、北朝鮮は米国にとって相手にならないので誰も戦争しない。首相は外堀を埋めて余裕が出て来たので、急がないと言い出した。首相周辺も皆大臣になりたいので、反対しない。砂川事件のこじつけも無謀。でも首相の他に力を持った人がいないので、このまま進んで行ってしまうのだろう・・・」
さて・・・

投稿: 白萩 | 2014年5月 4日 (日) 00:11

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