未来に注文つけないヤンキース田中
先日の日経新聞にこんなコラムが載っていた。
「未来に注文つけない田中
「(ヤンキースへのあこがれは)正直、ありませんでした」。メジャーを代表する球団への入団が決まったときの田中将大のそっけない答えに、8年前の秋、ドラフト会議当日の姿を思い出した。
抽選の結果が楽天に決まると「4球団に指名してもらって光栄」と言い、早速入団に前向きな姿勢を示した。どのチームであれ、自分を試す場所があればよかったのだ。海を渡るにしても、あの時と同じで「どこでもウエルカム」だったのだろう。
発足して2年の楽天は連続最下位の弱小球団だったが、自分が変えるという気概があった。「本当の意味での挑戦者。そのなかで戦力になりたい。チームを勇気づけられる投手になりたい」と、当時語っている。
その志を実現したのが昨年の日本一だった。負け慣れていたナインに勝ち組の気持ちのありようを伝え、チームを変えた。
つべこべ言わず、自分を選んでくれたところに進む田中は未来に注文をつけない人、といえる。未来は自分でつくるもの、とわかっているのだ。腹の据わった言動には毎度感心させられる。そのベースにはおそらく、こうした人生観がある。
巨人の菅野智之ら、少数の選手を除き、ドラフトで人気を集めながら、球団をえり好みして成功した例は多くない。「どこでもいい。オレが変えればいいのだから」というバイタリティーに欠けるからではないか。
連勝記録などの関係で「稲尾二世」などといわれることもあるが、本人からあこがれや目標とする選手の名は出てこない。道はそれぞれ自分で切り開くものだから「第二の誰か」にはなろうと思っていないし、なれるとも思っていない。
4月。フレッシュマンたちが社会人としての一歩を踏み出した。志望の会社、業界に入れなかった、あるいは入ってがっかりの人もいるだろう。
しかし、とやかく言う前に、縁あって席を得たその場所で、まずは自分も組織も勝てるように汗をかこう――。田中の歩みはそう語りかけている。(篠山正幸)」(2014/04/10付「日経新聞」p33より)
もちろん自分は野球の世界は門外漢。でもさすがに、先日の田中選手の大リーグのデビュー戦だけは見てしまった。
今までも当サイトで、松井選手など、何度か野球選手について書いたことがあった。どの話も野球だけでなく、人生の生き方について学ぶべきことが多かった。この話も同じ。
誰も人生で新しい世界に入るとき、希望通りに行くかどうかは大きな問題。まず学校の受験がある。それは中学かも知れないし、高校、大学かも知れない。そこで普通は大きな挫折を味わい、人生が苦であること(仏教で言う、思い通りにならないこと)を学ぶ。そしてその経験はその後の人生に活きる。
それに続く就職活動も、そして結婚相手も同じ事。幾ら自分が相手を選んでも、相手から自分が選ばれるかどうかは分からない。そして選ばれなかった時に、どのような態度で臨むか・・・
田中選手のこの「どこでもウエルカム」という姿勢は、どこから生まれてきたのか? 普通は、子どもの頃からの憧れも含め、自分の希望というものはあるもの。そして希望通りに行かなかった場合は、やる気を失い、「自分が希望するところではなかったから・・・」と自分に対して、そのふがいなさの言い訳をするもの。(これはまあ、自分の経験だけど・・・)
これは、ある意味「足を知る」次元の話なのかも知れない(ここ)。
自分自身を良く知っていれば、それを前提としたわきまえた行動になる。逆に、自分自身を過信していれば、当然その報いを受ける。チームと選手との関係も同じかも知れない。
それに対して、上の記事にもあるが、この田中投手の場合は、浮いた価値観とは別世界の、真に野球を見詰める姿勢から生まれたスタンスなのだろう。そして、そんな人間(姿勢)だからこそ、それに見合う24連勝という結果が付いてきた・・・。
人間の生き方と結果は連動しているように思う。それには、自分を選んでくれたことに対する「感謝」という真摯な姿勢・・・(これは、学校や会社、結婚相手も同じ)。
慣れと共に忘れがちなことだが、こんな記事を読みながら、ふとそんなことを思ってしまう。
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