「老舗百貨店、まさかの統合」
先日の日経新聞に。百貨店の統廃合についての記事があった。歴史を振り返る記事なので、あまり面白くはないが・・・。
「流通革命50年の興亡(2)老舗百貨店、まさかの統合 再編の影に物言う株主 歴史守るため大胆に変化
江戸初期と中期に創業した松坂屋と大丸。首都圏が地盤の老舗の三越と伊勢丹。関西電鉄系のライバル、阪急百貨店と阪神百貨店。歴史が培った独自の社風と屋号に象徴さ れる百貨店には、変化を嫌いそうな体質が漂う。だが各社は2007年前後に一斉に再編に動いた。まさかとの印象も強い統合の背景には消費の変化だけでなく、物言う株主の存在があった。
「従来の百貨店とはかなり違ったものになる」。「大丸」「松坂屋」を傘下に持つJ・フロントリテイリング社長の山本良一は2日、松坂屋銀座店跡地の再開発着工発表会でこう発言した。詳細はこれからだが、低層階に商業施設を配置し、その上はオフィスとして活用するのが骨子だ。
秀和の悪夢再び
同様の構想を20年以上前に松坂屋に突き付けた人物がいる。不動産会社秀和の社長、小林茂だ。流通株を買い占め、百貨店に都心の一等地の有効活用を迫った。懇意のゼネコンに作らせた大型模型を見せ、持論の再開発計画を展開。幾度も呼びつけられた松坂屋首脳は聞き入るだけだった。
当時、メリルリンチ証券で小売分野のトップアナリストで、小林とも接点があった鈴木孝之は「今ならファンドですよね。実際、その後の村上ファンドは松坂屋にとって秀和の再来だった」と指摘する。
村上ファンドが松坂屋に現れたのは05年。松坂屋社長(当時)の岡田邦彦が大阪などの店舗閉鎖を「刀折れ矢尽きた」と苦渋の表情で発表した翌年だ。目当てはやはり土地だった。
結果として一年余りで村上ファンドの脅威は代表のインサイダー取引容疑を機に去った。だが、ようやく腰を据えて創業400年となる11年の記念事業として銀座店の再開発を進めようとした松坂屋はある事実に直面する。「株主対策に翻弄されて疲弊し、何度、経営会議を開いても新たな銀座店の青写真が描けなかった」(当時の首脳)。
平成に入って2度も株式を買い占められた松坂屋。「このままではまた同じ事が起きかねないとの思いで、役員らから自然と出てきたのが再編という言葉だった」とこの首脳は振り返る。相手に想定したのは90年代後半から改革を進め業界屈指の効率経営を実践する大丸。最大の消費地、東京での存在感を高めるという課題も同じだった。
06年12月11日夕、松坂屋ホールディングス社長(当時)の茶村俊一と大丸会長(同)の奥田務は互いの本社の中間にある京都のホテルで会談。提携から入ろうとした茶村に奥田は「スピードをもって経営効率を高めるには統合以外は意味がないでしょうと持ちかけた」と打ち明ける。この時、茶村は「村上ファンドの問題は片付いています。障害はありません」と答え、統合の流れが決まった。
村上ファンドが統合に結びついたのは阪急百貨店、阪神百貨店も同じ。阪神百の親会社、阪神電気鉄道株が村上ファンドに買い占められ、迷走の末に阪急電鉄グループが取得。鉄道の統合が百貨店にも及んだ。
同じ頃、東京では三越が苦境にあった。90年代後半以降、ゴルフ場開発の失敗などでリストラが続き、自己資本比率は一時、10%程度まで落ち込んだ。業績低迷で株価が乱高下するうちに、いくつかのファンドが株式を取得。「分厚い資料をもって訪れ、短期に抜本的な経営改革と成果を迫ってきた」と三越社長(同)の石塚邦雄は当時の状況を説明する。
時間との闘い
石塚は「好き勝手にはさせないとの思いで営業力回復による再生方針を丁寧に説明した」が納得せず、矢継ぎ早に改革案を突きつけられる。格付けも下がり、社債の発行も事実上閉ざされた。再生は時間との闘いになり、単独での生き残りから統合にかじを切った。
石塚は高校の先輩、伊勢丹社長(同)の武藤信一を頼った。人的なつながりだけではない。三越の若手社員らは「目指すべき百貨店像」に伊勢丹を挙げていたからだ。
統合の行方を見守っていた三越の主力取引銀行、三井住友フィナンシャルグループ社長(同)の北山禎介は「こんな組み合わせがあったのかと感心した」と振り返る。ファッションに強い伊勢丹と高額所得者に支えられる三越。顧客を奪い合うことは少ない。北山は幾度の合併を繰り返してきた銀行の歩みにも重ね合わせ、石塚に「ベストプラクティス(最善策)ですね」と背中を押した。
その後急速に進んだ再編作業に北山も驚き、「主導するリーダー、目指すべき百貨店像が明確だったからでしょう」と語る。その理由を証券会社幹部はこう解説する。「両社の株主名簿を見たら、株主でもある取引先の重複が目立った。百貨店側は規模のメリットで取引交渉が有利になり、取引先にとっては太いパイプが築ける。もし、株主構成が大きく違っていたらもたついていたはずだ」
頼られた伊勢丹も実は株主への課題を抱えていた。松坂屋同様、90年前後に秀和に株を買い占められ、解決のために取引先に一株1300円で取得してもらった経緯があった。「統合時にこの株価を上回っていないと迷惑をかけると最後まで気にかけたが、結局届かなかった」とOBの一人は無念そうに語る。ここにも秀和の亡霊がいた。
経済学者で流通業界に詳しい、東大教授の伊藤元重は百貨店を「しぶとい」と表現する。大手小売業として100年を超える歴史を誇るのは百貨店だけだからだ。多くの関係者が指摘する「長い歴史で培った本能的な危機感」があったからこそ、百貨店は屋号を守るために大胆な変化を選んだのだろう。(敬称略) 編集委員 田中陽が担当した。」(2014/04/13付「日経新聞」p15より)
百貨店はまさに夢を売る。子どもの頃は、百貨店は屋上に遊園地があり、食堂ではお子さまランチがあった。商品は高品質だが高価・・・。
自分自身は、あまり百貨店には縁が無かった。頭から「高い」と思い込んでいたから・・・。でもやはり百貨店で買ったスーツの品質は良い。逆に、特売場で売っていたスーツは、伝票は百貨店のものであっても、実態は百貨店の場所だけ借りた外部業者であることをずっと後になって知った。
そのブランドが命の百貨店の、統廃合の嵐・・・。でも百貨店はどんなことがあっても生き残ると思う。要は、何を持ってその存在感を示すかだが、それぞれに特徴を出している。
しかし当八王子には百貨店はない(図はここより)。自分が現役時代は、伊勢丹、大丸、西武、そごう、などがあった。立川の駅前に比べると、八王子は何とも・・・
何でも、同じ状態で続くものはない。その時代にどう合わせせられるか・・・。
銀行の統廃合もそうだが(ここ)、百貨店の変遷についてもピンで留めておきたく、書いておく。
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