「がん放置療法のすすめ」近藤誠著~Uさんの読書ノート
Uさんが送ってくれる読書ノートのうち、近藤誠氏のシリーズの続きである。この本のエッセンスとUさんのコメントである。
★「がん放置療法のすすめ」近藤誠著~Uさんの読書ノートのPDFは(ここ)
「コメントと感想
・・・
本書が今出版されたのは、著者が2014年春に定年を迎え、定年後は診療に携わらないと決めている為、患者は自立する事を迫られる。そこで何かの時に自分で判断をし、行動できるよう本書を残そうと思ったと「後書き」に書かれています。
又、著者は、在籍した慶応病院に感謝している。放置治療を実施し、病院収入が一人当り700円にしかならない医療行為を許してくれた義塾の自由や独立自尊の精神に感謝しています。
著者が此処まで明確に、固形がんには、抗がん剤は効かない。早期発見・早期治療は間違いだと公言しているのに、癌研や大学病院では、今でも手術を行い抗がん剤を使用している。もし、それが正しいならば、なぜ、近藤医師に抗議や議論を挑まないのであろうか?不思議でならない。医療を、命を担保にした博打にしてはいけない。」
それにしても、本のタイトルが「がん放置療法」というのだから凄まじい。つまり「放置」が療法だというのである。タイトルだけ見ると、人間の自然治癒力を期待して・・・とも取れる。しかしこの書の終章では、このように述べられている。
「終章 がん放置の哲学「まずは様子を見よう」
もし皆様が、将来がんと告げられた時に、何が何でも放置を貫くと力む必要はありません。がん放置療法の要諦は、少しの期間で良いから様子を見るという点にあるからです。その間に、「がん告知」によって奪われた心の余裕を取り戻すのです。そして、がんの本質や性質を考えましょう。がんは老化現象です。年齢が高くなるほど発ガン頻度は上がります。そして、老化現象である故、放置した場合の経過が比較的温和なのです。ただ、本物のがんの場合は、老化現象の究極として、いずれ死を呼び寄せます。しかし、その場合も成り行きを癌に委ねれば、自然の摂理に従って人生を完結させてくれます。がんは症状が出ても「緩和」の方法が確立しています。治療法に数種の「選択肢」がある場合、なるべく負担の少ない方法を選ぶのが長生きのコツです。この場合、がん放置療法は有力な選択肢になります。がんを放置する事は決して愚かしい行為ではありません。それは、無神経で粗野な医者たちに、人格や身体を蹂躙されることを避けるための最善の方法であり、人としての尊厳を回復する特別な処方箋なのです。がん死亡が増えている現在、がんの本質を見直すことは勿論ですが、もっと広く人生観、世界観を涵養する為の「哲学」が求められているはずです。
つまり、ある種の「諦観」を持つのでなければ、医者や検査に振り回されてしまうからです。「やまい」は気からと言うように、「やまい」は自然現象であって、私達の頭の中や概念の内しか存在しないと見る事も可能です。従って、もし私達が、がんを自然現象として受け入れる事が出来るなら、がんによる死は、普通、自然で平和である事から、がんに於いてこそ、「やまい」という観念を死ぬまで解放されることが出来るはずです。」
終章のタイトルを見ても、もはやこの書は哲学の領域の話(本)なのだ。つまり、自らの人生を終えるにあたっての人生観や諦観の議論・・・。それは今までの生き方が問われる瞬間・・・。
本来、人間は弱い存在なのだと思う。何度も書くが、がんと宣告されたとき、本当に治療をしないでいられるか、また、どの位の時間で(どの位の“茫然自失”の時間の後で・・・)、哲学的な冷静な心で、自分または家族のがんを受け止めることが出来るか? 何とも自分は自信が無い・・・。
義姉が3年前に末期の胃がんで亡くなったが(ここ)、見付けるまでは普通の生活をしていた。発見後半年の命だったが、このホンモノのがんが、もし早期に見つかっていたら、手術だ何だと、かえって体は弱り、苦しい最期を過ごしたのではないか・・・と、今でも思っている。
ホンモノのがんであればあるほど、見付けないに限る・・・。見つかれば上に書いたように、たぶん放っては置けない。症状があまり無くて発見が遅れれば、患者としての時間を少なくする事が出来る。
どうしても、がんは見付けないに限る・・・と思えてしまうのだが・・・
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