親の遺品整理について思うこと~心の澱
実家がある人は、家を受け継ぐ人がいない場合に必ず遭遇する「両親が亡くなったあとの実家をどうするか」という問題・・・。
我が家では、2年半ほど前から、お袋が一人住まいをしていた田舎の実家に住む人が居なくなり、お袋が亡くなったのを機に、どうするか・・・が問題になった。
実家に行ってみると、お袋が玄関先で転んで骨折し、そのまま入院、老人ホーム、そして別の病院で亡くなったため、実家の居間も台所も、まさに今そこでお袋が生活をしているかのように、時間が止まったままの状態・・・。
四十九日を終えたとは言え、この状態をどうするか・・・
まだ処理をするのは早いのでは?という考えもある。しかし、もう2年半も放ってあって、天井からは畳やベッドの上に、何やら黒いものが落ちてきている。あまり目には見えないが、タタミはシラミなどがうじゃうじゃいるかも知れない。押入の布団の状態は・・・、と考えると、一刻も早く処置した方が良いのではないか・・・という考えも出てくる。
そしてこれについて、両親はどう考えるのだろう?と思ってしまう。まだしばらくはそのままにしておいて・・・と思っているか、それとも、ゴミ屋敷になるのは忍びないので、早くキレイにして・・・、と思っているか・・・。
一方、残された遺族の思いはどうか? 親との思い出の場所なので、そうっと置いておく方が良いのか、やはりおどろおどろしいゴミ屋敷になるのは忍びないので、はやく整理をした方が良いのか・・・
我が家の場合は、四十九日を過ぎて、家族の合意により1ヶ月余の間に、家財を全て廃棄した。その具体的な話は別にするとして、今回親の遺品を前に、この問題は、遺族の心に残された澱(おり)のようなものだな、と改めて認識した。言い換えると、遺品の家財をそのまま残しておくということは、心にいつまでも残って消えない棘(とげ)を抱えているようなもの・・・。
親が半世紀に亘って住んできた家は、あらゆるものがそろっている。タンス・ベッド・冷蔵庫からミソ・醤油まで。どの家にもある品々だが、いざ1軒分を棄てるとなると、気が遠くなる。なぜならば、分別の問題があるから・・・。だから気が重い。整理する気にならない。だからとりあえず放っておく。でも、気になる・・・。
お袋が寝ていたベッドは、今はどうなっているのか・・・。座っていたコタツの座椅子はどうなっているのか・・・。とても気になる。それはまさに心の澱(おり)だ。放って置いても、ずっしりと心によどむ得体の知れない宿題・・・
今回は、業者に頼んで処理してもらったが、家財が一切無くなった実家を前に、結果として 心が軽くなったのを実感した。
両親の生活の臭いが一掃された。だから放っておける・・・。空き家として・・・
もうここには両親はいない。そう実感できる。そう。オシマイ・・・
今回の遺品整理・廃棄を通し、同じ事を子ども達にさせないために、“買う”ということに怯えるようになってしまった。スーパーに行っても手が出ない。そうだ、消耗品以外は、もう買ってはいけない。家財を増やしてはいけない。むしろ時間と共に棄てて家財を最小限に減らさなければ・・・
今は、“棄てる”という行為は、分別を含め大変な労力を伴うものである。シルバー族は、それを念頭に、それを残された家族にさせるのではなく、自分で処理しないといけない。自分の生きた証である数々の品々も、自分が逝ってしまった後、残された人にとっては、単なる廃棄物なのだから・・・。
話は飛ぶが、NHKラジオ深夜便で「著名人の終の棲家に学ぶ~多磨霊園に眠る人々 評論家 立元幸治」(2014/03/18放送)を聞いた。
その中で、画家・梅原龍三郎が、自分の死に際し、こんな言葉を残したと言っていた。
「俺が死んだら葬式などして欲しくない。そんなものは無意味だよ。大勢の人が集まるのは迷惑だしね。娘には、誰にも知らせるな。面倒だから家を閉めて旅行にでも行ってしまえ・・・」「死者のために、生きている者をわずらわせるべからず」
残念ではあるが、今回の遺品整理を通して、自分自身が生活している周囲の品々を改めて眺め、「多い・・・!!」と思った。
(関連記事)
3軒分の実家の遺品を30万円で整理した話
| 0
コメント
親を亡くした後の遺品整理は13年前に経験しました。生活用品の整理は何とか決断できます。しかし…日記など亡くなった人の心の動きが息使いが感じられるものは始末することは容易ではありません。
今日ほんとうに驚くことがありました。近くの大学で聴講生として知り合いになった88歳の方がいます。70歳ごろまで中堅企業の副社長として頑張ってこられ引退後は地域活動に、学びの機会を探し自分史を出版され体力維持のためウオーキングを欠かさず(東海道500キロも走破]好奇心いっぱいの方でした。
4月からの新学期を前に大学への送り迎えの打ち合わせのため(1年前に免許証を返還しています)電話連絡したところ、1月にお亡くなりになったと息子さんから知らされました。最後にお会いしたのが1月10日。16日に町内の新年の集まりのあとに倒れられてそのままということでした。今朝お聞きして午後に夫婦2人で焼香にあがりました。息子さんたちには看護、介護の機会も一切与えずに、見事ではありますが残された人たちには心残りも多いのではないかとも思います。目標としてきた人に手本を示されたように思いますが自分にはちょっと無理かなとも思いました。
しかしやはり遠いけど目標にしたい大きな人でした。
【エムズの片割れより】
やはり一番気になるのはアルバムでした。一部は見付けて引き取りました。親父は一切の日記類は残しませんでしたが、お袋は手帳がありました。でも心の内は分からず・・・
この88歳の方の最期は、自分から見ると理想的・・・。ただ、遺族を思うと色々ありますね。
ウチのお袋も元旦に亡くなりましたが、充分に覚悟の時間がありました。しかし親父の場合は、友人と麻雀をしながらの脳溢血でしたので、まさに突然・・・
それなりの歳になったら、お互い(本人も家族も)いつ何が起こっても不思議ではない、という覚悟が必要なのかも知れません。
投稿: todo | 2014年3月26日 (水) 20:11
こんばんは。
またまた耳の痛い話題です。
23年生まれ、戦後の物のない時代の最後だったかもしれません。だからか、生来のものなのか、物を捨てられない…。結婚を含め3回の引っ越しを経験していますが、その都度箱詰めのまま持ち越したものまである始末。
昨年9月に駐在先から帰国した次男が「駄目だ、これは!」とばかり、その日からガンガン捨て始め、離れ住む長男も加わって、持ち込みごみを5,6回。いまだ片付いていません。息子たちからは「お母さんたちが死ぬまでに何とかしといて!」と厳命されています。
エムズさんの「”買う”ということに怯える」に深く共感します。この物の最後は…?と思うとなかなか手が出ませんね。
しかし…真新しい洋服やバッグを身に着けた時の高揚感も女性としては捨てがたい。消費税アップを前にジレンマに悩む日々です。
【エムズの片割れより】
生活しながらの整理は、ウチのカミさんを見ても多分ムリですね。ウチでは「整理」が口癖・・・。それに「引っ越さないとダメ!」とか言っています。
一方、「全部捨てる」と決断すると、結構簡単に処理出来ます。あまり気にしない方が良いのかも・・・。
投稿: アンディーのママ | 2014年3月26日 (水) 23:50