「旅券をなくした日」~イエイ!が気に入った
ちょっとした新聞のコラムなのだが、読み出してあっと言う間にその世界に引き込まれることがある。
今日の日経夕刊にこんなコラムがあった。
「(プロムナード)旅券をなくした日 宮内悠介
あるとき、東南アジアに出張中の先輩からこんなメールが入った。
「睡眠薬強盗にあった。イエイ」
何がイエイなものかと思った。
でも、そうかと言って、むげにもできない。何しろ、おそらくは海外で無一文となり心細いなか、ぼくが旅好きであったことを思い出し、なかば頼る気持ちでメールしつつ、さりとて悲壮感があってはならないと思い、文末に「イエイ」を付け足したに違いない。
だとしても、これはどう返信したものなのだろう。どういう一言をかければ、相手の気は紛れるのか。
「無事でよかった」?
そうではない。無事でないから、こうしてメールを書いてきている。
もっと何か、自分にしか言えない言葉があるはずなのだ。ぼくは軽薄で言葉遊びが大好きな人間だけれど、こういうときの言葉は大事にしたいと思っているのだ。
考えているうちに、かつて旅したときのことを思い出した。そのころぼくはパスポートや現金を袋に入れ、腹に巻いて移動していた。腹に隠すのは、もちろん盗難に遭わないようにだ。どのみちホールドアップをされれば奪われるけれど、そのときは命も奪われるので問題ない。
問題はない――はずだった。
ぼくはネパールの首都カトマンズで、旅の疲れを癒(いや)したところだった。カトマンズには日本食を食べさせる店などがあり、一息つけるのだ。そして、一息つきすぎた。ぼくは宿の枕の下に貴重品袋を置き忘れ、そのまま長距離バスに乗って旅立ってしまったのだった。イエイ。
バスのなかで、何気なく腹をさすって青くなった。慌てて運転手に事情を話し、電話のありそうな場所でバスを止めてもらうことにした。
問題は、パスポートと一緒に現金が入っていたことだ。旅券だけならまだしも、現金が入っていると、返ってこない可能性が高い。迂闊(うかつ)に「忘れものをしました」と電話するくらいなら、直接宿の部屋に乗りこんだほうがいい。考えた結果、宿で高校生くらいの従業員と仲良くなったことを思い出した。こういうときは、大人より子供のほうが信用できる。名指しでその従業員に出てもらって、こっそり貴重品袋を取っておいてもらったのだった。
この世には善意がある。
そのときの従業員とは、いまもたまにメールのやりとりをしたりする。ともあれ、ぼくは幸いにして山奥で路頭に迷うことはなくなった。残る問題は、乗客たちを待たせていることだった。ぼくは客達一人ひとりに、事情を話して謝って回った。
当然のこと、はてしなく落ちこんでいたのだけれど、そのとき乗客の小父(おじ)さんが昔話をしてくれた。
「昔、仕事で日本を訪ねたんだよ」
「日本にですか?」
「でも、成田でタクシーに乗ったら無一文になってしまった。あのときの絶望は忘れない」
ははは、と小父さんは陽気に笑う。ぼくを和ませようとして、自分の失敗談を話してくれたのだ。
ぼくは出張中の先輩にこう返すことにした。
「おれはネパールでパスポートをなくしたことがありますよ。イエイ」
返事はこうだった。
「そういうわけだから、可哀想(かわいそう)な俺のために帰国したらおごってくれ」
少し考えて、返信をした。
「自己責任です」(作家)」(2014/03/12付「日経新聞」夕刊p7より)
どうってことない一文だが、さすが作家さん・・・。一気に読んでしまった。
「しまった!」と思うことは良くある。上の事件のように忘れ物はその代表。特に、海外旅行でのパスポートの忘れ物は、代替手段が無いだけに、「しまった!」の代表格。
「しまった!」は、「何とか時間が戻らないか?」の願いが込められている。一番身近なのが交通事故。あの一瞬、こうしていたらぶつからなかったのに・・・。そして交通違反で捕まったときも同じように考えるかも・・・
でも時間は戻らない。してしまったことは戻らない。ではどうする・・・?
上の記事にある「イエイ!」が気に入った。
「一旦停止をしなかったので捕まっちゃったよ!イエイ!」「リストラで自分の名前があがっちゃったよ!イエイ!」「会社がつぶれちゃったよ!イエイ!」「ガンになっちゃったよ!イエイ!」・・・
何か気が楽にならない?? イエイ!
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