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2014年2月13日 (木)

「安楽死、18歳未満も ベルギー合法化へ、7割賛成」

毎度こんな話題で申し訳なし・・・。
前にオランダの安楽死について書いたが(ここ)、今度はベルギーの話・・・。

先日の朝日新聞にこんな記事があった・・・
安楽死、18歳未満も ベルギー合法化へ、7割賛成
 「安楽死」が、ベルギーで近く18歳未満の子どもにも認められることになりそうだ。欧州を中心に安楽死を合法化する国はあるが、年齢制限をなくすのは世界初という。子どもが十分に理解して自ら死を選べるのか。そんな議論もあるなか、国民の多くは支持している。
 ■本人の理解力が前提
 ベルギーは2002年、闘病の苦しみから患者を解放することなどを目的として、18歳以上の安楽死を合法化した。「苦痛が耐えがたく、改善の見込みがない」「自発的で熟慮されている」などの要件を満たし、書面で本人の意思を確認したうえで、複数の医師が認めれば薬物注射などで死期を早める。医師は刑事責任を問われない。
 年齢制限をなくす改正法案は昨年末、上院で承認された。下院で今月12日にも採決、可決される見通しだ。ベルギー国王の署名を経て、施行される。
 改正法案では、治療でも回復の見込みが乏しく、身体的な苦痛が著しいといった場合、子ども本人や親の意思を確かめたうえで実施すると規定。子どもが安楽死の意味をきちんと理解しているかどうかは、精神分析医を交えて確認する。
 <「子にも権利」>  上院で法案に賛成した医師のジャック・ブロッチ議員は、本人や親、医師を交えた厳格な手続きを踏むことで「理解力のない未熟な幼児や望まない子どもに安楽死を施すことはない」と理解を求める。年齢制限をなくすのは「成熟度合いに個人差があり、下限を設けるのは適当ではないからだ」と話している。
 世論も追い風だ。地元紙の昨秋の調査では、74%が子どもへの適用に賛成。ベルギーでは「尊厳を持って死にたい」と訴える人の安楽死が年1千件を超えるとされ、子どもへの適用にも抵抗感が少ないようだ。
 ブリュッセルの小児病院のドミニク・ビアロン医師は改正法を歓迎する。集中治療室の責140213anrakusi 任者として、治療に苦しむ子どもをたくさん診てきた。「医師はあらゆる治療を施す責任がある」としつつ、「最後の手段として、大人に認められた権利が子どもに認められないのは不公平だ」と言う。病気で死に直面する子どもは「精神的な成熟も早い」といい、自ら死を選ぶ理解力はあるとの考えだ。
 <親の影響懸念> 一方で、反対意見も根強い。先月末、国内の約40人の小児科医らが「闘病の痛みを和らげる手段はあり、子どもへの適用を急ぐ必要はない」などとする公開書簡を発表。ルーベンの大学病院のクリス・ファンヒート医師は「親の影響を受けず子どもが独立して判断できるのか疑問だ」と言う。
 ベルギーでの議論は国外にも波紋を広げている。カナダ・ケベック州に住む4歳の女児は140213anrakusi1 今月、ベルギー国王に「法案に署名しないで」とビデオメッセージを送った。生まれながらに深刻な心臓病を患うが、治療で一命をとりとめたという。両親は「親が簡単にあきらめてしまう」とし、各国で子どもの安楽死が合法になるのを懸念する。
 世界では、ルクセンブルクなどの欧州諸国や米国の一部の州などで成人への安楽死や医師による自殺の手助けを容認。世界で初めて国として安楽死を合法化したオランダでは12歳以上が条件だが、18歳未満の事例は数件にとどまるという。(ブリュッセル=野島淳)

 ■法制化議論、進まぬ日本
 日本には現在、安楽死を認める法律はないが、司法判断などをきっかけに議論が繰り返されてきた。
 1962年、末期がんの父親を息子が中毒死させた刑事事件の判決で、名古屋高裁が安楽死を適法とする要件として、「苦痛緩和が目的」「本人の依頼、承諾」など六つを示した。95年には、医師が患者に薬物を注射した事件で、横浜地裁が延命治療中止の要件として、「回復の見込みがなく死が避けられない」「患者の意思表示か、家族から患者の意思が推定できる」などを示した。その後も、2006年に富山県の病院で、人工呼吸器を外された末期がん患者ら7人が死亡した問題が発覚。法整備を求める声は根強いが、安楽死の法制化に向けた具体的な議論は進んでいない。」(
2014/02/12付「朝日新聞」p7より)

上の図にもあるように、安楽死を合法化または容認している国は、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、スイス、米国の一部州のようだ。
しかしベルギーでの今回の動きは、18歳未満の子どもの安楽死の議論だ。
どうも自分にはこの話はフィットしない。違和感がある。
確かに“病気で死に直面する子どもは「精神的な成熟も早い」”ということはあるようだ。青年層の自殺も多い。よって、子どもといえども、自分の死に対する認識があることは認めるにしても、子どもが自分の安楽死を決める、ということには違和感が残る。
なぜだろう? 幾ら子どもが判断したとしても、それは親の思いが色濃く反映されるであろう事は想像に難くない。金銭的な困難から、親のあきらめと自己犠牲に走る子ども・・・。確かに、単なる延命だけなら、お金は重要な要素・・・。それに残された命が苦しみだけなら、はやく苦しみから解放してやりたいと思うのも親心・・・。しかし・・・。

どうも自分の心も、あっちに行ったりこっちに行ったり・・・と揺れる。

ふと、前にエホバの証人の信者が、交通事故の子どもの輸血を拒否して死亡させる、という事件のことを思い出した(ここ)。
それを思うにつけ、子どもの命は、親の物か? いや親の物ではない・・・。

昨年11月に、初孫が生まれたが、そのときのヨメさんの妊娠、出産を見つめる過程で、命の不思議さを実感した。初めて、エコーでお腹の中で動いている子どもの画像を見たこともあるが、命は、母親のお腹を借りるとしても、一人で息づき、成長し、生まれてくると実感した。つまり、子どもは細胞分裂が始まった瞬間から、既に一人の人間なのだ。
その命をどう捉えるか・・・
この子どもの安楽死、という話題から、ついかけがえのない「命」の不思議さ、尊さを考えてしまった。

(関連記事)
オランダの安楽死について思う

140213kibi <付録>「ボケて(bokete)」より

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