戦国時代の足軽たちは1日5合食べていた・・・
NHKラジオ深夜便「ないとエッセー「めざせ健康100歳、日本人と長寿食(2)~これが秘訣、軍師官兵衛・驚きの戦場スタミナ食」食文化史研究家…永山久夫」(2014/01/23放送)を聞いた。その中で、戦国武士の体力の話をしていた。
(何度も書いているが、当blogのコンセプトは、自分が「ヘエー」と思ったこと・・・)
<「これが秘訣、軍師官兵衛・驚きの戦場スタミナ食」…永山久夫>
「戦国時代の足軽たちは、よく走った。それは人間の身体機能を活用して、現代のマラソン選手以上に走っていた。足軽たちは通常は農業に従事していたが、その作業が足腰を鍛えるために有効だった。
当時の武士、足軽たちは1日に米を5合食べていた。750グラム、2600カロリー。今は1000カロリー程度しか食べていない。それが戦(いくさ)になると倍になる。1升メシ。朝と昼と夕と夜の4回食べる。これで5000カロリー位になる。それでも太った人は居なかった。つまり如何にカロリーを消費しながらそれを熱に変え、行動したか・・・。
そのよい例が、信長が殺された後の、賤ヶ岳の合戦。柴田勝家が賤ヶ岳で待っていたが、その時点で秀吉は岐阜県の大垣にいた。賤ヶ岳まで52キロ位の距離。勝家は来るとしても1日位はかかるだろうと予想。鎧や甲冑を付けた武士が移動するので、そのくらいはかかる。しかし驚くべき方法を採って、たった5時間で走り抜けてしまった。先遣隊を出して街道筋の農家にメシの炊き出しをしろと指示。米は市価の倍払うとした。だから農家は喜んで炊き出しをした。中には小豆ご飯を炊いた人も居た。そのお握りを武士たちは走りながら食べた。それも少しずつ食べながら走るから疲れない。それで勝家軍を打ち破った。
カロリー源は米。米の75%は炭水化物。それを食べることによってグリコーゲンに変わる。それを筋肉にストック。それを燃やすためにはビタミンB1が欠かせない。これはゴマ、ミソ、小豆ご飯のアズキなどに含まれている。これらの食べ合わせの知恵は、秀吉が農家出身だったから出たのではないか・・・」
戦国時代の甲冑を見るにつけ、よくこんな重いものを身に付けて戦えたものだと、“感心”と言うより、疑っていた。ホントウか??と。
でもこの放送によると、米をたくさん食べて、農作業で体を鍛えていると、重い甲冑を身に付けても、50キロを走り抜けることは可能だったという。
それにしても、米の力は大変なもの・・・。
翻って、現代の米の消費量は少ない。力の源の米。自分もこの放送を聞いて、改めて米の威力を見直した・・・。
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コメント
宮沢賢治の「雨ニモマケズ」に
「一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ」
とあります。
最初は驚きましたが
当時は「米」以外に食べる物が無い時代だったので当然かと考えるようになりました。
「武士の給料」で検索してみると
一日男は5合、女は3合換算とあります。
:http://www.tcn.zaq.ne.jp/kankericlub/bushi/bushi.htm
【エムズの片割れより】
面白いサイトの紹介をありがとうございます。現代人は5合と聞いてビックリしますが、他にあまり食べ物がない時代でしょうから、米類をその位は食べていたんですね。
それに、江戸時代の給料体系はなかなか面白い・・・。少し自分も勉強してみようかな・・・。江戸時代の生活について・・・
投稿: 今井 啓介 | 2014年2月 2日 (日) 14:44