「どうせ死ぬなら『がん』がいい」中村仁一×近藤誠著~Uさんの読書ノート
Uさんが送ってくれる読書ノート(Uさんは「読書日記」と呼んでいるが・・・)は、自分が博学のUさんにかなうはずもなく、ほとんど読んでいない本ばかり。しかし今回の「どうせ死ぬなら『がん』がいい」は、たまたまカミさんが友人から借りていて自宅にあったので、読んでからUさんのコメントを読んだ。
★「どうせ死ぬなら『がん』がいい」中村仁一×近藤誠著~Uさんの読書ノートのPDFは(ここ)
この本のエッセンスは上のPDFを読んで頂くとして、それに加えて自分が気になった所・・・
「近藤 がんの早期発見、がん治療のための化学療法が盛んになるほど、がん医療は産業化していきますからね。医者やスタッフはもちろん、医療器具や放射線装置などまで、おびただしい営業実績ができあがっていく。
一例を挙げると、CT装置(人体にエックス線をあて、輪切り画像をコンピュータ上に展開する装置)の台数は、日本がダンゼン世界のトップ。CT検査による被ばく線量も、検査が原因の発がん死亡率も世界一です。原発事故で国が避難の目安にした「年間」の被ばく線量は20mSv(ミリシーベルト)。胸部CT検査は1回で10mSvですよ。しかし国も医療機関も、健康被害が目立たないように画策してるから、国民は医療被ばくのこわさに気づいていない。医者は、問診や聴診よりCT検査の方がてっとりばやくてもうかるから「とりあえず」「念のために」と安易にすすめます。日本で行われているCT検査の8~9割は、必要のないものです。」
「中村 ぼくは最近「胃ろうをやって、本人がうれしがりますか? ありがたいと思いますか? 感謝すると思いますか?」って家族に考えてもらうんだけど。そうしたらそれに対して、この間、実に明快な、納得できる答えをもらいましたよ。「本人がどう思うか? そんなことはどうでもいい。生き残るわれわれが満足して、後悔しなきゃいいんだ」つて。」
そして、Uさんのコメントである。
「コメントと感想
中村医師は「大往生したければ、医療とかかわるな」幻冬舎新書 が三部作の完結編と言い、近藤医師は「がん放置医療のすすめ」文春文庫で言いたいことは言い尽くしたと言っている。本書はこの二つの著作の“要約”と言える。
中村医師が感心した、近藤語録に「予防医療は患者を“呼ぼう”医療」「“不安”を煽ってフアンを増す」がある。又、現場一筋の中村医師は、大学病院や大病院、企業の嘱託医、開業医、の次の老人ホームの医者である自分を卑下して「ホームレス医師」と呼んでいる。
医学も科学である以上、仮説を立て、実験して、正しくデータを取り、それに基づいて治療をすべきである。今の医学ではどうしても治す事が出来ない病気に対しては、どうしたら患者が苦しまず、穏やかに生きる事が出来るかを考え、実行するのが医者の役目であるはずなのに、業界繁栄や生活の為に、患者が苦しむ手術や抗がん剤を使い、しかもそれでも生存率を高める事が出来ないとは、何と悲しい事であろうか!今後、お二人の本の内容が、標準治療の一つになる事を切に希望する。これは、我々患者予備軍の世論にかかっている。多分、経済的理由から、医者の内部からこの考えは支持されないであろう。」
中村仁一氏の「大往生したければ、医療とかかわるな」は前に読んだ(ここ)。
近藤誠氏の本も何冊も読んでいる。お二人のスタンスは同じ。だから対談が可能な訳で、
「近藤 最近、過去に雑誌で論争した医者との対談の企画が持ち上がったので、最新のデータなども含めて2ヵ月問猛勉強して、「どこからでもかかってらっしゃい」と楽しみにしていたんですが、相手が降りてしまった。残念です。」
とあるように、近藤氏は非常な勉強家であるので、反対者が対談するのは大変らしい・・・。
つまり、世界の論文に通じている近藤氏は、その裏打ちがあるが故に患者の支持が強力なのだろう。
そして、Uさんのコメントで、「中村医師は「大往生したければ、医療とかかわるな」幻冬舎新書が三部作の完結編と言い、近藤医師は「がん放置医療のすすめ」文春文庫で言いたいことは言い尽くしたと言っている。」とあるように、両氏の本の読者にとって大切なのは、両氏のスタンスを理解することであり、たくさん本を買い込んで読破することではない。要は、医療と距離を置け、と言うスタンスを我々(患者たち)がどう捉えるか・・・
話は変わるが、今まで何度も書いているが、中学・高校時代の友人だった外科医の下記の言葉が、今更ながら思い出される。
「・・体にメスを入れることは極力避ける。薬は長期に飲んではダメ。薬は対症療法。体質を変えて行かないといけない。・・ホルモン剤など絶対飲んではダメ。食事と運動。遺伝子組み替えは絶対に避ける。ハイテクなど要らない。副作用を出してはそれの薬を飲んでまた副作用。薬ばかり増える。西洋医学は行き詰まっている。新人の医師も、どの病気には何の薬と決まっているのでバカでも勤まる。今は医療は商売になっていて、訴訟防止に気が向いているだけ・・・」
この話を聞いたのは、もう10年も前のこと。この友人の外科医は、長く大学病院の外科にいて、県の総合病院の院長が最後だった。そんな“切るのが商売”だった外科医が、外科医を卒業してから、医療への不信と、体にメスを入れることへの危惧を語っていた。その話と、この本の“医療によって殺される”という話が、自分の心の中で符合するのである・・・。
しかしこの医療への姿勢の“今後”は、Uさんも指摘されているように「多分、経済的理由から、医者の内部からこの考えは支持されないであろう。」が、「これは、我々患者予備軍の世論にかかっている。」ということだ。
この手の話は、自分の頭の中でもぐるぐる回っているように思うが、事がことだけに、まあ繰り返し考えて行こう。何せ、親の死に際して、延命治療で理屈通りには行かなかった経験から(ここ)、「自分や家族の“その時”に、理屈通り行くか?」という重い命題なので・・・。
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