「平成四半世紀の重大ニュース・ベスト25」
先日の朝日新聞に、「平成四半世紀の重大ニュース」なる記事があった。平成が始まったのが1月8日なので、まさにちょうど四半世紀が経った事になる。
<平成四半世紀の重大ニュース・ベスト25>
①東日本大震災(2011) 1208票
②阪神大震災(1995) 970票
③東西ドイツ統一(1990) 870票
④ソビエト連邦崩壊(1991) 817票
⑤「平成」がスタート(1989) 807票
⑥地下鉄サリン事件、オウム真理捜査(1995) 770票
⑦消費税(3%)導入(1989) 532票
⑧米国で同時多発テロ(2001) 528票
⑨バブル経済崩壊(1991) 442票
⑩湾岸戦争勃発(1991) 412票
⑪東欧諸国で共産体制崩壊(1989) 367票
⑫松本サリン事件(1994) 362票
⑬中国で天安門事件(1989) 308票
⑭リーマン・ショック(2008) 291票
⑮欧州連合発足(1993) 224票
⑯皇太子殿下・雅子さんご成婚(1993) 217票
⑰自民党大敗で政権交代(2009) 213票
⑱2020年東京五輪が決定(2013) 199票
⑲イラク戦争勃発(2003) 192票
⑳JR宝塚線事故(2005) 191票
(21)山中伸弥氏ノーベル賞受賞(2012)
(22))坂本堤弁護士一家殺害(1989)
(23)iPS細胞作製に成功(2007)
(24)北海道拓殖銀行・山一証券破綻(1997)
(25)探査機はやぶさ帰還(2010)
(beランキング)平成四半世紀の重大ニュース
■「平らか」を願ったはずが…
1989年の1月7日早朝に天皇陛下が亡くなり、64年を数えた昭和が終わりました。同日午後発表され、翌日から施行された新年号平成は、中国の歴史書にある言葉「内平らかに外成る」「地平らかに天成る」に由来します。あれから四半世紀、平成の日々に起きたできごとを振り返ってみました。
平成最大のできごとはやはり、これをおいて他にはなかった。アンケート回答者の71%が選んだ東日本大震災(2011年)だ。
「映像を見て何度泣いただろうか。今日と同じ明日が来るとは限らないことを思い知らされた」(新潟、61歳男性)、「いとこが亡くなった。忘れられない」(北海道、25歳男性)など、多くの人にさまざまな傷痕を残した。
巨大地震、津波に続いた東京電力福島第一原発事故の影響もなお深刻だ。「エネルギーと暮らしのあり方を問い直すきっかけになった」(東京、55歳男性)、「便利さばかり追求してきたと反省。安全で暮らしやすい将来を次世代に残さなければ」(東京、70歳女性)。
2位も震災だ。「阪神大震災で我が家は全壊。勤めていた銀行が結果的に倒産」(兵庫、78歳男性)、「実家が全壊し思い出の品のほとんどを喪失」(兵庫、68歳男性)。一方で「多くの方に助けていただき、自分も困っている人に手をさしのべられるようになった」(兵庫、41歳女性)など「ボランティア元年」といわれる動きにわずかな救いもあった。
世界地図もダイナミックに塗り替えられた。「ベルリンの壁の上に市民が乗って、つるはしで壊している映像が衝撃的だった」(東京、46歳女性)、「世界秩序がいとも簡単に葬り去られていく姿に釘付け」(東京、48歳女性)。「ソ連崩壊で、理想が現実になることの難しさを知った。青春が終わった気がした」(東京、75歳女性)という感慨を持つ人もいた。
「映画の一場面と思ったら、緊迫した顔のキャスターが早口で現実と告げた」(愛媛、50歳女性)のは、米同時多発テロ。飛行機が高層ビルに激突するという信じがたい光景を「目撃」した衝撃は大きかった。その10年前の湾岸戦争も、前代未聞の映像が記憶に残る。「ピンポイント攻撃をする、ゲームのような戦争をテレビニュースで見て背筋が寒くなった」(福岡、51歳女性)。
■ノーベル賞で誇りを持てた
振り返ると「とても平成とはいえないような出来事ばかり」(兵庫、51歳女性)。当初バブルのただ中だった経済は暗転、「またすぐに景気回復すると思っていた」(神奈川、45歳男性)が、出口は遠かった。今度こそと思ったところへリーマン・ショック。「退職金の半分以上をつぎ込んだ株が暴落。現在も2割5分の赤字」(大阪、66歳男性)。温暖化の影響か「気候が荒くなった」(東京、71歳女性)のも不気味だ。
明るいできごととして特筆する人が多かったのは、日本人のノーベル賞受賞。「(iPS細胞で医学生理学賞の)山中伸弥教授を始め、国際的に胸を張れる」(埼玉、77歳男性)。平成に入って12人が受賞した。小惑星探査機「はやぶさ」の「トラブルを乗り越えて帰還した偉業」(千葉、48歳女性)も印象に残る。
「昭和に比べ、すべてスピードが速い」(長崎、64歳女性)と感じる背景にはIT(情報技術)の急激な進展もありそうだ。「ウィンドウズ95」発売で一般家庭にもパソコンが普及、「仕事を辞めてしまった私が社会とのつながりを持ち続ける大切なツールに」(群馬、54歳女性)など恩恵も大きいが、わずか数年でライフスタイルを変えたスマートフォンの広がりなど「脅威さえ感じる」(神奈川、65歳男性)も誇張ではない現状だ。
選択肢にはなかったが、アンケート実施中の12月6日に成立した特定秘密保護法を挙げ「将来に禍根を残す」(愛知、64歳男性)、「どんどん拡大、変貌(へんぼう)していくことがないように……」(埼玉、60歳女性)と危惧する人は多かった。「他国と戦争することがなかった時代として平成が続いてほしい」(東京、55歳女性)との願いはだれしも共通だろう。(大庭牧子)
◇
調査の方法 朝日新聞デジタルのウェブサイトで、会員を対象に昨年12月初めにアンケートを実施した。回答者は1694人。編集部が示した約100のできごとから「10大ニュース」を選んでもらった。」(2014/01/11付「朝日新聞」b2より)
我が家では、平成元年はある意味、スタートの時だった。4ヶ月前の昭和63年9月に今の家を建てて引っ越してきた。そして年が替わると同時に改元。昭和天皇の葬儀では、子どもたちを連れて、歩いて近くの道に行き、多摩御陵に向かう昭和天皇の棺を乗せた車が通るのを見た。もっとも子どもたちがそれを覚えているかどうかは分からないが・・・。
よってこの家での生活も四半世紀を経たと言うこと・・・。
その間何があったかは、あまり覚えていない。しかし今考えると、よく働いた時期だと思う。自分は会社が近かったせいもあり、車通勤だった。朝7時半に家を出て、夜11時過ぎに帰って、それから夕食。寝るのはいつも午前2時。もちろん土曜出勤も当たり前。
当時はそれが世の中で普通だった。しかし今振り返ると、皆よく働いた。会社以外の世界は何も無かった。本を読んだり、音楽を聞くこともなかった。子どもは思春期であり、母親任せ。唯一自分がメインでやったのは、平成2~3年の頃の下の子どもの中学受験。これはまさに小学生と一心同体で面白かった。あれからもう20年以上も経った・・・。
先日テレビで、相変わらずの成人式の模様を映していた。「もしあと20年生きていたら、孫の成人した姿が見られるな・・・」とカミさんに言うと、「大丈夫だよ。目標があれば長生き出来るよ」と言う。確かに、その時は86歳なので、ヘロヘロながらも、何とか生きているかも知れない。その時、今2ヶ月の孫がどんな娘に成長しているか・・・。怖くもあり、楽しみでもあり・・・。
平成になって四半世紀。ふと自分のこれからに、不安と期待を感じるこの頃である。
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