「死ぬ瞬間」死にゆく人々との対話 キューブラー・ロス著~Uさんの読書ノート
数十年前から、カミさんから読めと言われていて、読んでいない本がある。キューブラー・ロス著「死ぬ瞬間」である。
カミさんは学生時代にこの本を読み、大きな影響を受けたという。
死へのプロセス、つまり第1段階「否認」、第2段階「怒り」、第3段階「取引」、第4段階「抑うつ」、第5段階 「受容」については自分も知っている。しかしなかなか本文が読めない。先日もチャレンジしたが、数ページで挫折した。
そんな折、Uさんから送って貰った読書ノートに、この本があった。それで改めてその要約を読んだ。
★「死ぬ瞬間」死にゆく人々との対話 キューブラー・ロス著~Uさんの読書ノートのPDFは(ここ)
改めてこの要約を読んでみる。
「我々は、無意識下に自分自身について、決して死は起こり得ないとする基本的な思いを持っている。無意識下では、我々の生命がこの地上で終わるなどとは想像もつかない。」
これは本当である。誰も同じかも知れないが、日常、自分の命は永遠である、という気持ちで暮らしている。およそ死への自覚など無いのである・・・。
「ある医者は患者のニーズに極めて敏感であって、重篤な病気である事をあからさまではなく、だが巧みにはっきりと自覚させ、同時に希望の窓は必ず開けておく。」
2年半前に亡くなった義姉を思い出す(ここ)。ガンの宣告の時、医師から「世界的などんな名医でも治せません。」と言われたとか・・・。
希望を完全に打ち砕く宣告。それは事実かも知れないが、「絶対に治らない」と患者に宣言することが、医師としてどれだけ必要な事か・・・。患者の心を二度と立ち上がれないまでに打ち砕く必要性が、自分は未だに分からない・・・。しかし義姉はそれに耐えた・・・
「どんな患者でも何らかの治療法の可能性を諦めていない。こういう万が一と言う希望が、末期患者に特殊使命の感覚を与え、気力を維持させ、万事が耐え難い限界に達しているのに、さらに加えられるテストにも耐えさせるのである。」
人間はどんな時にも、“希望”が無ければ生きていけないものだと思う。
人に限らず、生物はその命を終えるとき、病気の痛みなどで苦しんで死んでいく。そして家族との別離という心の苦しみもある。
人はそれを営々と甘受してきた。世代の交代と考えると、それらは当たり前のことかも知れないが、しかし、(神は?)なぜこんな苦しみを与える?なぜそんな仕組みに・・・?
確かに本当の死の瞬間は、脳内モルヒネが放出されるとも聞くが、それまでの間は苦しむ・・・
この歳になると、自分たちの死について、良く話す。そしていつも出る話が「どうしたら楽に死ねるか・・・」ということ。
脳溢血は、死に損なう危険生があるので、うまく行くと3分で死ねる心筋梗塞が良いか・・・と。しかし心筋梗塞は痛いらしいので、やはり気を失う脳の疾患がよいか・・・
しかし自分の死を選べないのが、自然の理・・・。
ポックリ寺願望が良く分かってきたこの頃である。
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コメント
こんにちは
ピンピンコロリが理想ですがどうなるか誰にも分からないのが悩みですね。
キュブラーロスさんに「永遠の別れ」という本があります、亡くなった後にデーヴィッド・ケスラーという方との共著のような形で出ています。この本の方が読みやすいと思います。
【エムズの片割れより】
ありがとうございます。キュブラーロスはどうも敷居が高いのですが、今度頑張ってみます。
投稿: 空 | 2013年12月 3日 (火) 17:34