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2013年12月 1日 (日)

「怖い夢」

先日の日経新聞夕刊で、こんな記事を読んだ。
怖い夢 辻村深月
 こんな夢を見た。
 夏目漱石の『夢十夜』の有名な書き出しである。それを意識して、というわけではないけれど、今日は私の観(み)た夢についての話を書く。
 保育園に子どもを通わせる母親にとって、「お迎えを忘れる」ことほど怖いものはない。実際に忘れたことはないものの、私は夢に二度見ている。以下、夢の話であるから、どうか安心して読んでいただきたい。
 一度目に見た夢では、私は仕事で都内近郊の山に来ている。下山し、地元の駅に着いて時計を見ると、保育園のお迎えの時刻を十五分過ぎている。青くなり、携帯電話を確認すると、園からはすでに多数の着信が。これまで、「あと何分!」と急ぐようにしてお迎えに駆け込んだことは何度かあったものの、時間を過ぎている経験は初めてで、しかも、ここから保育園まではどうあがいてもあと一時間はかかる……というところで、目が覚めた。
 その夢も充分に怖かったが、二度目に観たものがまたすごく怖い。
 私は、とあるテレビの番組収録に立ち会っている。以前取材させてもらったプロデューサーが番組を録り終えるところを、スタジオの隅っこで最後まで見守り、出演者たちと笑い合って楽しく過ごす。――と、そこからまるで、夢が一部と二部のように内容が切り替わるのだ。
 スタジオを出たところで夢は終わらず、私は自分が保育園のお迎えを忘れていることに気づく。時間はもう、夜の十時すぎ。遅刻なんて言葉では済まされないほどの大遅刻に、携帯の着信を確認するのももどかしく、園に急ぐ。まだ、我が子はきちんと預かってもらっているだろうか。園の外に出されていないだろうか、と泣きそうになる。やがて、「すいません!」と息せき切って玄関に飛び込むと、うちの子は一番年配の先生に抱っこされ、保育園で待っていた。この段階で、夢の中の時計は十一時を回っている。
 先生に申し訳なくて、どう謝ればいいかわからず、「ごめんなさい、本当にごめんなさい」と早口で繰り返す。先生は怒らない。そのことにほっとしたのも束(つか)の間、先生が腕に抱いたうちの子の顔を覗(のぞ)き込んでこう言うのだ。
「ねぇ。誕生日だったのに」
 そこで、夢が終わる。
 この夢を観た後、起きてからしばらく動悸がおさまらなかった。そもそもうちの子の誕生日はまだなのに、なぜこんな夢を観たのか。言いようのない罪悪感みたいなものが、その日一日、ずっと抜けなかった。
 この話を保育園で知り合いのお母さんに話したところ、「ぎゃー」と叫ばれた。怖すぎる、というのである。「私も似たような夢は観たことがあるけど、何、そのオチ」と言われ、「そうだよねぇ」と私も苦笑したが、その数日後、今度は別のお母さんから「聞いたよー。あの夢の話」と話しかけられた。「聞いた私の方が気になっちゃって、今日はできるだけ早めにお迎えに行こうって思った」と言われ、なんだか保育園内で都市伝説のように広まっていくな、とまた苦笑。きっと私や、うちの園だけでなく、多くのお母さんが子どもを気にかけ、常に忘れ物をしているような緊張感を持って日々を過ごしている。響く人と響かない人がいるかもしれないが、何かの戒めのような、この「怖い夢」。夢で、本当によかった。
(作家)」(
2013/11/26付「日経新聞」夕刊p7より)

保育園の「お迎えを忘れる」という恐怖は、還暦をとっくに過ぎた自分にとっては、まったく分からない「怖さ」だが、自分も「怖い夢」については超ベテランなのだ。
朝起きても、さっき見た夢の内容は脳裏から消えず、カミさんを捕まえては、夢の内容を話すのだが、ハイハイハイ・・・というカミさんはどこまでマジメに聞いているのやら・・・

以降は、個人情報になるので少々ヤバイのであるが、こんな夢をよく見る。それも1度や2度では無く、何十回?も見ている。
場所は、会社の独身寮の部屋。引っ越しの日になっても、準備が出来ていない。段ボール箱も用意していなく、そろそろトラックが来る頃だが、何もしていない。それに肝心のトラックが来ない。予約してあったのに・・・と電話しようとするが、電話番号が分からない。どうしよう、どうしよう・・・と焦っている夢。

それと、こんな夢も良く見る。学生時代の語学の試験の前、勉強をしていなくて、どうしよう!という夢・・・。
全て、“焦り”の夢だ。朝起きて、ああ試験が無くて良かった・・・と思う。
学生時代の試験など、もう半世紀も前の出来事だが、未だに夢に出てくるとは、それだけ当時プレッシャーがあったという事なのだろう。
夢占いというのがあれば、何か分かるかも知れない。カミさんは「人生でやり残した宿題があるため」と評する。

それにしても「夢」という字。将来の“夢”と「悪“夢”」とのあまりに違う“夢”の違い。
しかし、子供たちには大いなる夢を持って生きて欲しいし、また夢おおき時代になってほしもの・・・

131201nora <付録>「ボケて(bokete)」より

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コメント

こんにちは

私も怖い夢でハッとして目覚めるということがあります。目覚める前の覚えている悪夢は一日気分が重いことがありますね。
どうせなら、美女でも現れてくれればいいのにと思います。(笑)

もう一つの希望という「夢」は若者の特権でしょうか、残り時間の少ない老人には・・・いやいやそうでもないか、私にもまだジャンボ宝くじの夢はまだあります。じぇじぇじぇ

【エムズの片割れより】
そう言えば、自分も楽しい夢を見ていて、朝目が覚めたとき「もう少し続きを!」と頑張って眠ったら、続きを見ることが出来たことがありました。悪夢だけではないようで・・・・。
でも、ジャンボの夢は見ませんが・・・

投稿: 空 | 2013年12月 2日 (月) 17:06

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