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2013年11月30日 (土)

「偽装 最後は人間の生き方」

先日の日経新聞のスポーツ欄のコラムに、こんな記事があった。
「(チェンジアップ)偽装 最後は人間の生き方~豊田泰光
 食品の偽装問題と、当たってもいない投球を当たったといって死球を得ようとするような野球の偽装問題には、共通するテーマがあるようだ。
 バレなければ何をしてもいいのか、ルールで明示されていなければ何をしてもいいのか。汚い手を使ってでももうけるのか、勝とうと思うのか。最後は人間の生き方、ということになってくる。
 死球か否か、飛球を完全に捕球したか落球したかといった点などを含めて、ビデオ判定を拡充しようという意見がある。偽装を防ぐためなら、私は反対だ。ビデオによる監視という、ある種強制的な手段によって人を善導するのはどうも筋が違う。
 ルールやビデオ判定の縛りを受けずとも、やっていいこと、いけないことを自分で考えること、その判断力を養っていくところに、スポーツの意義があったはずだ。
 ゴルフが「紳士のスポーツ」といわれるのも、人に後ろ指を指されるような行いをしないということを個人個人の良心に委ねているからだ。
 たとえルールに定められていなくても、自制心を持って戦う。それが選手宣誓に出てくる「スポーツマンシップ」「正々堂々」の中身だろう。
 ルールを守るのは当然で、人間の品格が試されるのはそこから先の「書かれていないルール」にどう向き合うか、という部分だ。
 野球の投手でいうと、打者にぶつけても構わないから勝つために内角を突くという人がいる一方で、打者を傷つける恐れがある球は投げないという投手がいる。
 後者の代表格がレッドソックスの上原浩治。彼の投球には「人にぶつけてまで勝とうとは思わない」という潔さがある。ルールを守った、守れなかったというレベルでうろうろしている選手に、この種の気高さは出てこない。
 食品問題でホテルや飲食店の表示の法律を整備すべし、という意見があるが、考えものだ。ルールがあろうがあるまいが、誰に見られていようがいまいが、ちゃんとしたモノを出すというスポーツマンシップ的な精神こそ、ブランドの信用力の源だったはずではないか。(野球評論家)「
2013/11/21付「日経新聞」p41より)

“先日の”食品の偽装問題。相変わらず、覚めやすい日本人は、最初は「何と!**ホテルもか・・・」とビックリしていたものだが、どこもかしこも・・・といった状態に、もう皆さん、飽きてきたようだ。新聞の扱う欄も小さくなってきた・・・
自分など、最初から信用していないので、まったく驚かなかった。メニューに何が書いてあろうが、一文字一文字を問題にする価値は無いと・・・。
「フレッシュジュース」なども、パックのジュースを使っていたので「ゴメンなさい」??自分など、「フレッシュジュース」という名のジュースなんでしょう?としか最初から思っていないので、驚きもしない・・・。

何でも品格。それなりの店は、メニュー表に何が書いてあっても、それなりの料理が出てくると期待し、逆に安さ一辺倒のチェーン店は、安いなりの料理なのだろうと思う。
それを、メニュー表の一字一句を捉えて、ワイワイ騒ぐのは、どうも解せない。
誰も、書いてある事を100%信じて注文しているとは思わなかったので・・・

しかし安過ぎるのは少々心配。先日、久しぶりに会社の近くの牛丼屋に行ったら、12時少し過ぎだというのに客がまばら・・・。カウンター席は一応埋まっているものの、テーブル席はガラガラ。こんな店こそ、昼休みだけは混むと思っていたが・・・。ただ安ければ・・・という姿勢もそろそろ限度なのかも知れない。

でも全ては気品、品格なのだろう。
先日の一票の格差の最高裁判決といい、秘密保護法の一部野党の迎合や政権の強行採決といい、とにかく人間としての気品が感じられない。
和食がユネスコの無形文化遺産登録を狙っているそうだ。中華料理に比べると、和食は何か気品を感じる。また、今大騒ぎをしている中国が東シナ海に設置した防空識別圏も、あまり品格を感じられない。
せめて日本は、公衆道徳も“政治”も、全てに気品を感じる国となりたいものだが、まあムリだろうな・・・

131130sushi <付録>「ボケて(bokete)」より

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