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2013年11月 8日 (金)

島倉千代子が亡くなった~「からたち日記」

今日はこんなニュースでビックリ・・・
島倉千代子さん死去 75歳 30年連続「紅白」出場 
 「東京だョおっ母さん」「人生いろいろ」などのヒット曲で知られる、歌手の島倉千代子(しまくら・ちよこ)さんが肝臓がんのため亡くなったことが8日、分かった。75歳だった。東京都出身。
 3月30日の誕生日にイベントを行い、元気な姿を見せていたが、帰らぬ人となった。
 島倉さんは1938年(昭13)生まれ。53年、日本音楽高等学校へ入学後、歌謡コンクールに積極的に出場し、翌年コロムビア全国歌謡コンクールで優勝。同社と専属契約を結び、55年にデビュー。デビュー曲「この世の花」が同名の映画の主題歌となり、大ヒットとなり、一躍人気歌手となった。
 57年、「東京だョおっ母さん」がさらに大ヒット。映画化もされ、自ら主演で銀幕に登場した。この年初めてNHK紅白歌合戦に初出場した。
 のちにプロ野球阪神の藤本勝巳選手と結婚。30年連続紅白出場など歌手として充実した日々を送ったが、私生活では離婚や借金の保証人になり、多額の負債を抱えて苦労した。
 80年代に「人生いろいろ」が大ヒットし、ものまねタレントがこれをアレンジし、若者にも人気を博した。
 93年に初期の乳がんが見つかり治療。99年には紫綬褒章を受章した。」(
ここより)

75歳とは若い・・・。そして惜しい・・・。こんな礼儀正しい歌手はいなかったという。そしてもちろんこんな歌手生活が長い歌手も、そうそういなかった・・・。

前に取り上げた「哀愁のからまつ林」(ここ)の時も書いたが、自分が島倉千代子を“意131108karatatinikki 識”したのは、小学校3~4年生の頃か・・・? 当時住んでいた埼玉・与野の家を思い出す。お袋と庭にいたとき、家の中のラジオから流れてきた、少し枯れたような歌・・・。それが島倉千代子だった。枯れた、と書いたが、自分は当時、子供心に歌のおばさんの松田トシなどに比べ、彼女の独特の節回しをこう感じたのだ・・・。当時の代表曲を聞いてみよう。

<島倉千代子の「からたち日記」~昭和33年盤>


「からたち日記」
  作詞:西沢爽
  作曲:遠藤実

こころで好きと 叫んでも
口では言えず たゞあの人と
小さな傘を かたむけた
あゝ あの日は雨
雨の小径に 白い仄かな
からたち からたち からたちの花

(セリフ)
 幸せになろうね あの人は言いました
 わたしは小さく うなずいただけで
 胸がいっぱいでした

くちづけすらの 想い出も
のこしてくれず 去りゆく影よ
単衣(ひとえ)の袖を かみしめた
あゝ あの夜は霧
霧の小径に 泣いて散る散る
からたち からたち からたちの花

(セリフ)
 このまま別れてしまってもいいの
 でもあの人は さみしそうに目をふせて
 それから 思いきるように
 霧の中へ消えてゆきました さよなら初恋
 からたちの花が散る夜でした

からたちの実が みのっても
別れた人は もう帰らない
乙女の胸の 奥ふかく
あゝ 過ぎゆく風
風の小径に いまは遥かな
からたち からたち からたちの花

(セリフ)
 いつか秋になり からたちには
 黄色の実がたくさんみのりました
 今日もまた 私はひとりこの道を歩くのです
 きっとあの人が帰ってきそうな
 そんな気がして

自分が“音楽”を意識していなかった(自分が音楽を聞き出したのは小学校5年生のとき)子ども時代から“意識していた”島倉千代子の声・・・。その死は、まさに時代の変遷を意識させてしまう・・・。新たな命が生まれ、そして自分たちは老いていく・・・。それが自然の流れではあるが・・・。
島倉千代子の多難だった人生。冥福を祈ろう。合掌・・・

(2013/11/14追)
今朝のNHKラジオ深夜便で「〔にっぽんの歌こころの歌〕島倉千代子さんを偲んで「のど自慢の仲間たち」ゲスト:歌手 島倉千代子(平成17年11月24日放送) 」という8年前のインタビュー番組の再放送をしていた。幼い頃からデビューした若い頃までの話。

<「のど自慢の仲間たち」ゲスト:歌手 島倉千代子>

(関連記事)
島倉千代子の「哀愁のからまつ林」

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コメント

我々の世代にとって、子供の頃から慣れ親しんだ歌謡曲を歌う人はもういないのではないかと、ふと思ってしまいました。
時の流れを実感させられますね。

【エムズの片割れより】
本当に、子どもの頃に聞いた歌手はほとんど居なくなってしまいました。残った島倉千代子は貴重な存在だったのですが残念です・・・。

投稿: 通行人 | 2013年11月 9日 (土) 00:07

島倉さんの訃報に個人的な感慨も沢山ありますが「片割れ」さんにお伝えしたいのはあの山崎ハコさんとの「縁」についてです。ハコさんはこの10年ほど前から島倉さんに曲を提供するだけでなくお互いに仕事上だけでなく支えあう関係を築かれていたように思えます。ハコさんがこの春、椎間板ヘルニアを悪化させて手術にまで至った時も6月に退院祝いの食事会をしてくださったとのことです。
 島倉さんの訃報はハコのファンの私にとってとても悲しい出来事です。

【エムズの片割れより】
自分もハコさんのファンですが、島倉さんとの縁があったとは知りませんでした。
それにしても、島倉さんは早過ぎましたよね。

投稿: todo | 2013年11月15日 (金) 20:37

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