森田童子の「さよならぼくのともだち」~東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤
森田童子のアルバム「東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤」は、彼女のCDの中でも未だに特に人気があり、オークション市場で中古が9千円もしている。
自分も、CDがあまりに高価なので以前LPレコードを手に入れたが、いつかCDを手に入れたい・・・と思っていた。それがひょんな事から手に入ったので、その中から「さよならぼくのともだち」を紹介する。
<森田童子の「さよならぼくのともだち」>
「さよならぼくのともだち」
作詞・作曲:森田童子
長い髪をかきあげて ひげをはやした やさしい君は
ひとりぼっちで ひとごみを 歩いていたネ
さよなら ぼくの ともだち
夏休みのキャンパス通り コーヒーショップのウィンドの向こう
君はやさしい まなざしで ぼくを呼んでいたネ
さよなら ぼくの ともだち
息がつまる夏の部屋で 窓もドアも閉めきって
君は汗をかいて ねむっていたネ
さよなら ぼくの ともだち
行ったこともないメキシコの話を 君はクスリが回ってくると
いつもぼくにくり返し 話してくれたネ
さよなら ぼくの ともだち
仲間がパクられた日曜の朝 雨の中をゆがんで走る
やさしい君はそれから 変わってしまったネ
さよなら ぼくの ともだち
ひげをはやした無口な君が 帰ってこなくなった部屋に
君のハブラシとコートが 残っているヨ
さよなら ぼくの ともだち
弱虫でやさしい静かな君を ぼくはとっても好きだった
君はぼくのいいともだちだった
さよなら ぼくの ともだち
さよなら ぼくの ともだち
この歌も、1970~80年代の退廃的な世相を表している。「君はクスリが回ってくると」とか 「仲間がパクられた」とか、およそ現在の我々シニア族には遠い世界の言葉だが、当時は我々自身がその世界にいたのだ。何とも懐かしい(?)世界??
話は変わるが、昨夜遅く、成田空港から京成線に乗って帰ろうとしたら、大きなリュックサックを持った青年(兵庫の大学生?)に話しかけられた。「東京は皆分からないが、三鷹まで行きたいのだが、どう行ったらよいか・・・」と聞いてきた。持っている友人から貰ったというメモを見ると、なかなか難しい経路が書いてある。それで、一緒の方向なので・・・と、三鷹まで一緒した。この青年がなかなかの好青年で、オーストラリアからの帰りで、オーストラリアで知り合った人から誘われて、その人の所にこれから行き、そこを拠点に東京見物をするという。
電車の中で、カミさんと意気投合して、海外旅行での言葉のことなどを話していた。しかし大きなリュックを背負って、電車の中でも立っている。さすが若者は体力がある。
そして、三鷹に着くと、お礼を言って握手をしてから降りて行った。
何とも清々しい気分・・・。この歌で描かれた青年の世界が「陰」とすると、昨夜の青年の世界は「陽」か?
まだまだ今の青年の世界も、棄てたものではないな・・・と感じた。
それにしても、未だに自分の心を捉える35年前の森田童子の世界である。
●メモ:カウント~500万
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コメント
シチュエーションが違いますが、いつかスイスの山中の湖で、重たいリュックサックを担いで独りで上ってきたMITの学生と出会い、世界をリードするだろう若者のバイタリティはすごいなと、妙に感心したことを思い出しました。
さて、この童子の歌の内容を知ったら、教会はびっくりしたのではと思います。「パクられた」の歌詞に、はるか昔、活動していた寮友を思いました。彼は昭和44年、「東京駅で電車を止めた、ほか」で指名手配され、新聞に出ていました。今はどうされているでしょう。理工学部で美男だった彼の、社会正義の具現を信奉した青春は、我が身大事で汲汲と過ごしてきた小生どもと較べようがありません。別離の際、思いでに彼(当時19歳)が書いてくれた詩の一部を紹介させてください。(状況:東京のデパート屋上のガラス箱の中、ヘビに片足を食べられたカエルに話かけている)
…自己のヒューマニズムの防衛のため 私はお前を救いたいとは願わない 考えることを否定して 私と全く無関係に 私は機械かロボットのように ガラス箱を破るべきなのだ それをしなかった私は 涙というものを知らぬ…(あと略)
「人生幻化に似たり」と、よく聞きますが、「人生幻花なり」と言いたいようです。御ブログに改めて感謝いたします。
【エムズの片割れより】
なかなかに哲学的なコメントで、返信が難しい・・・。
昭和40年代初めの学生運動の熱気は、今の若者は想像出来ないかも・・・・。逆に、最近の憲法改定議論も、秘密保護法案も、学生の姿(意見)が見えないのが残念です。政治に無関心になってしまったのか・・・
ともあれ、次世代の若者には期待したいのですがね・・・
投稿: 樹美 | 2013年11月 8日 (金) 11:29