「両陛下、葬儀は火葬 17世紀以来」&終末医療を考える
今朝の日経新聞の記事。天皇の埋葬が火葬になるという・・・。
「両陛下、葬儀は火葬 17世紀以来 宮内庁発表
宮内庁は14日、天皇、皇后両陛下の意向を受けて検討を進めてきた「今後の陵と葬儀のあり方」を発表した。陵の墳丘の形状は従来通りで、天皇・皇后陵が隣り合う形にし、敷地面積を昭和天皇・香淳皇后陵の8割程度にする。また江戸時代前期から続いてきた土葬を火葬に変更し、火葬のための新たな儀式を行う。
天皇の火葬は1617年の後陽成天皇の葬儀が最後で、葬法の歴史的転換になるが、他に 大きな変更はなく、旧皇室喪儀令などに基づく戦前の形式が継続することになった。陵の予定地は東京都八王子市の武蔵陵墓地の大正天皇陵西側になる。
宮内庁は昨年4月、新たな陵と葬儀のあり方の検討を行うと表明。両陛下は武蔵陵墓地の用地に余裕がなくなっていることや国民生活への影響を少なくすることを考慮して検討を進めてほしいとの意向を示されていた。また一般社会で火葬が通常化していることなどから火葬を希望された。
陵は明治天皇陵から続いている「上円下方」の墳丘形式を踏襲。従来より大きさを縮小した天皇、皇后陵が並び立つように配置する。皇后陵は天皇陵より小さめになる。
宮内庁が「お気持ち」公表 国民生活へ影響軽減を
宮内庁は14日、天皇、皇后両陛下の今後の陵と葬儀のあり方について、両陛下から了解を得てまとめた「お気持ち」を公表した。天皇陛下が国民生活への影響を少なくしたいと望まれたことを紹介。両陛下の合葬が検討過程で見送られた背景に皇后さまの意向があったことを明らかにした。
同庁によると、両陛下は即位後のかなり早くから陵や葬儀のことを話し合い、宮内庁長官らの意見にも耳を傾けられた。天皇陛下は従来の皇室のしきたりをできるだけ踏襲しながらも、時代の要請を受け入れて行動することを心がけ、陵と葬儀のあり方についても国民生活への影響軽減を希望されたという。
合葬には、皇后さまが「あまりに畏れ多く感じられる」とし、将来的に天皇陵前で行われる祭事などにも配慮。天皇陛下の「合葬というあり方も視野に入れてはどうか」との考えに深く感謝しながらも、遠慮しなければとの気持ちを示されたという。
両陛下は一般の葬儀・告別式に当たる皇室行事「葬場殿の儀」の実施場所についても、大勢の人が使う場の長期占用や樹木伐採を避け、猛暑や集中豪雨などを考慮して出席者の安全が確保できる場所を希望。皇太子さまや秋篠宮さまの意見も伺いながら選定してほしいとの気持ちを持たれているという。」(2013/11/15付「日経新聞」p1、p42より)
自分の葬儀について、生前に検討する例は多くあるが、天皇もその例外ではないらしい。しかし、あまりに長い歴史から、そして周囲の考えから、そうそう自分たちの意向で動くものでもない。その点では、今回の火葬屁の変更は、大いなる前進なのかも知れない。
話は変わるが、最近胃ろうなどの終末医療につて考える事が多い。前に何度か胃ろうについて書いてきた(ここなど)。
しかし現実の問題として考えてみると、胃ろうや中心静脈栄養の実施可否の判断は極めて重い。意識のない状態での可否判断は「苦しめて1日永らえても・・・」ということから容易に判断できるが、口から食物が取れないだけの場合、つまり意識がある場合、それらの拒否は、結果として自分たちで親の命の残りを決定してしまうことになりかねない。
結果、安易な選択の道は、親をチューブだらけにしてしまうこと・・・。確かにその方が子どもにとっては精神的には楽だ。少なくても、自分を責めることにはならなので・・・。しかし当の親は・・・!?
一方、その選択を断った場合は、自分を責めかねない・・・。例え、親が安らかに死んだとしても・・・。しかしそれは残された人が負うべき責任なのだろうか・・・?
いや違う。終末医療などが無かった昔は、誰も自然の摂理で亡くなって行った。それが終末医療と称して、管をつないで生物としての延命を図ったため、単に心臓の鼓動だけが長くなった。しかしそれは本人にとって望むことだろうか? それはやはり本人にとって、と言うより、残された人の自己満足ではないのか?
ふと昭和天皇崩御のときの状況を思い出した。昭和63年9月19日に倒れられてから、「侍医団は、高齢の天皇の体力を考慮して、積極的治療によるリスクと苦痛を避けるため、新たな外科的治療は行わず、輸血と点滴を中心とした対症療法に徹するとの方針をとった。「天寿を全うしていただく」と。」
それ以来、毎日ニュースは「今日は輸血を**CC・・・」といった話ばかり。そして「闘病は111日間に及び、吐血以来の輸血総量は3万1000ccを超えた。」(ここより)
天皇ですら、自然に任せて積極的な治療は行わなかった。自然に任せた。
世代は順番に移り変わって行く。しかしそれは簡単な事ではない。どんな変化にもエネルギーが要る。そんな当たり前の事を意識するこの頃である。
(付録)
今朝、井の頭線に乗っていたら「閉まった踏切を無理に渡った人がいたため、安全確認のため5分ほど遅れて運行しています」とのアナウンス。
一人の勝手な行動が、どれほどの人の予定を狂わせるか・・・。よくよく考えよう。
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