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2013年10月11日 (金)

初めてホスピスに見舞いに行った話

昨日、初めてホスピスに同僚の見舞いに行ってきた。行くまではホスピスとは知らなかったが・・・

同僚(64)にガンが見つかった時のことは前に書いた(ここ)。
毎年受けている会社の検診で、肺のレントゲンに異常が見つかった時点で、既に骨に転移。K大病院の治験に協力(?)する形で治療スタート。その後、2年弱は元気に出社していた。たまに「どうだ?」と声を掛けると「良くも悪くもなっていない」という返事。「それはよかった」と・・・
そして7月頃、何度目かの入院をしてからは、そのままホスピスのある現在の病院に転院し、出社出来なくなった。

昨日、初めて訪ねた病院は住宅街の閑静な場所にあった。病院らしくない小さな入り口。入るとピアノのある広いホール、その奥に受付があった。
131011hospice1 言われるままに廊下を歩いて病室に。病院にしては、雰囲気が全く違う。それでここはホスピスだと理解した。それぞれの階には広いホールの談話室。そして豪華なソファー。廊下にも豪華なソファーが並ぶ。廊下の左右にある治療室は、廊下には面してなくて、いったんドアを開けて入ると、そこに診察室が並んでいるような構造。つまり廊下からは診察室が見えない。
個室に入ると、広い。あとで病院のHPを見たら、34㎡だという。大きな窓に、電動ベッドとソファー、机などの設備。

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何とか同僚は訪ねた我々を認識してくれたが、奥さんの話によると、モルヒネの影響で、時々記憶が飛ぶという。しかし、このような時の会話は難しい。たまたま奥さんが居てくれたので、会社にまだある私物を送ってくれとか、そんな話・・・。「本人は、来月にでも歩いて会社に整理に行くと行っているんですよ・・・」とも。

部屋を出た後、立ち話で奥さんに聞くと、数か月前に、脳に移転したガンのガンマーナイフ治療で、48箇所のピンポイント治療では良かったが、2分間の全体照射をしてから、ガックリと体力が衰え、一人では外出できなくなった、とのこと。2分間でもダメージが大きかったと・・・。
一緒に行った誰かが「泊まり込みですか?」と奥さんに聞くと、「今は状態が安定しているので、夕食後の7時過ぎには家に帰って、また翌朝来る」とのこと。「大変ですね」と言った返事の「妻ですから」という言葉が印象的だった。

8月中旬にこの病院に入院したときは、一般病棟だった。しかし現在はホスピス病棟。病院の人に聞くと、ホスピス病棟の部屋は、半分が有料で一日2万円強。あとの半分は無料だが、控え室や部屋の設備が違うという。
そして、この病院の場合、入居資格は予後6ヶ月以内のガン患者で、入院希望者はまずホスピス外来を受診し、入院の許可がおりたら入院が出来るという。“待ち”については、ホスピス外来の受診ができるのは、申し込みから2か月先。もし入院可能になっても、無料の部屋がそれから3ヶ月待ち、有料の部屋だと3週間待ちだという。

結果として初めてホスピスに行ったわけだが、自分はここをどう受け止めよう??
ホスピスは緩和ケア専門なので、ガン末期の苦しみからは救ってくれるだろう。設備も豪華で、まるでホテルのような環境・・・。しかしそれで、心の痛みがどの位救われるのだろう・・・
自分は、何があってもやはり自宅、自室が良い。自室での看取りは難しいのは良く分かるが、福島の避難者の声を聞いても、誰でも自宅が一番ホッとする場所・・・。
そして自分が一番気にしている死の恐怖については、このような所に来た後は、モルヒネなどの薬の影響で、意識が朦朧となるので、それほど心配ないか?? それより問題は、宣告される時だな・・・
ともあれ、同僚の見舞いで、初めてホスピスの雰囲気を知った。同僚のことについては書かない。何とも言葉が無いので・・・

(2013/12/16追)
この同僚が2013/12/14逝去。骨への転移が確認されてから、2年5ヶ月。そのうち、2年間は出勤していた。そして、このホスピスに入院して4ヶ月だった。ご冥福を祈る。

●メモ:カウント~490万

131011gosyujin <付録>「ボケて(bokete)」より

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